27.駆け出すsideライナス
このままフローラから離れたくない気持ちを振り切って宮中楽団のホールへと戻る。
大丈夫だ。フローラなら大丈夫。そう自分に言い聞かせるが、押しの強い男に弱いのではないか、という考えが浮かぶ。
私のこともずっと拒絶できていなかった──、昨日ガッティア辺境伯に絡まれた直後、泣いていたじゃないか。やはり一刻も早く一人目の犯人を確保して、フローラのもとに駆けつけなくては。
特別控室に戻ってすぐに、ミリアーナ殿下が汗だくで帰ってきた。途中で追いついたのだろう、殿下付きの近衛騎士達も息を上げながらやってきた。
「一致したわ!間違いなく禁止薬物よ」
「よし、デューターの確保だ!」
そこへ急いだ様子でシルク殿が戻ってきた。
「リハーサルが始まります、ヴィオラは?」
「間違いなく取引に使われたものだった。よし、薬物付きのヴィオラとこれを入れ替え……」
控室からざわざわとした声が聞こえてきた。リハーサルを前に楽器を取りに奏者たちが戻ってきたのだろう。
「まずいな」
「シルク殿、責任者に殿下がいらしていると伝えてくれ。この部屋は立入禁止に。それから、ヴィオラの取り換えを」
「了解しました」
シルク殿に対し嫉妬で胃が痛いくらいだったのに、頼りになるフローラの姉弟子とわかって一気に好感を持つ。
「シルク君、リハーサルが始まる前にどうにかヴィオラを取り換えておいてくれ。ステージ上でデューターを問い詰める」
本来、捜査に協力する理由など無いフローラとシルク殿に面倒な役割を任せるあたりがアルフレッド殿下らしい。シルク殿がヴィオラに花瓶の敷布を掛けて静かに出ていく。
しばらくすると楽団ホールの責任者が恐る恐る殿下を呼びに来た。リハーサルを王族が見学するなど異例中の異例だ。しかし、アルフレッド殿下の砕けた態度に安心して、劇場までの廊下で会話が弾んでいる。
シルク殿はヴィオラを無事に入れ換えられただろうか。ギロークが二体あるのを他の楽団員に見られるのも危険だろう。
談笑しながらしばらく時間を引き伸ばしていると、劇場に入るすんでの所でシルク殿が駆けて来た。
「無事入れ換えました。肝が冷えましたよ」
「良くやった!側近に欲しいくらいだ!」
今回一番難しい役割だったろう。さすがフローラが信頼する友人だ。王太子殿下も嬉しそうにシルク殿を褒めている。
劇場に入ると宮中楽団の奏者達は一様に緊張した面持ちだ。それはそうだ。リハーサルだと思ったら殿下が二人も見に来ている。
「今日は突然すまない。ミリアーナが嫁ぐ前に皆の素晴らしい演奏を聴き納めたいと言ってな。よろしく頼む」
宮中楽団には貴族も居るが平民出身の者も多い。可哀想なくらい恐縮してしまっている。
そろそろリハーサルが始まるという所でステージ上がざわめき出した。
王太子殿下がわざとらしく責任者に目配せしてステージに近寄る。案の定デューターの周囲がザワザワしている。
「ヴィオラがどうかしたのか」
「あ、いえこれは」
デューターが頭を下げたまま挙動不審だ。手には松脂で粉の吹いた──薬物の付いた──ヴィオラだ。
「ひどい状態だな。誰かのいたずらか?」
「まぁひどい。あ!私、最後に手ほどきをと思ってヴィオラを持って来ていますわ。貸して差し上げます」
「きょ、恐悦至極に存じます!!」
ミリアーナ殿下の優しげな口調がらしくなさすぎてゾッとしたが、うやうやしく殿下からヴィオラを受け取る。デューターにそのヴィオラを渡し、薬物付きのヴィオラを受け取る。
「ギロークのヴィオラだな。これは君のヴィオラか?」
おかしな状態──薬物付き──のヴィオラを確認した王太子殿下が、さほど興味はないけれど、という風を装って尋ねる。
「えっと…は、はい!」
どう応えるのが正解か、思案しているのだろう。おどおどとデューターが応える。
「そうか。続けてくれ」
そうしてリハーサルが再開される。ガッティア辺境伯が控室にやって来る可能性を考えると静かに確保したい。リハーサルが終わってシルク殿がデューターだけを壇上に引き止める作戦だ。それまで堪えて待つ。
だが、とにかくフローラが心配だ。
「他の護衛も間に合うだろう。行ってこい」
小声で殿下が仰る。気持ちが通じたんだろうか。それなら最初から見張らせておいて欲しかったが、護衛の騎士たちが間に合わなければ離れられなかったので仕方がない。
私が殿下を蔑ろにして仕事を放棄すれば益々フローラに幻滅されるだけだろう。
演奏が始まり、何食わぬ顔で薬物付きのヴィオラを持ち出す。
デューターから回収したヴィオラは再び控室に置いておく。あとはガッティア辺境伯が取り違えに気付いて戻ってきた所を確保すれば終了だ。
全速力でフローラの元へ向かう。先程ガッティア辺境伯を見つけたのは宮中楽団の建物を出てすぐだった。
しかし、フローラの姿はさっきの場所にはなかった。昨日の夜会でフローラの肩を無理やり抱いていた辺境伯の姿が思い出されて焦る。
もう二度と、指一本触れさせたくない──!
嫉妬出来る立場でないとわかっていながら、私のフローラなんだと叫びたい気持ちになる。
すぐ近くの出入りを警備している騎士に声をかける。
「ガッティア辺境伯と女性の姿を見なかったか」
「ライナス様!はい!中庭へ、というお話をされてあちらへ歩いて行かれました」
「ありがとう」
本来マナー違反だが、あっさり教えてくれる。騎士団の鍛錬に長年参加して顔を売っておいて本当に良かった。
中庭でフローラと辺境伯が話をしていた。フローラは完璧な笑顔で対応している。怯えた表情をしていたらどうしようかと思ったが、完全に仕事用の顔をしている。
その背中がやけに頼もしく思えて、王宮で働くフローラを遠くから見つめていた頃を思い出す。
「──場所を変えませんか、内宮には私の居室もあるんですが」
辺境伯の下心満載のニヤケ顔が目につく。今日、あの襟元まで詰まったドレスを着ていてくれて本当に良かった。
「──もしや、恋人との約束でもあるのかな?」
フローラの声は小さくて──かわいいので──聞こえないが、辺境伯の声ははっきりと聞こえた。不躾な距離感にイライラしてしまう。
「フローラ!」
駆け寄りながら名前を呼ぶ。表情にこそ出ていなかったが、怖い思いをしたかもしれないと心配になる。
「フローラ、ここにいたのか」
「ライナス様」
振り返ったフローラは心からの笑顔だった。私を見て安心した顔をしている。その表情に、今まで見てきたすべてのフローラの顔が重なる。いつだって自然な花が綻ぶような微笑みを向けてくれていた。
もしかしてまだ嫌われてはいない──?
肩を抱き寄せて辺境伯から引き離す。フローラの方から寄り添うように背を預けてくれた。
緊張していたのだろう。右手で左手を強く握りこむ癖のせいでフローラの左手は赤くなっていた。その手にそっと触れる。
「これは辺境伯殿。今日は閣議などはないはずですが」
「あぁ、ライナス殿、今日は私用でして」
明らかにがっかりした表情でつまらなさそうに返事をする。
「私の婚約者がお世話になったようですね」
「こんやく……?」
ぽかんとした間の抜けた表情にどうして今までガッティア辺境伯を捕らえ逃してきたのかと甚だ疑問だ。
「用事は済んだよ。行こうかフローラ」
フローラの肩を抱いて頭に口付けた。ふわりとフローラの香りがする。
「無事終わったよ」
そう伝えればフローラが私を見上げて眦を下げて微笑んだ。作戦が上手く行ったと聞いてホッとしている、それだけではないと思いたい。
抱いた肩から伝わる重みが、私を受け入れてくれているようでひどく愛おしい。
この二ヶ月間、フローラに対して私は沢山の過ちを犯した。けれど、初めて言葉を交わしてから八年、積み重ねたものが二人の間にあったと、そう信じたい。