人間でありたい悪役令嬢
「やり返したりしないのですか?」
「物騒な考え方ね。それじゃあ誰も幸せになれないじゃない。」
優雅に紅茶を飲んでいると言うのに、何故そんなことを口にできるのだろう。
私の名前は、ナタリエル=ノア=ファンコルト。らしい。一応公爵令嬢だそうだ。
まだよく分かっていないが。何度もいろんな場所を行き来しているので、理解するのが面倒くさいのだ。
今声をかけて着たのは、私の執事らしい。名前はノエル。たまに物騒な考えのスイッチが入って、ちょっと面倒な事になることがあるのが玉に瑕だが、仕事はすごくできるし、基本いい奴だ。
にしてもこの執事、今日はいつにもなく物騒な考え方になっている。どこかでスイッチが入ったのだろうか。
「貴女は幸せになれますよ。」
「私だけ幸せになっても意味がないじゃない。」
「それは何故?」
「自分だけ幸せになってもつまらないし、私なんかの一人の力で誰かの人生を故意に悲しいものにするなんて、よく考えたら虚しいものだと思わない?そんなことをする時間があるくらいなら、私はこうしてのんびり紅茶を飲みたいわ。」
「貴女は考えすぎなのよ。」そう言って紅茶を口に含む。
誰かを故意に堕落させるのは少々胸糞が悪い。
それ位なら私が道化になって、幸せな箱入り娘でいる方がマシと言うものだ。
それを彼らが望んでいるのならばまだしも。
それが誰も望んでいないものならば、私が一人で掴み取った方が良い。
その方が、わりかし人間らしい生き方では無いかと思う。まず、私は残虐非道な人間が理想では無いし。
人間らしさを忘れてしまった生き物としては、生き辛くとも、理想の人間に近付こうと努力することが、大切なのでは無いかと思う。たとえそれが、どんなに辛くとも。
こんな私でも、頑張ろうと、努力しようと、せめて少しでも人間らしくあろうと、まるで笑えるような話だけれど、思ってしまうのだ。どうしても。
「誰よりも、人間らしくあろうと思ったら、この方が良いのよ。誰かが幸せである方が、いい物語として終わるでしょう?自分でも、こんなに変な生き物になるなんて、思いもしなかったけれどもね。」
カチャンと少し音を立て、ティーカップを机に置く。
優しく、いい事だ。のんびりした時間が流れる。私はこれが好きだ。
「彼等はまだこの人生に悔いがあるかも知れないのよ。でも、私はこの人生に悔いはないわ。むしろ、いつもより自分の感性に正直に生きて来たから、ずっと幸せだったの。」
だから、こんな感じだけど予想外なことが起きて、案外焦っているのだ。
いい感情を知れたいい機会だとは、少し思ってしまうけど。
「貴女は優しすぎるのです。貴族のくせ美。それに、人間らしさを忘れたならば、いっそ化け物になってしまった方が楽なものなのに。そこのところ、貴女はまだ生き物だ。」
「ふふ。そう言ってもらって嬉しいわ。最高の賛辞をありがとう。せめて生き物であることは忘れたく無いもの。これでも必死なのよ。まだその枠でいられることに。」
今、悪役という役をもらえたことが、私は最高に嬉しいのだ。
まだ嫉妬をするような生き物のような感情を持っているものとしてみてもらえているのだ。
まるで狂気のような、狂ったような感想だけれど、これが本心なのだ。
私は、悪役に選ばれて、嬉しい。
「そろそろ行きましょう。あぁ、幕が上がる、と言ったところかしら。」
「はい………でもお嬢様。」
「なぁに?」
「私は、貴女に幸せになって欲しいのですよ。」
執事が、悲しそうな顔で言う。
なのに私の心は全く動かされない。
私は、もう人間らしさが欠けてしまったから。ただそれだけに、悲しさが巡る。
「何を言っているの?私は今とっても幸せよ。」
だって、人間として見てもらえるんだもの。
***
人間が皆ざわついて、こそこそと噂話をする。
少し遠い場所で規定の制服を着て眺める私に、彼等は全く気づいていない。
でも、それで良い。それが良いのだ。素晴らしい物語だ。
私がいることで、少し物語が際立ってもいると思うと、それが少し嬉しくなる。悪役なのに。
一応、私の婚約者であるらしいこの国の王太子、ルーカルク=ビィ=オーファントと、アリシア=ルー=ニビアスト子爵令嬢。今、この学園で話題になっているカップルで、今回の私の生きる意味。
可哀想に。私と言う婚約者がいるために、彼女たちは今は結ばれない運命にある。
そう。今は。
「優しい優しい王太子様。私が願ったら、あの子から離れてくれるかな。くれないよねぇ。だってそう言うストーリーだもんねぇ。そうしてくれないと。だってそしたら、みぃんな幸せだもの。」
台本通りのセリフに、少し本音を付け足す。
これ位は許してほしい。だって、本音なのだから。
それに、その方が人間らしい。
みんなが幸せになる選択肢を選んだんだ。
あぁ、ちょっと楽しくなってきた。
「んふふっんふふふふっ」
さあ道化になろう。
そしたらみんなが幸せだ。
その方が美しい終わりが見えてくる。
台本通りのセリフを言って。
最近はすごく良い人生を送れていたのだから、これくらいどうってことないんだ。
「あら、ベタベタと人の婚約者に触れて。下品ですわ。」
早く幸せになってね。ヒロインさん。
貴女が幸せになれたら、嬉しいな。
***
それから私は、彼女に嫌がらせを、と言っても、周りが少し盛って噂を流して、少ししたら勝手にやってくれるので、特に本当に嫌がらせらしきものはやっていないが、一応、嫌がらせを行なった。
彼女の文房具をとったり、(後で返した)社交界で遠巻きにしたり、(泣いていたので休憩室に行くように促しておいてと一応使用人に伝えた)歩き方を注意したりした。(廊下を走っていた。)
やりすぎると彼女が幸せになれないので、それくらいに留めた。それに、あまりやってくれなくてもそれに便乗したちょっと頭の弱い人間たちが勝手にやってくれるので、一応怪しまれても大丈夫だ。
そして。
「王太子としてここに宣言する。ナタリエル=ノア=ファンコルト。貴方との婚約を破棄する。」
ああ、やっとこの時が来た。
何度待ちわびたことだろう。彼女たちが幸せになるための、私の一番の大見せ場。
「了承致しました。お二方につきましては、御幸せに。」
そう言って、ニッコリと微笑んだ。
ああ、今の私はなんて人間らしいのだろう。
悪役令嬢って、すごく人間味のある役だった。
嫉妬して、時に悲しみ、時に少し喜ぶ。
本当に、私がなりたかった生き物。
ああ、二人が幸せになってよかったわ。
最後にはそう思うんだ。きっと。
だって、それが彼の幸せなのだから。
完璧にはコピーできなかったけど、とても楽しかった。
ちょっと達成感も感じられる。
さあ、そろそろ行かないと………。
うん?何故か、執事が近づいて来ている。
どうしたのだろう。私はもう罪人のようなものなのだから、こちらに来る必要はないのに。
「お嬢様は何もしておりませんよ。なのに何故婚約破棄などをなさるのですか。王太子殿下。」
「え。」
「いや、彼女はアメリア嬢に嫌がらせをしていたらしいからな。そのような者を王妃とするのは、さすがに気がひける。彼女の才能は正直言って手放しがたいのだが、国が荒れるのはさすがに嫌だからな。」
そうだ。そのまま押してくれ殿下。
これだと私が最初危惧していた断罪失敗、所謂仕返し、そう、下町の言葉を借りると悪役令嬢ざまあ。
いや、これ本気でダメだぞ。私はいいから彼女らには幸せになってもらわないと。
「あの「だから、そんなことお嬢様はしておりませんと言っておりますでしょう。」え。」
この執事、何故故意に私の言葉をさえぎった。
色々と危ういのだが。
「今回、確かにアメリア嬢へのいじめは行われております。ですが、それにお嬢様は一切関係していないと言って良いでしょう。お嬢様は、他人として当然の態度をとっておりました。また、彼女が泣いている時に使用人に命令して休憩室に行くのを促すなど、気を使うことさえありました。ですが、頭が弱めの生徒が、それを勝手に虐めていると勘違いし、それに便乗しているという事にし、勝手にお嬢様の名を使い、虐め出しました。これは、王がお嬢様につけた護衛を兼ねた監視の方からしっかり報告された物で、紛れもない事実です。」
執事が一息に言い切ってしまった。
いや何故言ってしまうんだ。
彼は私の意見をしっかり聞いていたはずだ。何故そうなる。
「何故そうなる!」
どこかで私が止めていたものが切れる音がして、思わずそう声に出した。
「私はこれでいいと言ったはずだ!こんな私一人しか幸せになれない物語は望んでいない!それに、ノエル!私はこの展開は望んでいないと主張したはずだ!そんなことをしろと誰が言った!私はただ、人間らしくなりたかっただけなんだ!」
「………お嬢様。今の貴女、ものすごく人間らしいですよ。」
「え。」
ああ、そういえば、こんなに感情が爆発したのは始めただ。
よく考えれば、これが私が望んでいた人間という物だ。
やれば、できるのか。私は。
なれるのか。人間に。
「お嬢様は忘れていらっしゃるかもしれませんが、貴女は、最初は本当に人間らしかったのです。感情で溢れた人間でした。でも、公爵夫人が亡くなられて、公爵に見捨てられて、いろんな場所を転々とするようになってから、今のように、人間らしくなくなってしまいました。」
「………。」
「私は、貴女に幸せでいて欲しかった。また、いつかのあの笑顔を取り戻して欲しかった。だから、こんな勝手な行動をしました。申し訳ございません。罰は、なんでも受けます。ただ、そうなっても、この世界で生きづらい人間になっても、人間であろうとする優しい貴女が、私はどうしようもなく愛しかった。」
「っ!?」
なんで、そんなことを言うのか。
愛とか、恋だとか、ましてや、愛しいなんて感情、私はもう忘れてしまった。
なのに、どうしようもなくその言葉が暖かく、どこか、嬉しく思う。
「大好きです。お嬢様。どうか、また、笑ってください。」
ああ、なんだ。
人間らしくなるのって、こんなに簡単だったのか。
どうやら私は、随分遠回りをしてしまったようだよ。
「そっか。人間って、こう言う物だったや。」
私は泣きながらも、数年ぶりに、微笑んだ。