15.ヴィオラと親友
私には友人、と呼べる人が少ない。王宮に上がった令嬢にも幼馴染みだとか、年の近い親戚だとかがいるものだ。しかし、年頃になってもお茶会や親戚行事に参加させて貰えなかった私は友人を作る機会がなかった。そんな私の唯一の親友が王立宮中楽団でヴィオラ奏者をしているシルクだ。
まだ実母が生きていた頃、同じく宮中演奏家だった先生──シルクにつられてそのうち師匠と呼ぶようになった──にヴィオラを習い始めた。とある貴族の傍流家系出身で師匠に才能を見出だされ、ヴィオラ奏者を目指している同じ年の女の子。それがシルクだった。
シルクはめきめきと頭角を表し、先生の跡を継ぐように宮中楽団に所属した。
宮中演奏家は文字通り宮中に住まうことを許された演奏家だ。そのなかで楽団演奏を行うのが宮中楽団だ。
「フローラはずっと王宮勤めを続けるんだと思っていたよ」
「うん、まぁ心境の変化というか……」
宮中演奏家は王家の食客扱いなので、授業を受けるには王宮まで通う必要がある。宮中演奏家に教えを請えるのは宮中への出入り許可がある一部の貴族だけ、ということだ。
私は宮中で事件を起こした犯人扱いであるはずなのに、あっさり許可書が発行された。王太子殿下の言う通り完全に非公式な事件として処理されているのだろう。
そんなわけで、もちろん事件の事はシルクにも話せない。しかも外宮のさらに外とはいえ、王宮の一室なので万が一にも不用意な発言は出来ない。
唯一の親友にも打ち明けられないのは、心苦しい。
「オーノック侯爵家で行儀見習いって、それ花嫁修行の間違いじゃないの?」
「……へっ!?」
「どこの世界に二十四歳の元女官に行儀を見習わせようって人間がいるんだよ」
「……うん、えっと側仕え?的な?」
「ふーん。ま、いいや。そういうことにしてあげる。でも突然結婚しました!ってのは止めてよね」
シルクが銀髪のおかっぱをさらりとかきあげて、貴公子然とした優美な顔に微笑みを浮かべて言った。つい八年前、男性ばかりの楽団で初日、ピンクのドレスを着ていたのが恥ずかしかったと師匠に丸一日泣きついたシルク。それからは普段から男装姿だ。
昔は師匠と甘いものとぬいぐるみの熊の耳を触るのが大好きなかわいい女の子だったのに……。
「今なんか余計なこと考えてるでしょ」
「……別に」
昔からその鋭さだけは変わらない。ちなみに今日から始まるヴィオラの授業はあまりに私の腕が鈍っていて聴くに堪えないのでしばらく自主練習、と課題を出された。昔から辛辣なのも変わらない。だがそんな正直なところが大好きだ。
今はレッスンが早々に終わってシルクの部屋でお茶にすることになって、外宮で働く人々の居住区にあるシルクの私室にお邪魔している。着いてきてくれた侍女のニーナは久々なら積もる話もあるだろう、と席を外してくれた。「若い女の子同士のお話は長くなりますでしょう」と言ってスッと居なくなってしまった。
「あんまり長くお世話になるのもな、って自立する方向で考えているの」
「家庭教師は?ヴィオラの腕は下がったけど、フローラは何でも得意じゃない」
「器用貧乏ってやつね。でも独身の家庭教師なんて雇ってもらえるかしら」
「それこそついでに嫁ぎ先を見つけてもらえるかもよ?年若い貴族の後妻とかさ。フローラの容姿って傷ついた男に刺さると思うんだよね」
「なぁにそれ」
「儚げな見た目なのにしっかりもので、お節介なところ?」
「それ誉めてないわ」
久々に会うのでお茶菓子にシルクの好物、マドレーヌを買ってきた。
「昔もさ、あの女に虐められて自由になるお金なんて少ないだろうに、私のためにお菓子用意してくれてたじゃん」
「師匠はお菓子の存在を知らないんじゃないかっていうくらい疎かったからね。甘い物好きさんがかわいそうだったの」
「男やもめが長かったからね。でもその内気付いてお小遣い貰えるようになったし」
「それで今度はシルクが分けてくれるようになったじゃない」
「継母に食事抜きにされてるお節介焼屋さんがかわいそうだったの」
お行儀は悪いけれどあの頃のように半分ずつ分けあっていろんな味を楽しむ。
「それで、どう?トラウマは克服できそう?」
「うん、こないだ実家で会ったけど、全然怖くなかったし。お茶会でオーノック家の親類の方々を一人で応対してるけどね、大丈夫そう」
媚薬を盛った犯人になった衝撃と勢いにかき消されていたが、継母の存在は私の大きなトラウマで、年上の貴族女性と二人きりというのも怖かったのだ。
「ならよかった。じゃあ家庭教師、やっぱり良いんじゃない?アルゼィランのお祖父様の伝を頼るのが一番だろうけど、私も協力するし」
「ありがとう」
昔からの親友は相変わらず頼もしい。
外宮の王宮劇場が拠点の宮中演奏家と内宮の王族の専属侍女は用意される居室が異なる。内宮勤めは自由に出入りすら出来ないし、シルクに会える機会も今までは少なかった。宮中演奏家は騎士団の居住区域と同じで、城壁の外側に住んでいる。
これからシルクにも自由に会えるようになる、それだけで元気が出る。
「それにしても、親族がわざわざ来て、一人で応対ねぇ……」
「そりゃ自分が招く側、なんてしたことないけど、お茶会の作法は一応、王宮仕込みよ」
「いや、そうじゃなくてさ。まぁ、でもライナス様があれこれ世話を焼いてくれるならさ、いきなりお世話になりました!じゃなくてちゃんと言いたい事とか、聞きたい事は伝えた方がいいよ?」
「不義理を働きたい訳じゃないんだけど……」
「ミリアーナ殿下とフローラは思い込んだらこう!みたいなところだけはそっくりなんだから。人の振り見て我が振り直せ、よ」
「はーい、わかりました」
これ以上話すと余計なことまで話してしまいそうだ。相変わらずシルクは鋭い。私が王宮を辞したのがミリアーナ殿下関連のトラブルが要因と気付いているのだろう。流石である。
「とにかく、侯爵家を辞めるにしても、ライナス様とちゃんと話しなよ!」
結局ヴィオラのレッスンではなく人生相談をして今日の授業はお開きとなった。
──ちゃんと言いたい事とか、聞きたい事は伝えた方がいい。
馬車に揺られながら、シルクの言葉が浮かぶ。
シルクの言う通りだ。王太子殿下の執務室で〈媚薬を盛った犯人〉を命じられて以降、衝撃のあまり私らしくなかった気がする。もっと言いたいことはちゃんと言える人間だったし、きちんと状況に応じて行動に移せる人間だった。
それもこれもライナス様が甘い雰囲気で接してくる所為だ。ライナス様に触れられて近くで囁かれるといつもの調子で居られなくなってしまう。そもそも、あんな、恋人みたいに私に接することができるのに、女嫌いの克服なんて必要だろうか?
──ライナス様に練習がこれ以上必要か、きちんと尋ねてみよう。
お役御免をライナス様から言い渡されるよりも、自分から言い出した方が踏ん切りがつくだろう。
そしてちゃんと仕事を見つけて身の振り方を決めれば、〈媚薬を盛った犯人〉も更正したと認めて貰えるかもしれない。