19.夜会にて
会場に到着するとすでに多くの人で賑わっていた。成婚祝は王族と高位貴族の当主だけで先に晩餐会が行われている為、夜会の時間にはいくらか砕けた雰囲気になる。ミリアーナ殿下が参加する最後の夜会とあって、殿下自身も上座ではなく広間で過ごされる。
ミリアーナ殿下はどちらにいらっしゃるだろうか。会場を見回しているとライナス様に手を引かれた。二ヶ月ぶりに会うお祖父様お祖母様が晩餐会場から出てきたところだった。
「フローラ!」
「お祖父様お祖母様!」
晩餐会から参加していたお祖父様達は少しお疲れのご様子だった。今日のドレスを褒めて頂き、何だか私がライナス様のお母様を自慢しているような会話になってしまった。ライナス様はそんな様子を横で満面の笑みを浮かべながら見ていらっしゃる。
──あまり親しげな様子を見られないほうが良いのでは……?
ライナス様とお祖父様が話し込んでいると、モーフロイ侯爵夫人のお姿が見えた。こちらに気付いて声を掛けに来て下さった。
「義姉が手紙に書いて自慢してたのはそのドレスね。本当によく似合っているわ」
「ありがとうございます」
「本当はフローラちゃんをうちにもご招待したかったんだけれど、どこかの誰かさんが駄目だって」
「叔母上!」
「あ、そうよライナス、ちょっと良いかしら」
ライナス様が苦い顔をするのでとっさに口を挟んでしまった。
「私お祖父様とお祖母様と過ごしていますので」
「……すまないフローラ、すぐに戻る」
マーガレット様がライナス様を連れ立って向かったのは歳若い令嬢とご夫婦の元だった。
──忙しい宰相様と領地にいらっしゃる侯爵夫人に代わって、マーガレット様がライナス様の婚姻のお世話をなさるのかもしれない。
ライナス様はとても朗らかに令嬢方と笑みを交わしていた。今までの夜会でライナス様のあんな表情を見たことは無かった。ご令嬢も頬を上気させて嬉しそうに話している。
両親に愛され期待されて、思いきり着飾って夜会に参加する自信溢れる令嬢達。
──あんなに美しい令嬢たちに声を掛けられても無表情なライナス様が、私には声をかけてと微笑んでくださる。
自分の醜い優越感にがっかりしたのが遠い昔に思える。ライナス様は単に私には話しかけ易かっただけなのだろう。
──ずっと、ずっと見ていたからわかる。ライナス様の女嫌いは、克服されたんだ。
焦点が合わなくなって宙を見る。きらびやかな会場はどんなに着飾っても私には不似合いな場所に思えた。
「フローラ、大丈夫かしら?初めての夜会でこんなに大規模だから疲れちゃったかしら?」
「大丈夫です。まだ来たばかりですから」
「そうだ、まだ祝い酒の一杯も飲んでないぞ」
「まぁお祖父様ったら。私頂いてきますわ」
じっとしていたら涙が出そうで、その場を離れたくてそう言った。
人が多すぎて給仕係の姿が見つからない。お祖父様とお祖母様には大広間で待ってもらうことにした。
人混みを抜けてホールの手前で給仕係を見つけて声をかけようとするが少し距離がある。目で追っていると、後ろから声がした。
「給仕の君!こちらのお嬢さんに」
振り向くと一回り年上だろう、かなり派手な盛装姿の男性が居た。
「ありがとうございます」
飲み物を渡してくれた給仕の男性に目礼し、声を代わりに掛けてくれた男性にもお礼を言う。
「不躾に失礼。ウィリアム・ガッティアと申します」
「フローラ・カールソンです。お初にお目にかかります。ガッティア辺境伯閣下」
辺境伯はかなり大柄で、挨拶がぎこちなくなるほど近い距離に立っている。
「やあ、私をご存知でしたか。あなたとはずっと話してみたいと思っていたんです。今日は殿下のお側ではないのですね」
「はい。今日は招待客として参加しております」
「良ければご一緒にサロンへどうです?」
良ければ、と言いながらガッティア辺境伯は私の肩を抱いて歩き出してしまった。随分無作法なことをなさる、と困惑していたところにまた後ろから声を掛けられた。
「駄目じゃないかフローラ、こんなところで油を売って。王女殿下がお呼びだ。失礼致します閣下」
腰を抱かれてくるりと反対方向へ連れて行かれる。
手を引いてくれているのは、今日も貴公子然とした装い──いや、演奏者は貴族よりさらに派手な衣装なので、いつもよりさらに王子様のような──麗しの友、シルクだった。
子どもの頃から変わらない悪戯っ子な笑みを浮かべている。
辺境伯から逃げるように少し小走りでホールから外に出て、人気の少ない回廊の脇に向かう。息が上がる背中をシルクが撫でてくれる。
「大丈夫?フローラ」
「私ってやっぱり駄目ね。大丈夫?って聞かれてばかりな気がする」
「今のはしょうがないよ。社交界で傷ついてる男ナンバーワンの辺境伯閣下だもの」
「へ?」
「一回り以上年下の婚約者に恋人が居たんですって。新しい婚約者探し中らしいよ。大方フローラが市場に出てくるのを待ち構えてた手合ね」
「まさか……」
「まさかじゃないよ、気を付けなさい。あ、飲み物取りに来たんじゃないの」
「あ、辺境伯様に押し付けてきちゃった。お祖父様お祖母様に持って行くはずだったの」
「殿下に呼ばれたことにしちゃったから待ったほうが良いね」
びっくりしてホッとして涙がじわりと滲んだ。
何やってるんだ私。ご成婚祝だと言うのに、ミリアーナ殿下の姿もまだ拝見することができていないのに。
決意、とか言って、勝手に傷ついて慣れない場所でふらふらするからこういうことになるんだ。
「また余計なこと考えてるでしょ。今のはフローラ、悪くないよ。ううん、フローラが悪かったことなんて今まで一度もない!──私が知ってる限りはね」
──私、悪くない?
シルクの言葉に涙が溢れた。
「っちょっとフローラ?!大丈夫なのホントに」
シルクがハンカチを顔にそっと押し当てる。それでゴシゴシと涙を拭う。
「だめだめ!夜会始まったところなんだから。化粧崩れる!」
必死に溢れる涙を慎重に拭うシルクがおかしくて──近すぎて寄り目になっている──笑ってしまう。
「ちょっと!人が一生懸命拭いてるのになんなの?!」
「ごめんシルクっ!あはは、ありがとう」
ひとしきり笑ったら気分が落ち着いた。
ホールに戻るとお祖父様お祖母様が心配そうに待っていて、駆け寄っていらした。
「フローラ!何かあったのかい?」
「ごめんなさいお祖父様」
「お久しぶりですアルゼィラン伯爵。一人になったら早速捕まっていました」
「まぁ、今日は特に目立っているものねぇ。ありがとうシルクちゃん。二人とも気をつけてね」
ぐるりとあたりを見回すとライナス様の姿が見えない。
「ライナス殿ならアルフレッド殿下に呼ばれて内宮に向かわれたよ。お戻りにはなれないようだから、今日はこのままうちに来るかい?」
「ううん、オーノック侯爵家に戻ります。馬車も迎えに来てしまっているでしょうし」
「まあまあ、そうよね」
お祖母様はなぜか安心した顔で微笑んでいらっしゃる。
戻って侯爵家を出る準備を今日のうちにしてしまおう。幸い私物は少ない。明日のうちにアルゼィラン伯爵家かシルクの家に行って……。
──媚薬を盛ったのは私じゃありません!
ライナス様にこのままお会いしたら、そう言いながら泣き縋ってしまうだろう。王太子殿下との約束を違えるわけにはいかない。