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32.もう一つの真相と約束と

 殴る殴らないの攻防戦が無事終わって、領地の本邸に移る準備をしている頃。まだまだ暑い日が続いている。タープを張って、今日は噴水の側で午後のひとときだ。


「フローラが練習台にされていると思うような接し方を私はしていたのか……」


 歌劇場の改装が終わったらぜひ行きたい、という話から、以前歌劇場で王太子殿下とどのような会話をしたか、という話になった。晴れやかな天気に反してライナス様はすっかり暗い面持ちになってしまった。


「い、いえ。そういうわけではなくて……」


 結局、私は女嫌い克服の練習台にされている、と勘違いしたきっかけとなった、ボルロとモーフロイ侯爵夫人の会話をライナス様にお話することになってしまった。


「どういうわけか、説明して欲しい」


 そして早速ライナス様がボルロを呼び出してしまった。


「たいっへん申し訳ありません……!」


日差しの下、タープに入らず頭を下げている。思わず「そこに立っていたら茹で上がってしまいます」と日陰に入らせた。既にボルロは顔を真っ赤にして、目に涙を溜めている。飲み物も勧めるべきかな?


「いや、二度とこんなすれ違いがないように、原因を知りたいだけなんだ」


 ボルロの記憶によれば、確かにモーフロイ侯爵夫人と、『ライナス様の女嫌いの噂は消えてくれるだろうか』とそんな話はしたそうだ。


「私もマーガレット様も、てっきりライナス様は本当に女性が苦手なのだと思っておりました」

「アルフレッド殿下に女性と関わらないように、と命じられた話は誰にもしていなかったからな」

 

 まさか侯爵家の若君が少年の頃からそんな命令を受けているとは、思いもよらないだろう。


「フローラ様がライナス様の積年の想い人と気付きまして、愛を囁く練習をなさっているようだと、弁えずそのようなことを申しました」

 

 積年の想い人──私がライナス様の、想い人、か……

 ライナス様に甘い言葉を囁かれるのにはどうにかこうにか慣れてきたが、第三者の口から聞くと、また恥ずかしい。

 

「わかった。ただ親族とはいえ、来客との個人的な会話は報告して欲しい」


 使用人が主のことを外の人間とあれこれ言うのは褒められたことではない。しかし、ボルロやニーナを見ていれば、この屋敷の人々がどれだけ主人を慮っているかはわかる。


「はい。大変失礼致しました。フローラ様も申し訳ございませんでした」

「いいえ、早とちりした私が悪いんです」

 そしてはしたなくも立ち聞きした私が圧倒的に悪いと思う。


「これからは私も言葉にするように心がける。許してくれるかい?フローラ」

「はい。もちろんです」

 ライナス様が私の手を掬い取って懇願する。はい、と言わなければ、謝罪が終わらないことは、ここ最近でしっかり学習した。


 ボルロが屋敷へと戻る。熱中症で倒れる前にお話が終わって良かった。


「フローラは優しいね」


 座ったまま後ろから包み込むように抱きしめられる。ここまでがセットなのだ。優しい、天使だ……と耳元で囁かれる。これをしたくて謝ってくるのでは?と最近疑い始めている。


「ライナス様が優しいからです」


 これは、本当にそう。改めて花嫁修業としてオーノック家で一緒に暮らしているけれど、ライナス様の甘さは日に日に増すばかりだ。


「フローラ、お茶を淹れてくれないかい?」

「はい」


 今日の茶器は希少価値の高いコッペルギアだ。だが関係なしに茶器を持つ手が少しだけ震える。先程、ボルロが言った〈積年の想い人〉というワードが脳内でリフレインしている。


「フローラのお茶は本当に美味しい」

「あ、ありがとうございます」

「おや、顔が真っ赤だ」


 頬を撫でられる。慣れたはずなのに愛おしげに撫で続けられるとどぎまぎしてしまう。


 ──積年の想い人……か。


「どうしたの、私の想い人さん?」


 そのまま頬を撫でられながらキスをされる。


「せ、せ積年の、というのは……」

「ああ、言ったじゃないか。十年フローラを見つめていたって」

「じゅうねん……」


 再びキスが降ってくる。最近ずっとこんな調子だけれど、うれしい。 


「本当だ。王宮の庭園で会った時に紅茶は季節に関わらず熱いのが好きだと話したら、その次のお茶会で熱々を出してくれたね」

「そんなこともありましたね」


──そう、あれは六年程前……。



『見事な白磁の茶器ですね』


 季節の変わり目のことだった。以前ミリアーナ殿下お気に入りの茶器一式を盛大に割って大目玉を食らった先輩侍女に、任せるわ!とひとり残され、茶会用の食器を入れ替えをしていたときだった。


 あの日も『お困りですか?』とライナス様が手伝ってくれたのだ。


『そちらの白磁はバサギルの北部で有名なダフィールという種類の焼き物ですね』

『さすが、詳しいですね。茶器はお好きですか?』

『いいえ、よく聞かれるので覚えるのが癖になってしまって……でも先日アルゼィラン伯爵家で見たコッペルギアは繊細で見事な絵付けが美しかったです。こんなに美しければセンターピースに刺繡が要らない、と思うくらい』

『私は夏でも熱々で飲むので繊細な茶器は使わないのですが、テーブルクロスに悩まないなら楽ですね』

『でも結局侍女は悩むんですよ。それにしても夏も熱々ですか?身体に良いのか、悪いのか……』

『今のところ超健康体です。安心して下さい』


 そんな話をして、以後ミリアーナ殿下とのお茶会ではライナス様には熱々のお茶をお出ししていた。



「あの後、嬉しさのあまりフローラが美しかったと話していたコッペルギアを手に入れたんだ」

「わざわざ……」

「いつかフローラとこんな風にお茶をする妄想をしていた」


 あの頃、私がライナス様を思っていたのと同じように、ライナス様が私を思う時間があったのだと思うと、感動すら覚える。


「他には、何かありますか?」

「え?」

「もし、この茶器みたいに、準備してらしたものがあるなら仰って下さい。もったいないですから」


 あの頃の私の願いは、もう殆ど叶っている。なら、まだ少年だった頃のライナス様の願いから、今の願いまで、全部現実にしてあげたい。


「えーっと、それは私の妄想を現実にしてくれるということ?」

「そういうことになりますかね?」


 私の肩におでこをあてて、深呼吸している。そんなに気合を入れて準備していたものがあるのだろうか?


「──フローラ、覚悟しておいて」


◇ ◇ ◇


 それからしばらくして、領地へ向かう前にあちこち出掛けよう、ということになった。そして本日の目的地、王都郊外にある大聖堂周辺は観光名所だ。


「参道街を歩くのは初めてです」

「私は殿下のお忍びに付き合うこともあったから案内できるよ」


 勢いよく抱きあげられてくるりと一回転する。楽しみにしていた外出に気分が高揚しているけれど、まだ早朝、侯爵家でお出かけ準備中である。


「思えば外食もしたことがありません……」

「ホントに?それは案内し甲斐があるなぁ」


 一人で移動することはあっても、お店に入ったり食事をしたり、はしたことがない。やはり一人暮らしなど夢のまた夢だったろうな、と自分の世間知らずっぷりに呆れる。


「さてフローラ、約束、覚えてる?」

 



 ──斯くして、目の前には半裸のライナス様。


「お、お召し物だけ選んでおくのでは駄目なのですか!?」


 ライナス様の衣装部屋で半ば私はパニックだった。

 美しい半裸だ。きれいに浮き出た筋肉と、想像よりガッシリとした体躯から目が離せない。


「フローラがミリアーナ殿下に花を選んでいたでしょう?こう……色合わせを悩みながら、真剣に。羨ましかったんだ。フローラに服を選んでもらう、妄想の一つだよ」


 そう言われてしまえば、ライナス様の服を選ぶ、という約束も、妄想を叶える、という約束もしたので応えるしか無い。


 改めてライナス様のご容姿を観察する。漆黒の短髪はすっかり伸びて、優しげな目元にぴったりのふわりとした雰囲気になった。逞しい体躯に微笑みが増えた最近は、色気がすごいと噂になっているらしい。元同僚の侍女が先日王宮に行ったときにこっそり教えてくれた。


 白や黒のシャツは色っぽすぎる。夏に合った柔らかめの麻布の淡いブラウンを選ぶ。とにかく目に毒なので一刻も早く着て頂きたい。


「こちらがよろしいかと……」


 ライナス様が着ている間にトラウザーズを選ぼうと棚の中を探す。すると、後ろから抱きしめられた。


「これ、フローラの髪の色?」


 そう言って胸元におろしている私の髪とシャツの前立ての裾を両方持って見比べている。ドレスの少し深く空いている襟首にライナス様の地肌の熱を感じる。


 ──む?


「ラ、ライナス様!ボタン締めて下さい!」


 そう言ったのにさらに強く抱きしめられる。首筋までライナス様の素肌を感じる。


「嫌?」

「……いやじゃないですけど」

「ごめん、キスだけ」


 顎に手を添えて顔だけ振り向かされて、唇を重ねる。ボタンどころか袖を通していなかったシャツは床に落ちてしまっている。


「止まんなくなるね?」

「ん……」


 正面に向き直って、貪るようにキスされる。衣装部屋にキスの音だけが響く。余裕のなくなった私はライナス様の胸元に手を添えて、その感触で裸だったと思い出す。


「だめ、鼻血出ちゃう……」

「フローラが?それは大変」


 クスクスと笑いながら鼻先をちゅっと啄まれて、やっとキスが終わった。ライナス様が落ちたシャツを拾って手早く着る。


「妄想、全部叶えてもらうには何年掛かるかな……」


 ボタンを締めながら首を傾げて、ボソリと言った。ライナス様の言葉に冷や汗が出る。心臓がいくつあっても足りないだろう。


「さ、トラウザーズも選んで!」


 結局この日、参道街へ向かう頃には腰砕けになっていた。初めての外食の味は……覚えていない。


お読み頂きありがとうございました。

後日談をあと数話投稿します。


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