21.夜会へsideライナス
『フローラから触れて欲しい』
私からの触れ合いになかなか慣れないフローラにそう提案した。舞い上がっていた自覚はあるし、焦るなと王太子殿下にも言われていた。
王宮での夜会の後に、フローラに正式に婚姻を申し込む。それを思えばしばらくの間触れることを我慢するのも耐えられた。
待ち遠しい予定というのはいざ振り返ればあっという間だ。
一分一秒でも長くフローラの今日の姿をこの目に焼き付けようと、侍女たちがフローラの部屋から退出してすぐに向かった。
「フローラ、準備はできた?」
少し恥ずかしそうに佇むフローラは、あまりに美しかった。心の準備が出来ていなかったのは私の方だ。
王宮で何度妄想しただろう。こんな風に私の隣に立つ、美しく着飾ったフローラを。
今日はフローラも少し緊張した面持ちだ。初めての夜会だからか、それとも媚薬の事件のあとで危惧しているのか──あるいは私の緊張が伝わっているのかもしれない。
行きしなの馬車でアルフレッド殿下から渡された真珠の腕輪をフローラに嵌める。ミリアーナ殿下からだと伝えると、懐かしむような、困ったような──でもすごく嬉しいのだろうとわかる表情をしている。
アルフレッド殿下もそうだが、王族というのはどこか人たらしなところがある。
少し悔しい気もしたが、今日プロポーズして頷いてもらえればフローラは私のフローラになる。何を着ても、誰から贈られたものを身に着けようとも、フローラ自身が私のものだ。明日からは。
フローラとぴたりと寄り添って、堂々と、二人で社交をこなす。想像すればもう夫婦みたいじゃないかと心が踊る。
叔母上やボルロには次期侯爵としていつまでも女性が苦手だと避けていては、後々何よりもフローラのためにならないと注意されていた。実際は王太子殿下の指示だが、この数年ですっかり社交下手になってしまった。
隣に座るフローラの横顔を見れば、祝の灯火に照らされて神々しいほどに美しい。フローラの為なら、何だってしよう、そんな決意で王城へと向かう。
◇ ◇ ◇
会場につくと、早速叔母に捕まった。フローラを連れて行きたかったが目配せされて、アルゼィラン伯爵ご夫妻と一緒なら大丈夫かと少し離れる。
こういうとき、フローラの方がずっと大人でしっかりしている。
「ジルアスのお嫁さん候補なの」
「なぜ私一人に会わせるんです」
「あら、ジルアスとライナスならライナスの方が良いってお嬢さんが多いから」
叔母上が悪びれずに言う。こういうところが父とそっくりだと呆れてしまう。
「なるほど、囮の餌役ですか」
「あなたが独身なうちに見極めたいの。どうせ今日までなんでしょ?」
「……えぇ、まあ」
思わずにやついてしまう。こういうやり方は好まないけれど人の良い従兄弟の為なら仕方ない。
何人かそうしてジルアスの婚約者候補だというご令嬢方と挨拶を交わす。もしかすると結婚後フローラと良い友人になれる者もいるかもしれない。
フローラははっきりものを言うタイプの女性が好きだろうな、と思いながら会話をしていく。
「叔母上、そろそろフローラのところに返してください」
「そうね、ごめんなさい。フローラちゃんにもよろしく言っておいて」
そうして会場でフローラとアルゼィラン伯爵を探していると、一人で歩いて行くフローラが視界の端に入る。少し焦って追いかけると、人混みの向こうで誰かと話しているようだ。
ガッティア辺境伯──と気付いて駆け寄ろうとした時には、辺境伯がフローラの肩を抱いて歩き出そうとしている。ずっと隣に居ると言っておきながら、何故離れたりしたんだ。冷や汗が流れる。
──フローラ!
そう声が出る前に、若い男がフローラに何か声を掛けながら腰を抱いた。辺境伯にも一言二言声を掛けたようだ。
派手な衣装は、宮中演奏家だろう。歳の感じからして、フローラを教えている宮中演奏家かもしれない。彼があっという間にフローラの手を引いて会場の外へ連れ出してしまった。私も焦ってそれを追いかける。
回廊の向こうに二人の姿を認めて、しかしそれ以上動けなくなった。
──肩を抱き、恋人同士のように寄り添っている。
漏れ聞こえる声にフローラが泣いているようだとわかる。演奏家の彼は、明るい声で励ましているようだ。慣れた感じで、どこか楽しげですらある。
子どもの頃から知っているんだから、これくらいの距離は普通か?
涙を流すフローラの顔をハンカチで包み込むように拭う彼の優しげな手付きにフローラは声を上げて笑い始めた。
私の思考は混乱を極めた。辺境伯に突然言い寄られて驚いてしまったのだろう。それを、幼馴染に助けられて、安心したんだ。ただそれだけだろう。
でも、フローラは私の前であんな安心した顔も、楽しそうな笑い声も、見せたことはなかった。
なぜだ、なぜ──フローラは媚薬を盛るくらい私が好き。それが、間違っていた?それとも、どこかで嫌われてしまった?彼のほうが良くなった?──
呆然となって結局声も掛けられずに、気付けば会場に戻っていた。
「ライナス様!殿下から、至急内宮へ、とのことです」
アルフレッド殿下の侍従が伝令を告げて去っていく。くだらない事から重大案件まで、殿下にこうして呼び出されるのはいつものことだ。しばしばうんざりするが、今日はありがたかった。一刻も早く、会場を去りたい。
アルゼィラン伯爵を見つけて、断りを入れる。
外宮にある夜会会場から内宮へと走りながら、先程の光景が何度も頭を駆け巡る。人気のない渡り廊下を逃げるように走る。
顔見知りの警備の騎士がぎょっとした顔で私を見る。いったい、どんなひどい顔をしているのだろうか。
殿下の執務室に入ると、何やら慌ただしい。重大案件の方だったか。
「おっと来たかって、どうした?ってあー悪かったな」
「……いえ、それで動きが?」
「あぁ、お前があたりをつけていたデューターに例の薬物が渡ったようだ。内宮はここの所静かだったからな。動くなら夜会後、人の出入りが少なくなってからだろう」
「検査の厳しさは変わりませんが」
「内宮に持ち込むのによほどバレない自信があるんだろうな。とりあえず明日、早朝のうちに宮中楽団のホールを調べる。受け渡しに使われているものがないか、違和感がないか、一度この目で調べよう」
集められた資料に目を通す。王宮を警備する騎士たちの中に薬物事件の犯人側に取り込まれている者は居ないか調査したが、白だった。こうなると何らかの方法で内宮へ薬物を持ち込んだ可能性がある。
アルフレッド殿下は人を使うのが上手いが、ここぞという時は殿下の観察眼が何より有効だ。直接確認しに言った方が良いだろうと、この後の計画を立てる。
しばらく作業をしていると、扉がノックされた。
「ライナス様、オーノック侯爵家から急ぎの書付が」
そう言われて、先程のフローラの泣き顔が思い起こされる。まさか、フローラに何かあったか。急いで書付を確かめると──フローラ様が屋敷を出られました。宮中演奏家シルク様の居室に当面の間、滞在されるとのことです──執事のボルロからだった。
「おい、ライナスどうした?……おいライナス!」
ひどい顔をしていただろう。みっともなくても、怖がらせてしまっても、あの時あの回廊で涙するフローラを、言葉を尽くしてこの腕に取り戻しておくべきだった。




