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3.保護観察

「あなたごときが殿下のお側に侍るのも忌々しいとは思っていたけれど、嫁ぎ先も見つけられずに能天気な顔して帰って来られるのも迷惑なものね」


 継母に刺々しい口調で罵られるのも、今はなんだか心にチクリとも刺さらない。


「書類を取りに来ただけですので、そろそろお暇します」


 実家に戻るのは十年ぶりだ。宮中行事で親類と顔を合わせることはあっても、ここカールソン子爵家が生家だという感覚はすっかり無くなってしまった。


 継母は十六歳で父の後妻となって最初の数年は空気のように扱われていた。その後、年々美しくなる彼女に父は夢中になっていった。それはそれで良いことなのだろう、夫婦なのだから。と幼いながらに漠然と思っていたが──最初の数年、父に可愛がられる私への嫉妬心がしこりになっていたのだろう。言葉で詰られるようになり、弟が生まれてからは身体的な暴力を受けるようになった。


 子爵家の使用人たちは同情的だったが、父はすっかり継母の言いなりだった。ある時、見える場所に青あざをつくった事で、さすがの父も継母に詰問し夫婦仲が拗れた。

 困ったな、と思って実母方のアルゼィラン伯爵家に口添えをお願いして十四歳で宮仕えをすると言って実家を出た。


「旦那様はあなたの存在なんて忘れていらっしゃいます。もう二度と来なくて良いわよ」


「……それでは失礼します」


 二度と来なくて良いように急ぎ執事に用意して貰った書類を取りに寄ったんだけどな、と思いながら挨拶をする。

 すっかりお爺ちゃんになってしまった執事は苦笑しながら頭を下げた。


「申し訳ございません。奥様の命で馬車は使わせるなと……」

「構わないわ、王宮からも乗り合いの馬車で来たの。昨日の今日で急がせて悪かったわ。あなたには世話になったわね」

 

 荷物は少ない。下賜された荷運びに頼むには繊細すぎる宝飾品と趣味で弾くヴィオラだけだ。


 子爵家は玄関から門までのアプローチが短い。もうここに来ることもないだろうとしみじみ歩く。ふと、アルゼィラン伯爵家の長いアプローチをてくてく一人で歩くのは少し恥ずかしいかも、なんて呑気なことを考えている自分に笑みがこぼれる。


 ライナス様に媚薬を盛った犯人だと思われている。その衝撃で少し頭がおかしくなってしまったかもしれない。


 あぁ、きっとそうだ。


 次の瞬間、そう確信する。──だって、門の外に居るはずの無い人が立っている。まじまじと見つめてしまう。

 少し眩しそうにしているけれど、その瞳に軽蔑の色は無いように見える。


「やあフローラ。なにか困っていないかい?」


 そう言って、初恋の人が手を差し伸べた。王宮で私を見かける度にかけてくれた言葉。

 着崩したシャツに髪も乱れているけれど、羽織った質の良さそうな外套一枚で様になっている。見慣れていた宮中での装いと違う姿にこんな状況でも心が沸き立つ。


 困っていないかい?──困っている。王太子殿下に身代わりの話をされてからずっと、ずっと困っている。

 今も、なんて言葉を返せば良いかわからなくて困っている。


 調査は終わったんですか?

 なぜここに?

 体調は大丈夫ですか?

 

 違う違う。どれもこれも今聞くことじゃない。


 しばらくなにも返せないでいる私をライナス様はまっすぐに見ている。優しげな声色に反して表情の無い顔でじっと。


 ──あぁ、怒っていらっしゃるんだ。謝罪もせずに、さっさと王宮を出ていった私に。


「ライナス様、あの、この度は、大変申し訳ありませんでした」


 本当は私が謝ることではない。でも、ミリアーナ殿下が媚薬を盛ったのも私の責任というか、監督責任というか、給仕の責任みたいなものはあるだろう。

 いや、ただ謝罪以外の言葉が浮かばないだけだ。


「うん、そうだね。でも別に謝って欲しい訳じゃないんだ」


 頭を下げた私にそっと近付いて両手を取った。


「え?」


 ライナス様が言葉を絞り出すように、私の手をぎゅっぎゅっと握っている。


「何て言うのかな……そう……その、ちゃんとしよう。君も私も立派な大人だ。だから、ちゃんとしよう」

「ちゃんと……」


 ──ライナス様は、優しい人だ。


 いい大人が職場で同僚に媚薬を盛るなんて、辞めれば済むという話じゃない。

 きっとライナス様は長年共に王族に仕えて来た同僚として、私にきちんと立ち直って欲しいと思っていらっしゃるんだ。


 俯いたままでいると頬に温かなものが触れた。ライナス様の手が私の頬を撫でる。


「フローラ、泣かないで。私に任せてくれれば大丈夫だから」


 陽射しにきらきらと淡く輝いて、優しい瞳が私を見ている。愚かな女だと思われているだろうか。愚かで可哀そうな女だと。


 ──こんなことなら、軽蔑の眼差しで見られた方が良かったかもしれない。


 私じゃない。媚薬を盛ったのは私じゃないんです!──そう叫び出したかった。



 呆然としている間に馬車に乗せられていた。昨日から自分が自分でないような、宙に浮いているような感覚がする。


 ライナス様は片手で私の手を握り、もう片手は休むこと無く私の頭を撫でていた。ライナス様が「アルゼィラン伯爵邸へ」と御者に伝えるのを聞いて、送って下さるつもりなのだとやっと気付く。


「アルゼィラン伯爵の所でゆっくりするのも良いと思うけどね。やっぱり君は……私と同じで働いている方が性に合っているだろう?」

「へ?」

 

 話の先が読めなくて、間抜けな声が出てしまった。


「──いや、なんだか言い訳がましくなってしまうな。先々の事も考えると、アルゼィラン伯爵に許可を頂いて、フローラは我が家、オーノック侯爵家で働いてみてはどうかな?」


 やはり……!混乱していた思考がその言葉に冷静になった。

 ライナス様は労働を通じて改めて、真面目に職務を全うする大切さを私に説き、職場で媚薬を盛るなどという不埒な真似をした私を改心させようとなさっているのだ。

 

 自分に媚薬を盛った人間など側に置きたくないだろうに……ライナス様という誘惑に私が打ち勝てるかどうか、身を呈して元同僚を更正させようとなさっているんだわ……!


「ライナス様がそう仰るなら……」


 心の中で勇ましく合点した割りに、近すぎる距離と握られた手、撫でられた頭、密室で二人きりという状況に子どもっぽい声が出てしまった。

 喜んでいる場合じゃない。贖罪と更正の話をしているんだから。


「──そ、そうか!じゃあアルゼィラン伯爵に一緒に挨拶をしよう。それで明日、改めてフローラを我が家に連れ帰るよ」


 そう言って頭を撫でていた手がするりと降りて親指が頬を拭う。涙の跡が残っていただろうか。


 ライナス様は微笑んでいて、一度納得したはずなのに私の頭は疑問符が浮かんでは消える。


 ──そういえば、ライナス様はいつから私を呼び捨てにしていたっけ……?

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