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35.フローラの屋敷

 ザイオンに再会して、シルクの新居にお邪魔してから一ヶ月後、下賜されたお屋敷の修繕が終わったと連絡があった。


 王家から屋敷を賜った場合、通常はお披露目式が必要だけれど、王宮がまだ混乱しているし、小さな屋敷なので免除となった。


 そんなわけで、気ままに一週間滞在することになった。


 避暑と呼ぶには涼しいけれど、好きな季節に素敵な場所で好きな人とふたりきりとは夢のようで、実はすごく楽しみにしていた。


 お祖父様が私がこのお屋敷を貰い受けると聞きつけて、アルゼィラン伯爵家所有の同年代の家具をいくつか見繕って下さった。

 アルゼィラン伯爵家の財産分けのようなことをしてしまって良いのかと、後継ぎである母の兄に直接聞いたら「フローラ、此度の諸々良くやった」と力強く頭を撫でながら褒められた。


 馬車に揺られながら高台へ向かう景色を眺める。ほんの四ヶ月前、ライナス様とアルゼィラン伯爵家へ向かいながら同じ景色を見ていたと思えば、しみじみしてしまう。

 あの時と変わらず、ライナス様は私の頭を撫でながら寄り添っている。


 王妃様の避暑邸宅は自然と調和の取れた美しい外観をしてる。門からアプローチは背の低い庭木でいっぱいで、秋の花が咲き始めていた。


 手をつないで歩く。


「ロザリア様が好きそうなお庭ですね」

「そうだね、でもふたりだけの秘密基地にしたいな」


 今日は御者を連れただけで、本当にふたりきりだ。


 ライナス様が扉を開けてエスコートして下さる。中に足を踏み入れる。

 王妃様のお屋敷としてはあまりに小さいけれど、内装は天井のモールディングから扉の真鍮の装飾に至る細部までとても凝っていた。


「お邪魔します、フローラ」


 そう笑いながらライナス様が仰った。ずっとずっと昔の懐かしい記憶が蘇る。



 ──あれは私が物心着いた頃、



『お邪魔します、フローラ』


 母は身体が弱く、外出は庭先までだった。だから母と遊びたい私のために家の中の遊びを工夫してくれた。


 ある日、母が新しい遊びを提案してくれた。室内にポールテントを作ろう、と。


 組んだだけの棒に、お気に入りの布を掛けて、リボンやレース、ぬいぐるみまで引っ掛けたかもしれない。


 秘密基地だ!とはしゃぎながら呼ぶと、母は恭しく『お邪魔します』と言って、私は『どーぞ』と恭しく返した。

 ふたりで潜ってはしゃいで、終いには暑くなって母を追い出した。母は大げさなぐらい笑い転げて、私も楽しくなって沢山笑った。



 帰る場所なんて無いと思った。


 居場所のない自分には価値がないと思った。


 愛されていない自分が惨めだった。


  幼い頃の母との思い出はもうおぼろげだ。でも、失ったからって、無かったことにするなんてひどい娘だ──。


「大丈夫フローラ?」


 白昼夢に呆然と立ったままの私をライナス様が額にキスして現実に引き戻してくれる。夢みたいなライナス様のキスが私をこうして現実に引き戻す。


「すみません。母のことを思い出していました」

「そうか。──気に入りそう?この家は」

「はい。とっても素敵。ライナス様どうぞ中へ」


 屋敷の中は部屋数も少なくこぢんまりしていたけれど、時代考証は完璧だ。ライナス様がお祖父様と相談して、暮らしやすいように作り変えつつ、内装を決めたそうだ。お祖父様とライナス様の仲が良くって、すごくうれしい。


 荷物や食材は事前に運び込まれているので、簡単な片付けをして食事の準備を始める。一週間ほど滞在するので、先に数日分の食材の下ごしらえを済ませる。


「料理まで作れるとは……フローラって苦手なことある?」


 料理中に後ろから抱きしめられる。作業モードに入ると嬉しさより邪魔さが勝るので、我ながらライナス様に慣れたな……としみじみする。


「たくさんありますよ。手が空いてるなら、皮むきして下さい」

「はーい」


 頬にチュッとキスされる。キスはいつでも、嬉しさのほうが大きい。


「どこで習ったの?」

 

 器用な手付きでじゃがいもの皮を剥いていくライナス様。さすが普段刃物を扱っているだけある。


「母です。『昔は貴族でも料理場くらい自分たちで舵取りしてたんだ』が四代前のアルゼィラン伯爵夫人の口癖だったそうです」

「さすが、歴史の長さが違うな……」



『フローラ!食べ物を粗末にしちゃ駄目よ!』


 それは物心がすっかり着いた頃。母と厨房でパン作りを手伝っていた。初めて触る感触が楽しくて、長すぎる工程に飽きて、粘土のごとく生地を弄んでいた。


 身体が弱い母は、怒るのにも体力が要っただろう。それでも、私が悪いこと、危ないことをすれば全力で叱ってくれた。

 怒らせてしまったあとに体調が悪くなることに気付いてからは多少良い子になったと思う。


『自分で何でも出来たら、自由になれるのよ』


 母はアルゼィラン伯爵家の家訓とは関係なく、教えられる事は何でも教えてくれた。貴族としての立ち振る舞いは師匠が教えてくれたけれど、それも母が教えてくれたことが、根っこにあった。



「お陰で、継母に食事を抜かれても厨房の勝手を知っているからへっちゃらでした。王宮でも、母に習ったことが沢山役に立ちました」


 パンはオーノック家の厨房から種だけ貰ってきて今日のうちに仕込んでおく。ひんやりするほどの納戸に入れておけば明日の朝焼くのに丁度良い頃合いだろう。


「……フローラはもっと怒った方が良いと思う」


 ライナス様がむくれている。


「怒るのにも、愛情と体力がいるのだと母から学びました。私には……ちょっと難しいかも」


「素敵なお母様だね。覚えの良いフローラに教えるのは楽しかっただろうな」

「どうだったでしょう。思い出すのは病床の苦しそうな姿ばかりだから……」

「絶対楽しかったよ。だってアルゼィラン夫妻もフローラといるとき、すごく楽しそうだよ」

「母は性格は祖父に似ていたと思います。どこか豪快な人でした」

「お会いしたかったな、お祖父様とは本当に気が合うと感じるから」


 ふたりで笑い合う。ライナス様がこんなにお祖父様と仲良しになるとは予想していなかった。


 おしゃべりを楽しみながら今日食べる分の煮込みに取り掛かる。

 高台の初秋とはいえまだ寒くはないから、窯で仕上げるパイを作る。ふとライナス様の手元を見ると、ズッキーニのヘタをこれでもかと切り落としている。


「ライナス様、ヘタをそんなに切り落としたらもったいないですよ」

「え?ごめん」

「ここからここ、切って下さい」


 キッチンが低すぎて腰が痛くならないかな、と心配になるくらい、真剣にズッキーニに向き合うライナス様が可愛らしくてにやにやしてしまう。私がにやついているのに気付いたのか、ライナス様が私を見上げる。


「……今のは愛情?」

「怒ってないです。それに、ライナス様への言葉は全部愛情です」

「なんか……ふたりきりだと素直なの?」


 「良いかな?フローラ?」と言いながらライナス様が迫ってくる。包丁はちゃんと作業台の奥に置いて抜かり無い。

 あらぬところに手を添えて思い切り抱きしめられる。抱きしめられるのは良いけれど、良い?と聞き続けられると怖い。


 ひととおり私の身体を撫で回して満足したのか、ライナス様が大きくため息をつく。


「やっぱりもう少し王宮に近い場所で小さい家を探そうか?」

「身体は一つなのに家がいくつもあっても困ります」


 シルクの素敵な新居を見て、ライナス様も触発されたのだろうか。


「フローラが家の数いたら、仕事であちこち行かされても幸せだな……」


 顎に手を当て真剣な顔で言うライナス様に笑ってしまう。


「駄目です。ライナス様のいない家にいる私の気持ちを考えたら……泣いちゃう」

「はは、そうだね。どこに行くにも、このフローラを連れて行こう」


 頬を両手で包まれおでこをすりすりと当てられる。


 一瞬呆れ顔の王太子殿下の顔が浮かんだ。けれど、もうライナス様と離れて生きられる自信がない。


「そうして下さい。足腰に自信はないけどこう見えて体力はあるんです」

「やっぱり素直……。たしかにこんなに細かったら私が抱えて歩くのが一番だね」


 ひょいっと私を抱えて調理場から出ていこうとする。再びその手があらぬ所を撫で始めている。


「……んっ、駄目ですライナス様!せっかくお夕飯準備したのに!」

「うーん、それは愛情で叱ってくれてる?」

「食材への愛情です!スープも熱々がお好きでしょう?食べましょう、ね」

「そうだね、フローラの愛情たっぷりの夕飯を頂こうか」


 数日分の下ごしらえを済ませておいてよかったと、翌日の朝になって心から思った。パンは少しだけ、不恰好に焼き上がった。

 

 

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