28.媚薬事件の解決
ガッティア辺境伯の引き止め作戦を行っていた私だが、予想外に私室に誘われて背筋が凍っていたところにライナス様が来て下さった。ホッとしたのもつかの間、婚約者のフリをしたライナス様を思い出してドキドキしてしまう。
──好きって言葉、心からだ、って仰ってたな……。
胸がときめいてしょうがないけれど、今はそれを押し込む。ライナス様にエスコートされながら歩いていく。外宮の騎士団鍛錬塔の死角まで来た所でガッティア辺境伯の様子を伺う。ちょうど向こうからは柱でこちらが見えないだろう。
「フローラ、大丈夫だった?」
腰に回された手がぐっと寄せられるけれど、これまでの二ヶ月間よりは遠慮がある気がする。
「はい。ちょうど困り始めた所でライナス様が来て下さいました」
「はぁ……間に合って良かった」
そんな風に話しながらもその目は辺境伯を追っている。ライナス様の吐息を感じる程に近い。誰かに見られても逢引する恋人同士にしか見えない。そんな意図もあっての距離だろうけれど、うれしい。
「ヴィオラを取り違えていると気付いているかな。このまま控室に向かってくれると良いんだけど」
「気付いていたらもう少し焦っている気がします」
取り違えに気付いていたら、呑気に私に声を掛けないだろう。
「動いた。尾行しよう。辺境伯が変則的な動きをしたら気付かれている可能性があるから、その場合は諦めて戻ろう」
「良いんですか?」
「ん、フローラの安全優先」
見つめられて頭を撫でられた。優しい笑顔が眩しい。
回廊に入った所で辺境伯がケースの中を確認している。もしかすると毎回定位置で確認しているのかもしれない。早めに足止め出来て良かった。慌てた様子で踵を返した。取り違えに気付いたのだろう。
「先回りしよう」
宮中楽団の建物まで走る。ライナス様は私の手を引いてちらちら振り返りながらも危なげなく走っていく。
辺境伯が着く前に控室に戻ることができた。
特別控室のカーテンを閉めて部屋を暗くした後、扉をわずかに開けて覗く準備をする。殿下達はまだ戻られていないようだ。
「私が身柄を確保するから、フローラはガッティア辺境伯が暴れたりするようだったら、扉を締めてここで待機。それまでは証人になるからしっかり見ておいて」
控室にやってきた辺境伯は誰もいないことを確認しながらも、焦った様子でギロークのヴィオラケースを探している。見つけて今度はケースを開けて中身を確認している。
今度こそ間違いなく薬物付きだと頷いている。素早くケースを閉じると足早に立ち去ろうとする。
今から確保するのかとドキドキしていると、
──バダーン!!……と大きな音がした。
「ガッティア辺境伯!!神妙にお縄につけ!!」
王太子殿下が飛び込んできたのだ。
音に反応して私を抱き込んだライナス様が「あんの人は……!」と珍しく怒った声である。次の瞬間には飛び出していった。
辺境伯は王太子殿下の登場に驚いたのだろう、そこら中の楽器ケースを投げつけながら逃げようとしている。
「……ひっひぃぃ!!へ!殿下!!なんでしょう!!どうしました!?」
言い逃れしようという口調なのに、殿下に物を投げつけているというちぐはぐな錯乱状態である。
殿下が捕らえられる距離まで近付いたと思ったら、辺境伯は懐から短剣を取り出した。
殿下との距離が近すぎる──!一気に距離を詰めたライナス様が辺境伯の手元を蹴り上げて短剣を飛ばした。
一瞬だった。
殿下の急な暴挙に動けず固まっていた警備の騎士達がなだれ込んできて、辺境伯は文字通りお縄についた。
ミリアーナ殿下もシルクも入り口で驚いて固まっている。
ライナス様は喚くガッティア辺境伯を押さえつけながら王太子殿下を睨んでいる。
「殿下、ご自分が何されたかわかっているんですか?」
「ごめんごめん。楽しくなってきちゃって」
◇ ◇ ◇
悪びれない王太子殿下のお話によれば、こうだ。
ライナス様が劇場から飛び出した後、リハーサルが一段落した所で医薬院から照合結果の鑑定書類が届いた。壇上にはシルクとデューター二人だけ。他の人の安全は確保された。
さぁ、捕まえるぞ!という所でデューターが小悪党っぷりを発揮し、まるで大衆演劇の山場のような様相を見せたそうだ。
『わ、私のヴィオラではありません!誰かに嵌められたんだ!』
『ほ〜コルムラット家ではギロークのヴィオラを複数所持しているのか?お前は私に偽りを述べたのか?』
『っく離せシルク!!私じゃない!ガッティア辺境伯だ!すべてあの人の命令です!』
『よし、正直に話せば命だけは助けてやろう。ふははは!』
と、聴衆がいる中での逮捕劇にテンションが上がってしまったらしい。
「だからってなんで丸腰で飛び込んでくるんですか馬鹿ですか」
「……なんかお前、急にズケズケ言うようになったなぁ。良い傾向だ!」
バシバシと王太子殿下がライナス様の背中を叩く。
「よし!事件解決ね!それでお兄様、結局モルスラードの関与はなかったの?」
特別控室でどこからか持ち出したお菓子を食べながらミリアーナ殿下が尋ねている。
「初めから言ってるが無関係だ。ミリアーナは疎まれてなんか無いぞ。第二王子は海を超えたバスータに留学中だ。今まで手紙や贈り物は国王夫妻名義で届いていただろう。お前、聞いてなかったのか」
「へ!?そんな!」
シルクが残念そうな目でミリアーナ殿下を見る。隣国との陰謀渦巻く大事件を期待していたんだろうな……。
「──し、真犯人が捕まったならそれで……まぁいいわ」
「先が思いやられるよ。お前秋までには」
「それじゃあ、事件解決のお祝いに、フローラ!シルク!お茶会にしましょう」
しれっとミリアーナ殿下が王太子殿下を無視した。
「なーに馬鹿なこと言ってんだ。王女宮を勝手に抜け出した罰でお前は今から出国まで謹慎だ。王女付きの護衛たち、ミリアーナを連れてけ」
「はっ!!」
「そんなぁ〜」
そうしてミリアーナ殿下は近衛騎士に連れて行かれた。折れたヒールに乱れた髪、ドレスの裾も汚れてしまっている。あのミリアーナ殿下が……頑張ったんだなと微笑ましい気持ちになる。
「ひどい有様だな〜。殿下、ケースも結構値が張るんですけど、補償ってされます?」
シルクが控室をぐるりと眺めて……王族相手にも本当に遠慮がない。
「もちろんだ。他にも破損したものがあったら申請してくれ」
「ありがとうございます!では私は宮中楽団の面々に事情説明してきます」
ばたばた出ていった。そうだ、あんな感じだけど首席奏者だもんね……。
「さーて、楽しい楽しい尋問の時間だ!フローラ君もありがとうね」
久しぶりに溌剌としたいい笑顔の王太子殿下に、きっと私にはわからない他の複雑な事情が絡んだ事件だったのだろうな、と思う。
「お疲れ様でした」
深く頭を下げ、殿下たちを見送った。
ライナス様は「あとで」と口だけ動かしてアルフレッド殿下と共に退出された。
オーノック家でお待ちしたほうが良いだろうか。しばらくは帰られないかもしれない。シルクのところで世話になろうか。
──ライナス様のお話、どんな内容かな……。
ぼんやりしてしまうけれど、この散乱具合は放置できない。
とりあえず、ひと目で破損しているとわかる演奏ケースは避けておこう。水差しまで投げられて濡れているのは早く拭いたほうが良いだろう。
誰も居なくなった控室。さっきまでの騒々しさが嘘みたいで、今日一日のことも嘘みたいで──この二ヶ月の出来事も嘘みたいだった。




