18.フローラの決意
しばらくして夜会用のドレスがまた一つ完成した。ご成婚祝の夜会で着るドレスだ。
デビュタントをしていない私にとって、招待客として王宮の夜会に参加するのは初めてのこと。今回ばかりはライナス様ではなくオーノック侯爵夫人にアドバイスを頂き、ニーナと工房とで相談しながらドレスを決めた。
──あれから、ライナス様は私に全く触れてこなくなってしまった。
触れられるたびにうじうじモヤモヤとしていたのに、いざ距離を置かれると寂しく思うのだから、なんて卑しいのだと自分にうんざりする。
夜会で王太子殿下に私ではこれ以上お役に立てることはなさそうだ、と伝えよう。そして侯爵家を出て自立しよう。
そんなわけで、今日も今日とてヴィオラのレッスンという名のシルクの人生相談室に来ている。
「──ってなると住む場所が問題ね」
「そうなの。ぜひ家庭教師にって仰ってくれるお家があるのだけど、お祖父様のところから通うのは大変で」
「じゃあ私と暮らす?」
「シルクと?だってあなた王家お抱えの宮中演奏家じゃない」
「実はね……」
シルクが言うにはこうだ。宮中楽団のヴィオラ奏者に師匠が引退してからここぞとばかりに目の敵にされている、と。ちょっと嫌がらせが洒落にならなくなってきて、元々男尊女卑の風潮が強い宮中楽団は最近更に居心地が悪いそうだ。
「ま、若い女が自分より上席なのがムカつくんでしょ。歌劇場が改修に合わせて専属楽団を立ち上げるの。それで、移籍しないかって誘われてるんだ」
「すごい、さすがシルク」
「フローラはすぐにこっちに住んでもいいけど、一応王宮の敷地内って門限があるでしょ。私が歌劇場に移って家借りるときに一緒に住もうよ」
「うれしい!私世間知らずだからシルクがいてくれたら頼もしいよ」
世間知らずの自覚はある。実家時代が軟禁状態に近かったから、とか王宮勤めが長くて、とかじゃなく。私はぽけっと抜けているところがあるのだ。子どもの頃からシルクに言われ続けている。
「自分で言っちゃうの?まぁ私は世間は知ってるけど生活能力はないからさ」
「足りない部分を補い合って丁度良いね」
あれこれと新生活への夢を語ってはしゃぐ。最近、市井の芸術家の間では共同生活が流行しているらしい。先にルームシェア中のシルクの友人に話を聞いても面白いかもしれない。
「でもさ、前にも言ったけど、ライナス様にはちゃんと話しなよね。お世話になってんだからさ」
「うん、わかってる……」
◇ ◇ ◇
あっという間にミリアーナ殿下のご成婚祝の夜会当日になった。王宮勤めの頃は宮中晩餐会や夜会の日程まで一日一日が長く、やっと本番だ!と毎回思っていた。それが今の有閑生活では時間が過ぎるのが早い。ミリアーナ殿下は晩夏には隣国へお輿入れで、秋には向こうで婚姻の儀が行われる。
不思議とミリアーナ殿下に怒りの気持ちが湧いてこないのは幼い頃からお側に仕えているからか、あるいは──王太子殿下が憎まれ役を買って出て下さっているからか。
コンコンっとノックの音がする。はい、と返事をすれば少し堅いライナス様の声だ。
「フローラ、準備はできた?」
正装姿のライナス様が部屋まで呼びにいらした。今日の優美な盛装が逞しい体躯をさらに引き立たせるようで一段と麗しい。
「王太子殿下のお言葉じゃないけど、自分にはセンスがないんじゃないかと疑わしくなるな」
「どうされました?」
「今日のドレスが似合いすぎて、今までの自信を失っている。母上とニーナと相談したんだろう?」
「はい、流行が大事だからと沢山アドバイス頂きました」
薄い身体の私は肌を隠しすぎても貧相になってしまう。けれどドレス自体が豪華だと地味な顔が負けてしまうのだ。レースでバランスを取りつつ、程よく身体のラインに沿わせながら肌を出して、なおかつ少し背が高いので裾は優美に広げて女性らしさを出す──数度お会いしただけなのに、私の好みと流行を捉えたアドバイスを下さったライナス様のお母君は素晴らしいセンスだった。
「素晴らしいよ。母上の衣装狂いも役に立つものだな。そのうち母にも着ている姿を見せてあげよう」
「はい。でもライナス様が選んで下さる衣装もいつも素敵ですよ」
「はぁ、良かった。フローラは優しいな」
そう言って私の頬に伸ばしかけた手を、一瞬躊躇って戻したライナス様。触れて欲しい。そのまま触れて欲しいと望んでしまう。
いつか……夜会などでライナス様のお母様とお会いする機会があるかもしれない。その節はありがとうございましたとお礼を言って、きっとその頃にはライナス様の隣には──
いけない、とそこで思考を止める。今日でけじめを付けるんだ。ミリアーナ殿下の門出をお祝いして、機会があれば王太子殿下にお役御免を願い出る。それからライナス様に今までのお礼と、謝罪と──
「フローラ、大丈夫。今日はずっと私の隣に居れば良いから」
渋い顔をしていたのだろう。初めて夜会に招待された私を気遣って下さる。あるいは媚薬の事件が漏れていないか心配していると思われたのかもしれない。
馬車に乗り込み街並みを眺めれば、貴族街では祝いの明かりがそこかしこで灯り始めている。
「今日は楽しもう。殿下の成婚祝だ。君たち殿下付きの侍女にとっても晴れの日だろう?」
「私は……元侍女です」
「ミリアーナ殿下はそうは思っていらっしゃらないようだよ」
私の左手を取って、ライナス様が小さな真珠の連なった腕輪を嵌めて下さった。
「ミリアーナ殿下の専属侍女たちに今日付けるようにと贈られた腕輪だよ。あちらでの婚姻の儀で着られる衣装の真珠と同じものを使っているそうだ」
「──殿下……」
ミリアーナ殿下のこういうところが少しだけ憎く思う。自分の懐に入った者には行動で親愛を示す。だからどんなに振り回され、八つ当たりをされても、殿下のためなら頑張ろうと思ってしまう。
「私が贈った物以外で着飾っては欲しくないのだけれど……それも今日までだ、フローラ」
──今日まで……?半ば独り言をつぶやくように仰ったライナス様のその言葉にドキリとした。顔を向ければ微笑みを返されるだけだ。心なしか、今日はライナス様も口数が少ない。
「着いたようだね。さぁ、行こうフローラ」
大好きな人のエスコートに足取りが重い。
ミリアーナ殿下は今どんな思いでこの王城にいるのだろう。燦々と輝く王城を眺めながら、ぼんやりと思いを馳せた。