9・有能侍女の溜息
「あれがミシェル・ディアーラ侯爵令息」
私の声に、一人の少女が親に仇を睨むように美貌の少年を見る。
「ほぉ……何て綺麗なのでしょう。まるで天使そのもの。とても性別があるとは思えませんわ」
「ええ、本当に。あんなに美しいのならば、例え少年だろうと王子殿下が結婚を望むのも無理はありませんわね」
「もう、あの少年を見てしまうと、レオンハルト王子殿下の相手は彼しかいないと思ってしまいますわよ」
「ええ、そうね」
「全く持ってそうね」
「同意以外ないわ」
口々に侍女達がそう言うのを聞いていた少女は、バンッ! と机を叩いた。
「うるちゃい、うるちゃい、うるちゃーい!」
バンバンッ! と机を叩いて抗議する少女の姿に侍女たちはハッとした後、ほっこりとする。
「レオンちゃまのおひしゃ、お、おし…?」
「お后様です、マリアージュ様」
「し、知ってまちゅ! 『おひしゃひしゃま』はワタクチだけでしゅのよ!」
結局、間違えた上に噛んでしまう隣国の我儘姫、マリアージュ王女殿下に、周りはやっぱりほっこりするのだった。
隣国の箱入り王女であるマリアージュ様は、御年3歳。
少しばかり呂律が怪しいのが非常に可愛らしい、おシャマでおマセな女の子である。
そんなマリアージュ様はつい先日、仕事で隣国へ来ていたレオンハルト王子殿下と運命的な恋に落ちた。(レオンハルト殿下の余りの麗しさに、王女が勝手に落ちた一方的な恋なのだが)
そして、泣いて止める父の国王陛下を振り切って、彼の愛を射止めようと遥々隣国までやって来たのである。
「ワタクチの美しいドレチュすがちゃにユーワクされちゃレオンちゃまをバルコヌーにさそっちぇ…」
「バルコニーでございます。バルコヌーって逆に難しくないですか?」
「エイミーはうるしゃいの! えっと、バルコニーにさそっちぇ、ワタクチが服をぬいで、なきながら『ワタクチとのことは、あそびだったにょ!?』っていえば、レオンちゃまと『きせいじじちゅ』ができりゅから、レオンちゃまとケッコンできりゅって!」
その場合、レオンハルト殿下はロリコンの誹りを免れないし、社会的に死ぬ。可愛らしい言い方に騙されそうになるが、実に恐ろしい作戦であった。
「誰がそう言われたのですか?」
「おかあちゃま!」
「やっぱり……」
犯人は面白い事が大好きな愉快犯、隣国妃殿下だったようだ。
この作戦を、娘大好き子煩悩な国王様と、妹激ラブ末期のシスコンな王太子殿下が聞いたら卒倒するに違いない。
実行されなかった上に、偶然シスコン王太子殿下が余所の国へ行っていて本当に良かった。じゃなければ、国際問題待ったなしだ。
マリアージュ様の暴走を予期して、予めとても美味しそうでとても大きなケーキをマリアージュ様の目の前に置いていたイライザ王女は流石の才媛である。
「にゃのに、にゃのに……っ! あのどろぼーにゃんこがー!」
キーッ! と、作戦が台無しになり、地団駄を踏むマリアージュ様。今日もとても可愛い。
因みに、姫君には隣国に婚約者候補が何人かいる。
それぞれが将来美男子になるだろうという優秀な美少年ばかりだが、姫様曰く、『大人の色気が足りない』のだそうだ。3歳児が何を言っているのかと突っ込んではいけない。彼女は大真面目だ。
「まぁまぁ、マリアージュ様。落ち着いてくださいませ。お庭でも散歩されませんか? お花がとても綺麗に咲いているそうですよ」
「……はにゃなんて……」
「美味しいケーキとジュースも用意してございます」
「仕方にゃいかりゃ、行っちぇあげゆ!」
ケーキで姫のご機嫌を取りながら私たちは庭園へと向かった。
王宮の庭園は客人にも解放されていて、非常に気持ちのいい場所だ。
私達が準備をしている間、マリアージュ様は小さな池の前にしゃがみ込んでいた。
「お魚でもいますか?」
「ワタクチ、アンヌイなにょ。そっとしちょいて」
「それを言うならアンニュイです」
「……そうちょもいう」
そう言いながら、姫は池を覗いている。違うと言っていたが、魚を見ているのだろう。
「余り覗き込むと危な……」
ボチャーン!
「マリアージュ様!?」
振り返った瞬間、マリアージュ様が池へと落ちた。
だから、危険だといったのに! マリアージュ様はまだ幼児で、頭が重いのだ!
慌てて駆け込んで池に入ろうとした瞬間、突風が巻き起こった。
「え」
驚いて周りを見回すと同時に、バシャバシャと水の音が聞こえる。
前方を見れば、マリアージュ様が池の中から救い出されている所だった。
マリアージュ様を救い出してくれた人が、彼女を腕に抱えたまま、ゆっくりとこちらに向かってくる。
「マリアージュ様!」
「大丈夫。水は飲んでいません。直ぐに気が付くでしょう」
落ち着いた声に、マリアージュ様がゆっくりと目を開けた。
「う、ううん……」
「マリアージュ様! 大丈夫ですか?」
「ん、ヘイキ……え?」
マリアージュ様は直ぐに気が付いて、自分の状況に目を白黒させている。
そして、自分を抱え上げている人を見上げた。
「ご無事で何よりです」
長身で逞しいその人は、そう言って、とても優しくマリアージュ様に微笑んだ。
ポポポッ!
マリアージュ様の頬っぺたが真っ赤に染まる。
「――――みちゅけた……ワタクチのほんとうの王子しゃま……!」
「え」
「又ですか」
マリアージュ様は我が儘だけど、とっても可愛らしい女の子。
でも、とってもとっても――――惚れっぽいお方なのである。