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DEATH ERASE MINE/デス イレイズ マイン  作者: 堺 かずき
第2ゲーム
8/14

第8章 針の糸

 カーテンの隙間に漏れたわずかな陽射しが薄い瞼越しに視覚を呼び起こす。

 いつの間にか眠った身体から様々な感覚が戻ってきた。私の身体は地面に横たわっていて、柔らかい布が被せられていた。眩しい陽射しが瞼に直接当たって、明るすぎる光を避けるために仰向けになった身体に寝返りを打つ。

「おお!ラナ!目が覚めたか!」「わあ!ビックリした!」突然、私の聴覚が刺激された。

 瞼を開けると白い髭のセニオルさんが私をのぞき込んでいた。横になっていた身体を急に起こし、思わずセニオルさんから身体を仰け反ってしまった。

「驚かせてすまなかったわい。ずっと長い時間ラナが眠っておったから、つい心配じゃったからのぅ」

セニオルさんは少し悲しい表情をした。

「別にいいんですよ。こちらこそ私を心配してくれてありがとうございます」私はセニオルさんに感謝の気持ちを込めて一礼する。

左腕の手首を見るとコンティニューブレスがきつく巻き付かれていた。ここは現実。【この世界がおかしくなってる】【二つの世界を反転させた】【デス・イレイズ・マインは単なるただのゲームなんかじゃない。生死を賭けた現実の世界だ!】記憶の最後にある万の言葉を思い出す。

辺りを見渡すと黒板が見えた。

「ここはどこ?」

「ここはアサヒの建物の中じゃよ。ケモノがアサヒを襲った後、ラナが倒れていたのを陽向人がここまで運んでおったんじゃ」

 アサヒ……ケモノ。そうだ。私はケモノを倒した。この手で。いや、違う。カジの手で。

「カジは⁉今どこ?」

「そこにおる。まだ起きないんじゃが、生きてはおる」

 私はセニオルさんが指差した方向に目をやると、カジが横たわっていた。緑色の髪が布団の中から出ているのが見えた。

 私は教室を見渡す。黒板の反対側には児童が書いた習字の紙が飾られている。教室の隅には掃除用のロッカーがあった。あの中に入って人を驚かしている陽向人を想像する。

「まだ疲れておるのか?」

「いや、大丈夫。動けます。ありがとうセニオルさん」

 起き上がって立ってみると、擦り傷が出来ていた足の痛みがなくなっていた。痛みがなくなったのはクノーさんが薬を塗ってくれたからだ。

 今はいないクノーさん。

 鮮明に覚えているクノーさんの死に際。光となって消えていき、手のひらに感じていたクノーさんの重みがなくなる。いまでもあの感覚がありありと蘇る。

「そうだ。陽向人は今どこにいるんですか?」

「ヒムトは今、アサヒの修繕作業を手伝っておる」

 私は教室の引き戸を開けて治った足を動かし走り出す。

昔こうやって学校の廊下を走ると、教室にいる先生が窓を開けて叱られることがあった。


「なあ!グラウンドでサッカーしようぜ!」

 ほかのクラスの人が陽向人を呼ぶ声が教室に響いた。目の前に座っている男の子がそれに応えて席を立つ。

「ごめんね。羅奈。また帰り道で話そうよ」陽向人は廊下へと歩く。

 私はスポーツが苦手だから陽向人に付いて行こうとは思わなかった。授業が始まるまで持っている小説を読んで時間をつぶすか、机にうつ伏して眠るしかなかった。

 その二択の結果、前者を選び、机の中にある表紙が日焼けてしまった本を出す。

「羅奈は寝るか本を読むしかないだろ?」ビックリして一瞬、身体が飛び上がってしまった。

「陽向人…まだいたんだ…」私は咄嗟に本を机の中へと隠してしまった。

「サッカーはしないの?」

「するよ。たまには羅奈も休み時間は外に出なよ」陽向人は私の腕を引っ張った。無抵抗に体が動く。陽向人の力は強かった。

「わたし、体動かすの、あんまり得意じゃないんだけど…」

「そうなんだ」陽向人は一瞬俯いたがすぐに顔をあげ、掴んできた腕を離す。

 陽向人は今度こそ外へと歩き出す。廊下に出ると走り出していった。

「こら!廊下は走ってはいけません!」

 先生の怒鳴り声が聞こえる。私は口角を上げて、口にある空気を漏らした。陽向人が怒鳴られていると可笑しかった。陽向人は面白い人だ。

 私は陽向人に隠した小説の本を再び机に出す。紙製のしおりが挟まれているページを開く。何回も読んでいる愛読書だから、ページが外側に向かって開く癖がついてしまっている。見た目は悪くなっているが私の手にフィットしている。私専用の本になっている。

 窓からは風が吹いている。風が薄いカーテンを揺らしている。なびくカーテンに視線を奪われる。机にしおりを置く。

 窓の外を見る。

 空が普段より青く見える。流れる雲は唯一無二の形を変えながら流れていく。向かいの校舎の窓から上級生が廊下で遊んでいる姿が見える。

 耳から教室にいる児童が出す笑い声が聞こえる。遊んでいたり、おしゃべりをしていたり。

 聴覚と視覚を使って私の周りにある存在を感じ取っている。陽向人と出会ってから私の感覚は華やかになっていった。赤が紅く見えたり、青が碧く、白が穢れなき真っ白に見える。

 外への視線を教室の時計へと向ける。次の授業までだいぶ時間がある。

 手にある小説に目を向ける。文字が羅列されたページは全体で見ると、頭が混乱するけど、文章として右から左、上から下に読むと、無限の物語が見える。それが小説の醍醐味だ。

「陽向人は今、何してるのかな?」

 本の文字を読みながら頭の片隅に残る陽向人のこと。

 いつも読んでいる小説なのに、内容が入ってこない。

「たまには羅奈も休み時間は外に出なよ」

 陽向人の言葉を思い出す。私は開いたページにしおりを挟みこみ、机に置く。

 椅子から立ち上がり教室の戸を引き廊下へと出る。私は階段を走り下る。


 学校の中庭に出た私を迎えたのは、様々な物体らしきものを持った人の流れだった。木材だったり大きな白い布だったり。中には体の大きい男の人が身長と同じくらい大きな岩を持った人がいた。セニオルさんから「アサヒの修繕作業」と聞いたのでみんながアサヒを直そうとしている善意がこの光景だけで簡単にわかる。

 人の流れに陽向人の姿は見えなかった。

「お嬢ちゃん!これ持って行ってくれないか?」横を見ると細い男の人がパンパンなビニール袋を出していた。

「これは、みんなの食糧の素だ。看板に食べ物の絵が描かれている店に送ってくれ」男の人の横にボールを持った小さな男の子がいることに気づく。

「はい。わかりました。お子さんですか?」

「こいつは、オレの子じゃねえんだよ。どうやらお母さんとはぐれちまったらしい。今オレは親を探しに回ってる」男の子には涙を流した跡がある。お母さんが周りにいなくて泣いてしまったのかな。と想像をする。

「私でいいならこの子のお母さんを探しに行くついでに、それを持っていくのでその子を連れて行っていいですか?」

「お、おう。お嬢ちゃんそんなにお世話になっていいのかい?」

「いいですよ」

 男の人はボールを持った子の視線に合わせて屈む。

「よかったな。このお嬢ちゃんがお母さんのとこに連れて行ってくれるってさ」

 男の子は男の人の言葉で少し口角を上げた。

 私は男の子の手を取り、膨らんだ袋を持つ。

「じゃあお嬢ちゃん、頑張ってくれな」

 私は男の子を連れて人の流れに飲み込まれることにした。この男の子とはぐれないように手をぎゅっと握り、人の流れへと足を踏み入れようとした。男の子の声が私に向かって聞こえてきた。

「おばさん、だれ?」

「わ、わ、私はおばさんじゃない!」

「じゃあなに?おばあちゃん?」

「もっと失礼よ!」


 速足で人の流れに乗った。私が小学生だった頃はこの中庭は人でごった返すことなく、缶蹴りや鬼ごっこなどで児童の遊び場となっていた。陽向人は特にマンホール踏みが好きだった。缶蹴りと同じ遊び方で、鬼が隠れている人を見つけ、隠れている人は鬼がマンホールを踏んでいない時にマンホールを踏むという遊びだ。

 そろそろグラウンドが見えてくる。

 グラウンド一面に白いテントの屋根が見えた。アサヒに黒いケモノが襲い掛かったころはこの白いテントはなぎ倒されていたはずだ。

「おー!羅奈!元気になった?」

 陽向人の声が聞こえてきた。陽向人が赤いトンカチを持って、白い屋根が被されていないテントの修理をしている。私は男の子を連れてスタンドを駆け下りた。

「もう元気になったよ!」

「良かった。羅奈が元気になって。あっ……その男の子……」

「陽向人、知ってるの?」

「うん。僕の頭にボールを当てた子だ」

 陽向人は一旦、手に持っていた赤いトンカチを自分のリュックに入れ、下を向いた男の子の顔を屈んで覗く。

「泣いてる…この子、どうしたんだ?」

「お母さんとはぐれちゃったみたいで、お母さんを探している途中なの」

「そうか…それでその袋は?」

「これは、食べ物の看板のお店に届けてくれってお使いを任されてね」

「食べ物の看板?なら、この作業が終わったら一緒に行こうか?」

 陽向人は地面に落ちてあった鉄の棒を手に取る。

「すみませーん!この作業が終わったら少し休憩していいですか?」陽向人は同じテントの下で作業しているおじさんに話しかけた。

「いいよーヒムトくんには十分に働いてくれたしね。また仕事ができたら呼んでもいいかい?」

「全然大丈夫ですよ。むしろ呼んでください。あっ。まだ補強が足りないか」

 手に持った鉄の棒をテントの骨組みに太いひもで括り付ける。

「羅奈!まだこのテントの補強してるからちょっと待ってて」

「うん。わかった」

 私は男の子と一緒にスタンドに座って陽向人を待つことにした。


 *


 この社長室でアナウンスを終わらせた。

「ふう。終わったぜ」

 俺は背もたれに背を預けた。予想もしなかった反逆者によって予定を前倒しする羽目になっちまった。

「ちょいと部屋で休むか」

 社長室から出て俺の部屋にあるベッドへと向かう。

 俺の部屋のドアを開ける。すると一人の男がいた。

「よくこんなに自分の部屋を散らかす社長なんてめったにいないぞ?」

 男はテーブルの上にある俺の食べかけのカップラーメンを手に取る。

「お前は?」

「オレだよ、オレ。ったく悲しいなあ。こんなに頑張ってるのに社長に覚えられていないなんてね」

 男は口から笑いの入り混じった短い息を吐いた。

「ヨロズの社員としてオレはまだまだ半人前ってところか?」

「俺のアナウンスで戻ってきたのか?」

「そうだぜ?社長のアナウンスでゲーム界からニンゲン界に戻ってきたんだ」

 男の左腕に赤いコンティニューブレスが巻き付けられている。

「社長のアナウンスを聞いて、ちょっと予定より早くねえかとは思ったんだがなあ?」

「想定外な問題が起きたんだよ」

「想定外……ね」

 男は俺の食べかけたカップラーメンを台所へと持っていく。台所の排水溝に液体が注ぎ込まれる音が静寂の中で無神経に通り過ぎる。

「それで、どんな問題が起こったんだ?」

「ニンゲン界にニンゲンが取り残されていた」

「ふーん。それで?」

「そいつらがジェラルミンケースに入ったノートパソコンとローグルシステムのコンティニューブレスを奪った」

「え?それって…」

 排水溝に液体が流れる音が消えた。

「コンティニューブレスとコンティニューボディを使って実戦もできることをあいつらが証明した」

「じゃあ、オレがこれを使えるってことか?」

 男は左腕の赤いコンティニューブレスを指差す。

「ボディを探す手間はあるが、出来ねえことはねえだろ」

「そうか…」

 男は蛇口をひねる。水が流れる音がする。

「まだ水道管は破壊されてないみたいだな」

 食器がぶつかり合う音が響く。洗剤を手に取りスポンジに染み込ませる。

「そういや、お前の名前はなんだ?」

「社長とオレは初めて会ったワケじゃないし長話もしただろ?見ず知らずのニンゲンにそんな重要な問題をペラペラと喋っていいのかい?」

 目線を下にしたまま、脂や食べかすの付いた皿やお椀を泡にまみれたスポンジで擦る。

「俺の指令は社員にしか通じていない。だからお前は俺の部下だ」

「確かにそうだな。だがオレは社長とまた歩き出すことになる。仲間の名前ぐらい覚えたほうがいいんじゃねえか?」

「俺は名前と顔が覚えられなくてな。まあお前の名前を聞けば、何かは思い出すだろうけど」

「なら改めて自己紹介でもするか……」

 水道の蛇口を止める。男は俺の前へと歩き出す。腕組みをする。

「オレは【佐藤一師】(さとうひとし)だ」


 *


「よし終わった。行こうか」陽向人は自分のリュックを背負いながら歩いてくる。

 陽向人の作業の最中に男の子と話をした。男の子の名前は「リフレ」で新しい妹がつい最近できたばかりだそうだ。リフレ君はボール遊びに夢中になっていてお母さんとはぐれてしまったらしい。

「ボール遊びか。楽しいのはわかるけど、ほどほどにな」陽向人はリフレ君に優しく話しかける。

「そうだよ。リフレ君はお兄ちゃんになるんだから周りのことにも気を配らせないとね」私の言葉を聞いてボールを片手で抱えているリフレ君はこくりと頷く。

 静寂とはかけ離れた人々のざわめきの間で、私たちは歩みを進める。

「食べ物屋さんのテントはここを右に曲がってあると思うよ」

 テントで作られた十字路を右に曲がる。目にしたのは食べ物が書かれた看板の店だった。テントの外で棚に野菜や果物などが並んでいた。店の人に響くように声を掛ける。

「すみませーん!これを届けに参りましたー!」

 すると中から包丁を持った年配の女の人が出てきた。

「あら!ありがとう!助かったわ!」

 年配の女の人に白い袋を渡すと、中身を取り出してゆっくり上下に包丁をそれに沿わせて擦る。

「これは砥石っていってね、包丁の切れ味を再生させるために必要なんだよ。これが無いと野菜を切るときに、なっかなか切れなくてね。お客さんに長い間立たせちゃって申し訳ないんだよ」

 年配の女の人は砥石を棚の上に置き、並べてあった葉野菜を手に取り、茎の部分に刃を入れ葉っぱを削ぎ落した。

「今なら新鮮でみずみずしいわよ。食べてみる?」

 年配の女の人は私に葉っぱの部分が出された。年配の女の人の顔を見ると健康な歯を見せながら硬い茎の部分を食べていた。年齢を感じさせないほどの食べっぷりでこっちも見ているだけで健康にしてくれるような力が感じる。

「ほら。食べてみなさい?」女の人はぐいぐいと勧めてくる。

 いいです。とは言えなかった。

「いただきます」

葉っぱを食べる。確かに新鮮でみずみずしく、ほんの少し甘みを感じた。

「ね?美味しいでしょ?砥石を運んでくれたお駄賃だよ。そのお二人さんも一緒に食べてみるかい?」

 後ろの陽向人とリフレ君を見ると、二人とも首を横に振っている。

「僕はついてきただけなので」「野菜嫌い!」

 女の人は顔に悲しみの皺を作った。

「最近の子はあんまり野菜とか果物とか食べてくれないのよ。仕方ないわ」

 私もなんだか寂しくなった。女の人と顔を合わせて陽向人とリフレ君を見る。

「あー!ちょっとリフレ!」

 リフレ君に駆け寄る人がいた。その人は赤ちゃんを抱きかかえていた。

「お母さん!」

 リフレ君が赤ちゃんを抱えた人に走っていく。

「こら!探したのよ」リフレ君のお母さんが小さいリフレ君に向け話しかける。

「この度はリフレが迷惑かけちゃってごめんなさい…ってあれ?もしかしてまた?」

 リフレ君のお母さんが陽向人を見ると、陽向人が何かを思い出したようにハッとなrった。

「あの時の!また会えてうれしいです。全く迷惑だなんて思ってませんよ」

 陽向人は本当にうれしそうに口角が上がっている。

「これもなんかの運命かしら?なにかお返ししたいわ…」

 リフレ君のお母さんは抱え込んだ赤ちゃんをゆったりと揺らしながら考え込んでいる。

「そうだわ。まだお名前も聞いてなかった!私はレボルよ」

「僕は陽向人です。よろしくお願いします」

「お母さん、お父さんはいつ帰ってくるの?」

 リフレ君がレボルさんの腕をつかんで左右に揺さぶる。

「お父さんね、みんなを守る仕事があるからいつ帰ってくるのかわからないのよ」

「みんなを守る?」

 つい私は呟いてしまった。

「そうなんです。私の夫がケモノを倒すために部隊を結成していまして津々浦々を回っているんですよ。銃戟隊じゅうげきたいの隊長で街の周りの警備だとか、ケモノが出た時の警告をしていて。私はとても夫を尊敬しているんです」

 銃戟隊。デス・イレイズ・マインの中で何度か聞いたことがある。

「世界が反転してからはまだ夫と会えてないんですけど、元気でいると信じてこの子達を健康に育てるのが私の仕事です」

 レボルさんは抱えている赤ちゃんの少し髪が生えた頭を撫でる。

「お母さん!こっち!」

「こら!すぐ走って先に行かないの!」

 リフレ君はいつの間にやら遠くの曲がり角に行ってレボルさんを招いている。

「本当にリフレがすみませんね。また会いましょうね」

 レボルさんはリフレ君を追いかけて群衆をかき分けていく。


 *


 ズボンの右ポケットが振動した。

 小さい背中と赤ちゃんを抱いた背中を見送り、僕はポケットから機械を取り出す。

「パソコンファイルのパスワードは0624だ。忘れていたわけではないだろう?」

 そうだ。世界が反転する前に送り主不明から届いたメッセージに「パスワードは0624」とあったことが脳内のメモリからすっかりと抜け落ちていた。てっきりヨロズでの潜入で使用するパスワードかと思っていたがパスワードを打ち込むような場面はなかったはずだ。

「羅奈、ヨロズから奪ったパソコンは?」

「たしか私が寝ていたところにあったと思うけどどうして?」

「ちょっと試したいことがある」

 僕は校舎へと走る。冬の冷たい風を受けながら人混みをかわしながら進む。

「おう!ヒムト!」

 振り返るとセニオルがいた。

「どうしたんじゃ。そんなに慌てとって」

「今からすぐにでも試したいことがあるので校舎に戻っています」

「そうかいそうかい。こけないようにな」

「ありがとうございます」僕はそう言いながらまた足を動かす。

「にしても、あいつがおらんのう…」セニオルはそう呟く。


 僕は教室の戸を開ける。勢いづいて大きな音を立てる。休養しているカジには急に音を立て申し訳ないと思ったがカジはすやすやと眠っている。僕は教卓に置いてあったノートパソコンを開き電源を付ける。

 鍵のかかったファイルを開くために確認のパスワード入力画面にする。僕は人さし指で的確にゆっくりと四桁の数字を打ち込む。

 画面に0624と映し出している。人さし指がキーボードの中で唯一、四角形ではないキー、エンターを押す。

 「Password is Correct」と緑の文字で書かれた画面になる。そして英文はモザイクがかかり白くなっていく。画面全体が白くなり、また新たに黒いモザイク部分が現れてきた。モザイクがあまりかからなくなり黒の部分がはっきり見えてくるようになった。

 モザイクの加工が全て取れた時、そこにはExcelでニンゲンの名前、それに対応したキャラクターの名前が書かれた表だった。横に裏技使用回数、裏技経過時間といままで羅奈と確認したデータと一緒だった。

 右にスクロールしたとき違和を感じた。

「陽向人、試したいことって?」

 開いたままの教室の扉から羅奈がやってきた。

「さっき送り主不明からメッセージが届いた。その内容がこのファイルにかかっていた鍵を解除するパスワードだったんだ」

「それで?」

「そのパスワードを打ち込んだらこれが出てきたんだ」

 羅奈にノートパソコンの画面を見せた。

「これって…」

 裏技経過時間の横に「危険度」という項目が追加されている。ゲームの各プレイヤーに対して白と黒のモノクロカラーで色付けされている。中には薄い灰色だったり濃い灰色だったり濃淡が多種多様だ。

「危険度って何が危険なんだろう…」羅奈は呟いた。

 これは何の危険を指しているのだろう。僕は表とにらめっこをする。

 するとある共通点を発見した。

「羅奈、これを見てみて」

「なに?」

「この危険度が真っ黒の人のところを見てみると裏技使用回数と裏技経過時間が多い人が大半なんだ」「たしかに灰色の人とかも裏技を使っていたデータがある…」

 改めて見ると裏技を使用している人が多いことが皮肉にもわかりやすくなっている。

 これがどういう情報を僕達に知らせているのか僕達にはまだ分からなかった。送り主不明の人の真意が伝わらなかった。

「うわ。な、なにこれ⁉」

 羅奈がパソコンを眺めていると何だか不穏な声を発していた。覗き込むと画面にノイズがかかり、中央にまたもやパスワードを打ち込むような表示が出てきた。

「これってまたパスワードを打ち込まないといけないの?」

「ああ。またパスワードだ。今度は……」やけにパスワードの桁数が多い。数えると十五桁もある。そして数字を打ち込む四角と四角の間に不自然に間隔が開けられている。それも不規則に間隔が開いていなかったり開いていなかったりしている。


 *


「さて、これから俺たちはどうするんだ?」

 檻の外にいる男に問いかける。男はモニターを見ながら何か気難しそうに考え込んでいる。「計画は順調に進んでいる。しかし方法を改める必要があるな」

「方法って?なんで改める必要があるの?」

「予想外の出来事を幾度も見てきただろう?あのニンゲン界にいる二人のニンゲンの存在を野放しには出来ない」

「あれ?前にあいつらは飢餓で死ぬか凍死するかみたいなことを言ってたじゃんか」

「あいつらは生命力の高いニンゲンだ。ニンゲンがなかなかしぶといのはお前もよく知っているだろう」

「しぶといから楽しいんじゃねえか。単純なものだったら遊びがいがねえ」

 俺は手にある無機物を宙に放り投げる。今は何も無いただの無機物はこの世界に働いている重力に従い俺の手元に落下してくる。

「そんなこと言うから後始末が疎かになるんだ。おもちゃは遊び終わったらおもちゃ箱に戻すって教えただろう?」

 思わずため息が出た。

「それで方法はどのようにする?あの厄介なニンゲンがいて俺たちの計画は順調に進めるのか?」俺は立ち上がり檻を掴みできる限り男に近づく。

「むしろ逆だ」男は振り返り眼光を俺に向ける。

「逆ってどういうことだ?」

「あのニンゲンがいたことで計画が前段階よりも順調になる」

 肺から笑いの息が漏れる。

「ッハハ。やっぱりおもしれえな」体重を背中に預けて後退りする。背中に硬い衝撃が加わり俺の身体は地面へと落ちていった。

「しかしニンゲンだから常時注意をしていないと、いつ反旗を翻すかわからない」

 男はいつものようにモニターを見ている体勢に戻っていた。


 *


「それはどうしたものか…」

 俺は一師にこれまで二人のニンゲンがしでかした出来事を説明した。一師は俺の説明を聞きながら部屋を片付けている。

「それで、社長はあのニンゲンからパソコンを取り返したいってことなんだよな」一師は床に散らばっている食べ物の抜け殻を片手で握られている白いポリ袋にかき集める。

「ああそうだ。パソコンが俺の手元に戻るなら手段を選ばない。たとえお前の命が無くなったとしてもな」抜け殻を拾い上げる一師の手が止まる。

「社長のその言葉、訂正した方がいいかも知れねえ」

 一師は歩き出し俺のベッドの上に腰掛ける。そのシーツはいつの間にやら、しわが延ばされている。

「世界が反転してから再度オレがニンゲン界に戻ってくるまでにゲーム界では様々な現象が起きているんだ」一師は大股を開いて膝に肘をついて手を組む。

「その現象は【突然人が消滅していく】という奇妙なものだ」

 一師は語る。

「オレが社長のアナウンスが来るまで何度も人が消滅していく現象を目の当たりにしている。それも俺が見ただけで数人ではなく数十人が原因不明で光の粒子となって消えていく。しまいには七十人が一斉に消滅するところを見たんだよ」

 一師はさらに言葉を続ける。

「俺の推測が正しければ取り返しがつかなくなる前に手を打った方がいいんじゃないか。社長はどう考えているんだよ。この二つの世界をどうしたいんだ」一師は俺を見つめる。

 俺は記憶を掘り起こすために瞼を固く閉じる。


 周りには白の壁やマスク、白衣を着た人が俺を取り囲む。俺は必死に叫んだ。でも白衣の人たちは聞く耳を持たない。こんなに気味が悪い場所から早く抜け出したかった。外に抜け出したとき、とても暗い夜空が出迎えてくれた。


 瞼を再び開けると一師が返答を待っているような目でこちらを見ている。

「俺も全く考えていない訳じゃない。まずはあの二人からパソコンを奪い返す。話はそれからだ」俺は部屋に一師を置いて社長室へと向かう。

「あらら、師定はここにいたの」廊下を出ると、あの二人がいた。

「ミユ、カイ」俺は呟く。

「師定はここに住み着いているのね」

 ミユとカイは俺の部屋に入る。ミユはベッドに腰掛けている一師を凝視する。

「あら、ニンゲンがいるわね。まさか師定と同棲している同居人だったりとかして」

「違う。あいつは俺の社員だ」

「そうなのね」

 一師はミユとカイに気付き腰掛けていたベッドから尻を浮き上がらせる。

「オレは佐藤一師だ。社長には…」

 バタン。

一師の声が無くなった。ミユが一師の顔に回し蹴りを喰らわせた。一師は倒れる。

「ふふ。やっぱりニンゲンのようだわ。私の目に狂いは無いわ」

「おい待てミユ。回し蹴りが自己紹介のつもりかよ。俺と初めて会った時も蹴ろうとしてたろ」俺はミユの肩を掴む。

「だって初めて会った人のことを知りたいと思わない?」

 ミユは口角を上げてこっちに笑って見せる。

「いってえなあ。初対面なのに何しているんだよ」一師は床から立ち上がろうとする。

「手を貸そう」カイは一師に手を差し伸べる。一師はカイの手を借りず自力で立ち上がる。

「それで社長、この人たちはどういう関係なんだ?」

「この人たちはミユとカイだ。詳しくは言えないが今は俺の計画の補助をしてくれている」

「補助かしら?まあ私のお願い事を一つ聞いてくれているから師定のお願い事も一つ聞かなきゃね」ミユが俺のベッドに腰を掛けて足を組む。

「お願い事?それはどんなことをしたんだ?社長」

「【アサヒ】で青の笛を吹いた」青の笛と聞いて一師は疑問を抱いたような声を出す。

 あの時はケモノが笛の音で吸い寄せられたかのように【アサヒ】を襲っていった。

「そういやミユ、あそこで笛を吹くだけでよかったのか?」

「そうね。思っていた以上の収穫があったから、師定には感謝しないとね」

 ミユは俺の方を流し目に、指を下唇につける。

「ミユ、次の計画はどうする」カイが尋ねる。

「師定の計画についていくかな?」ミユは宙に目線を向けてベッドから立ち上がり、カイの隣へと歩く。

「決まりだな。オレも社長の計画についていこうとしてたんだ。ミユとカイだっけ?よろしくな」一師はミユとカイに片手を伸ばす。

「この手は何?」ミユが首を傾げて一師に訊く。

「握手だよ。これから共に歩む戦友として互いに認め合う儀式みたいなもんだ」

「へー」ミユは片足をあげ、一師の出した片手にヒットする。

「アクシュとかハクシュとか知らないけど、私はあなたを共に戦っていくセンユウだとは思わないわ」

「てめえ…何でもかんでも蹴りやがって!礼儀も何も知らねえのかよ!」

「レイギ?そんなもの教えられたことも聞いたことも見たこともないわ。レイギってどういうものか私に見えるように教えてくれたらいいわ」ミユは舌を出し、片方の人さし指を目の下に当てて下瞼を下げ、ミユの瞳を一師に見せる。

「もういい。バカなお前に礼儀を教えてやるかよ」

「一師さんでしたっけ。初対面の人に向かって【バカ】って言うのは無礼かと俺は思うが…一師さんも礼儀を俺が一からお教えしましょう」カイが横から口をはさむ。一師は何も言い返せずに黙ったままだ。

「ミユとカイ、あと一師。もう話し合いはいいか」三人は俺の言うことに首を縦に頷く。

「次の作戦へと移るぞ」


 *


「ふう。やっぱり疲れるわい」

 冬の昼間とは言っても輪郭に汗が伝った跡を付けたセニオルさんは、私たちがいる教室に帰ってきた。

「セニオルさんおかえりなさい」私は毛布にくるまりながらパソコンを使って何かを調べている陽向人の後ろ姿を見ていた。

「そういえばセニオルさんが言ってた【待ち人】って見つかったんですか?」私が質問した。

「一所懸命に探してはおるんじゃが、どうも姿が見えんくてのう…」腰の曲がった身体を杖で支えながらカジが寝ている場所へと歩いていく。絆創膏やガーゼで傷を隠しているが、壁に打ち付けられた身体が寝息を立てて一命を取り留めていることが、命の尊さを顕著に表されている。

「まだ眠っておるのう…早く元気ですばしっこいカジをこの目で見たい…」

 セニオルさんの一言が終わった後の教室の中は陽向人が操作しているパソコンのキーボードが叩かれる音が響く。

「もしかしたら、わしの待ち人は他の町へと行ったのかもしれない。わしは待ち人を追いかけていこうとするか……」

「セニオルさん、その待ち人の行く先は分かっているの?」陽向人が作業をしながら尋ねる。

「あやつが行きそうな場所はあるんじゃがな…ここでいないと分かったなら一刻も早く性さなければならんのじゃ」セニオルさんが陽向人に身体を向けて喋り出す。

「また【アサヒ】に戻るつもりじゃが、ヒムトとラナはどうするかい?」

「行きます」陽向人がパソコンの作業を止めて答える。

「じゃ決まりじゃな」セニオルさんが教室の出入り口へと歩いていく。陽向人は急いで出発するために作業で使っていたヨロズのパソコンをキャリーバッグに入れた。

「羅奈はこのキャリーバッグを持っていてほしい」

「うん分かった」私は陽向人のお願いを聞くことにした。


 *


校舎の昇降口から外に出た途端、僕の手が悴んだ感覚がした。僕は暑がりで寒さには強いが、羅奈は寒がりでキャリーバッグを持っている手とは逆の手に空気を多く含んだ息を吐いて、微量のぬくもりを何度も握っていた。

 世界は薄灰色の雲で覆われ、冷ややかな空気を保持させる。世界の異常を察知しているかのように雲はいつも変化する。

 グラウンド全体を見渡せる位置にまで移動した。もうほとんどケモノに襲撃され壊滅した一つの町は殆ど傷が無い状態にまで復元が出来ている。クノーが営んでいた薬屋のテントも別の店になっている。

 アサヒの門が見えてきた。

「ヒムトさんとラナさんだ!」レボルが僕たちを見つけて駆け寄ってきてくれた。レボルの胸には赤ちゃんがいて、横にはサッカーボールの大きさの球を抱えたリフレ君がいた。

「あっレボルさんとリフレ君だ」羅奈も二人の名前を呼ぶ。

「おっ?レボルか?」セニオルが振り向き反応した。

「ああ!セニオルさんじゃないですか!お久しぶりです!」胸の中で寝ている赤ちゃんの頭を片手で支えながら軽く会釈する。

「いやあこんなにも大きくなって。わしと会った時はこーんなに小さいときじゃったかな」

 セニオルがリフレ君の頭のてっぺんに片手を乗せる。

「それにしても懐かしいのう。ふつふつと記憶がよみがえってくるわい」セニオルはリフレ君の頭に乗せた手を除けて大笑いする。

「レボルさんとセニオルさんはお知り合いだったんですね」羅奈はセニオルとレボルに問いかける。

「そうなんじゃよ。昔レボルの両親と会ってのう、レボルとは一回きりじゃったんだがな遊んであげたんじゃ」

「セニオルさんは誰でも知り合いなんですね」羅奈は言った。セニオルはアスカに会った時もクノーに会った時も知り合いだった。

「そうなんじゃよ。まあ長生きしていると嫌でも沢山の人との出会いを経験するんじゃ。ラナもヒムトもレボルもわしみたいな長生きになると何処に行っても一つや二つ、もしかしたら全員が顔見知りかもしれんがな。だが、わしみたいに長生きはしないと思うんじゃが」

「セニオルさんは本当に長生きしているんですね。そういえばセニオルさんって何歳でしたっけ?」レボルがセニオルに訊いた。

「わしは何歳じゃったかなぁ……もう年じゃから忘れたわい」セニオルは曇天の一点を一瞬見つめたがすぐに我に返った。

「そんなに長生きだったんですね。それで……皆さんはどこかに行かれるんですか?」

 レボルは僕達の顔を見ながら訊く。

「実は人を探しに行くんじゃ。わしらが今やるべきことをやるために邁進していくだけじゃ」セニオルはアサヒの門の外を見る。

「じゃあわしは行かなければいけん。またの。レボルと……リフレ君じゃったかな?元気にしておれよ!」セニオルはリフレ君の頭を撫でる。そしてセニオルはアサヒの門へと向かう。僕と羅奈はセニオルの背中についていく。

「ヒムトさん!ラナさん!セニオルさん!気を付けていってらっしゃい!ほら、リフレも挨拶しなさい?」

「……」リフレは僕達の方を眺めていた。


 *


「はあ……」

 一師はヨロズの社長室にある予備用の錆びついたパイプ椅子に乱暴に座り、ぎこちない鉄の乾いた音が響き渡る。ブラインドが窓全体を覆い、さらに空には厚い雲が被さっており太陽の陽射しが殆ど社長室に入射せず、蛍光灯も点かずに部屋は薄暗くなっている。

 

 ミユとカイ、そして師定と一師が一時的に団結すると決まったときだった。

「次の作戦に移るぞ」師定の鶴の一声でミユとカイ、そして一師は耳を傾けた。

「俺の部下どもが次々にニンゲン界へと戻ってくる。だが部下ども全員が帰るのを待っているのも時間がもったいない。だから……一師」


 ため息を吐く。

「バカかよ……オレがこの会社の警備だなんてな」

 乾いた鉄の音と同時に一師の声が響く。

「ったく警備ってのも楽っちゃ楽なんだが何をすりゃいいんだ?」パイプ椅子に深く座って背もたれにうなだれる。

 一師は左手でズボンのポケットに入っている紙きれを取り出す。ざら紙で何度も取り出してはポケットに入れ込んだせいでしわが溜まっている。

「駅で通り魔 未だ犯人捕まらず」一師は切り取った新聞の見出しを口から吐き出す。

 次に一師は左腕に着けている赤い機械【コンティニューブレス】を眺める。

「まさか【お前】が言っていることが本当になるなんて思わなかったよ……最初は半信半疑だったけど【お前】についていって正解だったな」一師は呟くが、もちろん返事は無かった。

 一師はパイプ椅子から腰を上げ、しわくちゃの紙切れをまたポケットに仕舞い込んだ。


 *


 私はとぼとぼと歩いているセニオルさんの折り曲がった背中についていきながら、キャリーバッグを引きづっている。アサヒから出てきた私たちは再び静寂に包まれた世界に投げ出された。

 私達が歩いているこの場所はこの世界では珍しく、ケモノから建物が破壊されていない住宅地だった。そしてひと際高く積みあがっている集合住宅が建っている。

 多数の命が活気に溢れた雑音は、もうここには聞こえてこない。

「このニンゲンども!さあ、足掻け!もがけ!」突然、私の鼓膜にはっきりとした声が届いてきた

 目を赤くした万がこちらに向かって走ってくる。

「あ、あいつは何じゃ⁈」セニオルさんは動揺する。

「陽向人!どうすればいい⁉」私は小声で陽向人に訊ねる。

「オレが囮になる。このキャリーバッグを持って万から逃げろ!」陽向人は万を真っ直ぐ見つめながら少し後退りする。「わかった」私は返事をする。だけど囮として陽向人を置いていくのを心苦しく思い、万から一定の距離を置き、木陰に潜み込む。

「なあ!万!お前から奪ったノートパソコンは僕のリュックの中にある!とれるもんなら取ってみろ!」

「ニンゲンごときが囀りやがって!取り返す!」万は陽向人に野性的な敵意の眼差しを向け襲い掛かって狂う。

 万は陽向人の胴体に目がけ、拳を投げる。だが陽向人は万の拳をひらりとかわす。

「逃げるんじゃねえぞ!さっさとそのリュックを差し出せ!ならば命は保証してやる!」万は陽向人に対して怒号を飛ばす。

「師定!何を追っているのかしら?」女の声が聞こえた。私は声の方へと目を向けると私達を見下すように家の屋上にチョーカーを着けている女の人が腕を組んで立っている。万も陽向人も女の人を見て止まっている。

「師定、そいつを追って何を取ろうとしているの?」女の人は人さし指を唇に当てて万に向けて目を大きくさせている。「一体なんのことだ……」陽向人は小さく呟く。

「【なんのことだ】ではないだろう」今度は男の声が聞こえてきた。すると奥から口調からはイメージできない中性的な男の人がチョーカーの女の人の横に立った。

「あなた達は何が目的で師定を翻弄しているのかしらね……」女の人は陽向人に向け目を細め、見つめる。また陽向人は女の人を鋭い目で睨み返す。

「師定、そこにパソコンが入っているわ」女の人が指で差した先は陽向人のリュックではなかった。

「木陰に隠れてるニンゲンが……いやゲーム界に行かなかった哀れな奴がひっそりとあのバッグにしまい込んでいるわ」女の人の人差し指は私に向けて伸びている。

「そ、そんなことは無い!万から奪ったパソコンは僕が背負ってるリュックの中に……」「嘘をついているわね」女の人は陽向人の言葉を遮り、静寂な声を発する。

「微かに声帯の筋肉、足全体の筋肉の強張りがある。動揺している証拠だわ。そして、物陰に隠れている奴も私が見抜いてた時に瞬きをせずに私を凝視している。わざわざ私に手取り足取り教えてくれたわ。ありがとね」女の人はおどけて口角を上げ、ウィンクする。

 陽向人と私は硬直した。私が無意識にやってしまった行動をあの女の人には全て見抜かれている。あまりにも観察眼がある人だ。何も言えなかった。何か言おうと、何か行動をしようとしても上げ足を取られてしまうと思った。

立ち尽くすしかなかった。

「さあ、師定。パソコンはキャリーバッグに入っているから取り返してね。バイバーイ」「ちょっと待つんじゃ」白い髭をたくわえたセニオルさんは白いマントをはためかせながら女の人へ歩み始める。

「なあに?おじいちゃん私に何か用かしら?」「何が目的じゃ」セニオルさんの問いにミユが大袈裟に首を横に九十度傾げる。

「おい!さっさと返せ!」万は木の陰に潜んでいる私へと向かってくる。私は今から万に追われる身となってしまう。

「待て!」私に目がけて走ってくる万の後ろに陽向人が走り、陽向人は両腕を大きく広げ万の身体を取り押さえる。万は後ろから取り押さえられた衝撃でアスファルトに身体を打ち付けられる。

「羅奈!逃げて!万は僕が足止めしておくからノートパソコンを守って!」「うん!」私は陽向人の言う事に大きく頷き、万から背く。


 *


「なあに?おじいちゃん私に何か用かしら?」「何が目的じゃ」杖を突きながら二人に問う。

「何が目的ってなにのことかしら?」「人々を襲って何をするんじゃ?」セニオルは杖をその場にものすごい勢いで突く。

「わしらが一丸となってこの世界で再建しなければいけない時に、人類が争い合うことに意味があるのじゃろうか。わしはあんたたちに訊きたいのじゃ」セニオルの目は二人を直視している。

「…………………………ハハッ」セニオルは女の人の言動に眉間のしわを寄せた。「何が可笑しいんじゃ」

「…………ハハッ。ハハハハハハハハハ!面白いこと言うわね!真面目そうな顔をして何を言い出すかと思ったら高等なギャグを言っちゃって!ハハハッ!思い出すだけで笑いが出るわ!ハハハッ!」女の人は静寂の中、高らかな笑い声を鳴らす。

「面白おかしいことじゃないわい!ひたむきに一所懸命に……」「あなたこそ面白おかしいことを言わないでよ!」女の人は顔を変えたように笑いの表情を消し去った。

「こうやって世界が反転するきっかけを作ったのは誰なのよ!……」女の人は一呼吸置く。

「……ニンゲンよ」セニオルは大きく目を開く。「それは……そうじゃが……」セニオルは杖を握り締めた。

「ニンゲン達が私達の世界を破壊していった。だから世界は反転した。ここまでおじいちゃんでも分かっているでしょ?」セニオルは頷きざるを得なかった。

「……それでもおじいちゃんはニンゲンの肩を持つの?」セニオルは狼狽えていた。

「おのれ!ニンゲン!」

 地面にひれ伏していた万の身体が僕の身体を吹き飛ばし咆哮をあげた。僕が万を取り押さえている間に羅奈はノートパソコンが入ったキャリーバッグを持って、いずこへと去った。

「お前のせいで、獲物が逃げちまったじゃねえか!お前が俺の取引に素直に応じていりゃ命の保障はしてやったのになあ!」

「僕達だってノートパソコンが必要なんだよ!万には返さない!」

「ふん。まだ取引に応じないってことだな?」

「ああ!まだ応じない!」

「そうか。良い物と交換してやるのになあ?」

「いいもの?ノートパソコンと何を交換するつもりだ?」僕は万に訊いた。

「お前が一番欲しいものだ」万は断言した。

「僕の……欲しいもの?」僕の思考回路で「欲しいもの」を検索しても何もヒットしなかった。

「まあいい。お前が俺と取引する気がないのなら仕方ねえ……」万は背の黒いマントを宙にはためかせて、腰のホルダーへと手をかける。


 *


 私は五分ほど走ってきた。もう陽向人と万の姿はもう見えない。私は高く聳え立つ集合住宅に来た。ここは屋上があり、この辺り全体を見渡すことが出来る。まだケモノが破壊していない建物があるなんてちょっと奇妙に感じた。

 私は再度後ろを見やり、屋上へと続く階段を上っていく。

「このキャリーバッグ、屋上まで運ぶのかあ」少し重い荷物を屋上まで持って行くのが億劫になったが万から逃げることを考えると屋上に行かなければいけないので嫌々ながら持ち上がることにした。


「ふう……着いた」

屋上へと出る扉まで登ってきた。

扉の周りは物置としてあらゆるものが散乱していた。脚立だったりロープだったりバケツがあるが、拳銃や剣、槍など物騒なものまであった。

 私は扉のドアノブを捻り、扉を押す。

「誰だ!」屋上へ出るな否や、後ろ以外の三方向から私に向かって近距離でライフル銃の銃口を向けられた。屋上には十数人の先客がいた。

「わ、私は……」今までの人生であらゆる方向から銃口を向けられ、いつでも引き金を引かれて私の命を落とすか分からない恐怖感が身体を襲った。屋上の扉から離れた場所から片目に黒い眼帯を付けた私の身長より一回り大きい男が私に近づいてくる。両腕に包帯が全体に巻かれている。

「コンティニューブレス……?」眼帯の男は私の左腕にある赤い機械を見て訝しげな顔をした。

「隊長!こいつをどうしますか?」私から見て右方向の男が眼帯の男に尋ねる。

「珍しい客だ。一旦話を聞こう。銃を下ろせ」三方向の銃口は下に向けられ、私は少し安堵した。

「あ、ありがとうございます」命拾いして私は何故か感謝した。

「なぜここに来た?」「いや、私は人から逃げてきてここに隠れようと思って……」

「そうか」眼帯の男は威圧感を放ちながら私を観察する。その時、眼帯の男の首にホイッスルが提げられていることに気が付いた。

「お前は己に対して敵意は無いようだな。己は銃戟隊隊長、グンだ。よろしく頼む」

「銃戟隊隊長……それってまさか、レボルさんの旦那さんですか?」

「ああ!お前はレボルを知っているのか!」

「はい!あの【アサヒ】でリフレ君と赤ちゃんと三人で楽しく暮らしていますよ。安心してください」グンさんはほっと一息ついた。

「よかった。世界が反転してから一度も会っていない。レボルたちの現状を聞けて嬉しい」グンさんは手を差し伸べた。私はその手に応じて手のひらと手のひらを合わせ、お互いに握った。

「お前ら。各自、自分の任務に戻れ。怪しい動きなどを確認でき次第、逐一報告を願う」

「ハッ」私に銃口を向けた人たちが屋上の淵に立ち、ライフル銃を地面に立たせて、建物の周りに目を張る。

「それでお前の名前は?」「私の名前は真海羅奈です。ラナって呼んでください」私はグンさんに一礼する。

「ラナか……それで改めて聞くことになるが、なぜこの建物に来たんだ?」

 私はこれまでの万のことをグンさんに話した。


 *


「まあいい。お前が俺と取引する気がないのなら仕方ねえ……」万は背の黒いマントを宙にはためかせて、腰のホルダーへと手をかける。

「さあ……お前の命を俺にくれよ!」

 赤黒いナイフを取り出し、万は僕を目で捉え風を切る。

 逃げるしかない。避けるしかない。

 僕は刃をかわそうと横に体重をかける。

「あれ?体が重い」僕は思った。

 赤黒い刃からは危機一髪のところで躱した。しかし刃が再び僕に襲い掛かる。

 次々と僕の身体を襲いかけてくる刃を躱すが、僕の体に妙な感じがある。

 アサヒで万が襲い掛かった時と今の僕の格好は変わらないはずなのだが、背中が四百グラムか五百グラム重い。

 リュックの中身は変えていないはず……

 そうか。あの時だ。


「良かった。羅奈が元気になって。あっ……その男の子……」

「陽向人、知ってるの?」

「うん。僕の頭にボールを当てた子だ」

 アサヒのテントを修理している最中に羅奈たちが来た時、僕は自分のリュックサックに赤いトンカチを入れたんだ。


「よし」

 僕は右の肩に乗っている肩紐を外す。そして左肩に取り残されているリュックの肩紐を右手で持ち、リュックを万の身体へとぶん回す。

「ぐはっ」

 万がリュックの衝撃で数歩後退りをした。狼狽えている隙に対抗するため、アサヒのおじさんから無断で持ち出してしまった赤いトンカチを取り出す。

「おじさん、少し借りるよ」アサヒに帰ってきた時は真っ先に返しに行かないといけないけど、今は万から逃げないといけない。リュックを道端に投げ出し、右手でトンカチを強く握り万との戦闘態勢に入る。

「もうこんな子供のゲームみたいなイージーモードで遊ぶのは、やめな。拙いお遊戯は閉幕だ!」万は持っていた赤黒いナイフを空高く投げ上げ、身体を前傾した。

 万は疾駆し僕の目の前まで来ると、身体を捻り右足を軸にして、僕の頬へと左足を高く上げる。足の甲が僕の右に目がけてやってくる。トンカチを飛んでくる足の甲に合わせてブロックし足を振り払う。

 すると僕が跳ね返した勢いで万は後ろを向き、左足は地に着いたが、すぐさまに逆の右足を上げ、今度は僕の左半身にキックが入る。

 咄嗟にしゃがみ込み、僕の上空に万の足が横切る。

 横切った万の足が地に着き、万が視線を僕から外す場面を確認すると、僕は右手のトンカチを再び強く握り、万の身体に目がけて大きく振りかぶる。

 しかし、勢いづいたトンカチは万の左腕によって阻まれ、トンカチと僕の右腕は動きを止めてしまった。

 万は左腕を僕の脇腹へと叩き込み、僕の身体は後ろへとやられてしまった。僕は息が上がっている

「さあ、エンドだ」

 万は手を高く掲げ、手のひらを曇天の空へと向ける。するとさっき万が空高く舞い上げた赤黒い刃が手のひらに向かって落ち、逆手で刃を掴む。

「うおおおおおおッッ!」

 万は雄叫びを上げ、こっちに駆けながら腕を上げ刃が僕へと向かう。

「な、なに⁉」

 万の右腕は僕の左手で掴み、刃の動きを受け止めていた。網膜から五センチ先に鋭利なものがある。

「もうやめるんじゃ!二人とも!」

 横からセニオルの声がした。

「今ここで争い合っても意味が無い!だからその刃と鈍器を置くんじゃ」

 白いマントが風に吹かれながら、セニオルは杖に体重を預け僕達を見ている。

「なあジジイ。俺を止めるなよ」万はセニオルの方へと顔を向ける。

「いいや。わしはアンタを止める。何があろうと互いに命を奪おうとすることは絶対に許される行為では決してないんじゃ」セニオルの言葉は万を鼻で笑わせた。

「ジジイなあ。今、世界は反転している。ゲーム界ではそんな綺麗事が大きな声で言えたかもしれないが、ニンゲン界じゃ綺麗事なんて通用しないんだよ」

「あぁ。そうかいそうかい。ニンゲン界っていうものは綺麗なことでは生きられない世知辛い世界なんじゃな」

「もう話は終わったろ?今からこいつを殺す。ジジイはそこで目を見開いて待ってろ」万は僕を顎で指しながら、刃を投げ上げ、順手へとナイフを持ち直す。

「いいや!もう目の前で命が無くなるのは見たくないんじゃ!」

「あぁ?じゃあお前を殺す。いいな?」

「わしは死なん。とにかくその刀を置きなさい!」

「あぁもうジジイ……ごちゃごちゃ煩いんだよ!」

 赤い目は白いマントへ標的を変えた。

「セニオルさん!危ない!」

 僕の足はセニオルの元へと駆け出していた。

 このままではセニオルが刺されてしまう。

 どうしたらセニオルを救えるのか頭の中で演算する。

 結果はすぐに出た。


 僕は足を止めた。


「ヒムト!わしを庇うんじゃない!早く避けるんじゃ!」僕の背後からセニオルの声が響いてくる。

セニオルではなく僕の身体に赤黒いナイフを受け止めることにした。

前から万の赤黒い刃が向かってくる。

 これでいい。

 僕がいなくなればセニオルが生き延びる。

 瞼が自然と閉じられていく。

 視界が狭まれる度に黒いマントが僕へと近づいてくる。

 そして、完全に僕の視覚は瞼の裏を感じ取る。

「早く避けんか!」後ろから杖を突く音が二回鳴り響いた。

 その瞬間、自分の身体が誰かに持ち上げられるように、ふわりと浮遊した感触がした。地面に足がつかなくなった。足をバタバタさせても地面が見当たらない。

 そして、自分の身体が地面へと倒れた。すぐさま覚悟した瞼を開け、目のレンズに景色を映す。

「セニオルさん!」

 そこには、何も変哲もなく白いマントを背中に生やし、杖をつき腰を曲げながら立っている普通のセニオルがいた。

「……ッグッ」セニオルの先に地面にへばりついた万の身体があった。

「言ったじゃろ。【わしは死なん】とな?」

「……」万は体を起こし、刃を掴む。

「ウワアアァァ」万は再びセニオルに歯向かう。

「何度やっても同じじゃ」セニオルは杖を地面から剥がし、激しく突き落とす。閑静な世界がセニオルの音と万の咆哮で満たされる。

 すると万の身体は空気中へと浮き上がりセニオルから離れていく。黒に包まれた四肢は見えない何かに抵抗して足掻くが、何も起こらない。

 やがて地面に着き、万は鋭い目つきでセニオルを睨む。

「一体何がどうなってるんだ……」万は呟いた。

「わしはただ死なない。それだけじゃよ?」セニオルは睨む目をしわが溜まった眼差しに合わせる。

「くそっ……」睨んだままもう一度赤黒いナイフを手に取る。

「ねえ!師定!」家の屋上から首に細長く黒いものを巻いた女が万に呼びかけた。

「止めるな!ミユ!」赤い目はセニオルを捉えたまま女に返事をする。

「師定。逃げるよ」次に中性的な男が飛び降り、二人は万の両横に立ち、セニオルを見やる。

「まだあのジジイを諦めてない。逃げるわけにはいかない!」万はセニオルに一歩近づく。

「いや。このままここにいると俺らが袋の中のネズミになる。今すぐ逃げたほうがいい」男は真っ直ぐ万を見る。

「急ごうよ!早く行こ!」

 ミユと呼ばれた女はアスファルトを蹴って、この場から去っていく。

「ちょっと待て!ミユ!」

「急ごう」カイと呼ばれた男もミユについて行く。

 あれ?

 カイは革の靴を履いていたが、ミユは何も履物を履いていなかった。今のニンゲン界は道が瓦礫で溢れかえっていて、もちろん窓や扉に使われていたガラスの破片が散乱している。カイとミユを追いかけ、万も腰のホルダーに赤黒いナイフを仕舞い走り去る。

「おい、ヒムト。怪我は無かったか?」セニオルが未だに地面に伏していた僕に訊く。

「はい。それにしてもセニオルさんって……」

「わしのことは後回しじゃ。奴らが言っていた【このままここにいると袋の中のネズミになる】ってのは何なんじゃ?」


 *


「おい!ミユ!カイ!なんであのジジイから逃げるんだ?」前にある二つの背中に向かって俺の疑問を投げかける。

「あのおじいちゃんから逃げ出したわけじゃないわ!私もカイも感じたのよ!」一番前にいるミユは足裏を黒い道をペタペタと走る。

「一体何を!」

「とにかく一刻も早くここから逃げ出さないといけない!」カイが進む足を休めずに俺に振り返って返事をする。

「だから何から逃げるんだって!ミユ!カイ!」

 突然、前にいたミユとカイは足を止めた。

「くそっ!私達が一歩遅かったようね」「そうみたいだ。このまま真っ直ぐ進んでも先にいる」ミユとカイは何やら話しているだが俺には何を話しているのかさっぱりだった。

「カイ。次はどこに行けばいい?」ミユの言葉でカイは瞼を瞑り、耳の後ろに手を当て四方に耳を傾ける。

「私も見つけるわ」ミユは一度目をギュッと瞑り、開き、辺りを見渡す。

「あった」「あった」ミユとカイは同じ方向に目を、耳を向けて一斉に声を出した。

「師定、急ぐよ!」ミユとカイはまたも走り出す。俺も二人に合わせて走るしかなかった。

 僕が走り出した途端、道端の木々の枝が付いていた枯葉を落とすように揺れた。


 *


 屋上の真ん中で私はキャリーバッグに少し体重を預けて座る。グンさんは常に警戒するために仁王立ちで銃戟隊の隊員の機微を確認しながら私の話を聞く。

「そうか。そのヨロズってやつがラナ達を襲ってここまで来たんだな」私は小さく頷く。

「わかった。ここの警備と同時にそのヨロズを見つけたら、羅奈に報告をしよう」

「ありがとうございます!それにここで休ませて頂いて本当にありがとうございます」

「いやいや。こうやって命懸けで生き延びていく者同士、助けるのがスジだろう」

 グンさんは片目で辺りを見渡す。

「お前ら。任務追加だ。赤のローブ、黒いマントを羽織った男が現れたら報告してくれ」

「ハッ」警戒している銃戟隊の皆さんはグンさんに敬礼をして再び目を見張る。

「グンさんは、なんで銃戟隊を結成したんですか?」私はふと疑問になった。

「なぜ銃戟隊を……?」グンさんは眉間にしわを寄せる。

「そこにケモノがいたから……」小声で呟いた。

「何もできずにケモノがありとあらゆるものを破壊していく様を止めるために、己の手が武器を取った」グンさんはなにも動じずに淡々と口から言葉を出していく。

「己は特別なことを逐一やってはいない。出来るだけのことをやった。それだけだ」

 出来るだけのことをやった。私の脳内で反芻する。

「隊長!」

 ある隊員がグンさんに向かって叫んだ。

「どうした⁉」グンさんも形相を変えて隊員に言葉をかけた。私の目に飛び込んできたのはライフル銃を構えた一人の隊員がその場で倒れてしまった光景だ。息が上がった隊員の傍にグンさんが寄り添う。

「ワタシのお迎えが来たようです……隊長……」汗を滝のように流している隊員は喋るのもやっとの気力でグンさんに伝える。

「あ!」私は思わず驚きの声を上げた。隊員の四肢が段々と光の粒子となって消えていく。その姿を意図もせず瞼を吊り上げ刮目してようと、すぐさま立ち上がる私がいた。

「くそ。お前もここまでか……よくやったぞ」グンさんは隊員の胸に手のひらを優しく合わせ瞼を閉じる。

「この命は銃戟隊、そしてみんなのために捧げた。トリゲル。ありがとう」周りにいた銃戟隊の隊員たちは警備していた身体を消えていく隊員に向け、自らの胸の真ん中に当て、黙祷する。

「グン隊長……今までありがとうございました……」隊員はそう言い残し、跡形もなく隊員の身体が光の粒子となって消えていき、笑顔の面も消し去っていった。

「な……なんで……」私は二つの足で支えていた胴体を落とす。脳内にフラッシュバッグするクノーさん達が消えていくあの光景。

「トリゲルは銃戟隊の一員としてケモノの討伐を全うしてくれた……そしていま、混濁した世界から救われることができた。トリゲルの願いが叶うまで銃戟隊は存続する」グンさんはうっすらと瞼を開き、目の前に倒れていた隊員がいなくなったことを目に焼き付けた。

 グンさんは長い息を吐き、立ち上がる。

「さあ。前に向かおう」グンさんが黙祷している隊員、全員の顔を見ると、隊員たちが重く閉ざされた瞼を開いていく。そして隊員たちはライフル銃を構え、周りを見渡す作業に戻っていった。

「なんで……」あんなに元気に声を上げていた人が突拍子もなく消え去ってしまった。しかも消えた理由もわからずにグンさん達は隊員の一人が消え去ることを受け入れることができたのだろう。私は頭がこんがらがって熱を帯びていくような感触がいつまでも残っていた。身体が地面に落ちていく。

「ラナ」グンさんは何も考えられない私に話しかける。

「あいつ、トリゲルはほんのさっきまで死への誘いは微塵も感じていなかっただろう」

「じゃあ!なんであのトリゲルさんは!」私は叫びたいわけでもないのに大声を上げてグンさんに訴えかけていた。平常心を失い目から雫が垂れ落ちていくのも感じることができずに、脚に、腕に、喉に、目に力が入る。

「トリゲルだけじゃない。誰がいつなんどき身が朽ち果てて、亡くなってもおかしくはない。常に死の恐怖を持って生きている。ゲーム界にいた時もニンゲン界に来てからも突然死んでいった仲間を嫌でも何回も見てきた。これがたった一回の別れじゃないんだ。幾度も幾度も手のひらにある隊員の鼓動が無くなり、目を開けて、居たはずの命が何も残らず消えていく苦しみを感じてきた。死ぬのは誰だって怖いんだ……ラナもそうだろ?」グンさんは静かに言葉を紡いだ。

 私はグンさんの言葉を聞くことしか出来なかった。いや、聞いていることしか方法が無かった。

「己も隊員が消えていく理由もわからない。もちろんトリゲルもなぜ消えていったのかすら分からない。ただ今することは、消えていった命を悲しんで心を荒ぶことよりも、今ある命を守り抜くほうが大切なんじゃないのか……だから……」

「隊長!大変です!」隊員が声を上げた。


 *


「おっと。こっちは面白くなってんじゃねえか」

 檻の向こうにある沢山のモニターには様々な光景が映し出されている。静寂にニンゲンが営んできた証拠の瓦礫が静止画のようにあるモニターもあれば、群れを成して数少ない建物が次々と破壊されていくモニターもある。

 また人気もなく従来のニンゲン界ではあった活気も消え失せた町で木々がそよぐだけの映像もあれば、変わらず人の往来が盛んな街の映像もある。

 そんな中、ニンゲン界にいる二匹のニンゲンを見つけた。

「さて、何をするんだろうな」

 オレは手に乗せてある無機物を強く握る。

 一個のモニターに動く黒い針が何本も映し出す。


 *


「ごめんよ。ヒムト」僕の腕をセニオルの肩に乗せられた。

「セニオルさん、あれはいったい何ですか?」「あれとは何じゃ?」セニオルは首を傾げる。

「僕と万を空中に浮かせたりだとか、【わしは死なん】とか……一体セニオルさんは何をしたんですか?」「あーあれか」セニオルは遠くを見つめた。

「何をしたって危ないと思ったからじゃ」セニオルのあっけない返答に余計に困惑した。

「わしはただ危ないと思って地に杖を突いた。それだけじゃが?」

 簡単なセニオルの言葉で余計に頭の思考回路が混乱した。地に杖を突いただけで万が空中に投げ出された?たしかに僕が万に刺されると決心した時にも後ろでセニオルは杖を突き、僕の身体が空中に放り投げられた。セニオルは超能力者なのだろうか。もしくは手品師なのであろうか。

「ちょっと待つんじゃ!」セニオルが立ち上がろうとした僕の動きを止めた。

 頭の上に何かが通った感触がした。セニオルは僕の後ろを見やった。

「針じゃ」「針?」僕も後ろを見ると壁に円状に亀裂が入っている。その亀裂の中心には黒い針が刺さっている。

「何で針が……」

 大きな地鳴りがした。無数の地鳴りが足に伝う。

「あれを見よ!」前を見ると黒の巨体が僕達に向かってきていた。


 *


「隊長!大変です!」銃戟隊の隊員がグンさんに向かって大声で報告する。

「ケモノの大群を発見しました!」

「よし。撃て!」グンさんの一声が静寂の中、響き渡り銃撃音がすぐさま鳴り響く。

「ラナ!倉庫の中から出来るだけ多くの武器を持ってきてくれ!」そう言ってグンさんは大きく息を吸い込み、首にぶら下げたホイッスルを口に咥え空気を吹き込む。

 銃撃音が降り注ぐ中、乾いた笛の音が遠くへと鳴り渡った。


 *


 笛の音が耳に届いた。

 あの建物の屋上からだ。道の真っ先にヤマアラシの大群が僕とセニオルに向かってきている。

「セニオルさん!早くどこかに隠れないと!」僕はセニオルを連れてヤマアラシの大群から隠れるように民家の壁を盾にして、針を避ける。

 僕はポケットから電話を取り出す。


 *


 電話のコール音が鳴り響いた。

 銃や槍を屋上のバルコニーに運んでいる最中だった。銃戟隊の銃撃音とグンさんのホイッスルが響く。一度重い荷物を地面に置き電話に応じた。スマホを耳に当てる。

「もしもし!羅奈!大丈夫?」「大丈夫!陽向人は大丈夫?」電話の向こうでは銃撃音とホイッスルが鳴っていた。

「万からは何とか生きて来れたけど、ケモノがこっちに来てる!」「あ!私は建物の屋上にいるの!陽向人が見えるかもしれない!」

「あ!それって笛を鳴らしている建物⁉」「そうそこ!」屋上から見下げるとセニオルさんと陽向人の姿が見えた。

「そっか。実は針がこっちに飛んできていて羅奈と合流できそうにないんだ!」「え?そうなの!実は建物の屋上に銃戟隊がいて、なんとかケモノに攻撃してるの!」

「え!銃戟隊と合流したの⁉」「うん!」

「僕とセニオルはケモノに対抗できない。だから逃げるね」「その方がいいもんね!気を付けて逃げて!」

「ありがとう羅奈!あとでちゃんと会おうね!生きているんだよ!」「うん!」

 電話が終わり通話終了の音が鳴り響く。だがその機械音に耳も傾けられずに再び武器を運ぶ。

「ケモノから距離を取れ!針が飛んでくる!刺されたら一溜りもない!」グンさんは一つ残されていたライフル銃を持ち隊員と一緒に一方向にケモノに向かって攻撃する。

 地面から目にもとまらぬ速さで黒い針がヤマアラシの大群から飛んでくる。

「一体、どこが弱点なんだ⁉」隊員が言葉を吐き出す。

「とにかく撃て!」全方位に配置していた隊員はケモノに一点集中するために一方向に銃口を向け、針の大群に鉛の弾を放つ。


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