8・努力家王女の憂鬱
私の名はイライザ・フォン・オルヴィア。
オルヴィア王国の第一王女。
王族のみが持つ銀髪と紫紺の目。幼い頃から王族に相応しい品格と教養を求められ、博識と柔軟な思考、全ての人々の模範となる人格を持てと厳しく躾けられてきたし、私自身、いずれは国の役に立つ器となれるよう、努力し続けてきた。
そう、私は十八年間、ずっと努力し続けてきたのだ。
「あ、王女殿下よ」
誰かが囁く声がする。
「相変わらず、王子殿下によく似て何て美しい…のかしら?」
「本当に。王子殿下と同じ銀色の髪がキラキラと輝いて……いらっしゃる?」
「見て、王子殿下によく似たあの美しい白い肌? が、光を弾いて? あんなに瑞々しく? いらっしゃる?」
「王子殿下と同じ色の愁いを帯びた瞳が何て艶めかしい……のかしら?」
「王子殿下とよく似て顔に掛かるほつれ髪の一房がとても扇情的……に見えなくもないわよね?」
「ええ、そうね?」
「全く持ってそうね?」
「同意以外ないわよね?」
「王子殿下にそっくりなのに、相変わらず何て地味なのかしら??」
「………」
聞こえてるんだけど。
ムッとしながらも、顔には優し気な笑みを浮かべて歩く。
これくらいの事で一々怒っていたらキリがない。
「いつもの事だけど疲れるわ……」
誰もいなくなったところで、深く息を吐いた。
疲れるけど、仕方がない。
なんせ私の兄は空前絶後、国どころか世界が消滅すると言われる程の傾国の超絶美形なのだから。
★ ★ ★ ★ ★
物心ついた時には、既に兄と比べられる事に慣れていた。
兄は優秀でとても美しく、私は平凡でとても地味。
同じパーツで作られている筈なのに、何故か私と兄はまるで違う。
皆、兄には夢中なのに、私には見向きもしない。
とはいえ、別に兄が嫌いな訳ではない。
兄は私に優しいし、基本的に善人で、優秀だけどどこか抜けている憎めない人であった。
それでも、コンプレックスは決してなくならない訳で。
「あ、王子殿下よ!」
「キャー! 殿下ー!」
その時もウンザリしていたのだ。
その日は王宮で、私が主催した高位の貴族令嬢達を集めたお茶会が行われていた。
私はこの国の王女。令嬢たちを纏めるのは私の仕事で、それはそれなりに上手くいっていると思う。
けれど、それも兄がいない場合のみだ。
兄がいれば、誰もかれも兄の方へと行ってしまう。
今も、令嬢達に気付いて逃げてしまったヘタレな兄を追いかけて皆が走り去ってしまった。
今日のお茶会はこれで終わりだろう。
普通ならば、王女の誘いを途中で退席など絶対しない。けれど、兄という絶対的な吸引者が現れてしまうと、誰もが理性を失ったように兄を追いかけてしまうのだ。
私は軽く息を吐いてから、お茶を飲み、視線を前に向けて驚く。
たった一人、令嬢が残っていたからだ。
令嬢の名はアレクサンドラ・グローライト伯爵令嬢。
彼女は一般的な貴族令嬢とはまるで違う存在だった。
女の身でありながら戦場で戦果を挙げ、将官位すら賜っている国の英雄とも言える女性。
今回、初めてお茶会に誘ったのだが、その姿も又、一般的な貴族令嬢とは一線を画していた。
まず、とても体格がいい。柔らかな雰囲気で女性だと分かるけれど、鎧を纏い、戦場であったなら気付く者はいないかもしれない。それほど、纏う空気が凛としている。
初めて会った時の第一印象は立ち姿の美しい人というものだった。
容姿は中性的だが、十分に美しいと言える。仕草はやや粗野な部分もあるが、相手に対して丁寧に接しようとしているのが解るから、好感が持てた。
そんな彼女は、少しだけ後ろを見ただけで、席に座り続けていた。
「貴女は行かなくていいの?」
兄に興味がないのだろうか。
それとも気付いていないだけ?
少し意地悪な質問をすれば、彼女は少し視線を伏せた。
「……王子殿下が気にならないと言えば、嘘になります」
殿下は素敵な方ですから。
そう言った彼女は少し頬を染め、初々しい女の子の顔をしていた。
彼女は顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見て笑う。
「でも、今は王女殿下とお茶を楽しんでおりますから」
そう言って、彼女はにこりと微笑んで、お茶を口に含んだ。
彼女は当たり前の事を言っている。
彼女はごく当たり前の事をしているだけで、常識が無いのは席を立った令嬢たちの方だ。
そう頭では分かっていた。
分かっていたけれど、嬉しかった。
その時だけでも、自分を選んでくれたことが。
誰よりも輝く兄から視線を逸らし、自分を見てくれたことが、胸が震える程、嬉しかったのだ。
「――――貴女、変わっているわね」
「よく言われます」
私は涙を扇で隠して、小さく笑った。
★ ★ ★ ★ ★
あの時から、兄を任せるのならばこの人だと思っていた。
見た目は一般的な貴族令嬢とは少し違うかもしれない。
けれど、何よりもその強く優しい清廉な心が、弱くて優しすぎる兄に相応しいとそう思った。
(応援しているのに……まさかの展開だわ!)
私は険しい顔で人が割れて空白になった場所で、彼女を挟んで相対する二人の男を見る。
一人は言わずと知れた無敵の美貌という外面と、ヘタレで情けない内心を併せ持つ兄、レオンハルト・フォン・オルヴィア。
もう一人は――――
(兄にも劣らない美貌を持つ若き天才騎士、ミシェル・ディアーラ!)
流石はアレクサンドラ嬢。とんでもないのを引っかけているわね。
はっきり言って、相手は見た目こそ絶世の美少女だが、内面は苛烈で男らしいと評判の美男子。内面だけで言えば、兄は圧倒的に不利だ。
(でも、顔なら戦えるわ!)
張り切ってアレクサンドラ嬢の元へと向かった兄が、情けない顔でこちらを振り返っている。どうやら助けを求めているらしい。
私はとにかく引くなとジェスチャーを送った。ここで引いたら、もう負けたも同然だ。なんせ、兄は人を押しのけてまで何かをするというのは極端に苦手。いや、そもそも人と関わる事すら苦手なダメ男なのだから。
兄が泣きそうな顔で助けを求めているが、私にはどうしようもない。
そもそも、兄がアレクサンドラ嬢に元へ行けるように、近づこうとした隣国の王女や令嬢たちをコッソリ足止めしたのは私だ。
面白がって乱入したがっている父と母を止めているのも私だ。
後は自分で何とかしろ。
倒す気で行けとジェスチャーを送れば、兄は意を決したように顔を上げた。
「あの……ダンスを……」
「アレクサンドラはこれからオレと踊るんですが、何か?」
「いや、あの……」
美少女フェイスにギロッと睨まれて、涙目の兄。
情けない! いいから突っ込め!
必死でジェスチャーを送れば、兄は歯を食いしばって顔を上げた。
「あの!」
「は、はい」
「私と……」
「何ですか?」
「私と……っ」
そうだ、行け!
「結婚して下さい!!」
「へ!?」
テンパった兄は特大の爆弾をぶち込む。
一瞬静まり返った後、会場は阿鼻叫喚の地獄絵図へと姿を変え、舞踏会は中止になった。
行きすぎだろ、兄よ。
しかも、本人は自分の言ったセリフにパニくって気絶した。本当に馬鹿。
★ ★ ★ ★ ★
――――翌日。
兄がミシェル・ディアーラ侯爵令息にプロポーズしたという噂が国中を駆け抜けた。
余りの衝撃と、麗しすぎる二人のツーショットによって全員の記憶が書き換えられた結果らしい。
兄は噂を聞いた瞬間、再び泡を吹いて気絶した。
本当にこの兄、馬鹿すぎる。