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DEATH ERASE MINE/デス イレイズ マイン  作者: 堺 かずき
第1ゲーム
6/14

第6章 獣の姿

僕の鼓膜に高い音が届いた。笛の音だとわかった。

「一体、何の音じゃ?」

 杖を突いているセニオルにも当然聞こえたらしく辺りを見渡している。行き交う人々も歩みを止め、首を動かす。

 胸の鼓動が意識せずとも高まっていく。

 僕は頭の中で思考するが、なにも浮かばなかった。

 だが一向に何も起こる気配がなかった。

「なんだよ…もう行こうぜ」

 人ごみの中の一人が言った。するとそれを聞いた人々が動き出す。

 一瞬にして笛の音が鳴る前の風景へと戻ってしまった。

 僕の鼓動は未だに高まっている。

「ヒムト、今の笛は何かが起こる予感がするぞ」

 セニオルも何かが引っ掛かっている。

「聞く限りじゃと、かなり近くで笛が鳴った」

「たしかにかなり大きな音でした」

 僕の鼓膜から周りのざわめきを抜け出すようにゆっくりと目を閉じ、耳へと集中させた。そして笛の声を脳内で再生する。

 ピーーーーッ。

 右耳と左耳に届いた笛の音が脳内に響き渡る。右と左の耳に届いた音の情報はわずかに違っていた。左耳の音量が大きく聞こえた。笛の発信源は左にある。

 だが真っ直ぐ左ではない。斜め前にあるのだろうか。

 もう一度脳内に笛の音を流す。

 空気中の音の響き方。人々のざわめき。

 笛の響き方はどこかこもっている。大きな音のこもり。それは笛の発信源と僕の場所の間に壁がある。そういえば笛は下からの振動は弱く、上から響いてきた。

「この【アサヒ小学校】の外だ!」

 僕は両手と背中の荷物を揺らしながらグラウンドから外へと続く門に駆ける。

「おい!ちょっと待ってくれ!」

「セニオルさんは来なくてもいいです!ただ笛の音の在り処を確かめに行くだけですから安心してください!」

 僕は人混みをかき分けながら進む。背中の荷物の重量はほとんど感じなかった。

 早く笛の音の在り処を知るために踏む度にじゃりじゃりと鳴る砂を鳴らす。

 胸の鼓動は鳴りやまない。落ち着きがなかった。

 僕は足を動かすギアを上げた。


 *


 この青色の笛を吹いてみたはいいが、ただ大きい汽笛を鳴り響いただけだった。

「ったく。なんだよあの女は!」

 全く効果が見られない。ただ青色の高い汽笛が鳴っただけだ。

【アサヒ小学校】のざわめきが一瞬途切れたが、再び賑わっている。

ミユとカイに聞いた話だが、学校の跡地は人々の暮らしの場になっているらしい。【アサヒ小学校】も例外ではない。校外に漏れ出る賑わいは世界が崩壊する前の町の賑わいとさほど変わらない。

 この世界が崩壊してからは殆ど耳に音が届いていないため、久しぶりに聴覚を使った。崩壊後の世界は俺しかいなかった。

 握っている青色の笛を見つめる。

「吹いてからのお楽しみよ!じゃあ私とカイはまた別の目的地に行くから師定はちゃんと【アサヒ小学校】に行くのよ!寄り道はいけないからね!」

 ミユの言葉を思い出す。

 青色の笛。

 この横笛に何かあるのだろうか。笛は澄んでいて美しい。

 突然、地響きが足から伝わってくる。

 まだ遠い場所で響いている気がしたが、とても大きな地響きだった。

 まさか、この青色の横笛を吹いたからなのか?

 もう一度、この笛を吹いてみる。

 青色の横笛の吹き口に唇をつける。

 ピーーーーーーーッ。

 さっきの一回目よりも多くの空気を吹き込んだ。


 *


 地響きで僕の動く足は止まった。

「なんだなんだ?」

 周りの人々は笛の音とは違い、ざわめきが収まらない。

「まさか、ケモノか?」僕を後からついてきたセニオルが震える手で杖を地面につく。

 ピーーーーーーーッ。

 二回目の笛の音が鳴った。

 人々のざわめきは笛の音でさらに増した。

 止まった僕の脚は再び動き出す。

 大きな地響きが鳴り響く。一回目の地響きよりさらに大きくなっている。でも僕は足を動かし続ける。

 さらに地響きが鳴る。確実に大きくなっている。あともう少しで笛の発信源を特定できる。門をくぐり抜けるまでこの足は止まらないだろう。

 ピーーーーーーーーーーーーーーッ。

 さらに長い笛の音が響き渡る。続けて大きくなる地響きが足に伝わる。

 ケモノが来ている。この笛の音はケモノを呼び出している。そうに違いない。

「なんだ?あれ!」

 この言葉が耳に響いた。群衆の中の一人が発した声で咄嗟に足を止める。

 辺りを見渡すと黒い巨体がスタンドの反対側にいる。顔を覗かせている。

 一見、ニンゲンのような姿をしたケモノだが、長い両腕の先に伸び切った黒い爪がある。毛むくじゃらで猫背な体勢だ。

 僕はケモノを見て後退りをする。

 黒い巨体はこちらに向かってくる。

「うわああああああああ」

 群衆は巨大なケモノの姿に怯える。

「みんな!建物に入るんじゃ!」セニオルが群衆に呼びかける。

【キィィィィィィィィィ】

 黒い巨体が轟音と似た鳴き声を発する。さらに大量のテントで覆われた一つの町に黒の巨体がまた一歩近づいてくる。

 ピーーーーーッ。

 ケモノの姿が現れたにもかかわらず笛の音は一向に止まない。

「とりあえず、みんなを避難させないと命に関わりかねない!早く逃げるんじゃ!」

 セニオルは大きな声で群衆に呼びかける。群衆は恐怖で震えた足を自らの命を守るために動かす。スタンドには校舎に避難する群衆の流れが出来ている。

【キィィィィィィーーー!】

 ケモノは笛の音でさらに興奮している。

「よし、笛の音を止めないと!」僕は幾度も動かしては止めている足を笛の発信源へと運ばせる。ケモノを落ち着かせないとこのままではこの【アサヒ】という一つの町が破壊されてしまう。

 しかし、群衆の校舎に逃げ込む流れが僕の行く手を阻む。

「あー!もう!」

 僕は動けずに嘆くことしか出来なかった。

 ピーーーーーーーーッ。

【キィィィィィィィィッ】

 笛の音とケモノは共鳴している。


 *


 私はベッドの上でいつの間にやら寝てしまったようだ。

 私の目覚まし時計の代わりとなったのは地面からの振動だった。

 再びケモノからの襲来の恐怖を思い出す。

 ピーーーーーーーッ。

【キィィィィィィィィ】

 笛の声とサルのような鳴き声がテントの外で響き合っている。さらにこの【アサヒ】の住人が砂埃を立ててどうやら一方向に走り去っていくのが見えた。

 私は薬草で染みた怪我の場所をズボン越しに手で押さえながらクノーさんのテントを出る。すると、とても巨大な黒い人のような怪獣がどんどんと近づいてくるのが見えた。

 鋭利な爪。この怪獣が【アサヒ】を襲おうとしている。

 ピーーーーーーーーーッ。

【キィィィィィィィィィィ】

 怪獣の鳴き声と笛の声がお互いに響き合っている。

 この町の住人が一方向に逃げている中で立ち尽くすクノーさんを見つけた。

「クノーさん!」私は人混みの雑音に負けないように必死に呼びかける。

クノーさんは怪獣を見ながら涙を流している。

「あなた……」私の目にはクノーさんがそう呟いているように見えた。

「クノーさん早く逃げたほうがいいですよ!」私がそう呼びかけた瞬間、クノーさんは我に返ったのか、一度大きく目を見開き、私に視線を向ける。

「ああ!ラナ!怪我はどうだい!」

「そんなことより、クノーさんは早く逃げて!」私は大声で叫ぶ。

「ラナをほっとくわけにはいかないわ!」

 私はクノーさんに向かって足からの痛覚を頭で感じないように制御しながら歩み始める。

 一歩ずつ。一歩ずつ。クノーさんに近づいている。

「クノーさん!一緒に逃げましょう!今ならまだ間に合うはずです!」

 住民のみんなは足が遅い私と完全に足を止めているクノーさんを避けながら怪獣から逃げる。

【キィィィィィィィ】

【アサヒ】の町の空中に黒が過ぎていく。怪獣の腕だ。

 黒の腕が【アサヒ】に風が起きる。テントもなぎ倒され私の身体も風で吹き飛ばされる。五メートルもなかったクノーさんとの距離が一気に五十メートルにもなった。

 私の身体はテントを立たせていた支柱にぶつかる。

「ラナ!」

 クノーさんは全身を打撲した私に大声で叫ぶ。

 再び、【アサヒ】の空に黒の腕が通り過ぎる。今度は逆方向に腕が通ったが、低く通り過ぎた。腕の行方を見ていくと、立っていたクノーさんの身体を石の塀に打ち付けていた。巻き込まれた住人のみんなも壁から地面へと打ち付ける。

「みんな!」

 石の塀に打ち付けられたのは七十人ほどいた。石の塀にぶつかった衝撃がひどく、打ち付けられたみんなは動けずにいた。


 *


 僕の目にはとても信じられない風景が広がっている。ケモノの腕で壁に当てられた人々が動けずにいる。全部のテントが倒れ、グラウンド全面が見える。校舎に逃げ込む人もいなくなった。その中でテントの残骸にクノーのテントで治療していた羅奈を見つけた。

「羅奈!」「ラナ!」

 僕とセニオルはありったけの声量で羅奈に呼びかける。僕は倒れている羅奈に駆け寄る。テントの布などを踏みながらも羅奈の傍に寄る。

「クノーさんが…」羅奈は澄んだ黒目に涙が溢れていた。

 石の壁に打ち付けられている人々を見ると、頭にターバンを巻いたクノーがいた。

「もう逃げないと!」

「でも!あの人たちを助けたいの!」

「それは無理だよ!羅奈!打ち付けられたみんなを助けることは出来ない!」

「できる!絶対にできるもん!」

「どうやって!助けている最中に僕達がケモノに襲われて命が終わる!」

 羅奈はさらに涙を流す。

「だって!死んでしまったわけじゃないでしょ!」

「でも動けないなら、ケモノにもう一回襲われる!」

「ラナ!ヒムト!伏せるんじゃ!」

 セニオルは伏せながら叫ぶ。僕と羅奈も伏せる。

 腕が頭上に現れる。

 【アサヒ】に突風が巻き起こる。飛ばされそうになりながら必死にテントの残骸を掴んで耐える。

 今度は腕が高く通り過ぎただけで何も当たらなかった。

「次に低く腕を振り回されたら、みんなは死んでしまうのじゃ!ラナとヒムトは早く逃げなさい!」

「でもセニオルさんは?私と一緒にケモノから逃げましょう!」

「わしはいいから早く逃げるんじゃ!」

「セニオルさん!」

 もう目の前に黒い腕ではなく伸び切った爪がある。もう助かる術はなかった。僕は死を覚悟して目を瞑った。

 羅奈も目を瞑った。

 その時、僕の鼓膜に突然響いた。

「フルバーストッッッッ」


 *


 私は身体に鋭利な爪で打ち付けられる痛みを感じることなく風の感覚が脳に伝わる。

 ありえない境地に立っている。

「え?」

 私は瞼を開けると、テントの残骸が見える。

私の目は下を見ている。

顔を上げる。

そこには二丁拳銃を両手で持ち、構えている緑色の髪の人がいた。後ろ姿で大きく息をしているのがわかる。体が上下に大きく揺れていたからだ。

怪獣に見やる。

うろたえている。

 頭で思考する。

 この人が助けてくれたのか?

「ねえ、あなたが私たちを助けてくれたの?」私は問いかける。

「誰だろうと私は助ける使命にあるから」緑色の髪がなびく。二丁拳銃を構えた両手を下ろし、私の方に振り返る。

 え?

 本当?

 ありえない。

 だってあれは…

 だってあれは、画面の中だけの存在。

 だからありえない。

 きっと誰かが同じような格好をしているだけだ。

 そう思っても、あまりにも似ている。

 本物に近い。

 本物だ。

 この世界に私がデス・イレイズ・マインで操作していた【カジ】がいるはずがない。

 もう一度緑色の髪の人を見る。

「どうしたの?そんなにジロジロ見て?」

 コスプレであっても完成度が高すぎる。完成度百パーセントに近い。

 骨格も緑の髪も武装している道具も、ずっとパソコンの画面で見てきた【カジ】と酷似している。

 そうだ。

 名前を聞くといいのかもしれない。

「あなたの名前は何ですか?」

 緑色の髪の人は返答する。

「私の名前は【カジ】。銃のハンターだよ」

 まさか、本気で言っているの?

「ここから早く逃げて。ケモノがうろたえているのも今のうちだから」

 私はまだ目を瞑っている陽向人の肩をたたく。

「ねえ陽向人。逃げるよ」

 陽向人の瞼が開かれる。

 陽向人も緑色の髪の人を見つける。

「あぁ。【カジ】だ」

 陽向人は目を大きく見開き、愕然としている。

「何をしておる!早く建物の中に逃げるんじゃ!」

 セニオルさんは狼狽している怪獣を、杖を突きながら見ている。

「コンティニューブレス、操作していたキャラクター……。これで条件は揃ったのか…」

 陽向人は呟く。

 ピーーーーーーーーーッ。

 笛の声が再び鳴り響く。

「大丈夫。この近くのケモノは殆ど殲滅した」

 緑色の髪の人は私たちに宣告する。

「よし羅奈、僕達はスタンドにいよう」

 なぜだろう。陽向人の言った意味が解らない。避難するはずじゃないのか。

「動ける?」

 陽向人は私の肩を持ってくれた。

 私たちはスタンドへと歩く。

 私たちがスタンドに座る際には笛の声はもう鳴り響いていなかった。

 カジは襲い掛かる腕を華麗に躱す。怪獣が低く腕を振り回すときには跳躍し、高いときには地面にひれ伏す。

 黒の腕が【アサヒ】の空を再び覆う。逃げるカジに鋭利な爪で切り裂こうとしている。

 私はふと、入ってきた門を見やる。


 *


 羅奈が目を向けた場所に僕も視線をやる。そこには一人の男がいた。その男はこちらを見てすぐに駆けてきた。僕は咄嗟に立ち上がった。男は腰にある何かを取り出し、それを僕達に向けて来る。

 この人は一度会ったことがあるだけなのに記憶が鮮明に残っている。

 万師定だ。万社長は僕らが奪った謎のノートパソコンを狙いに来ているのだ。だがここで暢気に奪い返されるわけにはいかない。

 赤い目が黒ずんだ小刀で僕らを襲い掛かる。

 赤い目が長い爪がカジとセニオルを襲う。

 万は一段と目を赤く輝かせる。

 ケモノも目を赤く輝かせた。

「おめえらを殺す!」万は足元に砂埃を起こしながら走ってくる。

「ノートパソコンはどこだ!」僕は羅奈に預けたキャリーバッグに万の狙っているノートパソコンが入っていることを思い出す。僕はしゃがみ込み、羅奈の耳の傍で囁く。

「キャリーバッグを持ってヨロズの社長との距離を置いて逃げていてくれ。僕はヨロズの社長には『ノートパソコンは僕のリュックサックに入っている』とウソを吐くから。絶対にそのキャリーバッグをヨロズの社長に渡すな」

 僕は立ち上がり羅奈の目を見つめる。羅奈はコクリと頷く。

「羅奈、大丈夫?立てる?」羅奈に手を伸ばす。僕の手に綺麗なかけがえのない白い手が乗った。少し震えているようだった。僕は慎重に、でも素早く引き上げた。

 僕は万に伝える。

「おい!万!あなたの狙いはヨロズのビルの受付にあったノートパソコンだろ!なら僕のリュックの中にある!」

「おう…そうか。ならお前を狙えばいいんだな?」赤い目は僕に標的を向ける。

 僕は入口とは反対方向にスタンドを走る。万はこちらを追っている。僕が走っている先にテントの支柱に使われていた鉄パイプがある。素手の僕では小刀を片手に持っている万には到底敵わない。これで対応できるかもしれない。

 荷物の重みで足元がふらつくが、耐えるように頭から伝達する。

 僕は鉄パイプを手に取る。五十センチの長さで先が直角に曲がっており、さらに十センチの鉄の筒が続いている。

 僕は振り返る。万は十メートル後ろにいる。身体を万に向ける。

 万が走りながら黒ずんだ小型ナイフを持った腕が僕へと延びる。

 僕はスタンドの階段を飛んで三段を下った。

「次は俺の餌食となるがいい…」万は赤黒い刃先を俺の身体に向けた。


 *


 私は陽向人に襲い掛かる万から逃げながらヨロズのノートパソコンを入れたキャリーバッグを砂の大地を引きづる。

 私はダメージを負ったクノーさん達が倒れている場所に近づいた。私はクノーさんに駆け寄り声を掛ける。

「クノーさん!大丈夫ですか!」微かに動いているクノーさんの肩を揺さぶる。

「ああ…」クノーさんは僅かに開いた口元から空気をこぼす。

「みなさん!しっかりしてください!」石垣の瓦礫が動かない身体を取り囲んでいる。一縷の望みをかけてみんなの身体を揺さぶる。動かないだけでまだ生きているはずだ。

「みなさん!しっかり…」日焼けている男の人の身体を揺さぶろうとした瞬間、あることに気が付いた。

 それは手首に腕時計をしている跡が残っていることだ。ささやかな気付きだった。その気付きは心の中にとどめておいた。

 私は倒れているみんなに声を掛けた。しかしながら誰一人立ち上がるどころか瞼さえ開けなかった。私は自然とクノーさんにまた駆け寄った。

「クノーさん!ちゃんと生きてくださいよ!」意識せずとも肩の揺さぶりが強くなってしまう。その時、クノーさんの手が私の手を合わせた。クノーさんの手は温もりが無かった。

「あの……ケモノの、名前は………」微かに漏れる空気が言葉となって私の凍えた耳の奥に伝わる。

「シノブ……」地面の砂にまみれたクノーさんの片手が揺すっている手をしっかりと震えながら弱い力だけど掴む。

「あの……ケモノが…、他の命を………奪う……前に…倒しておくれ…」クノーさんは瞼に溢れる渇いた涙をこぼす。

「世界が……変わっても…、真実は……変わらない…」砂の地面が渇いた涙で濡れる。

 私は砂にまみれたクノーさんの手の甲を掴む。

 クノーさんの瞳の奥には澄んだ黒が紛れている。私たちが接してきた大人たちとは違う瞳孔をしている。

「私たち…のことは……置いといて……いいからね……」

 また次へと零れる雫が落ちる。

私を包んでいた両手が地面に落ちる。問いかけても応答が無くなってしまった。

「私は身の回りに何が起きようとも受け止める。何をしなくても時は経ってしまう。一瞬でも立ち止ってはいけない」私の口がクノーさんの言葉をこぼす。

「私はどうすればいいんだろう?」

 再び私は世界で一人になってしまった。


 *


 俺の目は【アサヒ小学校】を映し出したモニターの画面に釘付けになっている。面白いフィールドが三つもある。

 一つはサル型のケモノと緑色の髪の女と老人が戦っている。老人はただケモノの攻撃をかわしているだけに見えるが、何かの作戦を企てているかもしれない。緑色の髪の女は二つの拳銃でサル型のケモノに弾丸を打ち付けている。ケモノの長い両腕をぶん回す攻撃を華麗に避けながら銃口を他方に向けることなく戦い続けている。

 一つは俺たちの裏切り者と、ニンゲンが情報の宝庫であるヨロズのノートパソコンを賭けて、僕たちの裏切り者が赤黒い刃をニンゲンに切りつける。ニンゲンは身を守ろうと鉄の筒を持って何とか命を繋いでいる。これだからニンゲンは生きることについてしぶとい。この声明のしぶとさとしては、俗に言うニンゲン界のゴキブリといったところだろうか。裏切り者の体力勝負となっている。

 一つは命を長らえている人とニンゲンとの対話だ。どういった経緯でニンゲンと親しくなったのか知らないが滑稽な光景となっている。力尽きた人はまるで亡骸となっている。まあ今の世界では亡骸は残らずに光のチリとなって跡形もなく消え去るのだから。

 さて、俺を閉じ込めた男、いや、【唯一の家族】と言った方がいいのか。今こうやって俺が初めてだらけのエンターテイメントを楽しんでいる間にも、唯一の家族が画面に映っている世界に行くために勤しんでいる。普段は俺には冷たいが。

 ニンゲンにとってデス・イレイズ・マインはただのゲームかもしれないが、俺たちにとっては大切な世界だ。

 檻に閉じ込められていなかったら、いつでもニンゲン界を好き勝手に遊んでいる人生を暮らしているだろうな。

 今は唯一の家族に何もかも道具を取り上げられている。今は腰に巻かれている無機物しか使えそうな道具は無い。

 このゲームはどちらに勝利の女神は微笑むのだろうか。生死を賭けたゲームがまさに始まろうとしている。

 俺は殆どの真実を知っている。二つの世界の真実で知らないことは「生命と肉体を司る者、未来と過去を司る者、創造と破壊を司る者、欲望と理性を司る者」の居場所ぐらい。

 躍起になって俺が探したって見つけやしない。俺が訊く限りではこの伝説は語り継がれているだけで実態を見た人はいない。

「生命と肉体を司る者、未来と過去を司る者、創造と破壊を司る者、欲望と理性を司る者、地にそれぞれの衝撃を与えるとき、我々はまだ見知らぬ地に降り立つ。決して慄いてはいけない。我を思い出し行動を移せよ」

 俺たちは白い光に包まれるまで信じ続けた。伝説が叶ったのだ。


 *


 静かな朝に私たちの母校である【アサヒ小学校】のグラウンドで響く声。

黒い巨人の呻き声。

巨人を倒そうとする銃弾の声。

鉄パイプと血糊がこびり付いている小型ナイフがぶつかり合う声

子どもの頃には到底考えつかない光景が顔を前に向けるだけで簡単に見えてしまう。残酷な光景。恐怖の光景。俯くと私を手当てしてくれたクノーさんが生死を彷徨している。

児童の騒ぎ声。

砂の地面を駆け巡る足音。

サッカーやドッジボールの道具が弾かれる音。

響くであろう昔の音とは全く違った音しか鳴っていない。

私はクノーさんの弱っている姿を見続けているのが辛いためカジと黒の巨人の戦いを見ているしかなかった。デス・イレイズ・マインで起こっている戦いを現実として見るのはなかなか迫力がある。

カジの跳躍はいつ見ても感動する。私もあんなに高く跳躍できたらいいのに。

私は地に落ちたクノーさんの手を持ち上げてギュッと握り込む。冬の風に当たっていたのか、冷たかった。

「ああ……」

「クノーさん!」

 クノーさんの口から空気が戻る。

「ラナ……この…世界で……生き続けて………」

 弱い力で私の顔を撫でる。

 私はどうやら涙を流していたらしい。

「辛いことも……あるだろうけど………生きてね……」

 その時だった。

「ラナ!危ない!」カジの声だった。振り向いた途端黒い腕があった。

 幸い黒い腕とすれすれで怪我は無かった。

「カジ!来るぞい!」カジの背後に黒い腕がもうすぐ来ていた。

「うわああああ!」黒い腕が緑色の美しい髪をした少女を吹き飛ばす。

 整った四肢が石の塀に直撃する。私は絶望する。

「カジ!」セニオルさんも私も呼びかけたが起き上がる様子はない。

 私が歩み寄り、カジの身体を揺すっても反応が無い。ただ荒く呼吸している。

 もう助からない。クノーさんも。セニオルさんも。陽向人も。私も。ここで命を落とすしかない。そう思った。


 *


 激しく石壁の破片が散っていた。キャリーバッグを引いてカジの元へ駆ける羅奈とセニオルの叫びが砂の地面の上で木霊する。

「おい!よそ見するんじゃねえぞ!」万の怒号が僕の鼓膜へと伝達する。

 刃が僕の目の前まで迫ってきていた。僕は身体を捻り石段を一段下がる。

 少しの気の緩みも許されない僕はなんとか鉄パイプで万の刃を避けていった。一進一退の攻防。僕は隙を見て万の身体に鉄の塊で殴り、ひるませようと脳内で計算する。

 万の赤い目が一段と輝く。

「うおおお!」

万は叫びと共に赤黒い刃を空中に放り投げる。

 その刃を逆手に持ち変える。持ち変えた勢いで一段下にいる僕を鋭い目で狙う。さらに僕は万の向かってくる刃を鉄パイプで対抗する。万は刃の持っている腕を鉄パイプに打ち付ける。しかし万は硬い鉄に打ち付けても痛がる素振りは無く次の攻撃を準備している。

「カジ!」「カジ!」

 セニオルと羅奈の叫びがはっきりと聞こえた。

 万が持っている刃を狙い、鉄パイプで薙ぎ払う。すると刃は天高く舞い上がり回転しながら落ちてくる。僕はその赤黒い刃を蹴り飛ばす。これで一旦、命の危険は免れている。

万は赤い目で赤黒い刃を睨みつける。そして万は駆けだした。

 一瞬の隙に僕は羅奈に聞こえるように大声で叫ぶ。

「羅奈!今だ!」

「え⁉何!」

「使うんだよ!」

「一体何を使うの!」僕は動かない姿のカジを見て改めて胸の中にある考えを口に出す。

「コンティニューブレスを使うんだよ!」羅奈は左腕に巻かれているコンティニューブレスを見る。

「このコンティニューブレスを…どうやって使うの?」羅奈は僕に訊く。

「一緒にコンティニューブレスの説明書見ただろ!」

「見たけど…どうすれば?」

「だから!【DEATH ERASE MINEで操作していたキャラクターに左拳を向け、画面の右上にあるスイッチを押し、目を瞑る】羅奈がデス・イレイズ・マインで操作していたキャラクターは【カジ】だろ!そのコンティニューブレスをカジに向けてスイッチを押すんだ!」

 このままではカジも羅奈も死んでしまう。決して終わりたくない。

「このままじゃ、みんな死んでしまう!」

 今あの大型ケモノを倒すことが出来るのは羅奈しかいない。


 *


 どういうこと?DEATH ERASE MINEで操作していたキャラクターって、カジなの?

 カジはデス・イレイズ・マインの中の人物じゃないの?でも今、目の前にあるのはありえないことだらけ。でも目の前にあるから本当に現実に起きていることなんだ。

 白い光に包まれてから何かがおかしい。

 黒い巨人が私たちを襲ってくる。なんでだろう。

 この世界は本当におかしい。

 だって倒れているのはデス・イレイズ・マインのカジなのだろうか。でも陽向人から言われたことをやるしか方法は分からない。

 私はそのまま私たちを助けてくれたカジと名乗る緑色の髪の人にコンティニューブレスを向ける。

 いったい何が起きるのかわからない。

 私は左腕を緑髪の人に向ける。

 私はひっそりと目を瞑る。説明書の通りに私は実行するだけ。

 私の右手の人さし指がコンティニューブレスの右上のボタンに触れる。

 ひんやりと冷たい。人の肌や暖房でない限り冬は寒くなってしまう。

 コンティニューブレスは赤なのだが目の前にある世界は砂の色か巨人の黒かしかない。鮮やかな色だった。

 右手の人さし指を押し込む。

 これでコンティニューブレスの説明書の通りに実行した。

 その途端、私の身体は急に浮いたような感覚になった。白い光に包まれた時とはまた少し違う感じだが、確かに私は存在している。

 浮いた感覚がした後に動く感覚が襲い掛かる。なぜなのだろう。

 移動する方向はカジの元に進んでいっている感覚がする。

 私は感覚でしか感じ取ることしか出来ない。

聴覚、味覚、視覚、嗅覚。私はほとんど感じられない。

私が移動しているスピードは速くなっている。

 私たちは今を生きている。

 スピードが加速していく。

 どんどんと加速していく。

 私がどこまで移動したか分からなくなってきた。

 私はどこまで行ったのだろうか。

 私は何をすればいいのだろうか。

 そして私は何かに入った感覚がした。

 私は瞼を開けた。


 *


 羅奈がコンティニューブレスを起動させる。羅奈の身体は光の塊になってカジの身体に吸い込まれていく。

吸い込まれるのと同時にカジの左腕に赤のコンティニューブレスが現れた。

 この光景は元の所有者であった万の赤い目にも映っていた。

「ニンゲンがコンティニューブレスを使えるだと…」

 万は赤い目ではなく黒い目になっている。今はやるしかない。今はみんなの命が掛かっている。仕方がない。僕達はこの世界で数少ない存在。羅奈と僕。

「ローグルシステムは成功したのか…」

 万は我を取り戻したかのように、赤黒い刃を取り戻すために駆けていく。

 僕は重傷を負っているはずのカジが立ち上がるのを見ていた。

 カジは完全に立ち上がり瞼を開く。視界が開けた。

 僕は今動いている【カジ】は【カジ】ではないことは分かっている。


 *


 緑髪の女は大ダメージを受けた。それにもかかわらず動いている。

 俺は黒目をひん剥いてモニターの画面に緑髪の女が動いている姿を見る。

 すかさず、俺は女の左腕に巻かれているコンティニューブレスを見やる。

やっぱりな。

これでローグルシステムの実験成功となる。

これでゲーム【DEATH ERASE MINE】の全貌が見えてくる。二つの世界。

全貌は見えてくる。



私は立ち上がる。

私は瞼を開ける。

私は辺りを見渡す。

私は違和を感じる。

私は自分の手を見る。

私は自分の前髪を見る。

私は自分の左腕を見る。

私はカジの格好になっている。

髪の毛の色が緑色になっている。なぜ私はこんな色になっているのだろう。

左腕を見ると、左手首にコンティニューブレスが巻かれていることに気が付いた。コンティニューブレスについている画面が明るく表示されていた。そこにはタイマーがあって規則正しく数字がカウントダウンされている。あと五十九分三十八秒。このタイマーが何を表しているのか分からない。分からないことだらけだ。

そしてなにも痛みは無い。私の腰にあったのは二丁拳銃のホルダーであった。

その中には拳銃がある。なぜ私はカジと似たような格好をしているのだろう。いや、全く一緒のような感じがある。

「羅奈!」陽向人の声がした。声がした方向を見る。

「成功したんだな!」陽向人のその言葉は私には何のことか全くわからなかった。

「来るぞ!高くジャンプするんだ!」陽向人がジャンプするように私に言うが、できそうにないだろう。だが次の瞬間、巨人の長い黒の腕が、私を襲う。

 私は跳躍する。私は私が跳躍した高さに驚いた。黒の腕を優に飛び越えられることが出来た。人間離れした跳躍力だった。飛んでいて気付いたが脚が露わになっている。

「羅奈!あのケモノに弾丸を打ち込め!」

 私は腰のホルダーから取り出す。慣れない手つきで一つの拳銃のグリップを握る。拳銃が冷えているかと思いきや、冷えている感覚が無かった。

 試しに黒の巨人の腹部に弾丸を撃ち込む。

 銃撃の反動が片手に来る。

 だが黒の巨人は堂々と立って腕を振り回しているだけでなく足を使って弾丸を避けることを覚えた。

 私はさらにもう一方の腰のホルダーに手をかけ、拳銃を引き抜く。そして銃口を黒の巨人に向けて引き金を引く。

 まるでデス・イレイズ・マインをプレイしている感覚と一緒だ。

 まるでカジをそのまま操作しているかのようだった。

 夢が現実になっている。


 私は両手に銃を持っていた。一心不乱に銃口の先にある黒い何かに銃弾を撃ち込んでいる。黒い何かは必死に足掻こうと襲い掛かってくるが体を軽々と翻し攻撃を避ける。

 辺りを見渡すと瓦礫が散乱していた。足場が悪くても平地のように軽々動いている。

 左手首を見るとコンティニューブレスが外れていなかった。しかし見慣れていない光をコンティニューブレスが放っていた。左足を見ると傷口ひとつ何も目立った外傷がなかった。私の身体ではないように脚が綺麗だった。

 私ではない風貌に少しむず痒いような感触があった。脚が露わになっていて風が余計に強く感じてしまっている。


 みんなの命を守るために今、銃口を黒の巨人に向けてトリガーを引いている。

 黒の巨人が私に向けて長い腕を振り回す際には、今まで体験してこなかった跳躍力で飛躍する。私は一心不乱に命を懸けてこの黒の巨人を討伐しようとしている。

 多分あの巨人の弱点は額かもしれない。これまでのデス・イレイズ・マインのプレイからそう導き出した。

 着地するたびに、地面の感覚を確かめた。コンティニューブレスのタイマーを見ると、三十分十八秒を表示していた。刻々と減っていくタイマーはカウントがゼロになると何が起こるのだろうか。

 再び黒の腕が私を襲ってくる。私は砂が散らばっている地面に足裏を合わせて力を込める。ふくらはぎに力がこもるのが伝わる。

 足裏が地面から離れていくのを感じた。やはりとてつもない跳躍力だ。何回飛んでも、高い景色が慣れない。

 私の足下に黒の塊が通り過ぎるのがわかる。

経験したことが無い光景に私は感動している。

私は左腕に力を入れる。トリガーを引く。銃撃音が冬の冷たい空気の中で響く。

私の手に反動が来る。この反動はだいぶ慣れた。

私は次の巨人の攻撃で賭けに出る。次の巨人の攻撃で腕に乗り巨人の額に近づき、フルバーストをする。フルバーストの仕方はデス・イレイズ・マインで知っている。

次の攻撃が来る。しかも空中にいる私に向かって巨人は仕掛けてくる。

身体を縮こませる。落ちていく身体が空気を感じ取る。

黒の腕が起こす風を頭上で感じた。間一髪、巨人の攻撃は私の身体に当たらなかった。

再び地面に足が付く。この世界の形を感じ取る。

私は次の攻撃に備えて、ふくらはぎに力を込める。

来た。次の巨人の攻撃が私に向かってやってくる。

足首をふくらはぎに込めた力で動かし、身体を浮かせる。

私の身体が落ちていく。落下点を見ると黒の腕が来始めていた。

私は黒の腕に乗った。あとは黒の巨人の肩まで行き、飛躍して額に向けて射撃するだけだ。なだらかな坂から急な斜面へと駆け上がっていく。

巨人の皮膚は地面と違って比較的柔らかい。だが足を踏み込めるような強度がある。

私は肩まで到達した。

私はふくらはぎに力を込める。巨人の顔の額に向かって飛躍する。

そして私は咆哮する。

「フルバーストッ!」

 トリガーに力を込める。

 そして私の放った弾丸が巨人の額へと空気の中を突き進んでいった。

 銃撃音が冬の乾いた空気を響き渡る。

 銃撃の反動で体が後ろへと回っていく。何回も何回も身体が回っていく。重力で世界に引き込まれていく感じが体中で伝わる。

 黒の巨人は鉛の弾丸の波動で、後ろに倒れていく。

 私は無事に砂の地面に足裏から着地する。まだ高い跳躍に慣れていないのか着地した瞬間に体がふらついて、膝立ち状態になっていた。

 風と地面の衝撃を感じる。黒の巨人は私に足裏を見せて倒れている。

 私は呼吸をする。今まで呼吸をしているだろうが、呼吸をしていなかったかもしれない。呼吸をしやすいように地面を見る。

吸って吐く。吸って吐く。

 私はコンティニューブレスの画面を見る。あと二十八分十二秒と表示していた。

 吸って吐く。吸って吐く。

「カジ?大丈夫じゃったか?」

 私は首を上げる。すると杖を突いているセニオルさんが私を心配そうに見ていた。私は乱れる呼吸を整える。

「カジ?」セニオルさんはずっとそう言っている。

 そうか。私はカジの状態になっている。

 今、私の見た目はカジになっている。

 セニオルさんは私の左腕を見る。

「まさか…カジじゃないのか?」

 私はなぜか申し訳ない気持ちが込み上げてきた。


 *


 遠くで地響きが鳴り響いた。万との攻防の中、一瞬だけ羅奈を見ることができた。カジになっている羅奈をセニオルが見下ろしている。

 セニオルは目の前で何が起きているか困惑しているのだろう。カジの体の中に羅奈の意識があるということを知らない。

 ふと我に返る。

 目の前に赤黒い刃が飛んできた。すかさずそれを振り払おうと鉄パイプで殴る。しかしその刃は僕と離れていった。

「さあどうだ!」万が姿勢を歪ませて僕に赤い目を向ける。

「そろそろ本気を出す。俺を止めてみろ!」そう言って万は一旦腰のホルダーに赤黒い刃をしまう。

 万は僕に襲い掛かる。僕はまた鉄パイプをしっかり握りこむ。鉄パイプは僕の体温でほどほどに温かい。


 *


 画面の中ではサル型のケモノがカジの銃撃で討伐された。一方裏切り者とニンゲンは一進一退の攻防であった。

 裏切り者が人間に向かって進んでいく。そしてニンゲンの横腹に打撃を与える。そしてニンゲンが鉄の筒を持つ手の力が緩んだのを確認して、今度は裏切り者が鉄の塊を蹴り飛ばす。もう一度ニンゲンの身体に蹴りを入れ、石の階段から転げ落とした。

 ニンゲンはモニターの画面から見ると横腹を抑えながら万に何か静かに訴えている。

「なあ。お前は何を望んでいるのか」ニンゲンはさらに言葉をつなぐ。

「どうしてこのゲームを作ったんだ!」ニンゲンは叫んでいるように見えた。

「俺はこのゲームを作ったわけじゃない。ニンゲンに遊びを提供しているだけだ」

 裏切り者は再び腰のホルダーにある赤黒い刃を取り出す。左手で強く握りしめる。

 その刃先はニンゲンへと向かう。ニンゲンは苦痛で砂の上でもがき苦しんでいた。

「じゃあ、お前は死ぬという選択をするんだな?いい決断だな!」

 左腕を大きく振りかぶり、刃をニンゲンに突き刺す体勢へと入った。あとは左腕を投げ下ろすだけだ。ニンゲンは痛みを抱えながら膝で立つ。

「死ねえええええええええ!」

 俺は目が離せなかった。ニンゲンを刺す感覚は最高に気持ちいい。ニンゲンは最終の防御なのだろうか腕で身体を覆う。これでは腕に刃が刺さって血が吹き飛ぶというのに。

 その瞬間、裏切り者の腕の動きが止まった。強張っているようだった。刃先があと五センチという距離でニンゲンを刺せるというのに。

「何やってんだよおお!」

 俺は思わず声に出した。檻の中で響く俺の声は少し虚しかった。

 あの世界で一番醜い動物はニンゲンであるというのに。

 裏切り者はなぜか渋い顔で動かない腕を見る。

「なんで動かせねえんだ?」裏切り者はそう呟いた。裏切り者の腕はその場で震えながら刃を握っていた。決してニンゲンを切り裂いたりしないで空中でずっと静止している。

「はやく動けよ!」裏切り者が動かない腕を動かそうと、もう一方の手で掴み、揺らすが一向に動かない。

その隙にニンゲンは裏切り者から逃げる。

「くそおおおおお!」

 裏切り者は左腕に向かって糾弾する。

 突然、強張っていた腕が傾れ落ちる。腕が砂の地面に無気力で落ちている。まるで裏切り者とは別の生き物のように、腕に意識があるようだった。

 これは裏切り者の特徴といったところなのだろうか。


 *


「羅奈!」

 私を呼ぶ懐かしい声が耳に入ってきた。

「ラナ?これはカジじゃないのか?」セニオルさんは私に問いかける。

「これは、説明すると…」陽向人は口を閉じてしまった。

「待て!クノー!みんな!」セニオルさんが叫んだ。

 何か嫌な予感がした。

 クノーさん達、巨人からの攻撃を受けて負傷しているが横たわっている場所を見ると光に包まれているのが分かった。私は思わず駆け寄る。

「クノーさん!みなさん!」

 負傷した身体の足から光のチリとなって消えていく。

 私はクノーさんの身体を抱える。

 徐々に軽くなっていくクノーさんの重みを感じた。

「クノーさん!」

 私は消えていくクノーさんに向かって叫ぶしかなかった。クノーさんは微塵も動かない。

「クノーさん!」

 下半身がもうすでに消え去っていた。みんなが光となって消えていく。

「クノーさん」

 クノーさんの顔に雫が落ちる。

「クノーさん…」

 手にクノーさんの身体の感覚がなくなる。

 そしてクノーさんは完全に光となって消えていった。

 私の手に雫が流れ落ちる。

 目から出る雫を止めることができなかった。

 次々と光の粒子となって消えていくみんなを見ることはできなかった。

「もう、死んでしまったのか…クノーたちは…」

 セニオルさんが私に駆け寄ってきた。

「クノーさんが、死んだの?」

「そうじゃ。光の粒となって消えていくのが見えていたじゃろ?」

 あまり実感がなかった。あっという間で死んだ跡がないからかもしれない。

「もう、クノーさんは戻ってこないの?」

「戻ってこない。死んでしまうことはそういうことじゃからな」

 この世界はあまりにも残酷で生きていた跡も残らない。

「この世界に何が起こっているの?」私の頭の中で言葉にする。

 白い光に包まれたあの夏の日から、この世界はおかしかったんだ。

 コンティニューブレスを見る。十九分四十二秒。

「この世界は!」

 遠くで声がした。

「この世界は!デス・イレイズ・マインの世界と反転したんだ!!」

「万⁉」陽向人が呼ぶ。

 万が肩で息をしながら左腕を右手で押さえながら私に近寄る。

「万、この世界に何が起きているの?」私は立ち上がって万に質問する。

「その前に、今お前の身体に何が起こっているか解るのか?」

「そ、それは、わからない」

「羅奈の体に起こっていることは、ゲームのデス・イレイズ・マインと一緒のことが起きている。そうだろ?万」

「陽向人…」

「その通り。お前の身体はデス・イレイズ・マインと同じ原理だ」

「一体、どういうこと?」

「俺がすべて教えてやる」万が私を睨みつける。

「デス・イレイズ・マインは単なるただのゲームなんかじゃない。生死を賭けた現実の世界だ!お前らは一つの命を動かしながらプレイしていたんだよ!」私は頭が働かなかった。

「どういうことなの?」

「羅奈…羅奈のために簡単に言うと、デス・イレイズ・マインの世界はコンピュータによって設計されていない、本当の世界なんだよ。僕たちは人を操りながらケモノを討伐していたんだよ。今の羅奈みたいに人を操りながらね」

「そうだ!今のお前みたいに【カジ】を自分の思い通りにしながら動かしていたんだ!」

「今の羅奈は、デス・イレイズ・マインの【カジ】の身体に【羅奈】の意識が入り込んでるんだ。だから【羅奈】は【カジ】の姿なんだよ」

「今は、ニンゲンが住むニンゲン界とケモノによって人の命を落としてしまうゲーム界が、反転している」

「デス・イレイズ・マインの世界は本当に存在していて、僕らがいるニンゲン界にデス・イレイズ・マインの世界の人達が存在しているんだ。だからアスカもセニオルも、クノーもカジも、このニンゲン界にいる」

「生命と肉体を司る者、未来と過去を司る者、創造と破壊を司る者、欲望と理性を司る者、地にそれぞれの衝撃を与えるとき、我々はまだ見知らぬ地に降り立つ。決して慄いてはいけない。我を思い出し行動を移せよ」

「なぜ、それを⁉」セニオルさんが万の言葉で驚く。

「デス・イレイズ・マインの世界、簡単に言えば【ゲーム界】には【能力者】が存在する。それぞれ【生命と肉体】【未来と過去】【欲望と理性】【創造と破壊】の四人の能力者が【ニンゲン界】と【ゲーム界】を反転させた。現在、ニンゲン界にはゲーム界の住人が。ゲーム界にはニンゲンが存在している」

「えっ…待ってよ」思考が追い付かない。まずデス・イレイズ・マインの世界が本当に存在していた?

「ゲーム界の住人は、カジのような人のほかに【ケモノ】がいるってことか」


 *


 今、羅奈に伝えたことはこうだ。

「デス・イレイズ・マインの世界は実在していた」

「羅奈は今、カジの身体に入ってカジを操っている」

「ニンゲン界にはデス・イレイズ・マインの世界の住人がいて、デス・イレイズ・マインの世界にはニンゲンがいる」

「四人の能力者が今の状況を作った」

「ニンゲンはデス・イレイズ・マインの世界の人を操ってケモノを討伐していた」

 そしてもう一つ、羅奈に伝えないといけないものがもう一つ。


 *


「ここまで説明したら、一つ疑問が残る」万が淡々としゃべる。

 万はセニオルさんを一蹴する。

「セニオルさん!」

セニオルさんはその反動で砂の地面に伏している。

「陽向人と羅奈、お前らはニンゲンのはずなのに、なぜこのニンゲン界にいるんだ?」

 え?

「ニンゲンは本来ゲーム界にいるはずだ。ニンゲンが残っているのはおかしい」

「なら万はニンゲンじゃないのか?このニンゲン界にいるってことは」

「俺はれっきとしたニンゲンだ!だがお前らとは違う」

 頭が追い付いていかない。

「いいか。お前らニンゲンはゲーム界をおかしくさせた。だから神と近い四人の能力者はゲーム界の異変から、二つの世界を反転させたのさ」

「ゲーム界の異変?それは?」

「お前らが奪い取ったノートパソコンにヒントが残されている。今日は観念するが、絶対に殺してでも奪い返す」

 万は左腕を抑えながら【アサヒ小学校】を後にした。

「羅奈。大丈夫か」

 頭が真っ白になっている。あまりにも衝撃的で脳の処理速度が低下している。

「わたしは、一体?」

「今は、わからないかもしれないけど…たしかにこの世界はおかしくなってる。現状をゆっくり解っていけばいい」

 身体が落ちていく。私のものじゃない身体が落ちていく。

 陽向人は左腕をつかんでコンティニューブレスを触る。

「ゆっくりリラックスして。少し休もうよ」

 コンティニューブレスの画面をタップされる。

 また浮いた感覚がする。


 *


 俺は画面に釘付けになって観ていた。

 緑髪の人から赤い光玉が出てきて、それがニンゲンの形になった。ニンゲンは地面に寝そべって眠っていた。左腕に赤のコンティニューブレスが巻かれている。

 緑髪の人は魂が抜けたように地面に倒れた。

「あいつらから目が離せねえな」

 俺は横の画面に目を移す。

 そこには男と女が映っていた。男が喋っている。口元に目を凝らす。

「師定がニンゲン界とゲーム界について話した。ノートパソコンは諦めたらしい」

「あら、そうなの。それでちゃんと笛は使ったかしら?」

「師定は笛を使った。うるさいって思うほど【聞こえた】」

「辛かったのね」

「ケモノも呼び出せた。呻き声が【聞こえた】」

「笛の効果はあるってことね」

「そのケモノをカジが討伐した」

「別にどうでもいいことだわ」

「ただのカジじゃなかった」

「え?どういうことなの?」

「ローグルシステムのコンティニューブレスを使って、ニンゲンがプレイしてケモノを討伐したらしい」

「え?本当に?そうやって【聞こえた】の?」

「そう。俺は聞こえた。聞き違いだったらすまん」

 たしかにコンティニューブレスを使ったニンゲンが討伐成功した。

 この二つの世界について、たくさんわかってきた。

 後はニンゲン界に残っている二匹のニンゲンが二つの世界の反転、すなわち【メルム】が起こって色々と面白いことが目白押しだ。

 さあ、俺を檻の中から楽しませてくれよ。


 *


 俺がトドメを刺すときに邪魔してきやがる。

あと一歩のところでニンゲンに刃が刺さったはずなのに、この腕が邪魔した。

あのニンゲンが社長室にきたときも、あと少しで顔面に突き刺せたはずだ。あともう少しで。あともう少しで。

俺は一息吐いて、社長室の椅子に座る。

俺は【誕生した時】のことを思い出す。

周りには白の壁やマスク、白衣を着た人が俺を取り囲んでいた。

俺は必死に叫んだ。でも白衣を着た人たちは慣れているのか、俺の叫びを聞いてはくれなかった。

そして外に出たときには暗い夜空が俺を出迎えてくれていたのだ。


我に返り、俺の仕事をこなす。

デスクの上にあるスイッチをオンにする。

「ヨロズのみんなに伝える!動き出せ!ニンゲン界に戻ってくるんだ!」

 ニンゲン界にニンゲンが残っている。一刻も早く殺処分してしまおう。


 *


 羅奈、カジ、セニオルが倒れこんでいる状態に僕はただ一人、立ちすくんでいた。倒れているみんなは息をしている。ただカジはケモノの攻撃で立てそうにない。

 俺は討伐されたケモノをみる。こちらに足の裏を見せている。デス・イレイズ・マインの世界同様、クノーなどの人が死んでしまったときは死体が光の粒子状となって消えていく。

 それに対して討伐されたケモノは黒い粒子状となって消えていく。このサル型のケモノも、じきに黒い粒子状になって消えていくだろう。

 ボーっとしているうちにケモノの足から溶けるように粒子になっていく。

 黒の粒子が空へと散っていく。この光景がデス・イレイズ・マインの画面で見ていた景色だ。これを見ていると達成感にあふれてくる。

 すると黒の粒子がケモノの頭の奥へと吸い込まれていく感じがした。不思議な動きに目をこすって確かめたが、どうやら見間違いじゃなさそうだ。

 僕は見ていることしかできなかった。

 ケモノの首まで黒の粒子となって消えている。

 まだ吸い込まれている先が見えない。頭だけになっている。吸い込まれている先を見たい。早く吸い込んでいる先が見たい。

 そしてようやく、吸い込んでいる先が見えた。

 そこには右腕を空に突き上げた男がいた。右腕は黒く光っていた。やがて腕の光が無くなっていく。

 その男は僕のことを確認したのか、逃げるように去っていった。

「待て!」

 僕の身体は思わず駆け出して行った。男は一直線に走る。

 このままでは逃げられてしまう。僕は一段とギアを上げた。

 このまま一直線に進むと民家の壁がある。左右に道がつながっていたため、僕はどちらの道に進むか予測していた。

 しかし、男は足の方向を曲げることなくまっすぐ突き進む。男は壁にぶつかった。

 はずだった。

 壁に吸い込まれていった。

 僕はハッと驚いた。

 壁に虹色に光る穴があった。僕が幼少期に見た謎の虹色の穴と全く同じだった。きれいで不気味だった。

 男は虹色の穴に入り込んだのだ。

 やがて虹色の穴は小さくなり消えていった。

 あの時の記憶がフラッシュバックする。

 おそらく羅奈を連れ去った出来事。



 僕たちはまだ大きな何かの破片を持っているだけだ。


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