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33.頼れる背中

 

「どう?歌劇団での演奏活動は」

「すーっごく楽しい。師匠に知らせたら、ワシの顔を立てて無理せんで良かったのに、なんて言ってさ」


 シルクは新しく設立された歌劇場の楽団に移籍した。目の敵にされていたデューター・コルムラットは逮捕されたけれど、すっかり歌劇団に魅了されてしまったらしい。


「んふふ、宮中楽団に合格した時、一番喜んだのは師匠なのに」


 随分前に引退する!といって田舎に帰った師匠を思い出す。気難しいけれど優しい先生だったな。


「王太子殿下からはお礼に丁度良い王都の物件を頂けたし、いけ好かないやつも成敗できて、私的には今回のことはラッキーだったな」


 その新しい物件にお邪魔したかったのだが、ライナス様に止められて、シルクをオーノック邸に招待した。


「私もライナス様との誤解が解けたから、まぁ、ラッキーだったかな?」


 そしてミリアーナ殿下との思い出が後味の悪いものにならなくてよかった。


「それにしてもライナス様が一緒じゃなきゃ屋敷から出してもらえないなんて、ちょっと束縛がひどくない?」

「ううん、一度黙って家を出てるから、心配なさっているのよ」


「束縛じゃないさ、フローラが行きたいところならどこへだって連れて行くよ」


 開け放たれたサンルームへライナス様がいらしていた。


「お邪魔しています。ライナス様、それならフローラと一緒にうちへいらしてくださいよ」

「やあシルク殿、ご招待いただけるならぜひ」

「行きたい!」

 

 内宮の侍女の部屋は恐ろしく狭い。だから一人暮らしの家にものすごく憧れがあるのだ。出来れば買い出しなんかにも連れて行って欲しい。

 ふたりで爛々と目を輝かせながら日程を相談する。


「可愛すぎる……。フローラ、街中に二人っきりで過ごす小さな家を買おうか?」


 ライナス様がまた変な買い物をしようとしている。

 シルクが「それなら我が家の近くに!」と言ったら、「シルク殿にフローラを盗られるから却下」と。思い留まってくれたようだ。  


 歌劇場の改修が終わるまでは、王都を中心にあちこち演奏旅行するらしい。ひと月掛かる旅程もあるそうだ。あれこれ旅行用品を買い足すと言うから、出来ればそっちの買い出しにも連れて行って欲しい。


 ライナス様とあちこち外出するようになった私は、日用品の買い物、ちょっとした外食に夢中なのだ。もちろんひとりでは行けない。


「そういえば歌劇団の見習いにザイオン・カールソンがいたよ」


 シルクの口から意外過ぎる名前が飛び出した。顔が固まる。


「フローラの異母弟か」

「ザイオンが?どうして?」


 私の十歳離れた異母弟だ。遊んで!と手を伸ばしてきた無邪気な、かわいい顔が思い出される。


「家出して、もう一年くらいになるって」

「まだ十四歳よ」


 貴族の子弟が家出したという話は意外に良くある。なまじ伝手とお金があるので私のように働くでもなく気軽に家を出る者も多い。しかし、ザイオンは子爵家の跡継ぎでまだ子どもだ。


「フローラも家を出たのは十四の時でしょう?」

「でも、王宮は安全だもの」


 王宮では理不尽な目に遭うことはあっても、犯罪的な意味での危険はない。市井で家出した貴族の子どもが暮らすなんて危険だらけだ。


「そういえばカールソン子爵が親戚筋の養子縁組と継承者変更の申請を却下されていたな」

「どういうことでしょう?ザイオンは大丈夫かしら……」


 ほんの四ヶ月ほど前にカールソン子爵家を訪ねたときは屋敷にも継母にも変わった様子はなかった。その事が却って心をざわめかせる。ライナス様が心配そうに覗き込んで頭を撫でてくれた。


「心配で夜も眠れないって顔だね。……行ってみようか?」


 頷く。確かにこのままじゃおちおち寝ていられない。世の中は怖い大人がいっぱいなのだ。


「いいね!そうこなくっちゃ」

 事件の匂いだ!とばかりにシルクが勢いよく立ち上がった。


◇ ◇ ◇


「ザイオン・カールソンはいるかな?」

 

 歌劇団は後援者たちが用意した屋敷を仮の事務所として使っている。対応したのは団員ではなく用心棒だそうだ。人気団員の追っかけがいるから警備は厳重らしい。


「カールソン家の関係者ですか?呼び出しても逃げちまうと思いますよ」


 貴族然としたライナス様に用心棒がそう言った。普段男装しているシルクは今日はドレス姿で気付かれていない。ライナス様が「私の心臓に悪いから」と男装で私に会うことを止めている。


「姉が来ていると伝えて頂けませんか?」


 逃げてしまうなら、それはそれでザイオンの意思を尊重しよう。

 シルクが応接室へ案内してくれて、お茶を飲みながら待つことにした。


 それからしばらくして、応接室の扉がノックされた。「失礼します」と言った声は記憶にない少年の声だった。様子を伺うように応接室にやってきたザイオンはすっかり大きくなっていたけれど、あの頃とおんなじ深緑の瞳をしていた。


「ザイオン!良かった。あなたがここに居るって聞いて。あ、わからないわよね、姉のフローラよ」

「……姉上」

「元気そうで良かった」

「姉上もお元気そうで何よりです」


 ザイオンは笑顔で話してくれた。肉付きも悪くなく、健康そうだ。身なりも整っているし、ちゃんと暮らせているようでほっとして全身から力が抜ける。


 シルクのことは顔見知っていたようで、ライナス様を紹介する。


「突然訪ねて不躾だが、事情を教えてくれないか?」

「一年ほど前から劇団を手伝いながら勉強させて頂いています。元々両親、特に母とは不仲で二、三年前から時々家出をしていたんです」

「そうか、それで頼ったのが歌劇団の人?」

「はい。子爵家に居る頃からの音楽の先生です」


 名前を聞けば私も知っている先生だった。カールソン子爵家も祖父の代までは芸術に造詣が深く、元々母が嫁いだのも姑となる祖母と親しくなったのがきっかけだと聞いている。

 祖父母は鬼籍に入っているが、領地に別荘を与えられた芸術家が今も多くいるのだ。


「そうだったの。嫌な目には合っていない?ちゃんとご飯は食べれている?」 

「最初は大変でしたけど、今はすっかり慣れて、背もこっちに来てからぐんと伸びたんです!こないだなんて母が偵察に来ていましたが、僕に気付かず横を通り過ぎてったんですよ」


 切なげに笑った顔がまだ幼さの残る少年だった。幼い彼の身近に暴力がある状況を避けたくて子爵家を出た。でも、結局彼は辛い思いをしたのかもしれない。


「姉上は、いま幸せですか?」 

「えぇ、春には結婚式を挙げるの」

「そっか……良かった」


 

 笑顔で尋ねる緑の瞳がとても真剣だった。この子は、出ていった姉のことを気にかけてくれていたんだ。

 姉弟で近況を話していると、シルクがライナス様に小声で何か言っている。


「──ライナス様、芸術家の見習いって実家の援助がないと大変なんですよ。ザイオン君、侯爵家で支援できませんかね?」


 その姿はまだ若いのに哀愁漂っていた。シルクも苦労したのだろう。だが仕草がどこかの悪徳商人のようだ。


「君が人気歌手になったら、便乗してパトロンにならせてもらおうかな」

「ありがとうございます」

 ザイオンが深々と頭を下げる。


 シルクは不満顔だ。だが侯爵家が将来パトロンになる、と宣言しておけば少なくとも理不尽な目に合うことはないだろう。


 ライナス様がぽんぽんっとザイオンの肩を叩く。

「まあ、パトロン云々はもっと先の話として……歳の離れた兄姉にお小遣いをねだるのは弟妹の特権だからな、気軽に甘えなさい」


 優しい、兄の顔をしている。私もお兄ちゃんと呼びたいくらいに。


「……ライナス様」

「かっこいい?フローラ、見直した?」

「んもう……」


 呆れ顔でシルクが見ている。

 

「ははっ姉上が幸せそうで良かった」


 ──ザイオンが真っ直ぐに育っていてくれて良かった。


「そういえば」とライナス様が切り出した。


「君の父上は嫡子変更をしようとしているようだけれど、構わないのかい?」

「……実は、私は貴族教育を受けていないんです。父は屋敷に戻らず、母は遊び呆けてばかりでした。姉上は自分で王宮に上がって勉強されたでしょう?私も他の貴族家へ奉公に出て一から学ぶか、貴族社会を飛び出すかの選択しか無いと思ったんです」

「なるほど。それで飛び出す選択をしたと」

「チャンスがあるなら、夢を追おうと思いました」


 微笑んだ表情が、芸術の世界に身を置く少年らしく、純粋にキラキラと輝いていた。なんだか、プロになるんだと寝る間も惜しんで練習していた頃のシルクを思い出す。


 十三歳の少年が家を出て自力で生活しているのだ。生半可な決心じゃなかったのだろう。


「わかった。カールソン子爵家のことはこちらでどうにかするよ」

「申し訳ありません。ありがとうございます」


 深く頭を下げたザイオンの頭をライナス様が撫でる。ふたりの様子がひどく暖かく思えて、ライナス様の背中がとても頼もしく感じる。


 別れ際ハグをして、また近いうちに会う約束をした。姉上、と何度も呼んでくれて、心がじんわりと温まった。

 私ひとりではどんなに心配でも会いに来る勇気はなかっただろう。ザイオンにも、これから良い出会いがたくさんあることを願った。



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