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DEATH ERASE MINE/デス イレイズ マイン  作者: 堺 かずき
第2ゲーム
9/14

第9章 山の嵐

 檻の外には腕を組んで一つのモニターに映っている映像をただ傍観している男がいる。男が見ているモニターはニンゲン界での光景を映し出している。黒のケモノがニンゲンの棲んでいた街を破壊していきながら目的地もなく闊歩する。背中に乗せられた黒の針をまき散らしながら地面にひびを割らす。

「あれは野生のケモノだな。ヤマアラシといったところか……」男は呟く。

「あれがヤマアラシって言うの?」俺は初めて聞く動物の名前を繰り返す。モニターには長い針の鎧を着たネズミのような生物が銃撃されながらも何も厭わず短い前脚を動かし続けている。

「ニンゲン界にいたヤマアラシは、針を逆立て天敵に対して後ろ向きに突進してくる攻撃的な動物だ」

「へー。そーなんだな」俺はヤマアラシの大群が一匹のニンゲンと白い髭を生やした老人に向かって地鳴りを響かせながら迫りくる映像に目を焼き付ける。

「ちょっと行ってくる」男は腕組みを解きこの部屋から出ていこうとドアに近づく。

「待て!」男は足を止め檻の方へと首だけを回した。

「本当に俺はこのまま見ているだけでいいのか?早く動き出さねえと……」

「まだ焦るな。いずれこの手で目的を果たす。どうせ結果は変わらない。お前は今の時間をゆっくりと優雅に楽しめ」

「ッハハ。やっぱおもしれえ」俺の冷えた笑いが檻を満たす。男は背中に俺の笑いを受けながら退室していった。

「やっぱり服従はやめられねぇんだよ」俺は乾いた口から吐き捨てた。


 *


「ふう。ここまで来ればケモノは襲ってこない……」俺とミユとカイは辺り一帯を見渡すことが出来る高台へと避難することが出来た。見下ろすと黒の大きなケモノの鎧が目に見える。ミユとカイ、そして俺はケモノを見つめていた。うっすら笛の音が聞こえる。

「あのハリネズミ……!」俺は針を飛ばすケモノの名前を呼んだ。

「あの動物はヤマアラシのようだが……?」カイが冷静に俺の言葉を訂正した。

「ヤマアラシだかウミアラシだか知らねえが、あいつらはなぜ突然現れたんだ?」

 アサヒ小学校では俺が持っている青の横笛を鳴らしたとき、サルのような巨大なケモノが笛の声につられて現れた。

「あのヤマアラシのケモノは野生のケモノだ。野生のケモノは、いつ目の前に現れるかわからない。それが今のニンゲン界の現状」

「そうだったんだな。このハリネズミのケモノが二人のニンゲンを始末してくれればいいんだがな」俺の言霊が冷たい空気の中を過ぎ去っていく。

「いや。あいつらは銃戟隊の一部の隊員と合流している。しかもそこには隊長もいる。襲い掛かってくるケモノの数はアサヒ小学校と比べて格段に増えているが、戦力がある奴らが一緒にいる。ニンゲンの命を落とすことは出来ないだろう……」

「そうか。だが俺が思っていたよりも早く準備が進んでる」俺は笑った。


 *


 倉庫にあった、槍や銃、剣や盾などの武器をすべて外へと運び終えた。銃撃音は鳴り止まずケモノへの銃戟隊の攻撃は終わらないでいる。

「グンさん!運び終えました!」私は銃撃音に声が負けないように喉に力を込める。それに応じてグンさんは口からホイッスルを外した。

「よし。よくやったラナ」グンさんはライフル銃を構えたまま私に返答した。

「おいアトラス。ここから町までどれくらいの距離がある?」グンさんが隣の銃戟隊の隊員さんに訊く。それに応えるように隣の隊員さんが腰に巻き付けていた筒状の古紙を取り出し、広げる。

「ここから【アサヒ】が南西に二キロ。そして【ウェスト】が北東に一キロです」

「分かった。【ウェスト】にケモノを近づけるな」グンさんは大声を上げる。

「ハッ」隊員が答えた。アトラスと呼ばれた隊員は地図を腰に戻し、ケモノへの砲撃を再開した。

 巨大のヤマアラシの大群は北西に向かって前進している。

 私の記憶では北西に中学校があった気がする。

「ラナ。銃戟隊の反対側の場所を警戒して見て欲しい。ケモノの姿があったら逐一報告してくれ」グンさんはケモノの大群とは反対の方向に指をさした。

「分かりました!」そう私は銃撃音に負けないように大きな声で返事をして、身体を振り返らせ、指し示された場所へと足を向けた。

 その瞬間。

「ラナ!上だ!」

 私は言われた通りに視線を冬の寒空へと向けた。すると黒い影が私を目がけて落ちてくる。

「うわ!」黒い影が風を切る高い音で辺りは響き渡った。頭上に迫る影は突如、恐怖を私にくれた。銃戟隊の銃撃音で煩いはずが、静寂で私の中はいっぱいになった。

 パーン。

 無造作に放つ銃戟隊の銃撃とは異なる鋭い銃声が、私の静寂をかき消した。

「危なかった……」グンさんは片手でライフルを持ち、遠くから銃口を私の頭上へと向けていた。銃は白い煙を上げていた。

 肩越しに後ろを見ると、槍のように突き刺さった針が一本、折れた状態で屋上に転がっていた。

「針をこのライフルで仕留められなかったら、ラナは串刺しになっていたかもしれない……」グンさんは片手にあるライフルを目にしながら呟いた。

「ラナ。見張りを頼んだ」グンさんは大勢のケモノへ銃口を向け、再び銃戟隊と一緒に咆哮を放つ。


 *


 僕はセニオルとヤマアラシのようなケモノの攻撃から避けようと、壁に潜んでいたが一歩も動けずに籠ったままだ。

「セニオルさん、ここからどうします?」

「わしは構わん。じゃが、ヒムトはどうする?」

「まだわかりません。目的地がどこか、あとどれくらいで着くのか……」

「今わしが目指しておるのは【ウェスト】じゃ。そこに尋ね人がおるかもしれん」

「【ウェスト】……それって?」

「【アサヒ】と同じように一つの町じゃ。尋ね人はそれぞれの町を見回っておるとわしは思っておる」一つの町。【アサヒ】が僕達の卒業した小学校だった。なら【ウェスト】は小学校なのかもしれない。

「世界の反転が起こってからも同様にケモノが世界中で暴れまわっておるから見回りが必要になるんじゃ」セニオルは身体を壁にもたれさせ、杖を両手で掴み身体を支える。

「その……尋ね人と会って何をするんですか?」僕はセニオルに訊いた。

「元通りにするんじゃよ。再びニンゲン界とわしがいた世界を反転する。これでまた元通りの世界に戻せる」

「世界を元通りにするって……」言葉を反芻する。

 万の言葉を頭の中で回想する。

「【生命と肉体】【未来と過去】【欲望と理性】【創造と破壊】の四人の能力者が【ニンゲン界】と【ゲーム界】を反転させた」

「本当に四人の能力者がニンゲン界とゲーム界を反転させたんですか?」僕はセニオルに疑問を尋ねた。

「まあ大まかに言えばそうじゃ……」

「それなら……なんでセニオルさんが世界の反転を戻したいんですか?」

「それはゲーム界に」

 ド――ン。僕達が隠れている壁から衝撃が走った。

 たった一度ではなく何度も何度も壁から衝撃が放たれる。

「ヒムト!ここから逃げるぞ!」「でも!ここから離れたら針が飛び交って……」

「この壁ももうじき崩れてしまう!このままこの場に居続けられない!ヒムトが先に逃げるんじゃ!わしがケモノの針を受け止める!」「それだとセニオルさんが……」

 突如、僕達を隠していた壁が瓦礫を散らしながら崩れ落ちた。瓦礫は黒の針が突き刺さり、壁があった向こうからヤマアラシのケモノの大群が見えた。

「ヒムト……!早く!」セニオルは僕に向かって一度頷く。

「……分かりました!」僕は背後をセニオルに託し、道へと駆け出す。


 *


 俺は取り残されたニンゲン達のあがきをモニター越しに見ていた。暇つぶしにニンゲンをつぶす光景を見たかったからだ。

 一人のニンゲンが白い髭を長く生やした老人を残し、ヤマアラシの大群から背けて、逃げ出している。身体が弱い老人を置いて、逃げるなんて呆れたニンゲンだ。

「これが愚かなニンゲンか。おもしれえ」ニンゲンは背中にリュックを揺らしながらどうやら目的地へと急いでいる。

「見捨てるのがニンゲン……か」

 突然、老人が道の真ん中に立ちケモノの大群を見据える。老人は何か喋っている。俺は老人の口元に目を凝らす。

「……この世界は死なん……」

 老人は杖を高らかに掲げた。ケモノの大群は相も変わらずに前進しながら針を散らせる。その時、ケモノが無造作に放った一本の大きな針が老人の身体へと進んでいく。

 老人は、大きく杖を一回地に突きつけた。

「なに⁉……」思わず俺は声を漏らしてしまった。

 老人に進んでいった黒の凶器が、老人の目前で急速に速度を落とし、空中に留まった。

 次から次へと老人の身体に目がけて針が空中を突き進んでも、針は全て宙に浮かんで制止している。老人の身体に突き刺す針は決して無かった。ましてや老人を境に、透明な壁が張ってあるかのように、老人より後ろに針が一本も通らずに浮かんで止まっている。鋼の布が突如として出来上がった。

「よし、ヒムト。わしも行くぞ」

 老人はケモノの大群から目を離さずにゆっくりと後退りをする。浮かんだ針は老人が離れていくにつれて落ちていく。

 やがて針が飛んでこない距離まで老人が後退りすると、逃げたニンゲンを追うように歩いていった。

「こいつも何か持っているのか……」俺は呟くことしか出来なかった。

 意図せずに左手にある空っぽの無機物を握り締める。


 *


 背中越しに聞こえる銃戟隊の銃声を受けながら、私は辺り一面を見渡す。

 遠くにはまるで地面に線を描いたように一直線に建物が全くない場所がある。道路ではない。その場所をよく見てみると足跡が一定の間隔で刻まれている。そしてその遠くにはまだ火事と思われる煙が上がっている。

 一直線の破壊された場所と煙以外はのどかで静かな世界だった。

「ん?」

 私達がいる建物の下に何か動くものが見えた気がする。一瞬しか目に見えていなかったので何か見間違えたと思った。

 私が後ろを振り返れば、また違う残酷で混沌の世界が広がっている。そのまま前だけを向いていれば閑静で平和な世界なのに。

「隊長!」背中でグンさんを呼ぶ声がした。振り返ってみると銃戟隊の一人が右手首を左手で掴んで、もがき苦しんでいた。しまいにはその場で倒れ込んでしまった。

「どうした⁉」グンさんはケモノに撃っていたライフルを投げ捨てて倒れ込んだ隊員の身体を両腕で支える。

「すみませんグン隊長……ケモノが出たって言うのに先にワタシが倒れてしまうなんて……銃戟隊の恥です……」「そんなことを言うな。スニぺはここまで頑張ってくれた一つの大きな力だ。ありがとう……」

「スニぺ……!」異変に気付いた銃戟隊の隊員がケモノへの銃撃を後にして倒れた隊員に呼びかける。

「ワタシに構うな……ワタシはもう消えてしまう運命だ。だから今は銃戟隊としてケモノの討伐に専念してくれ……」スニぺさんはそう言った。

「スニぺ……」呼びかけた隊員は少し涙ぐみながら銃を両手で握り、またケモノへの砲撃を遂行していった。

 スニぺさんの指先が光に侵食されていく。

「まさかトリゲルに続いてワタシがこの世界から消えていくなんて思ってもみませんでした……まだ生きていたかった……」スニぺさんの目元に滴り落ちる雫があった。

「お前の分まで銃戟隊は頑張り続ける。消える間際まで気張るなよ……」グンさんの口角はぎこちなく上がっていた。

「グン隊長はいつまで経っても笑顔が不自然ですよ……」スニぺさんはグンさんとは裏腹に自然に笑ってみせた。スニぺさんの体はみるみると光になっていく。

「じゃあな。スニぺ……」グンさんはスニぺさんの胸に手を当て、瞼を閉じる。

「この命は銃戟隊、そしてみんなのために捧げた。スニぺ。ありがとう」鳴りやまない銃撃音がスニぺさんの最後を彩った。グンさんの両腕がもういなくなってしまったスニぺさんの形を象ったまま肩を震わす。

「……一体いつになったら隊員の消滅が終わるんだ?……」不自然にライフルが屋上の端に一つ残されている。あのライフルがスニぺさんの手に取っていた最後の武器だった。

「うわああ!」一人の隊員が叫んだ。そしてその隊員は後ろに仰け反った。

「どうした?」グンさんはスニぺさんの温もりを解き、隊員たちのいる方へ目を向けると、次々と針が銃戟隊のほうへと、飛んできている。銃戟隊は地上へ砲撃する隙も無く、針から逃げるしかなかった。

「隊長!このままだとケモノの大群を討伐できません!」

「まずい状況になってしまった……スニぺとトリゲルがいてくれさえすれば……!」グンさんは呟いた。

「もう一度応援を呼ぶ!お前らはできる限り銃撃を続けよ!」

「ハッ」銃戟隊は針を避けながら、ケモノに砲撃する機会をうかがう。

 グンさんは首に提げられた笛を口に当て、息を吐く。

 ピ――――――

 笛の音が冬の世界に再び響き渡る。


「わたしはなにができるんだろう……」銃戟隊とケモノの大群との一部始終を見て、私は何もできていない自分が悔しかった。

 二人の銃戟隊の隊員とアサヒにいた大勢の人たちが光の粒子となって消えていく光景を目の当たりにしている。何もできなかった。何もしなかった。そんな私が悔しい。

 私は瞼を閉じる。


「急げ!」

 瞼の裏に描いている世界では砲撃が続いていた。

「誰か、この笛に気付いてくれ……!」そうグンさんは言い放ち、ホイッスルを鳴らし続けながら銃撃をしていた。

 黒のケモノ達は銃戟隊の砲撃をもろともせずに私達がいる集合住宅の建物へと向かってくる。

「くそ……このままじゃやられる……!」

 屋上の辺りにはいたはずの隊員が生前まで握り締めていた銃が散乱していた。理由もなく突如生命が消えていく悪魔の運命に流されながら光となった隊員たちが。

「もうだめだ!このままじゃ!」グンさんが咆哮する。私に恐怖の寒さが襲い掛かった。

 その瞬間、銃戟隊と私がいる建物が傾き出した。身体がふわりと浮かぶ。

「このままじゃいけない」


 私は瞼を開けた。

「このままじゃ……!」

私の身体は閑静な平和な世界から抜け出した。

 私は山のように積みあがった武器から一丁のライフルを抜き出した。

 上から降ってくる針を避けながら走る。

 ケモノの大群の姿が見えてきた。

ケモノへと銃口を向ける。

「ラナ!何をしている!」グンさんは大声で銃を持った私に問いかけた。


「ラナ!何をやってるんだ?」グンさんの声で我に返った。私が持った銃はグンさんによって銃口が持ち上げられ、空上に弾が発射された。そして私はなぜか屋上の地面で倒れていた。グンさんは私が持ってきたライフルを屋上の中央へと投げた。

「どうしてケモノを撃とうとした?」グンさんは片目で真っ直ぐ私を見つめる。

「私は、このままじゃいけないと思ったから……」私はグンさんの一個しかない瞳から背くように俯いた。

「この銃はラナが扱える代物ではない。己が銃を掴んだのは良かったが、そのままこの銃でケモノを撃てば、ラナはライフルの反動に耐えられなかった」グンさんは言葉を放った。

「己はケモノの討伐へと戻る」グンさんはまた銃撃の場へと戻ってしまった。

 こんなはずじゃなかったのに。

 私はただこのままじゃ。私はただのお荷物になってしまう。

 生きる屍だ。

 私は懸命にケモノの大群に歯向かう銃戟隊の背中をただ傍観することしか許されなかった。


 *


 僕とセニオルは針を飛ばす大勢のケモノからの脅威を抜け出し、静寂を漂わせる道を歩いていた。傾斜がある坂道でセニオルは杖を突きながら目的地へと目指していた。

 この世界はニンゲン界。そして今は四人の能力者によって引き起こされた世界の反転が発生しデス・イレイズ・マインの住人が棲んでいる。

「ヒムトは、わしがなぜ世界を元通りにしたいのか知りたいんじゃろう?」僕はさっきの会話を思い出す。

「はい。僕も人探しをしていて。僕が人探しをしている理由も【二つの世界を元に戻す】ことなので」

「ほう。それなら、わしが世界を元に戻す理由がわかるじゃろ?」セニオルは歩みを止め、僕の方へと振り返る。

「セニオルさんだからこそ分からないんですよ。ゲーム界の人が世界を元通りにしようだなんて僕には分からなくて……」僕は首を傾げた。

「普通のことじゃよ。世界を元に戻したいなんて誰でも思っておる」セニオルは杖を強く握りしめた。

「わしが今いる理由は皆がいたから。そして皆のために動くんじゃよ」セニオルは一度止めた足をまた動かし始めた。

「それってどういう事なんですか?」僕は曲がった腰を追うしかなかった。

 僕にはセニオルの思考回路が全く読めなかった。

 でも僕の探している人とセニオルさんの尋ね人が一緒であれば願いも一緒なはずだ。羅奈には咄嗟に「稔内峡」と言ったが「稔内峡」は探している真の人物ではない。


 アスカとセニオル、そして羅奈と僕が空虚なコンビニにいたあの時。突如送られてきた謎の人物からのメッセージが僕のスマホだけに送られてきた。


「エレクトを探せ」


 *


「隊長!もうこのままではこの建物にケモノが突進してきますよ!」

「ああ。分かっている!早く応援が来ないと身が持たないのに」グンさんは銃撃を撃つ手を止めなかった。

 ケモノの討伐開始から五十分が経過した。私は相も変わらずにこのケモノの討伐に何もできなかった。私は重要なパソコンの荷物を持ってきた、ただ茫然と佇んでいるお荷物だ。銃撃音が右側の耳に伝わってくる。目の前にケモノ達から反撃できる武器の山が存在している。

「もうこのままじゃ」頭の中で八文字の言葉が繰り返し、口の中で八文字の言葉が反芻され、胸の中で八文字の言葉が拍動する。でも動いたらまたさっきと同じようにグンさんに咎められてしまう。頭で考えても、口で喋ろうとしても、胸で流そうとしても何も分からなかった。

 ピ―――――――――

 再びグンさんの笛の音が鳴った。

「誰か一人でも、この笛に気付いてくれ!」グンさんの叫びが銃撃音でかき消された。

 一向に銃撃音は鳴り止む気配はなかった。

「キャーー‼」

 銃戟隊とは反対の方向に子どもの泣き叫ぶ声が聞こえた。しかしケモノに銃撃していた銃戟隊は誰一人として子どもが叫ぶ声に気付いていない様子だった。

 私は重かった腰を持ち上げ、子供の声の方へと走った。そして屋上の端まで駆け抜けた。

 私の瞼が大きく開き、目前の光景を脳裏に焼き付けられた。

「グンさん!こっちに一匹のケモノが突進してきます!」私は声を振り絞った。猛スピードでイノシシ型の大きなケモノが私達のいる建物にもう少しで体当たりをしてくる。

「なに⁉」

 グンさんが私の方へと走り始める頃にはイノシシの頭が建物へ激突し、建物を揺らした。

「なんだ?」「何が起きた?」地面が揺れ、銃戟隊の隊員全員が異変に気付き銃撃をやめ私の方へと顔を向けた。

 頭突きしたケモノの頭がさらに建物を押しのける。

「あいつだな?」グンさんがイノシシのケモノへ標的を変えた。

「銃戟隊!攻撃の手を止めるな!お前たちは大群!己はこっちのケモノを対処する!」

「ハッ!」銃戟隊隊員は銃撃を再開する。

「ラナはその大切な荷物を守れ」グンさんは私が持ってきたキャリーバッグを顎で指す。

「分かりました……」

「ちょっと待て」グンさんは私に呼びかけた。

「ケモノの大群と対峙しようと、武器の山から一丁の銃を持ち走り出したラナの姿は……」

 己の過去に似ていた。

 そうグンさんは言葉を続けた。思わず私は瞼をさらに開いた。

「私が……グンさんと似ていた……?」私はふと呟いた。

 その瞬間、地面が大きく揺れる。

「急げ!もうすぐこの建物は倒れる!」地響きは止まず、踏みしめていた地面がケモノの大群の方に傾き始めた。

「ぐわあああ」ケモノの大群へ砲撃していた銃戟隊が空に身を投げ出されていた。地上の地面には黒の針が何本も突き刺さっている。

 建物がだんだんと傾きながらも、私は屋上の中央に置いてあるキャリーケースへと走る。

 グンさんの咆哮に似た笛の音が鳴り続ける。

 屋上の勾配が上がるたびに私の身体が地上へと堕ちる速さが増していく。そして武器の山やキャリーバッグがヤマアラシの大群へと滑り出していく。

 私の鼓動が早まっていくのを感じた。急がなきゃ。私はキャリーケースへと左手を伸ばす。

 取手を掴めた。地面の角度がさらに増えていく。

「まずい!ラナ!槍を己に投げてくれ!」グンさんが私に向かって叫ぶ。既に武器の山が重力に従いながら、坂となった屋上の地面を転がっている。

「分かりました!」私は武器の山へと走る。幸いに長い槍が一本、まだ転がっていなかった。私は右手で槍を掴めた。私の身体を捻り、私の右手は槍をグンさんへと放った。槍が放物線を描きながら空気を切り裂いていく。そしてグンさんの左手が槍の柄を捉えた。

 グンさんは槍を屋上の地面へと突き刺す。

「あ!」私の間抜けな声が出た。

 突然、私の左手の力が抜けてキャリーバッグがするりと車輪を回しながら転がっていってしまった。


 私の足が地面から、ふわりと浮かんだ。


 寒空にいくつもの身体と黒の針が宙を舞っていた。これが白い雪の結晶であれば、とてもロマンティックだろう。黒の針は私の身体を掠めながら飛んでいく。一本でも身体に針を貫かせたら、一つの命が地の底へと堕ちていく。

 さっきまで頑丈に私達を乗せていた集合住宅は折れ曲がり、私たちの身体は冷え冷えとしたアスファルトの地面へと刻一刻と近付いている。落ちていく私の背後で、銃戟隊の隊員たちは寒い空気に身を任せながら各々手に持った一丁のライフルの銃口をケモノの大群に向け、銃撃音を奏で続ける。

 グンさんも建物の屋上から投げ出され……ていなかった。

「グンさん……‼」グンさんは建物に突き刺した槍に左手で掴まり、針を飛ばす黒のケモノ達に右手に掴まれたライフル銃で射撃する。壊れ落ちていく建物に必死にしがみつくような姿であった。

 ゆっくりと私は落ちていく。抵抗も抗うこともできない寒空の中で私は浮かんでいる。足掻こうとも手を伸ばそうともすべて無意味な世界に浮遊している。手足や背中、肩に冷ややかな風が私を迎えている。スカイダイビングやバンジージャンプの娯楽では感じることのできない罪悪感を抱えた落下だった。

 私は無能だ。

 あの時、私が銃戟隊のいる方とは反対側の地上を警戒さえすれば、銃戟隊も私もアスファルトの地面に打ち付けられる今にはいなかった。

 あの時、私が武器の山からライフル銃を抜き出して、ケモノの大群へ銃撃さえしなければ、グンさんなどの銃戟隊の皆さんに迷惑をかけなかった。

 今、私がいなければ、建物が倒壊して銃戟隊が最悪の状況を迎えることは無かった。

 私は銃戟隊の皆さんに迷惑をかけたまま、身体を地面に落として死んでいく。

 覚悟して瞼を閉じる。


 *


 目の前のモニターが別の映像を映し出した。

 その映像は建物が倒壊していく俺としてはありきたりな光景が映し出している。

「ん?」俺はいずれ倒れる建物の一部を凝視する。

 そこには屋上に槍を突き、そこに片手でぶら下がり、大量のヤマアラシへ片手でライフル銃を使い、射撃している人物がいた。

「こいつは誰だ?」その人物は片目に眼帯を付け、首に笛がかかっている。そして、両腕には包帯が巻き付けられていた。

「あいつもニンゲンの被害者か」俺は口に出した。

 建物が地面に着地し衝撃で破片を飛び散らす。その時、包帯の男の掴まっていた槍の柄が地面へとしなった。

 槍はゴムのように、しなった柄を真っ直ぐへと戻すように空上へ跳ね上げた。

「そうか……!」

 包帯の男は槍のしなりを利用し、身体を宙へと飛ばせた。男は巨体のイノシシのケモノをさらに飛び越し、両手でライフル銃を構え二発の銃弾を放った。銃弾はイノシシのケモノの後足の両方に的中した。ケモノは黒い血を吹き出している後ろ脚を地に落とし、身を伏した。

 包帯の男は自身の身体を傷一つ付けずに着地させた。

 後ろ脚の機能を失った黒の生命体は微力ながら残された前脚を動かし、巨体を仰向けにした。仰向けになったケモノを見た包帯の男はすぐさま黒の巨体へと足を動かした。

 男はケモノの付近まで近寄ると、彼は左足に力を込めて飛び上がった。そして、男はライフル銃を構え直し銃口をケモノの下腹部に向ける。

「じゃあな」男はケモノに向かってトリガーを引いた。


 *


「あれ?私、生きてる?」

 意識が戻ると、寒い空気が私の身体を包んでいた。生きている私の身体は生きた心地がしていなかった。瞼を開けると灰色の空が見えた。私の身体を起こそうと身体を捻ると、さらに身体が落ちていく感触がした。しかし建物の屋上から落下するような死を感じる落ち方ではなく、ベッドから落ちるような日常的な感覚。私の右半身はすぐさま冷え冷えし、固い地面に着地する。

「いたた……」私は左手で右半身を擦った。

 どうやら私の落下地点にキャリーバッグがあり、クッションとして作用したようだ。

 辺りを見渡すと私の近くに建物の残骸が道を塞ぐように倒れている。

 銃戟隊のみんなはどこ?

 見渡してもケモノの巨大な姿しか見当たらず銃戟隊の隊員が見当たらない。

「あうあー……」どこからか文字にも表せないような不気味な呻き声が聞こえてきた。

 見渡しても呻き声の源が見つからない。でも声の元は近くにあるような不思議な感覚に陥っている。

 ふと倒れた建物の残骸を見やった。すると建物の残骸の下に何かが挟まっていた。私はその何かを見るために目を凝らした。

「きゃああ!」私は短い叫び声を出して、口を押えた。

 そこには巨大なコンクリートに圧し潰されている人の手が五本の指を痙攣させながら何かを求めている。手の甲に赤黒い液体が流れる。

 一瞬、心臓が誰かに掴まれたような感覚になる。

 手の周辺に銃戟隊がケモノの大群に向けて発砲していた銃が一丁あった。この手は銃戟隊の肢体と繋がっている。身体は今も建物の残骸と黒く冷たいアスファルトで強く圧し潰されている。


「ラナ!こっちに来い!」私は声がした方向に目をやると、さっき「アトラス」と呼ばれていた銃戟隊の隊員さんが一軒家の陰から私を手招きしている。

「ここにひとり、建物の下敷きになっている人がいます!」私はアトラスさんに建物の下敷きになっている人がいると伝えた。

「わかった!いいから速くこっちに来い!」

「でも……」下敷きになっている一人を見過ごすことになる。

「早くこっちに来い!」やりきれないまま私はアトラスさんがいる場所へとキャリーバッグを引きながら向かった。


「ここは危ない。ラナはどこかに行って避難しててほしい」アトラスさんが私に話した。

「わかりました。避難します」ここで私のできることは何もない。少し落ち込んだ声で言った。

私はケモノがいないか辺りを見回す。するとどこにも一匹もケモノが見えなかった。

「ケモノの大群はどうなったんですか?」私はアトラスさんに訊ねた。

「銃戟隊のいた建物が倒壊したことで、下にいたケモノはバラバラに散らばった。だからどこかにケモノがいてもおかしくない」

「銃戟隊の皆さんは……」

「今把握できている隊員の人数は二人。グンと私しかいない」

「それじゃ、ケモノの大群に勝てるとは思えませんよ」

「ああ、私もそう思う」

「じゃあなんで……」

 ピ――――――

「こうやってグンが笛を吹いて応援を呼んでいる。銃戟隊が来てくれれば状況は好転する」

「銃戟隊……?ほかに銃戟隊がいるんですか?」

「ああ、私たちだけじゃない。他にも私たちと同じように十数名のグループが配置されている。グンの笛は近くにいるグループに助けを求めているんだ」

「そうなんですね……」

「でも他の銃戟隊が来ない今の状況は、あまりにも不利だ」

「じゃあ!すこしでも多く、生きている銃戟隊の隊員を助けたらいいんじゃないでしょうか!」私の口は放った。

「一体、どういうことだ?」

「はい。少なくとも一人はあの建物の下敷きになってます」私は命を乞う手に指をさす。

「あの倒壊した建物の下に隊員がいるってことか」

「そうです。ケモノの討伐ではなく、今ある命を助けましょう」私は咄嗟に足を踏み出し、隊員にのしかかった建物へと向かい始めた。

「ちょっと待て!ラナ!」アトラスさんは私の肩を掴んで制止させた。

「なら銃戟隊の一人を見過ごせっていうんですか!」

「私だって隊員を助けたい。しかし、もしも隊員を救えたとしても、その隊員は大きなダメージを受けている。戦えるほどの力はあまり残っていないだろう。そして何より隊員を助ける手立てがない。ラナと私、そしてグンの三人で倒壊した建物を退かすことはできない。ケモノがどこに居るのかわからなくなっている今、いつケモノに襲われるか分からない。救い出すのはケモノの討伐が終わった後だ」

 アトラスさんは言葉を続けた。

「それに、下敷きになった隊員は自身の存命を一番に望んじゃいない。グンは銃戟隊に入れさせないだろう」アトラスさんは物陰から辺りを警戒する。

「この不利な状況の中、私たちができることをするんだ」アトラスさんは物陰から飛び出し、ライフル銃のトリガーに指をかける。

 そこには一匹のケモノがいた。

 鉛の弾丸が数発、ケモノへと向かっていった。

 ケモノの身体に付いた針はアトラスさんの弾丸で折れていく。しかしケモノの肉体までは届かず、ダメージが通っていないようだった。

 アトラスさんは物陰に戻った。

「ケモノを倒す。これが今できる私の最大の突破口だ」アトラスさんは再び物陰からケモノを偵察する。

「私ができることをする……」私は言葉を反芻した。

 ピ――――。グンさんのホイッスルだ。

「グンはこうやって助けを呼んでる。グンができることだ」アトラスさんはそう放った。

「ケモノの大群、残り十二匹」アトラスさんは呟く。

「グンと話しているとこ盗み聞きしたが、そのバッグの中には大事なものが入っているのだろう?ラナは逃げたほうがいい」

「おかあさん!おとうさん!」子どもの泣き叫ぶ声が聞こえてきた。

 私は静かに考えた。

「アトラスさん、私ができることを見つけました」

 キャリーバッグを引き、私は子どもの声がする方向へ駆けだした。

「はは。ラナはいい奴だ」アトラスさんははにかみながら呟いた。


 *


「ふー。ようやく目的地が見えてきたのじゃ」僕とセニオルは【ウェスト】へ歩みを進めた。僕は目を凝らすと急坂の先にある【ウェスト】の体育館が微かに見えた。急坂の両脇には木々が生い茂っている。その木々が急坂の道を覆っており、太陽の光があまり入らない道となっている。僕から見て右側にグラウンドを照らすようなライトの鉄柱が木々の枝の隙間から見え隠れしている。

「ここにセニオルさんの待ち人がいるんですか?」

「ここに待ち人がいればの話じゃがな」セニオルは杖で身体を支えながら【ウェスト】の体育館へと歩いていく。

「ここが本当に町なんですか?」僕はセニオルに問いかけた。

「そうじゃよ。どうしたんじゃ?」セニオルは僕の質問に怪訝そうに応答した。

「町なのに人気が無いように感じるんですが……」【ウェスト】に人の気配がないように僕は思えた。

「どうして人気が無いように感じるんじゃ?」

「ほら、町は人がいて雑音がするのに、【ウェスト】はやけに静かだと思うんですよ」セニオルは僕の言葉を聞いて耳を立てた。

「確かにそうじゃな。町のみんなでお昼寝でもしとるんじゃないか?」

「そうだといいんですけど……」僕は立ち止っていた足を体育館へと進めた。

「すみませーん!」突然、僕の後ろから女の人の声がした。振り返ってみるとポニーテールをした若い女の人が両手に大きいゲージを持ってこっちに走ってきている。

「【ウェスト】の人ですか?」女の人は走りながら僕たちとの距離を縮めて質問した。

「すまん。わしたちは【ウェスト】の人ではない。ここに用があって来たってとこじゃよ」

「そうなんですね。私も同じくここに用があって来たんですよ」そういって女の人は両手に抱えた大きなケージを地面に置いた。そして一つのケージの扉を開いた。するとそこに茶色いネズミと小さなイノシシが一匹ずつケージの隅にこじんまりと寝ている。僕はケージの大きさの割に動物の数が少ないように思えた。

「この子達、弱ってしまって……どうすればいいか分からないんです」女の人は少し暗い顔でケージの中の二匹に目を向けている。

「ちょっとそのケモノの状態を見せてくれんかのう?」セニオルはケージへと近付く。女の人はセニオルさんのお願いにうなづいた。

 セニオルは開いたケージの扉に手を入れ、弱った小さな二匹の動物を掌で包み込み外へ出した。そしてセニオルは二匹の動物の身体を手で転がしながら目視している。

「もう一つのケージには何か入っているんですか?」僕はセニオルさんが動物の身体を見澄ましている間に僕の疑問を女の人に訊いてみた。

「ああ。いえ。こっちのケージには何にもいなくて……」女の人は少し俯いた。

「何かあったんですか?」女の人は何かを含んでいる息を漏らした。

「実は元々このケージにもケモノがいたんですけど、私の不手際で逃がしてしまって……今こうやって私の元にいるケモノは元気が無くて調子が悪そうな二匹が残って。ネズミ型が十二匹、イノシシ型が一匹、どこかへ行っちゃって……」


「これは……結構危ないかもしれんのう」セニオルは呟いた。

「本当ですか……」女の人は悲哀の声を漏らした。

「このケモノ、元々は茶色の毛並みじゃろ?」

「はい。そうです」

「ケモノに黒のまだら模様が出てきてしまっている」確かに茶色と黒色の毛が混ざっている。

「一刻も早くどうにかせんといかんな……」セニオルも悲哀の声を出した。

「ケモノに詳しい医者に治してもらうか、もしくはケモノを殺すか」セニオルの一言で、僕と女の人は息をのんだ。

「嘘ですよね?私のケモノを殺すって……」女の人はセニオルに問いかける。

「あんたは【ケモノ使い】じゃな?」セニオルは女の人に質問をした。

「【ケモノ使い】?それってなんですか?」僕はセニオルの言葉に疑問を持った。

「ケモノと共に生きる者じゃ。彼らは狂暴化した黒いケモノとは違う温厚なケモノと共存しておる。ほらあれ」セニオルは女の人の左腕に指差した。そこには紋章が描かれた腕章が二の腕に巻き付けられている。

「あれが【ケモノ使い】である印になる」セニオルは僕の疑問に応えてくれた。

「あんた【ケモノ使い】でも新人じゃな?」セニオルは女の人に向けて喋る。

「はい。【ケモノ使い】でも、つい先日ケモノを調教できたばっかりで全くわからなくて……」女が着けている腕章は少し真新しかった。

「そうか。ならケモノの医者を探して、このケモノ達を治さなければいけないな」セニオルはケージで眠っているケモノに目を向けた。

「そうじゃ。名前を聞いていなかった。あんたの名前を教えてくれんか?」セニオルはケモノが入った一つのケージを持ち上げる女の人に訊いた。

「そうですね。私の自己紹介がまだでしたね。私はベアスト。これからよろしくお願いします。あなたの名前はなんですか?」ベアストは僕の方に手の平を上にして指した。

「僕は陽向人です。こっちのセニオルさんと一緒に旅みたいなことをしています」

「へえ。そうなんですね」ベアストさんは頷きながら僕の言葉を聴いてくれた。

「さあベアスト。あんたのケモノが手遅れにならないために早く行くんじゃぞ」セニオルは杖を突きながら【ウェスト】へと歩いていく。

「はい!」ベアストは空のケージも持ち上げ、セニオルの背中を追う。

 僕もベアストと同じくセニオルの後についていく。

 しかし、僕の足が数歩進み、僕は右側のグラウンドがある方へとチラッと視線を向けた瞬間、僕の身体は前進することを拒んだ。

 僕の網膜にセニオルとベアストが抱いている願いとは裏腹に存在している現実の状況がありありと映し出されていく。僕がいた町【アサヒ】と一緒の色調なのに【ウェスト】は違う町だとはっきりわかった。

「ヒムトくん?どうしたの?」セニオルの後を追って【ウェスト】の体育館へと向かっていたベアストは僕が立ち止まっていたことに気付いて、僕に近づいてきた。

僕は確実に耳に入っているベアストの声が分かっているのに、ベアストに言葉を返そうとすることが出来ず、【ウェスト】の現実を真に受けることが精一杯だった。

「本当にどうしたのですか?」ベアストは僕が見ている【ウェスト】の現実を目にした。

「え」ベアストは両手を塞いでいた二つの大きなケージを地面に落ちるように手を離した。そして両手で口を押えた。

「どうしたんじゃ二人とも」セニオルは僕たちが【ウェスト】のグラウンドを見ていることに気付き、【ウェスト】の光景を目の当たりにした。

「ま、まさか……」

【ウェスト】のグラウンドにはテントの支柱がまばらに倒され、引き裂かれたテントの屋根が散乱していた。

まるでケモノに襲われた後の【アサヒ】の様だった。


 *


「おかあさん!おとうさん!」子どもの泣き叫ぶ声が戦場に響いた。

「泣いてる……どこなの!」私はキャリーケースを引いてケモノの大群がいる反対方向に子どもの声の元へと走り出していた。

「どこにいるの⁉」私は子どもに大声で聞く。

 ケモノがどこに居るのか分からない。私は銃を使えなくてケモノを倒せる力がないのに、子どもだともっと倒せるわけがない。

「おかあさん!おとうさん!」子どもの声には混乱が混じっていた。私の足は止まらなかった。泣いている子どもがどこにいるのか手探りだった。

走っているとイノシシのケモノが黒の粒子を放ちながら息絶えていく姿が見えた。そしてケモノの影からグンさんが出てきた。

「グンさん!」私は呼びかけた。

「ラナ。無事だったんだな。良かった」グンさんの口から安堵の息が漏れた。

「おかあさん!おとうさん!」子どもの叫びは止まずに辺りを響かせていた。

「子供を探すぞ」グンさんはライフル銃を担ぎながら子どもを探しに走っていった。

「おかあさん!おとうさん!おかあさん!おとうさん!」声の元へ近づくとともに、叫びが大きくなっていた。間違いなくここら辺にいる。

「おかあさん!おとうさ……」

見つけた。子どもは私の姿を見て叫ぶことをやめた。倒壊した集合住宅の入り口で喚いていた子どもがいた。私は子どもの姿を見て、はっと驚いた。

「リフレ君……!」今、アサヒでレボルさんと一緒にいるはずじゃ……!

「グンさん!こっちに来てください!」グンさんに呼びかける。リフレ君の胸にはサッカーボールの大きさの球が抱えられている。

 グンさんは駆け寄ってくるとリフレ君の姿を見て、目を丸くさせた。

「リフレ……!」グンさんは恐怖で縮こまったリフレ君を抱擁した。

「おとうさん……」リフレ君はお父さんの大きな体に包み込まれ、目から涙をこぼした。

「大丈夫か?怪我はしてないか?」グンさんはリフレ君への抱擁を解き、小さな身体を見回す。リフレ君の顔面には黒い汚れが付着している。瓦礫から出てきた粉塵だと思う。

「うん。大丈夫」リフレ君はグンさんの質問に頷く。

「そうか。久しぶりにリフレの顔を見たが、少したくましくなったんじゃないか?」

「……そうかな?」リフレ君は照れ臭そうに、はにかんだ。

 ガタンガタン

 建物が小刻みに震った。建物にひびが入っていく。

 グンさんの顔が怪訝にまみれた。

「ラナ。リフレを守っていてくれ。ケモノの討伐に本腰を入れる」

「分かりました。討伐頑張ってい下さい」

 グンさんは私の言葉に軽く頷き、一丁のライフル銃を担ぎ直しリフレ君を置いて闘争の場へと走り出した。

「リフレ君、ここは危ないから逃げるよ」私はリフレ君に呼びかけた。するとリフレ君はうなづいてくれた。

 ゴトン。

 建物の入り口から鈍い音がした。目を動かすと大きな建物の破片が砕けていった。

「たしかに危ない……」リフレ君はぼそっと呟いた。

 私は右手にノートパソコンが入ったキャリーバッグ、左手にはリフレ君の手を握り、その場から離れた。


 *


 グンは銃撃音が鳴り響く戦場へと走った。走りながらライフルを構え直し、戦闘準備に入る。あと数歩でケモノ一匹が闊歩している道へと出る。グンはトリガーに指をかけ、建物の影から飛び出した。

 すると横からグンの身体へと黒い針が飛んできた。グンは身体を翻し、針を避けた。一度踵を返し物陰から辺りの状況を窺う。

「銃戟隊はどうしてる?」グンはそう思いながら目を光らせる。

 グンの右耳の鼓膜には荒いケモノの呼吸の音が届いていた。グンはケモノとは反対の方へと目を向ける。

「あれは……!」

 道端に銃戟隊の隊員がこめかみや胴体から血を流していた。

「イラア!ラクト!ケミまで……」グンが見る限り六人の隊員が戦闘不能な体となっていた。

 さらに奥へと見ると、さっきまで銃戟隊や羅奈が居た建物の屋上の塊が道を塞いでいた。

 道に倒れている銃戟隊の隊員の手当てを今すぐしたい欲求がグンには溢れていたが、物陰から飛び出せば、右からケモノが身体を貫くために黒の針を飛ばしてくる。一本の針を避けるならまだしも六人の手当てをすることは無茶だとグンは感じている。

 銃戟隊としてケモノと対抗するために武器を取った同志が遭えなくこの世界から消えてしまう。

 すぐさま首から下げた笛を手に取り、吹き口に唇を当てる。すると笛の音が戦場に鳴り響く。

 壊滅状態にあるグンが率いる銃戟隊は誰かの救いが無くては死滅する。

「どうか……本部に届いてくれ」グンは首元にかかった笛を吹き続ける。

「隊長!」

「おお!アトラス!生きていたのか」どうやらアトラスが笛の音を頼りに来たらしい。

「今の状況はどうだ?」グンはアトラスに訊く。

「はい隊長。ケモノの大群は計十二体。建物の倒壊でケモノは散らばっています。ケモノは針を飛ばさずに警戒しているようです。未だに隊員の生存確認はできていません。恐らく隊長と私しか生存できていないと思われます」

「いや、六人の隊員があそこで倒れている。あの六人を物陰へと動かすぞ」

「わかりました隊長」アトラスとグンはライフル銃を背中にかけながら、倒れた六人へと駆け寄る。

「アトラスはケモノが針を飛ばしてこないか見張っていろ。己が運ぶ」

「隊長大丈夫ですか?」アトラスは包帯で覆われたグンの両腕を一瞬だけ見た。

「大丈夫だ」グンはイラアの背中と膝裏に腕を回し、抱き上げる。

「うぅ……」グンはイラアを持ち上げようとした途端、両腕に激痛が走り、腕を手で押さえた。

「隊長!ここは私がやります!」アトラスはグンに代わって、隊員の移動をしはじめた。

「隊長はあまり動かないでください。症状が進行してしまっては私たちにとっても困るんです」

「すまない……アトラス」グンは包帯で巻かれた右腕を左手でさすった。

 グンは肩で息をしながらケモノが来ないか見張っている。グンは遠くで銃撃音が聞こえた気がした。


 アトラスは六人の隊員を物陰へと動かし終わった。

「このままではケモノの大群を討伐できず、周りの町に大きな被害に見舞われてしまいます。隊長どうしますか?」アトラスが訊く。現在でも銃戟隊に大きな被害を受けている。

「しかし、己たち銃戟隊がケモノから逃げてしまってはケモノを野放しにすることになる。ケモノが町を破壊することは銃戟隊が存在する意味を失くすことに繋がるんだ」

 グンは両手でライフル銃を強く握りながら、目を瞑って過去にあった出来事を思い出す。


 *


 己が青二才の頃だった。

 己は森に囲まれた町とも言えない一つの集落にいた。この集落はこじんまりとしていてとてものどかだ。さっきまで集落には雨が降っていて、ところどころ水溜まりができている。

「グン!そこの薪を割って窯炉に焼べてちょうだい」この集落の長老が己に頼んだ。

「わかりました。長老」

「グンはもう少し笑って言った方がいいんじゃないの?」昔からの親友であるスぺアルは己に笑いながら言う。

「こうやって笑えばいいのか?」己はスぺアルに向かって最大限の笑みを浮かべる。

「なんだその顔。トラみたいで面白い変顔だと思う」スぺアルは己とは違って自然に笑みをこぼす。

「これは変顔じゃない」己はスぺアルに言い放つ。

「ははは!おもしれえ!」集落の子どもたちが己の顔を指差して笑う。

「すみませーん!こら、人の顔を見て笑ってはいけません!」集落のこどもたちにレボルが言い聞かせる。

「大丈夫だ」己はそう言いながら別の笑い方をしてみるとスぺアルが己の顔を見て、腹を抱えながら笑い声をあげる。

「だから笑いなってば。大丈夫じゃないように聞こえるからさ」スぺアルは手をたたきながら笑う。己は笑っているつもりなんだが……

「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか……ぷぷ」レボルは己の顔を見ると吹き出して笑った。

「あのレボルが笑ってる!そんぐらいグンの変顔面白いんだよ!」

「だからこれは変顔じゃない」

「早く薪を割ってちょうだい!」長老が己たちに叱咤する。

「ごめんなさい。今すぐやります」


「子どもたちを寝かせに行きますから、私に何か用があったらこの家に来て要件をお伝えください」レボルははしゃぐ子どもたちの背中を押して歩きながら、控えめな大きい声で己に喋る。

「わかりました。スぺアルにも伝えておきます」己がそう言うとレボルと子どもたちは丸太で作られた家へと入っていった。

 己は窯炉の近くで薪を割るために丸太を切り株の中心に置く。己の耳にはまだ眠気が無い子どもの笑い声が絶えず流れてくる。

「なあグン!今日の晩飯の準備は出来たか!」スぺアルは肩にクワを担ぎながら己に訊く。集落の食事は大釜で調理し、集落の皆に分配する。

「あ、ごめん。まだ準備できてない」己は集落の食事の準備をしていなかったことを思い出し焦る。

「今からすぐに食事の準備をする」己は手に持っていた斧を切り株の横に置き、炊事場に向かって走る。

「いいからいいから」スぺアルの言葉で己は足を止めた。

「晩飯の準備は俺がやっておくからグンは薪割りを続けていてくれ。晩飯の準備は俺かグンしか出来ないからな」

「そうだな」グンは辺りを見る。レボルは子どもたちの世話役を担っており、子どもたちの親は木でできた槍を持って集落の周りを見回ってケモノの警備をしており、普段の長老は家に籠って揺り椅子に揺られながら編み物をしている。

 集落の仕事である、薪割り、農作業、炊事、洗濯、家の修繕などの雑用はスぺアルと己の仕事だ。

「じゃあまたなグン。早くしないと窯炉の火が燃え尽きるよ」スぺアルは顎で窯炉を指して炊事場へと行ってしまった。

 己が窯炉に見やると火が消えそうになっていた。風が窯炉の中に入れば火が無くなってしまいそうだった。窯炉の火が消えてしまうと再び火をつけるのに時間を要してしまう。己は切り株の周りに散らばっていた薪を抱えて窯炉の前へと急いだ。薪を窯炉に焼べる。すると消えてしまいそうだった火は己が入れた薪によって燃え広がった。

「グン!火をもらいに来た!」スぺアルは火が付いていない松明を持って窯炉に来た。

「ああ。持っていって」己はスぺアルが松明の先端を窯炉へと入れて、先端に火が灯ったことを確認する。

「ありがとう。これから煮炊きするから……」

「逃げろ!速く!」

 突然、周りを警備している大人たちが集落へと叫び声を上げながら戻ってきた。大人たちの手には槍を持っていなかった。

「グン!スぺアル!逃げろ!ケモノがこっちに襲ってくる!」大人たちは背後から追ってくるケモノに怯えながら足元の水溜まりを気にせずにバシャバシャと水の音をあげて走ってくる。

 パ―ン

 突如、重い金属のような衝撃音が集落に鳴り響いた。初めて聞いた音だ。

 衝撃音が鳴ると、次に木々のなぎ倒される音が次々と響いた。

 大人たちは迫ってくるケモノをたびたび確認するために後ろに振り向き、躓きながらも逃げていく。子守りで家にいた女性も赤ちゃんを抱えて家を飛び出して逃げている。

「ちょっと!危ない!」スぺアルは走ってきた大人にぶつかり、火の灯った松明を片手に倒れてしまった。己はすぐにスぺアルに駆け寄って手を伸ばし、スぺアルを立ち上がらせた。

「早く逃げろ!この集落は破壊される!」次々にすれ違う大人たちが己たちに向かって呼びかけてくる。

 パ―――ン

 二回目の破裂するような金属音が鳴り響く。ケモノの足が鳴らす地の衝撃の音。木々が倒れる音。逃げていく人の足音。松明がぱちぱちと燃えている音。そして己の心臓が高鳴る音。

「あ!長老!」スぺアルは言葉を放った。スぺアルと己があたふたしている長老を見つけ、駆け寄った。

「グンとスぺアル、今何が起きている?パーンの音はなんだろう?」

「この集落にケモノが襲ってきます!その音は分からないですけど、とにかく逃げましょう!」スぺアルがそう言いながら長老の手を引く。

 パ―――――ン

 だんだんと破裂する金属音と木の倒される音が近付いてくる。ケモノから逃げる大人たちの足音はこの集落から無くなっていく。

「ちょっとグン早く逃げないと!」スぺアルはケモノが襲い掛かってくるであろう方向に向いたまま立っている己に言った。

「みんながみんな同じ方向に走ったら、ケモノは逃げている己たちを追うだけだ」

「だから何だって言うんだよ!」スぺアルは己に叱る口調で叫ぶ。

「己が囮になる。スぺアルと長老は逃げてくれ」

「何言ってんだよグン!馬鹿なこと言うな!」

「馬鹿だと思っていい!みんなが助かるならば、己は命を投げ出してすすんで馬鹿なことをする!」

「違う!俺が助かっても、グンがいなくなったらみんなが悲しむだろ!」グンは長老の手を離し、己の胸ぐらを掴む。

「みんなが助かれば、己の命なんてどうでもいい!」

「どうでもよくない!自分のおかげでみんなが助かると思うな!もしグンが亡くなってみんなが助かったとしても、みんなは、『俺たちのせいでグンが死んでしまった』とグンを死なせてしまった責任を一生抱える!少なくともグンを死なせてしまった責任を俺は背負いたくない!」

「じゃあどうすればいいんだ⁉」

「死ぬな。生きろ。それだけだ」

 パ―――――――ン

 四回目の重い金属音が鳴る。

「長老は逃げてくれ。あとで集落のみんなを迎えに行く」スぺアルが長老の肩を叩きながらケモノが織りなす轟音の方へと足を運ぶ。

「分かった」己とスぺアルとの会話を聞いていた長老は一言だけ言い放ち、高齢者ながらしっかりとした歩調で大人たちが走っていった方向へと向かい、森の中に消えていった。

 パーーーーーーーーーン

 もうすぐでケモノはこの集落を襲ってくる。轟音が己たちに近づく。

「助けてくれええ!」

 轟音がする方向の森から人が二人飛び出してきた。一人は金属で作られた槍を持った女性、一人は黒くて長い金属のような物体を持った男性。男性が持っている物体は己が生きてきた中で見たことが無い謎のものだった。

 男性は黒くて長い物体を背後に向けた。

 パーーーーーーーーーーーン

 黒くて長い物体から重い金属音が鳴り響いた。どうやらさっきまで鳴り響いていた破裂するような金属音は男性が持つ物体から発せられたようだ。

「あ!」男性は走りながら手に持っていた黒くて長い物体を地面に落としてしまった。男性は落としてしまった物体を取りに後ろへ向いた。

「銃はもういいって!逃げないと!」女性が立ち止まり、男性に話しかけた。

 木々のなぎ倒される轟音が止まった。

 黒のケモノが深い森林の中から姿を現した。あとで知った知識によるとニンゲン界の動物で表すとクマのようなケモノだった。ケモノは集落の周りに群生している木々の約二倍の高さだ。己たち人より一回りや二回り、いや、三回り大きい。四足歩行で左前脚と左後脚、右前脚と右後脚、交互に動かしながら前進してくる。クマ型のケモノの脇腹にこの集落の大人たちが持っていた木でできた槍がまとまって沢山突き刺さっていた。そこから黒い液体が垂れているが、クマ型のケモノはもろともしていない。

「行け!」女性が金属でできた槍をクマ型のケモノに向けて投げ放った。槍はケモノの目と目の真ん中に刺さった。ケモノは一瞬狼狽したが、すぐに立て直して前進を繰り返す。

 女性は槍の行く末を見届け、男性に近寄る。

「このまま逃げよう!」女性が言うと男性は軽く二度頷き、ケモノから逃げていく。やがて集落のみんなが走っていった森の中へと二人は消えていった。

「さあグン、これからどうする?」スぺアルが己の肩に手を置く。

「今から……ケモノを討伐する」己はクマ型のケモノに眼差しを向けながら言い放った。

「おっけ。俺たちが死んでみんなのための足止めをするより、俺たちもみんなも生かしてケモノを討伐。人は死ななくて済む。ケモノを殺すなら長引かせてケモノに暴れ回れて集落を荒らされるより、早く討伐した方がいいね」己の肩に置かれたスぺアルの温もりが離れていく。

「あ、これ持ってて」スぺアルは片手に持っていた先端に火の灯っている松明を己に差し出す。己は頷き、松明を手に取る。

「ちょっと待て」己はそう言ってスぺアルを止めた。

「武器も持ってないのにどう討伐するんだ?」スぺアルは両手にナイフも弓も槍も持たず、手をぶらぶらさせている。己の言葉を聞いたスぺアルは鼻で笑った。

「まあ見てなよ。グンより俺は馬鹿じゃない」そう言い捨てて駆けていった。

「ちょっと……!」止めようとした己の言葉はスぺアルには届かず、スぺアルの背中が遠ざかっていった。

 スぺアルも己もケモノを討伐したことが人生で一度も無い。それが小型なイノシシのケモノでもネズミでも殺生をおこなったことはない。この集落から己とスぺアルは出たことが無く、集落に襲ってくるケモノはだいたい大人たちが討伐をしていた。これが初めての討伐となる。

 スぺアルがケモノに向かって駆けていく。突然、スぺアルは木でできた家の壁を登りだした。壁は丸太を積み上げて作られており、丸みにスぺアルの手足を引っかけてすいすいと登っていく。

 壁を登り、次に三角屋根を上っていく。壁とは違い、傾斜が緩やかになったため壁に上っているときよりもスピードが速くなる。

「よし」スぺアルは三角屋根の頂点に仁王立ちで構える。

「はー!久しぶりにここに上ったけど、やっぱいい眺めだったんだな!」スぺアルは余裕そうに腰に手を当てて集落を眺める。

「さて、討伐するか」スぺアルは身体を前に倒し、前傾になる。すると走りながら集落に建っている三角屋根に飛び移ってクマ型のケモノへと向かっていく。颯爽と飛び回るスぺアルの表情はケモノに怯えずに楽しんでいる。子どものような純粋な心で建物から建物へと伝っていく。やがて集落の一番端にある家の屋根へと飛び移った。

「さあケモノ!覚悟しとけ!」スぺアルはそう言い放ち、屋根から飛び上がった。

「待て!」己はスぺアルの跳ぶ姿を見て叫んだ。スぺアルは素手の丸腰で何も持たずにケモノの頭へと飛んでいたのだ。このままではケモノへと生身で死に行くのではないかと思った。しかし己の言葉がスぺアルの耳に届いた頃にはスぺアルは空中に身を投げ出していた。

 クマ型のケモノは大きな口を開けてスぺアルを待ち受けていた。スぺアルの身体はケモノの口へと投げ出される。

 次の瞬間。

 スぺアルはケモノのとがった鼻に片手で掴む。スぺアルは間一髪のところで難を逃れた。

「いやー!ヒヤヒヤしたぜ!」スぺアルはケモノの鼻にぶら下がりながら己に向かってピースサインをした。

「よし、次だ」スぺアルはそう呟いて腕に力を入れ、自らの身体を持ち上げてケモノの鼻の上に登る。

 その時だった。武器もなしにケモノに飛びかかったスぺアルの目的が分かった。

 ケモノの目と目の間に女性が刺した金属でできた槍をスぺアルは引き抜き、その先に付いた刃でケモノの皮膚を切り込んだ。

 切るたびに槍はケモノの返り血で黒く染め上がっていく。

【グオオォォォーーーーー】

 すると傷を受けたケモノはうなり声を上げながら顔にいるスぺアルを掃おうと何度も手で顔を撫でる。

 スぺアルはケモノの攻撃に耐えられず、掃い落されてしまった。

スぺアルの身体が空中に投げ出される。手に持った槍を空へ放ち、スぺアルの姿は森林に消えてしまった。

「スぺアル‼」己の身がスぺアルの着地点へと走った。

空中で放物線を描きながらケモノの背中に槍が刺さったが、ケモノは顔にできた傷跡を片手で覆いながら二本の足で立ち上がった。そして集落の方へと歩いてくる。

 あとは己、一人だけ。

今思えば討伐慣れをしている大人でさえ倒しきれなかったケモノが集落に襲い掛かった。屈強な大人たちで敵わなかったケモノに弱弱しいうぶな己たちでは到底敵わない。ケモノを討伐しようとした己たちがバカだった。という理屈を頭の中で思い浮かべていた。いや、思い浮かべてしまった。

スぺアルの言葉が思い起こされる。

「少なくともグンを死なせてしまった責任を俺は背負いたくない!」

 己も同じだ。スぺアルを死なせる責任を背負いたくない。

 死ぬときは己とスぺアル、グンとスぺアル、一緒に命を投げ出そう。命を懸けよう。命を賭けよう。そうしたらお互いに責任をもって死ねる。

 己の足は自然にスぺアルの元ではなくケモノへと向かっていった。なびく炎をつけた松明を手にしながら。

 命を張ったスぺアルの行動を無駄にはしない。己は家の間隙を縫って水溜まりに足を突っ込みながらケモノの足元へと向かう。ケモノは顔の痛みでたじろいでいる。こちらには気付いていないようだ。今がチャンスだ。

 だんだんと黒い巨体がさらに大きく見える。ケモノの毛並みが鮮明にわかってくる。ケモノの荒々しい呼吸が耳に聞こえてくる。短く速いリズムでケモノが呼吸している。

「いけ!」松明をケモノに目がけて放った。木でできた槍が刺さった脇腹を狙って。

 松明に灯った火が脇腹の槍に移る。火は槍を起点にケモノの毛に少しずつ燃え広がる。

「やった!」思惑通りに事が進んだ。これでケモノが焼き死ねば討伐完了だ。

【グオオオォォォーー】

 しかし突如、ケモノが暴れ出した。

 脇腹の火が肉体にダメージを負わせるが、そのダメージに耐えきれずに暴走してしまった。ケモノは四足歩行になって集落へと向かってくる。ケモノは雨でできた水溜まりに足をつけて飛沫を上げながら走っていく。ケモノの毛に点いた火が少ししか燃え広がらず、水飛沫で消えてしまった。

 甘かった。『火をつけられたケモノが黙って焼き死ぬ』という想像は現実にはそう簡単に叶わなかった。ケモノにはそう簡単に敵わなかった。

 ケモノがこっちに来る。

 咄嗟に己は横へと避けた。ケモノは避けた己を無視して直進する。そして集落のみんなが逃げていった方向へと、ケモノは無慈悲に集落の家を体当たりして破壊しながら進んでいく。

「このままじゃ……!」最悪の事態が起こる。スぺアルの行動が水の泡となる。集落が壊れる。集落のみんなを巻き添えにする。

 己は見知らぬ男性が落とした黒色の長いものを目にした。これが【銃】との出会いだった。銃へ私の身体は止まらずに突き進んでいく。

「うわあああああ」己は叫びながら一丁の銃を手に取り、動く黒の生命に銃口を向け、トリガーを引いた。

 パーーーーーーーーーーーン

 重い金属音が鳴り響いた。これが【銃】との出会いだった。

銃の反動で身体が後ろに持って行かれて、地面に倒れた。銃口から弾丸が放たれて黒の巨体を貫く。ケモノが集落の端にある家の壁に穴をあけた瞬間だった。弾丸は燃やした深い傷に当たり、黒の液体を溢れさせながら巨体は倒れた。

「討伐……できたのか?」己の身体を立ち上がらせ、巨体が集落のなかで寝転んでいるのを見て、そう思った。

 黒の巨体の四肢が細かい粒子へとなり、消え去っていく。

 金属が地面に落ちた音がした。金属の槍が落ちた。

 やがて黒の巨体は全て空へと消えていった。

「お?討伐できてんじゃん」森林から声がした。振り向くと傷だらけになったスぺアルが片足を引きずりながらこっちにゆっくりと歩いてくる。

「スぺアル……!」スぺアルの元へと己は走って行った。

「大丈夫か?己が『ケモノを討伐する』って言ったせいでこんなボロボロに……」

「良いってこった。集落のみんなが無事で、ケモノも討伐できた。なら全然いいじゃない」

「よかった……スぺアルが死んでしまったかと思った」

「な訳ないだろ」スぺアルは何事もなかったように自然に笑った。スぺアルは周囲を見て言葉を続けた。

「集落が破壊されてしまったな。ま、また造ればいいじゃん」

「たしかにな。己も集落を造ろう」

「じゃ、集落のみんなを呼んでくる」スぺアルが深い森林へと入っていった。

 周りを見るとスぺアルの言う通り、集落は破壊されて変わり果てた姿になった。修復作業が大変になるだろう。

「えっうえっ……」泣いている声がどこからか聞こえてきた。

 泣き声がする方向へ歩いていく。穴の家の中からだ。己は走っていき穴から見る。

 そこにはうずくまった一つの背中があった。己はその背中を見た瞬間、名前を呼んだ。

「レボル!」駆け寄るとレボルは子どもたちをハグしていた。子どもたちが肩を揺らしながら泣いていた。

「グン!」レボルがこっちを向くとハグしていた手を解き、子どもたちを離した。子どもたちは泣くことをやめた。レボルは立ち上がって己に真っ直ぐと向き合った。

「レボル、みんな、どうしてここに……?」己は質問した。ケモノがこの集落に襲ってくる前、レボルと子どもたちはこの家に入って昼寝していた。

「寝ていて、起きたらケモノが来たって大人たちが言っていたけど、子どもたちが怖さで動けなくて逃げそびれちゃって……」

「そうだったんだな……」レボルは子どもたちを守るために残っていたんだ。そう己は思った。


このことがきっかけで己が銃、スぺアルが槍を使いケモノを討伐したことで【銃戟隊】を結成した。ケモノからみんなを守るために結成された。最初は一つの小さな集落からできたちっぽけな組織から、様々な場所からみんなを守りたい有志が集まる大きな組織へとなった。



「このままではケモノの大群を討伐できず、周りの町に大きな被害に見舞われてしまいます。隊長どうしますか?」アトラスがグンに訊ねる。

「しかし、己たち銃戟隊がケモノから逃げてしまってはケモノを野放しにすることになる。ケモノが町を破壊することは、銃戟隊が存在する意味を失くすことに繋がるんだ」

グンは長い間、目を瞑って考えをめぐらす。アトラスもグンを見つめて黙る。

「アトラス、お前はあの日を覚えているか」グンは長い沈黙を破り、アトラスに訊ねる。

「あの日……」アトラスはグンの言葉を繰り返した。

アトラスはすぐにあの日を思い出すことができた。

アトラスは幼い頃、グンとレボルと一緒に小さな集落に暮らしていた。集落にクマ型のケモノが襲ったとき、アトラスは集落の子どもたちとお昼寝をしていた。皆が逃げようとする中、アトラスは恐怖で脚が動かず、逃げられなかった。レボルはそんなアトラスを見て、子どもたちを抱えて家に籠ることを決めた。もしグンが集落に襲い掛かるケモノを討伐することを選ばずに逃げていれば、アトラスは今を生きていない。

「あの日、己とスぺアルは逃げた集落のみんなを助けようとケモノを食い止めるために歯向かった。ケモノから逃げても、ケモノは人の命を破壊し続ける。いま己たちがケモノの大群から逃げ出しても、ケモノは変わらず針を飛ばす。己たち、銃戟隊がケモノを止めなければ【ウェスト】や【アサヒ】にいる人たちは襲われる」

「でも……二人だけなんて無茶です」アトラスは言う。

「二人だけだから立ち向かうんだよ」

「え?隊長、どういうことですか?」

「ケモノに立ち向かうことができるのは二人だけだ。だからこそ己たちが逃げてしまっては誰がケモノを止める?あの日も二人だけだったな」グンはライフル銃を構え直す。

「みんなのために命を犠牲にしろとは言わない。逃げるか戦うか、アトラス自身で決めろ。己は立ち向かう」

 グンは物陰から飛び出し、ケモノに銃口を向ける。

 銃撃音が一発響く。

 グンはさらにケモノの大群へと走りながら近付いていく。

 そうだ。二人しかいない。グンと私しかケモノを倒せる人がいない。私が命を絶ったとしても一匹でも多く討伐しなければ町が破壊される。町の人たちが破壊される。

「私たちが食い止めないと……!」アトラスは巨大な黒い命を討伐することに決めた。

 アトラスは建物の物陰から身を出し、銃撃音を奏でた。


 *


「リフレ君こっちこっち!」私とリフレ君は、散らばったケモノに注意しながら逃げ道を探していた。

 いつケモノが襲ってくるか分からない不安感で、私の心臓は拍動を速めた。

「ここで少し休もうよ」私はブロック塀で囲われたごみ置き場の陰を指差した。リフレ君はうなづいてくれた。

 私はブロック塀に背中を預けて座り、リフレ君はサッカーボールを大事そうに抱えて座った。。

「はーー」

私は少しだけゆっくりとできる状況になって深呼吸する。すっきりした気分になった。

「……ごめんなさい」

 リフレ君が小さな声で喋った。

「え?」私はリフレ君に聞き返した。

「ぼくが来ちゃって、ごめんなさい」

「ぼくが来ちゃって?リフレ君は悪くないよ」私は俯いているリフレ君に話しかける。

「ううん。お母さんが一人で外に行っちゃいけないって言ってたのに、ぼくが外に出ちゃったから……」

「外って……アサヒの町の外に出ちゃったってこと?」

 私の言葉に、リフレ君はうなづいてくれた。

「おもしろそうだったから、おねぇさんたちとなら外に出てもいいかなって……」

「おねぇさんたちと……ってもしかして私のこと?」

 また私の言葉にリフレ君がうなづいてくれた。

 多分だけど、リフレ君のおかあさんのレボルさんはリフレ君に「一人でアサヒの外に出ちゃいけない」って怒ってたんだと思う。でもどうしてもアサヒの外に出たかったリフレ君は、アサヒの外に出ていく私たちについて来たんだ。たしかに「一人で」アサヒの外に出ちゃいけないから、レボルさんの言ってたことは守ってる。

でも私はリフレ君が付いてきていることに気が付かなかった。私が気付いていればリフレ君は危険な目に遭わずに済んだのに。

「じゃあ、私がリフレ君をアサヒに連れて帰るね。リフレ君のおかあさんが心配して待っているから」

「うん」リフレ君は私の目を見てうなづいた。どこか私とリフレ君との壁が一瞬だけ無くなった気がする。

「よし、行こっか」

 私は再びキャリーバッグとリフレ君を連れて、その場から離れようとした。

 ド――――――――ン

 背中に衝撃が走る。

「まさか……!」

 私はごみ置き場の陰から飛び出した。

 すると一匹のケモノが針を飛ばしてこっちに来ている。

「逃げなきゃ……」

 私の両手に力が入った。

 私は逃げなきゃいけないけど、立ち向かいたい。でも私はケモノを狩る力が無い。

 どうすればいいの?

 リフレ君と一緒にアサヒに帰るって約束したばっかりなのに、私の気持ちのどっかでケモノを倒したい欲がある。

「おねぇちゃん?」リフレ君は立ち止まっている私の顔を見上げて、首を傾げている。

「ごめんね。立ち止まっちゃって。逃げよう」私はリフレ君に言う。そうだ。私が今立ち向かったとしても、武器も何もないから、ケモノを倒せっこない。

 私はケモノに背中を向けて、走る。

「ラナ!危ない!」

 女性の叫びが聞こえた。

 次に銃撃音が二発聞こえた。

 そして私の目の前に針が落ちてきた。

 その針は折れていた。

 私は女性の声の方へ目線を向けると、そこには緑髪で両手に二丁拳銃を持った女性がいた。私は女性の名前を叫んだ。

「カジ!」

「ラナ!」カジは私とリフレ君の元へ駆け寄った。私は少し不思議に思った。

「なんでカジがここに……?」

「ああ、銃戟隊の笛が聞こえてきたから」グンさんが助けを呼ぶために鳴らしていた笛のことだ。グンさんの願いが通じたんだ。

「カジ、身体の方は大丈夫?」私はカジに訊いた。アサヒに大きなケモノが襲ってきたときに、カジはケモノの攻撃を受けて意識を落とした。私がカジの身体を使ってケモノを撃退したけど、カジの意識が戻っていなかった。

「絶好調ではないけど、それなりには動ける」カジは足首と手首、そして首をほぐしながら答えた。

「まあ大人数いる銃戟隊とはいえ、ケモノが大群でいるなら討伐は難しかったようね」

「え、なんでケモノが大群だって分かるの?」

「ラナと出会う前に、二匹のケモノを討伐してきた。そこで針みたいな毛を掻きわけて皮膚を見たら、全体的に針で刺されたような傷があった。多分だけどケモノ同士がくっつきすぎてお互いに傷がついたんじゃないかと思って」

「すごい……当たってる」

「まあハンターにとって状況を確認するのは基礎中の基礎だから」カジはケモノの方へと目を向ける。ケモノはさっきのカジの攻撃で少し狼狽えている。

「さあ、ラナ。その子供と一緒に逃げて。私がケモノを討伐する」

 私はそのカジの言葉に戸惑った。

「どうした?ラナ」

「私、逃げたくない」

「どうして?」

「どうしてって……」私は逃げたくない理由が咄嗟に出なかった。

「このままじゃいけないから……」私は不安でいっぱいの頭の中にある少しの言葉を口に出した。

「まあ確かにこのままじゃケモノがうじゃうじゃいて、いつ命を落とすか分からないもんね。ねえ、そこの荷物を持ってどこかに隠れてて」カジはリフレ君の元へ行き、私のキャリーバッグとリフレ君を隠れられるような場所へと誘導する。カジは私の言葉足らずの発言にカジなりに理解してくれた。でも私が言いたいことはカジの言葉じゃなかった。

「違う……このままじゃ、私は何にも変われないから」私は言葉を続ける。

「私が逃げても、みんなはケモノに立ち向かっている。逃げる私が不甲斐ない。逃げる私が情けない」

「ふふ。じゃあこれ渡すから討伐しようよ」カジは右手に持った拳銃を私に差し出した。

 銃戟隊が持っていたライフル銃を使おうとしたら反動で私の身体は持たなかった。でもカジの拳銃はアサヒで使ったことがある。これなら私でもケモノに立ち向かえる。

「ありがとう」私はそうカジに言いながら、カジの拳銃を手に取った。

 私は待ち構えている黒色のケモノに拳銃の銃口を向ける。

そしてトリガーに指をかける。手の平に冷たい金属の感触が伝わってくる。

私と拳銃、そしてケモノ。

鼓動が速くなる。

静寂の世界のなか、心臓が騒ぎ出している。

 パーーーーーーーーーーーン


「ラナ!」カジの声が聞こえる。

 いつの間にか私は倒れている。背中に冷たいアスファルトの感触がしている。

「ケモノに弾丸が当たってない。これでケモノを討伐する力はラナには無いってわかったでしょ?」カジは私の顔を覗いて手を差し伸べる。どうやら拳銃の反動で私の身体は耐えきれなかったようだ。でもなんでアサヒのときは扱うことができたのに、今は反動を耐えることが出来ないの……?

「この拳銃は反動が強くてラナが扱える代物じゃない。私しか使えないの」カジの言葉は私の耳には冷酷に聞こえた。

じゃあカジは私がこの銃を使えないことを知っていて、わざわざ私の無力さを私自身に知らしめるために渡したの……?

じゃあ私がケモノに立ち向かっても何もできないってことをカジは伝えたかったの……?

私はカジの手を借りずに体を起こす。まだ私の片手にカジの拳銃がある。

「じゃあラナも逃げ……」

 パーーーーーーーーーーーン

 もう一発、ケモノへと向かって銃撃する音が世界に響いた。カジの発言を遮って私は発砲した。だけど弾丸はケモノに当たらず、私の身体は銃の反動で吹き飛ぶ。

「ラナ!もうやめて!」カジは私に叱った。

 パーーーーーーーーーーーン

 私の身体は建物の壁へと叩き付けられ、壁の中央に亀裂が入った。

 私は壁から倒れる。

「ラナ!」カジは私の方へと駆け寄り、私の身体を支えた。

「どうして?その銃はラナには使えないのに、身体が何度も吹き飛ばされるのに、ケモノに攻撃が当たってないのに、何度も撃ち続けるの?」

「私は、逃げたくない。この拳銃があれば、ケモノから逃げてきた私を変えることが出来る。だから逃げたくない」

 私は再びケモノへと銃口を向ける。

「待って」カジは私の肩に手を置く。そのカジの行動で、私は肩で息をするほど息苦しかったことに気が付いた。

「痛い……」私は三回目の砲撃の反動で壁に当たり、背中に激痛が走っていたことにも気が付いた。

「アサヒのこと、レボルから聞いた」カジは私の目を見て、話し出す。

「私がケモノからの攻撃を避けきれなくて、私は意識を失くした。でも私をラナが子のコンティニューブレスを使ってコンティニューした。その結果、ラナが私の身体を使ってケモノを撃退できた」カジは私の両手を握った。

「ありがとう」カジは強く握りしめた。

「アサヒのとき、ラナが私の身体をコンティニューしていたからこの拳銃を使えていたの」カジは私の手に持っていた拳銃を掴む。

「もしも、どうしてもラナがケモノと戦いたいっていうなら私の身体、貸してあげてもいいよ」カジは立ち上がる。

「でも、それってカジの意識はどうなるの?」私は疑問を持った。

「コンティニューされたら私の意識は無くなる」カジははっきりと言った。

「なら、私はコンティニューしないかなぁ。アサヒのときは元々カジが意識を失くしていたし、なんだかカジの身体を乗っ取るみたいな感じのは気が引けるし……」

「なにいってるの?コンティニューはアサヒのときの一回だけじゃないでしょ?」カジは首を傾げ、私に渡した拳銃を腰のホルダーに戻す。

「二回や三回ってぐらいじゃない。なんなら何年間、十何年間もコンティニューしてるじゃない」カジは言った。だけど私には理解できなかった。

「ほら、あのーニンゲン界で言うとデス・イレイズ・マインだっけ?」

 その時、私は思い出した。

 そうだ。

私が幼い時も世界が光に包まれた日の前日もデス・イレイズ・マインでカジを操っていた。アサヒの時だけじゃない。

液晶画面の中で私はカジのことをゲームのキャラクターとしてしか見ていなかった。でもカジは生きてきた。

「まあ、私のプレイヤーがラナでよかった。こんなに心強いプレイヤーなら安心して私を預けられる。まあ私のプレイヤーが心強い人じゃなきゃ私が困るけどね」

「よし」私はカジをコンティニューすることを心に決めた。

「カジ、行くよ」

「うん」

 私の左腕をカジへと伸ばす。

 私はひっそりと目を瞑る。

 私の右手の人さし指がコンティニューブレスの右上のボタンに触れる。

 ボタンを押し込む。

 私の身体が浮いた。そして私の身体が勝手に動く感触がする。

私はカジの身体に入った感覚がした。


私は瞼を開けた。

すぐに左腕を見やる。そこには手首に赤いコンティニューブレスが巻き付けられており、コンティニューブレスの画面に数字が一秒ずつ一秒ずつカウントダウンされていく。

私は違和感に気が付いた。背中の激痛が無くなった気がする。

目の前には一匹のケモノが鼻息を荒げて【私たち】を待ち構えている。ケモノの赤い瞳は【私たち】を捉え続け、針のような毛を逆立てている。

「カジがこの身体を私に預けてくれたからにはケモノを倒す」

 この身体には私自身とカジの二つの生命が詰まっている。

 二回目、いや。何十回、何百回、何千回目のコンティニュー、十数年の思いをぶつける。

ここからは私たちとケモノの世界。



「またあのニンゲンがコンティニューしたか」

俺は監視カメラの映像を見る。檻の中はゲーム機もスマホも暇をつぶす道具が無い。だから檻の外で流れる無音の映像をひたすら見続けるしかなかった。

映像はヤマアラシのケモノ一匹とコンティニューブレスを着用した緑髪の二丁拳銃の女が映っている。

女が腰のホルダーに両手をかけながらケモノへと走り出した。

ケモノは迎えるようにその場で背中に生えた針の毛をまき散らす。女は針を避けながらケモノへと寄っていく。そして拳銃の銃口をケモノに向けてトリガーを引いた。

弾丸はヤマアラシの鼻へと当たった。

「なるほどなぁ」

 ヤマアラシ型のケモノは全身を針の毛に覆われており、砲撃しても硬い毛で弾丸がはじかれてしまう。だが頭部部分は針の毛が無く、晒されている。女は急所とはいえないまでもケモノの肉体に弾丸の攻撃が通る頭部を狙って狙撃している。

 女は何度もトリガーを引き、全ての弾を頭部へと命中させた。

 ケモノが針を飛ばす度に女との距離が狭まっている。

「四足歩行のケモノ、弱点は腹だな」

 しかしヤマアラシ型のケモノは足が短く、身体の下に女が入り込めるようなスペースがない。女は弱点を狙い撃てず、頭部に撃ち続けるしか方法はなかった。

「さあ、これからどうすんだ?」

 女は跳躍し、ケモノの肉体を飛び越え、後ろに回り込んだ。

 ケモノは針を飛ばし続ける。

「なぜ後ろに回り込んだ?」

 このまま頭部に弾丸を撃ち込み続ければ、次第にケモノが弱まって討伐できるはず。なのにわざわざケモノの後ろに行ったのか、俺に理解できなかった。

 ケモノは女を追うために体の前後を入れ替え、針を飛ばし続ける。女は再び頭部に弾丸を撃ち込み続けた。

 ケモノは弾丸の攻撃で後退りしようとした。が、なぜか後退りをやめてその場に留まり続けた。

「……そうか」

 ケモノの攻撃、弱点を上手く使ったな。

 ケモノの飛ばした針は幾つも地面に突き刺さっている。動けば弱点の腹に硬い針が刺さる。だからケモノはその場から離れることが出来なくなっている。自らばらまいたまきびしが仇となっている。

 動けないケモノを見て女は口を動かした。俺は女の口元に視線を注ぐ。

「これでケモノを討伐できる」

 女は二丁拳銃でケモノの頭部を狙う。

「フルバーストッ!」

 女がそう叫ぶと、トリガーを引きケモノの肉体に直撃した。

 ケモノは足の力を失くし、伏した。

 一匹のケモノは針の毛先から黒の粒子となって消えていく。


 *


「やっと一匹倒せた」私は拳銃を持った両手を下におろして力を抜いた。

「十二体のうち三体倒した」カジが私と出会う前に二体倒したって言っていた。コンティニューブレスを見ると、残りプレイ時間が三十三分だった。

 一匹の討伐で二十七分の時間がかかっている。このままではもう一体倒したらプレイ時間がほぼ無くなってしまう。討伐にかかる時間を短くしよう。

 私は倒せたケモノを見やると、建物の陰から謎の人の手がケモノの方へと延びていることに気が付いた。

 倒れたケモノから出てきた黒の粒子が人の手に集まっていく。

 私は咄嗟に人の手の方へ駆けた。なにか不思議な感じがしてる。

 謎の手は私が近づいていることに気付いたらしく、物陰へと引っ込んでいく。

 逃げられる。

 誰が手を伸ばしていたのか確認するために、私はもっと速く走る。

 私の足音とは違う足音が聞こえてきた。どこかへ去ってしまう。

 私はようやくその物陰へと行けた。

 すると突然、物陰から何かが音を立てて私へと『放たれた』。

 私は何かをギリギリ躱せた。

 物陰へと目を向けると、人はいなかった。だけど、建物の壁に意外なものがあった。

 虹色の穴。

 虹色の穴はだんだんと狭まっていき、やがて無くなってしまった。私は虹色の穴があった場所を手でなでると、普通の壁だと改めて気づいた。


 私は物陰から出ると、変なものを見つけた。

 ケモノのものとは大きさが違う、小さな針だ。

 ケモノが消えていくにつれて、ケモノが飛ばしてた針は消えていったけど、この小さな針は消えていない。

 私はその針をポケットに入れた。

 残りプレイ時間二十六分、ケモノ残り九体。


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