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10.早合点

 ──初恋の人にキスをされた。


「ライナス様!?血が!鼻血が!」


「え?あぁ、あれ?」


 ハンカチを持ち合わせていなかったので、とっさにライナス様のポケットチーフを抜き取って鼻血を押さえる。


「なんかいいなぁ、こういうの」


 暢気に呟いて必死で押さえる私の手を握っている。微笑んでいるが笑い事ではないと思うのだけれど。


「お屋敷に戻りましょう。落ち着かれた方がいいです」

「うん、そうしよう」

 

 鼻血が出ているこんな状況でもエスコートして下さる。お茶を淹れながら今日も座り姿が麗しい、と眺めていたところでハッとする。


「目眩や吐き気は?のぼせた感じはありますか?」

「……のぼせてはいるけど大丈夫だよ」


 つい先日媚薬を盛られたばかりだ。王太子殿下は問題無かったと仰ったけど、高齢者には心臓を止める毒薬とも言っていた。

 失礼ながら額に手を当て熱を測り、手首を取って脈を測る。


「脈が早いですね、医師を呼びましょうか?」

「本当に大丈夫。ごめんね心配かけて。できればフローラの手をしばらくおでこに当てておいて欲しいな、なんて」


 私の手を取って額に当てたライナス様は「ひんやりしてる。フローラこそ外寒くなかった?」と腰に添えられたもう片方の手を引く。本当に大丈夫みたいだ。

 ぴったりと隣に寄り添って居間のソファに腰かける。ライナス様が鼻血を出したことですっかり冷静になっていたが、どう考えてもおかしい。


 ──ライナス様はどうして私にキスを?


 ライナス様が先程のキスについては何も仰らないので、私も何も聞けない。

 何だか懸命なキスだった気がする。もし次にキスをされたら──いや、これから心を入れ替えて真面目に過ごすのだ。私は媚薬を盛った犯人なんだから。


「明後日からオーノック家の親類縁者が代わる代わる挨拶に来る予定だ」


 お茶をこくりと飲んで、ライナス様が切り出した。


「給仕を担当すればよろしいですか?」

「いや、フローラが応対してくれ。残念ながら日中、私は不在なんだ。執事のボルロも侍女のニーナも見張っているし、変な人間はいないはずだから大丈夫だと思うんだけど」


 与えられた部屋から推測して、私は侯爵家の従爵位の子弟と同じ扱いなのかもしれない。行儀見習いに挨拶させる為に親類の方々を呼ぶのだろうか?私は子爵家で育っていないし、貴族の家々の慣習は元々独特なことも多い。


「……心配だな」


 そう言って私の頭に唇を落とした。こんなに甘い雰囲気の人だったろうか。当たり前のように唇が降ってくる。

 

 なぜ、キスをしたのか聞いてしまいたい。でも、さっきのキス、無かったことになるわけじゃないなら、──良いか。


「失礼のないよう、気を引き締めますね」

「無理はしないで。困ったら何でも相談してね」

「はい、何かあればご報告します」


 いつからか頭と口に別々の動きをさせるのが得意になっていた。いま、その特技がちょっと憎い。


◇ ◇ ◇


 それから数日が経った。私の主な仕事はやはりライナス様の側仕えのようなもので、資料の整理やお茶会の招待状を準備したりと、本音を言えばちょっぴり暇だ。この程度では犯人の性根を叩き直すのは無理だろう、と思ってしまう。

 お茶会は十年王宮勤めをしていたお陰で慣れたものだ。お話もミリアーナ殿下の愛用品だとか、騎士団のちょっとした事件だとか、話題に事欠かない。

 オーノック侯爵家やライナス様の話題については、自然と感嘆や笑みがこぼれて、とにかく順調そのものだった。二十四歳の行儀見習いなんて受け入れてもらえるだろうかという不安もなくなった。

 

 ライナス様の甘すぎる行動は、媚薬を盛った犯人への誘惑だと思うことにした。正直、ライナス様がそんなことをするだろうかと思う一方、いずれにせよ甘さを真に受けるなんて愚かな真似は出来ないのだから。


 そうして、ライナス様の叔母であるモーフロイ侯爵夫人と従兄弟のジルアス様が訪れる日となった。


「久しぶりねフローラ!」


 変わらず美しく若々しいモーフロイ侯爵夫人とは面識があった。王宮勤めを始めた頃、新人侍女に人気のご夫人であった。『モーフロイ侯爵夫人がいらっしゃるお茶会は平和』と皆、口々に言っていたのだ。


「覚えて頂いて光栄です、モーフロイ侯爵夫人」

「いやだ他人行儀だわ。マーガレットと呼んでちょうだい」

「ついでに私のこともジルアスと呼んで」

「はい。ありがとうございます」


 行儀見習いに対しても気さく、変わらずお優しい、と感動してしまう。ジルアス様はライナス様より四、五歳年少で、よく似ていらっしゃる。先代オーノック侯爵であるお祖父様の隔世遺伝といつだか話しておられたから、ジルアス様の黒髪も優しげなお顔もお祖父様似なのだろう。でもやっぱり、若さもあってかライナス様より人懐っこい表情で思わず微笑んでしまう。


「──夜会でお見かけする度に美しい方だとは思っていましたが、今日は一段とお美しい」

「ジルアス、母の前でよそ様のお嬢さんを口説くのはやめなさいな」

「しかし母上、昔からライナス兄さんと私は好みが一緒なんだから仕方ないと思いませんか?」

「ごめんなさいねフローラ。思春期が終わったと思ったらこれだもの、誰に似たのかしら」


 軽快に言葉を交わしていくお二人に思わず笑みがこぼれる。


「フローラ嬢、我が家もオーノック侯爵家も厳格さとは程遠い家風だ。アルゼィラン伯爵家の上品さが当たり前だと思っていると、大変かもしれない」

「まぁ、ご冗談を」


 おどけた感じでジルアス様が仰って、声を出して笑いそうになる。モーフロイ侯爵家の方々もとても素敵な方々だった。


 お帰りの準備を、と使用人に指示をしに行って手土産の返礼品がモーフロイ侯爵領の特産だったと思い出し慌てて執事のもとへ向かう。すると、執事のボルロとモーフロイ夫人の話し声が半分開いた扉の前で聞こえてしまった。


 ──ここで立ち止まってしまったのが間違いだったのだ。


「ライナスの女嫌い……も収まるかしら?」

「大丈夫です。フローラ様と……日々練習していらっしゃいます……」

「まぁ、それじゃフローラちゃんがかわいそうだわ。あの子昔から……」


 ドキリと心臓が早鐘を打つ。そのまま声は遠退いていった。ボルロの声はこもってあまり聞こえなかったけれど、おおよその話は聞こえてしまった。


 この頃、衝撃で驚くことが多かった。が、一番大きな衝撃がやって来たと同時に、ついに私は合点がいったのだ。


 ──ライナス様の不可思議な態度も、私に与えられた環境も。ライナス様が女嫌いを克服するためだったんだ……!


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