24.甘い釈明
「フローラ、あなたを女性と接するための練習台にしたことは誓ってない。どうか信じて欲しい」
外宮の門内にある宮中楽団のホールから、居住区域へ向かう。シルクの私室に置いてあるギロークのヴィオラを取りに行くためだ。王太子殿下が「ライナス、一緒に行けよ」と言ったのでライナス様と二人きりだ。
王太子殿下にウインクされ、ミリアーナ殿下を見れば舌をぺろりと出された。私とライナス様を二人きりにして構わないのだろうか。これまでのミリアーナ殿下のライナス様への執着は何だったのだ。
混乱しながら歩く私にライナス様が続けて話しかける。
「フローラが侯爵家で過ごした二ヶ月の間、私の言葉はすべて心からのものだ」
やっと厨房や門番が動き始めた時間だ。ほとんど人気の無い外宮を歩き進める。
「フローラにとっては迷惑なだけだったかもしれないが、私はこの二ヶ月本当に幸せだった」
ライナス様は触れない距離で、でも私が振り返れば触れてしまう位置を歩いている。
「フローラが媚薬を盛った、なんて話を信じたのは、うれしくて舞い上がって浮かれて、どうかしていたんだ」
すぐ後ろでライナス様が私にとって耳心地好い言葉ばかり掛けてくる。──幻聴だろうか。
「どうか、もう一度だけチャンスを与えてくれないか」
立ち止まって幻聴でないかと確かめたくて振り返れば、ライナス様が──少しお疲れな様子で──私をじっと見つめている。
オーノック侯爵家での日々を思い起こす。
ライナス様からの、沢山の褒め言葉と、好き、という言葉。抱きしめられ、キスをされた。戸惑うほど甘くて、涙が出るほど優しい日々。
それがすべてライナス様の心からのものだった──?
胸に手を当てれば、驚くほど鼓動が早くなっている。ライナス様がその手を重ね取りそっと握りしめた。
「どうか、フローラ、お願いだ……どうか……」
──二ヶ月前、媚薬を盛った犯人になった。そして今、初恋の人に懇願されている。
悲痛そうな表情で私を見つめるライナス様を前に、私の脳は混乱している。ライナス様に話したいことは沢山ある。
ライナス様が女嫌い克服のために私を利用している、と思い込んでしまったのは、媚薬を盛った犯人になって、ショックで混乱していたから。愛されていると信じて、突き放されたときの恐怖を味わいたくなかったから。
私も二ヶ月間、本当に幸せだった。あなたの事がずっと好きで、もっと好きになって、だから苦しくて──
けれど駄目だ。今抱きしめられたりしたら、本当に離れられなくなりそうだ。王太子殿下の指示を放り投げることになる。それにミリアーナ殿下が今朝泣きながらやってきた時点で、私は侍女モードなのだ。
「ライナス様。勝手に侯爵家を出て申し訳ありません。私もライナス様に話したいこと、聞きたいことが沢山あるのです。ですが、今は、事件解決、犯人確保が優先されます」
そう伝えながら、ライナス様に握られた手を握り返した。瞬間、ライナス様はくにゃりと笑った。かわいい。
「そうだね、フローラの言うとおりだ。私は駄目だなぁ」
いつもより弱々しく見えるライナス様が愛おしくて、抱きしめたくなってしまった。
「時間がありません。参りましょう」
抱きしめる代わりにライナス様の手をぎゅっと握って歩く。ときめきの鼓動の速さが、足取りを早めさせた。
そうしているうちにシルクの部屋までたどり着いた。
「ライナス様はここでお待ち下さい。女性の部屋に私が勝手にお入れするわけにはいきませんから」
巻き込まれた媚薬事件、お祖父様との約束のヴィオラ。正直、大切なヴィオラが犯人にどんな扱われ方をされるか少し不安だけれど、運命めいたものを感じて決心する。
ヴィオラを取って戻ると、ライナス様が口に手を当てて驚いた顔で待っていた。
「フローラ、その、シルク殿は女性演奏家なのか……?」
「はい。兄弟弟子という言い方が良くなかったですね。同い年ですが、姉弟子にあたります」
「そうか……そうか!」
今朝から暗かったライナス様の表情が一気に明るくなった。
さっきまでより距離が近くて私の背中に手を添えている。大きくて温かい、この二ヶ月でその感触に慣れてしまったライナス様の手のひら。嬉しくってどうしようもなくなる。
そんな事をつらつら考えていれば宮中楽団のホールに戻ってきていた。
王太子殿下たちが待っていらっしゃる特別控室に入る直前、ライナス様が私を振り返らせる。
「フローラ、終わったら、どうか私の話を聞いて欲しい」
「はい。わかりました」
明るいライナス様の声につられて、笑顔で答えた。ライナス様は唇を噛み締め、笑顔で頷いている。
どうやら私は随分一人で先走って思い違いをしていたみたいだ。いや、まだ話をきちんと聞く前だ。また勝手な思い違いをするかもしれない、と考えるのを一旦止めることにする。気を引き締めなければ。
「さぁ、二人が戻ってきたね。ここからが本番だ!シルク君はいつも通りの動きを。僕らはここに隠れて待機だ」
王太子殿下がそう言ってから、半刻もしないうちに、控室で何人かの話し声がし始めた。
宮中楽団の奏者は楽器や荷物を置いて、ホールに戻るようだ。ひっきりなしに人が来るので出ていく機会がない。
シルクから聞いていた歌劇場との交流昼食会の時間が迫る。徐々に静かになってきた。
「そろそろかな?」
万が一見つかっても違和感のない人物として、私がヴィオラを入手することになった。
「フローラ、大丈夫だ、落ち着いて」
心臓が早鐘を打ち続ける中、ライナス様の声が耳元で聞こえる。一気に心が落ち着く。よし、と意気込んで扉を開ける。
ギロークのヴィオラはすぐにわかった。私のギロークと入れ替える。ケースの見た目はそっくりで、私でも見分けがつかない。特別控室へ戻ろうとした時、音を立ててホール側の扉が空いた。
慌ててテーブルの下に隠れる。幸い入ってきたのはデューターではなかった。
──隠れた方が見つかった時に怪しかったかな?!
息を止めるが、次に息を吸う時に呼吸音が出てしまうのではと焦る。まずい……!と思った瞬間、出て行く足取りが見えた。
ホッとして深呼吸して特別控室に戻る。
「大丈夫!?」
「はい。大丈夫です」
ミリアーナ殿下が心配そうに仰った。肝は座っている方だと思っていたが、こんな経験は初めてでまだ呼吸が荒い。
「フローラ、良くやったよ」
いつものように頭を撫でられて落ち着く。ライナス様に褒められるのが自分でも驚くほどうれしい。
だが、これだけのことでパニックになって、この後私は大丈夫だろうか。
「あまり心配するな、さっきは証拠が云々言ったが、いざとなったら僕が引っ捕らえよ!って叫べば一発で終わりだから」
王太子殿下がふざけてそう仰って笑う。笑いながらヴィオラのケースを開けて、確かに異様に脂と粉の浮いた弦を確認している。
「さぁ、急いで医薬院に持っていくよ」
「私が行って参ります」
受け取ろうとしたライナス様を通り過ぎて、王太子殿下がミリアーナ殿下にヴィオラを持たせて言う。
「いや、医薬院に運ぶのはミリアーナだ」
「へ!?無理よ走れないわ」
ミリアーナ殿下は昨日のままの重そうな衣装姿だ。
「ミリアーナお気に入りのザック副院長の名前でも呼びながら走れば、いつもの事だと誰も止めん。お前が走れ」
ミリアーナ殿下はライナス様を筆頭に王宮内に何人かお気に入りがいるのだ。容赦なく王太子殿下がミリアーナ殿下の靴を脱がせヒールを折る。
「もし検査が間に合わなければ、今回の計画は全ておじゃんだ」
扉を開けて、ミリアーナ殿下の背中をグイグイ押している。
そんな無茶なと思っていたら、気持ちの切り替えが早いミリアーナ殿下は腕まくりをして、ヴィオラを持ち直してやる気だ。
「わかりましたお兄様。絶対間に合ってみせます!」
「よし、行けミリアーナ!」
唖然と見ていればミリアーナ殿下が駆け抜けていった。
「ミリアーナ走れ!お前がこの国のために出来る最後のことだ!!」
王太子殿下が背中から激励を送る。背を向けたままミリアーナ殿下が片手を上げる。
──あぁ、ギロークのヴィオラをそんな乱暴に扱って……、嫁入り前なのにあんな格好で走るなんて……。
まさかの状況に私の思考は明後日に飛ぶ。どうか、無事に事件が解決しますように──。