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DEATH ERASE MINE/デス イレイズ マイン  作者: 堺 かずき
第1ゲーム
2/14

第2章 この夏

「暑い!羅奈(らな)、やけどしそうなぐらい暑いから早く帰ろう?」

高校での月曜日の放課後。僕は新しい週になったことで少し憂鬱を感じながらも、白い校舎が僕の憂鬱とはお構いなしに陽射しを跳ね返す。僕、伊乃陽向人いのひむとはセミで煩く、サウナみたいな温度の中庭で、木目のベンチに座って本を読んでいる真海羅奈しんかいらなとファミレスに行こうとしている。羅奈は色白で黒髪のロングヘアー、僕と同じ高校一年の十六歳だ。羅奈は一向に僕とファミレスに行く素振りは無く、黙々と本の文字を目で追いかける。羅奈が読書をしている最中、僕は時間を空費している。

お互い部活に励むことはなく、帰宅を楽しむ帰宅部に所属している。朝から高校に行き、睡魔と戦いながら先生の呪文のように聞こえる声を聴いて、家に帰ってだらだらする生活を送っている。

「こんなに暑い中、ここで本を読まなくても涼しいファミレスで読んでもいいじゃんか」

 僕は暑さから早く解放されたい。しかしベンチで本を読むのも悪くはないと思った。羅奈は炎天下でも涼し気な顔をして本のページをめくる。僕は羅奈がどんな皮膚感覚を持っているのかと不思議に思った。

「そんなに暑いなら先に行ってよ。この本は学校の図書館から借りてて、今日まで読んで返さないといけないの」

「それじゃあファミレスで読み終わったら図書館に返しに行こうよ」

「学校に引き返して図書館に返すのって面倒じゃん?学校で読み終わってから図書館に返してからファミレスに行くほうが良くない?」羅奈は首を傾げる。

「それじゃあどれくらいで読み終わるの?」

「もー。読み終わった」

「え?まだ最後のページまで読んでないみたいだけど?」羅奈が持っている本は途中のページを開いていた。

「この本、子供の頃読んだもん。しかも陽向人が暑いの嫌だって言うから読むの諦めた」羅奈は本を閉じ、ベンチから立ち上がった。

「じゃあこの本を返してくるから、もう少しだけ待ってて」

「はーい」僕は軽く返答すると、羅奈は軽やかなステップで紺色のスカートと長い髪を揺らしながら図書館がある方向へ走っていった。

 僕は羅奈を待つべく、羅奈が座っていたベンチに腰を掛けた。

 今日は猛暑日だろうと体感しているが真夏日でも夏日でも、僕には夏は猛暑日しかない季節だと思っている。暑すぎる。外にいるだけで頭がクラクラする。僕は暑さに負け、ベンチに寝そべる。


「お待たせ~」

僕はいつの間にか寝ていた。羅奈の言葉で目が覚め、痛みがあるこめかみに手を当て、起き上がった。

「まさか寝てた?まだ眠っておく?」

 羅奈は右の口元に笑窪を作りながら訊いてきた。その仕草は僕をからかう心を持った時の羅奈の癖だ。羅奈とは長い付き合いだ。そんなのお見通しだ。

「ばーか。僕が暑いのが苦手だって知ってるだろ?」

「本当に陽向人は暑いのが嫌いなんだ。昔から変わらないね」

「もう暑いのは嫌だ。ふぁみれしに行こう」噛んでしまった。

「ふぁみれし?なにそれ」また羅奈の右の口元に笑窪を作らせた。

「わかった。ふぁみれしに行こう」

「暑いから舌が回らななな……」

「回らななな?」羅奈は笑窪を作って僕に聞いた。

 

僕が幼稚園児のとき、羅奈は二学期の十月から幼稚園に転入してきた。

羅奈が転入してきた理由は前の幼稚園であまり友達の輪に入れなかったからだと僕の叔父から聞いた。

叔父は僕の唯一の信じられる家族だ。一言でいえば複雑な家庭だった。

僕が生まれて間もない生後一か月の時に父親は行方不明となった。そして母親は僕が二歳の頃に飛び降り自殺をした。そのため残された親族であった叔父のもとへと引き取られた。時が経ち僕が七歳の頃に父親の生死が判らないまま法律上の死亡判定が下った。また、父方の祖母が癌の治療にあたって入院していたが僕が一歳の頃に亡くなってしまった。

 ただ叔父だけが僕の心の拠り所だった。


 十一月。秋が深まり鈴虫がリンリンと鳴いていて紅葉が道に敷き詰められていた。

 叔父と手を握りながら幼稚園に向かっていた。

「またね。おじちゃん」

 幼稚園の園門の前で叔父の手を離した。叔父はサラリーマンで黒いスーツを身に着けていた。

「叔父ちゃんね、今日はお迎えに行けられないから、一人で気を付けて帰るんだぞ」

「わかった!」

 僕は幼稚園の中へ全速力で走った。

 幼稚園の名前はアサヒ幼稚園。市立の幼稚園で隣に小学校が併設されている。周りの住人たちにとって子供の声が聞こえるだだっ広い敷地だ。遊具などブランコやジャングルジム、滑り台など子供が好きな遊具が揃っている。

 僕は自分の名前が書かれた靴箱のなかに靴を入れ、背伸びをして窓から部屋の中を覗いた。するとひとりいないことが分かった。真海羅奈だ。

「今日は羅奈ちゃんがお休みだって」

 声の方向に目を向けると幼稚園の先生がいた。

「羅奈ちゃんはお熱が出て、眠っているんだって」

 羅奈とはあまり話したことがなかったから、どうでもいいなと感じた。

「さ、部屋の中に入ってお遊びしましょう」

「はーい」

 先生は僕の小さな背中を押して一緒に園児のいる部屋の中に入った。

「おはよう!みんな!」

 先生は園児全員に聞こえるように大声であいさつをした。


 その日はとにかく全速力で遊んだ。ブランコとか追いかけっことか、いっぱい楽しんだ。

 楽しい時間はあっという間に過ぎた。もう帰る時間になった。

「今日は羅奈ちゃんがいなかったけど、明日は羅奈ちゃんとおもいっきり楽しく遊ぼう!」

「はーい!」

 園児の声が部屋に響き渡った。僕も声を張り上げた。

「じゃあ、お別れの挨拶をしますよ」

「やだ!まだ帰りたくない!」「遊んでいたい!」楽しい時間が終わることを知った園児は、お願いをした。すると先生はゆっくりと低い声で話し始める。

「このままずっと幼稚園にいると、夜にこわーいお化けが出ちゃうよー!」

「きゃー!こわいー!」園児の幸せな悲鳴が部屋に包まれた。

「じゃあ今日もジャンケンをして先生とばいばいしましょー!」先生は右腕を高く上げてグーの手を園児たちに見せる。

「最初はグー じゃんけんポイ!」僕と先生は同時にジャンケンの手を出した。

 今日は先生がグーで、僕がパーだった。

 勝った。

 僕はその喜びのおかげがあり、全速力で外に向かった。

 いつも叔父が一緒に帰ってくれるが、今日は一人ぼっちでも悲しくなかった。


 幼稚園から数分走り、十字路が見えてきた。十字路を直進すると家へと辿り着くのだが、今日は叔父が隣にいない。僕は今まで行ったことが無い道に行ってみたくなった。左か右か、二択で迷ったが興味本位で右へと曲がった。

 曲がった道は若干だが下り坂になっていて、いつもより走る速度が上がっていた。道脇には民家が立ち並んで表札やインターホンが付けられたブロック塀が連なっていた。昼下がりで人気が無かった。

 民家の道が終わると、右側に駐車場が見えてきた。決して広くはない駐車場だが乗用車が所狭しと並べられていた。

駐車場の反対側、左を振り向くと、そこには今までに見たことが無い光景が目の前に広がっていた。道路脇に建っていた灰色の建物の壁に異様なものがあった。

虹色の光を放つ穴があった。僕が生きてきた六年間の人生で一番きれいなものだった。僕は虹色の穴に近寄り、穴をまじまじと眺める。虹色の穴を見れば見るほど穴の中に吸い込まれそうな異様な気配が漂っていた。この虹色の穴に入ると、どこか遠くの世界へ行ってしまいそうな不思議な感覚だった。

後ろの駐車場から足音がする。僕は咄嗟に近くにあった電柱の陰にそっと隠れた。

駐車場の奥から男が歩いてきた。男は大きな麻袋を肩にかけてながらひっそりと僕の方へ向かっている。もしかして僕に気付いているの?

 麻袋を持った男は挙動不審で目をあちこちと配らせていた。どうやら僕の存在には気づいていないようだ。

僕は男がこちらに近づいている最中、麻袋に違和を感じた。麻袋が蠢いているのだ。一瞬、男の歩調で揺れているのかと思ったが不自然に動いている。

 僕は麻袋の違和感で恐怖を覚えた。恐怖のあまり麻袋を持った男から逃げたい思いで少し後退りをした。

すると僕の靴が地面の隆起に引っ掛かり、僕の身体は音を立てて転がった。

「いたい!」思わず声に出してしまった。僕は慌てて口を押えたが声はもう出てしまった。麻袋を持っている男は僕の方向に目を向けた。

 僕は恐怖感を覚え、園児である小さな肺からの空気が押し出され、胸苦しくなった。

「そこに誰かいるのか?」男は虹色の穴の付近に蠢く麻袋をゆっくりと置きながらこっちに注意を向ける。

 僕はぎゅっと目をつぶり男が来ないように願うしかなかった。

 神様、仏様、だれでもいいからどうにか男が来ないようにしてください。

 幼い僕はこの言葉が脳に駆け巡った。

 突然、眠気が襲い掛かった。

全速力で走った今までの疲れが頭に乗っかった。幼少期の体力はとても少なかったと今は暢気に考えることができるが、恐怖心と疲れとの闘いは意外にも短期決戦だった。


 カラスが巣に帰りながら放つ鳴き声で僕は目覚めた。

 目を開けると辺りはオレンジ色で包まれていた。夕方を告げる町内のチャイムが鳴り始めた。どうやら僕は眠ってしまっていたらしい。

 我に返り、僕はすぐさま電柱の陰から飛び出て、虹色の穴に目を向けた。しかし虹色に輝く穴は跡形もなく消えていた。麻袋を持った男もどこかへ去ってしまった。僕は虹色の穴があった灰色の壁を撫でた。

「きれいだったな」僕はざらざらとした壁を小さな手で確かめながら虹色の穴のことを思い出す。男へ感じた恐怖はとっくに消え失せていた。


 虹色の穴を見た後、僕は十字路へと戻り、帰路へとつき家に帰っていた。

「ただいま」叔父の声が聞こえたので、僕は全速力で玄関に駆けた。

「陽向人、よく一人で帰って来れたな。よしよし」叔父は小さい頭を鷲掴みにして左右に揺さぶった。

「今日は大人しくしていたか」

「うん!」

「そうか良かったな。よし、夕ご飯を食べるか」

「うん!」

 僕は夕ご飯が待ちきれなく食卓の椅子へと跳び座り、ご飯を待つ。

「今日は陽向人が大好きなカレーライスだ」叔父は冷蔵庫の野菜室からジャガイモやニンジンを手に取る。

「やったー!」

 僕は小さな手足をバタバタさせながら喜んだ。

すると突然、叔父の携帯が鳴り響いた。

叔父は手に持ったジャガイモやニンジンをまな板の上に置き、リビングのテーブルにある携帯を耳に当てる。


「陽向人、幼稚園の先生から電話が来ているぞ。陽向人に代わりたいって」

 叔父が携帯を僕に差し出しながら言った。滅多に幼稚園の先生から電話が来ることはなかったため不思議に思いながら電話を代わった。

「陽向人くん?」

 先生は急いでいる口調で電話の相手が僕であるかを確認した。

「なに?せんせい」

 舌足らずの言葉で返事をする。

「羅奈ちゃん、陽向人くんの家にいる?」

「なんで?いないよ?」

 今、僕の家にいるのは僕と叔父だけだった。羅奈は家の中にいない。ましてや羅奈は僕の家に上がったことはない。

「あのね、羅奈ちゃんがいなくなっちゃったの」

 僕は声に出来ないほどびっくりした。

僕の頭に今日の帰り道での出来事がよぎった。

 まさか帰り道に見かけた男が持っていた蠢く麻袋に羅奈ちゃんが入っているのではないか。という仮説を立てた。よくドラマで麻袋を子供のような弱い人を被せて連れ去るシチュエーションをよく見るが、本当に現実で起こると分からなかった。

「どうしたの?何か思い当たることがあるの?」先生は僕が黙りこくっていたことを不審に思い、訊いた。

「あのね、せんせい。ぼく、みたんだけど…」

 幼稚園児の僕が十字路の右曲がり角の出来事を見たまま感じたままを丸ごと先生に話した。勿論、虹色の穴のことも話した。現実では起き得ないことだが幼い子供にとって現実なのだから全部話した。

「教えてくれてありがとう。助かったよ」

「らなちゃん、おうちにかえってくれるといいね」

「そうだね。羅奈ちゃんが家に帰ってきたら、幼稚園で教えるよ」

「わかった!」

 とても清々しいと言ったら少し不謹慎かもしれないが僕にとっては正義感を感じた。この証言で羅奈ちゃんが帰ってくるかもしれない。

 もちろん、捜索願は出されて、警察が捜索しているだろうけど、羅奈を見た行動を少しのヒントになると思った。


 事件の一か月後、先生の報せが無いままだったが羅奈は幼稚園に姿を現した。

僕は突然だったのでびっくりしたのだが、羅奈の素振りは何もなかったように振舞っていた。先生も驚いていたが羅奈に何が起きていたのか、どこにいたのかと矢継ぎ早に質問をしても、何も覚えてないという一言の一点張りだった。


「陽向人、どうしたの?そんなボーっとして」

「ボーっとしていないよ」僕は頭を掻いた。

「やっぱりボーっとしていたんでしょ」

「なんでわかったんだよ」

「言われたことが図星だったら陽向人は頭を掻く癖があるんだよ」羅奈は得意げに少し鼻を膨らませた。

「何を考えていたの?」羅奈は首をかしげた。

「ちょっとしたこと。僕が幼稚園にいた時の頃を思い出してた」

「なーんだ、そんなことか」

「そんなことって、気にしないのかよ?」

「だって幼稚園の時の記憶、あんまり覚えてないし」羅奈は口をとがらせ、また首を傾げた。

 あのとき、麻袋に入っていたのは羅奈じゃないかもしれない。もし羅奈が麻袋に入れられて連れ去られたとしたら、羅奈はトラウマになるほど鮮明に覚えているだろう。


 だんだんと黄色いライトが灯っているファミレスの看板が見えてきた。夜になると蛍光灯に電気が流れ、周りに黄色い光を放つ。

「陽向人は何を頼むの?」

「フライドポテト」

「他には?」

「フライドポテト」

「他には?」

「フライドポテト」

「フライドポテトしか食べないの?」

 羅奈は僕のつまらない冗談で口角を上げて笑ってくれた。

「羅奈は?」



 いつの日か、陽向人の複雑な家族事情を聞いた時、私は偶然だと思った。

私の父親は私が生まれる前に遠くの場所へと行ったと、私の母親が幼かった私に教えてくれた。たぶん【遠くの場所】と母親が言ったのは【天国】のことだろう。母親は私に対して母親なりの優しさとして【遠くの場所】と言い換えてくれたのだと思う。

そんな母親もどこかへ行ってしまった。幼かった私は悲しげな母親の背中を見ながら「おかあさん!おかあさん!」と泣き喚いていた。今でもはっきりと覚えている。両親と別れた私は親戚に引き取られた。陽向人の話と私の家族事情がほぼ一緒だった。

 まるで双子のように似ていた。運命だというと不幸な運命だが私の身の回りにほとんど同じような家族事情を持った人を聞いたことがないのだ。

 心は空しかった。ただ陽向人との共通点が【不運な家族】だなんて。

 もっと陽向人と分かち合いたい。共有したい情報も共有したい感情も全部陽向人と分かち合いたい。もっと一緒にいたい。


「羅奈は何を食べるの?」

 陽向人は額から出ている汗を制服であるカッターシャツの裾で拭い上げる。

「何を食べようかな。陽向人は私に何をおすすめする?」

「フライドポテト」

「じゃあ陽向人のフライドポテトをもらおうかな?」

「やめろよ。僕のフライドポテトは僕が全部たべるんだからさ」

 気が付くと、ファミレスの扉の前まで足を運んでいた。ガラスでできた扉は店内のレジが映っていた。陽向人は金属でできた取手を押して、扉を開けてくれた。そして私を先に中へ入れてくれた。

「ありがとう」

「いいよ。全然」

私と陽向人はファミレスの中へと進んでいく。ファミレスの中には私たちと同じく、制服を着た学生が席の大半を占めていた。テーブルの上には勉強をするのだろうかノートと教科書や筆記用具などの如何にも学生らしい道具が無造作に置かれていた。ファミレスは学生の巣のようだ。学生は冷房が効いているのにもかかわらず、人の多さで空気が熱くなっているようで片手や下敷きををうちわ替わりにぱたぱたと仰いでいる。

「お客様、二名様でよろしいでしょうか?」

 ファミレス指定の制服を着た店員さんが私たちに質問した。

「はい」

 陽向人はやっとエアコンが効いた室内に入れたのが嬉しかったのか、上機嫌な声で応答した。

 陽向人はファミレスの出入り口に近いテーブル席に座った。同じく私も陽向人につられるように向かいに座った。四人掛けのテーブル席の椅子にバッグを置く。

陽向人と私は同時に一息つき、テーブルの端に備えられたメニューを取り出す。そこには呼び出しベルや爪楊枝、ティッシュペーパーがある。その奥はパーテーションで仕切られたテーブル席が一個あった。

そこの席に不思議な恰好の人物がいた。不思議の原因は身に纏っていた冬物の服だ。

ベージュのトレンチコートと黒いニット帽。その人物は下敷きを仰ぐ素振りもなくただじっと座っている。ニット帽を深く被っており、どこを見ているのか分からなかった。セミが鳴いているのが聞こえないのかと、心の中で大声のツッコミを入れた。

「ご注文がお決まりになりましたら、このベルでお呼びください」

 店員さんは従業員以外立ち入り禁止と書かれた扉を開け、中に入った。

 すると陽向人がテーブルに身を乗り出し、私の方へ口を手で不思議な恰好の人物に隠しながら近づける。私は陽向人が耳打ちをしたいということを察して耳を傾ける。

「あの人、見た目が不審者っぽいよな」

 陽向人がパーテーションの先に指している人物は私が不思議と感じた冬物の服の人物と一緒だった。

「セミが鳴いているのが聞こえないのかって言いたくなるな」

 陽向人は私が先に突っ込んだセリフと全く同じセリフでツッコミを入れた。私のテレパシーが通じたのか、もしくは陽向人がエスパーなのか。可笑しくて微笑む。

「なにわらってるんだよ、まさか、羅奈の知り合い?」

「いやいや、私と同じセリフで突っ込んでいるから面白くて」

 私の笑いはツボに入った。

「何ずっと笑っているんだよ早く決めないとこのベルを押すよ?」

「わかったよ」私は何とか笑いをおさめ、メニューを開く。

メニューを一ページ開いたときに私の目にかき氷が映った。色とりどりのシロップがかけられている。その中でブルーハワイのシロップに目が惹かれた。

「かき氷おいしそう!」

「かき氷にするの?」陽向人は店員さんを呼び出すボタンへと手を動かす。

「待ってよ、言っただけでしょ」

 私は次々とページをめくるが、かき氷が気になり、ほかのメニューが霞んで見えた。

「私かき氷にする!」

「じゃあベル押すよ」

 陽向人の大きな手でベルのボタンを押す。ピンポーン。店内に響き渡った。

「そういえば俺らの誕生日が近いな」

「そうだっけ?」

「七月三十一日、忘れたのかよ」

「ご注文を承ります」

 いつの間にか店員さんが注文を聞きに来た。

「かき氷ブルーハワイ一つ」私は青いかき氷に目を引かれブルーハワイを選んだ。

「フライドポテトとかき氷のイチゴを一つください」陽向人は店員さんの目を見ながら頼む。私は心の中でかき氷も頼む陽向人にツッコミを入れた。

「ご注文を繰り返します。かき氷のブルーハワイとイチゴが一つずつと、フライドポテトがおひとつで宜しいでしょうか」

「はい」

 店員さんが注文を聞いたため、また従業員以外立ち入り禁止の扉の中に入った。

「さっきの話の続きだけど、本当に誕生日忘れていたのかよ」

「まっさか、忘れるわけないじゃん」

「そうだよな。でも誕生日の話はいつも羅奈が話題に出していたのに」

 陽向人が言う通り私達の誕生日が近づくと、私が話の話題にするのだが、陽向人が私達の誕生日のことを思い出してくれるか、期待を抱きつつ試してみただけだ。

 

七月十三日。相変わらず蝉の鳴き声が煩かった夏の日だった。その日はたまたま金曜日で巷では十三日の金曜日で騒がれていた。

「羅奈さ、僕の家に来ない?僕の誕生日パーティーをするからさ。月末に」

「陽向人さ、私の家に来てよ。私の誕生日パーティーをするからさ。月末に」

 陽射しに照らされて放課後の公園でブランコに座りながらゲームの話や夏休みはどこへ行くかなどの会話をしていたのだが、会話の話題が尽きた頃、静寂に包まれていた。誘いの言葉が出たのは同時だった。若干、また静寂が生まれたが私が思い切って話し出す。

「陽向人さ、誕生日はいつなの?」

「七月三十一日。羅奈は?」陽向人は単調に言った。

 私は思わず黙ってしまった。陽向人と同じ誕生日だったからだ。

「い、一緒だ!七月三十一日!」

 途端に嬉しくなった。椅子代わりのブランコを漕ぎ始めた。

「奇跡だね!」

 だんだんとブランコの振れ幅が大きくなるのが風の感覚で分かった。

「靴飛ばしをしようよ!どっちが遠くに飛ばせるか勝負だよ⁉準備はいい⁉」

 嬉しくてたまらなかった。また共通点が増えた!

「パーティーはどうするんだよ」

 陽向人は私の誘いを無視して低いトーンで呟いた。悲しかったのかそれとも暑くて嫌だったのかどちらかは分からなかった。

「羅奈と僕の誕生日が一緒だから、羅奈の誕生日パーティーと僕の誕生日パーティー、同じ月末にやることになるだろ?」

 そうか。同じ日にやることになるのか。考えてなかった。

「時間が違えばどっちもお互いのパーティーをしてもいいけどさ。何時に、パーティーは始まるんだよ」

「五時半」

「僕の誕生日パーティーと丸々かぶってる」

「あーあ」

 私が誕生日は陽向人と一緒に居ることを望んでいたのに、会えないなんて。しかも誕生日が一緒なんて。嬉しいのか悲しいのか心がもやもやしてきた。

「来年は一緒にお互いのことを祝おうな。約束だぞ」

 もう夕暮れだったので、家に帰った。


「陽向人は今年の誕生日プレゼントは何が欲しい?」

「なんだろうな…お金?」

「誕生日プレゼントが現金って生々しいでしょ。ほかに何が欲しいの?例えば、生活の中で不便だなって思うときない?これがあれば……ていう時ない?」

「あ!思い出した!」

「何々⁉」

私はテーブルの向かいに座っている陽向人に前傾姿勢になった。

「時間だ」

「なんでよ。時間だ、って」私は茶化しながら陽向人の口調を意識して真似してみる。

「誕生日プレゼントって言ってるでしょ⁉あげられるものにして!」

「もう何でもいいよ。プレゼントは何でも嬉しいし」

「えー。困ったな」

誕生日プレゼントのヒントを聞こうとした私がバカだった。

「すみません」

突然陽向人とは違う男の声がした。

「今、お取込み中でしたら改めてお声掛けいたします」

気が付くと、私が座っているテーブル席の横に冬物の服を着た不気味な男が立っていた。男はマスクを深く被り顔を隠している。私は陽向人の顔色を窺うと、陽向人の口は「話を聞いてみよう」と口の動きで私に伝えた。

「いいえ。大丈夫ですが、その格好で暑くないですか?」私は男に疑問を投げた。

「できるだけ目立たないような服装が良いと思いまして」

「逆に目立ちすぎているみたいですが?」

辺りの他の客の視線を見ると、男の方に不思議そうな目を向けられている。その目は私達と同じ学校の生徒もいた。

「そうですか。しかし時間がありません。脱ぐ時間は省きたいと思いますので早速ですが、本題に入りたいと思います」

 冬物の服の男はトレンチコートのポケットの中から茶色い封筒を取り出した。

「あの、お話とは何でしょうか」

 男は封筒を私の前に差し出した。私はそれを受け取り封筒の封に手をかけた。糊付けの甘い封を開け、中身を取り出した。すると中身は新品のように使用感が全くないスマートフォンだった。

「これからの私の会話はこのスマートフォンを使用させて下さい。これからは私が指示をする立場となります。これからはあなたたちにミッションを課しますが、ミッションの報酬はそれ相応とさせて戴きます」

「ちょっと待ってよ」陽向人が謎の男に待ったをかけた。

「ミッションってのは何ですか。やるとは一言も言ってない」

「すみません。確かに伊乃陽向人様、真海羅奈様のお二方はこのミッションの遂行に対して肯定も否定もなかったですね。ただこれは【脅迫】だと感じ取ってください」

「脅迫ってなんですか?」

「その質問には回答しかねます。私たちには時間がございませんので、疑問や質問、文句等はそのスマートフォンでの対応とさせていただきます」

 本当に男には焦っているように見えた。

「ではミッションのことは関係者以外には口外したりなさらないでください」そう言ってい男はファミレスの外に出た。

私はセミが鳴いているのが聞こえないのか。改めて突っ込もうとしたが、男が汗を拭う仕草を見せないまま歩いて行った。その瞬間、私たち二人の目には思いがけない光景が映った。

男の先に虹色の穴が現れ、男は虹色の穴を目がけて走っていった。

「何⁉あれ!」私は席から立ち上がり、虹色の穴を指差して声を張り上げる。陽向人も驚きのあまり、席から立ち上がり立ち尽くしていた。

 初めて見た光景だ。SFのような類でしか見たことがない。まさか男は人間ではないかもしれない。セミが鳴いているのが聞こえないのかという突っ込みが、現実味を帯びてきた。

ふと気が付くと、ワープホールは消えている。いつの間にやら冬服の男に怪訝な目線を送っていた学生は、下敷きや手で顔へ風を送っていた。

私は男から渡されたスマートフォンをギュッと握り締めた。

「お待たせしました。フライドポテトと塩とケチャップです」

 店員さんは何も起こらなかったみたいな口調でロボットのように決められた言葉を言い、テーブルの上に陽向人が頼んだフライドポテトなどが置いていった。

「店員さん。あの、トレンチコートを着たお客が出ていったんですけど……お会計済んでますか?」

 陽向人は店員さんに顔を覗いた。私は男が座っていた場所を見てみると、コーヒーカップと一枚の皿が置いてあった。このファミレスは後払い制なので会計が済んでいないことになる。男は無銭飲食を犯しているのではないか。しかも目立った服装であり、印象的であった。

「トレンチコートを着た男性ですか?」店員さんは首を傾げ、言葉を紡ぐ。


「今は夏ですよ?そんな人いるのですか?」

 店員さんは何も覚えていない。いや、何事もないような顔をした。陽向人と私は何が起きているのか、見当がつかなかった。今の季節とは合っていない服装をした男が店から飛び出し虹色の穴へと消えていったはずなのに店員は覚えていない。私には理解が出来なかった。

再び、男がいたテーブルの上を見てみると、コーヒーカップとお皿が光に包まれながら、消えていくのが見えた。

「私、疲れてるのかな?」

 瞼を擦ったり目をパチクリしたが、どうも幻覚ではないことが分かった。

このようなことがあるのだろうか。私は夢を見ているのだろうか。幻覚なのだろうか。私は疲れているのだろうか。怖くなり、陽向人の顔を見ると、男がいたテーブルの上を見つめていた。超常現象が起きている。

「ごゆっくり」

店員さんは何事もなかったかのように従業員専用の扉に入った。

「陽向人」

 私は陽向人に耳を貸すようにジェスチャーで伝えた。陽向人はジェスチャーの意図が分かり耳を貸してくれた。

「これってもしかして、ドッキリなんじゃない?」私は苦し紛れの冗談を陽向人に伝えた。

 陽向人は眉間にしわを寄せた。陽向人は手招きし言いたそうな身振りで私は耳を貸した。

「こんな田舎なのにドッキリをするのかな?」

 陽向人の言った通り、都市圏には程遠い場所に私達は住んでいる。

ドッキリだとしても、虹色の穴のこと、消えたコーヒーカップのこと、全て説明がつかない。

「仕方ない。フライドポテトを食べようよ」陽向人は席に着き、テーブルに置いてあるフライドポテトを口に運んだ。

 握り締めていたスマホが振動した

 またスマホが振動した。

私はスマホの電源ボタンを短く押し、スマートフォンを起動させた。スマートフォンを立ち上げると、暗証番号や、パスワードの入力の必要がないような設定になっていた。

画面には二文が書かれていた。

「ここの住所の会社に明日の午前十一時に訪問しろ」

「パスワードは0624」

 この二文だった。スマホではメールなどのやり取りでの画面の上部には名前が表示されるはずなのだが、そこだけは非表示になっていた。何か違和を感じる。

 その会社は【デス・イレイズ・マイン】というゲームの開発をしている会社だった。名前は【ヨロズ】だ。この名前の由来は社長の名前、万師定(よろずしさだ)から名付けられたそうだ。【デス・イレイズ・マイン】は私たち、陽向人と私を繋いだ一番大好きなゲームだ。

 デス・イレイズ・マインとは【ケモノ】というモンスターから人々を守るパソコンで行うリアルハンティングアクションゲームである。そんじょそこらのゲームではない。まず、如何にも現実的な世界観になっていて、まるで本当にある世界をそのまま画面上に映し出しているようなリアリティが溢れるゲームなのだ。しかもデス・イレイズ・マインに登場するキャラクターは唯一無二の存在で、プレイヤー各々が操作するキャラクターも決して同じではない。

そして最大の特徴だといっても過言ではないが、舞台となる仮想世界が地球規模で大きいのだ。自由に動き回って探索・攻略ができるオープンワールドで開放感あふれるマップなのだ。

しかしデス・イレイズ・マインにも欠点が存在している。それは【プレイ時間が一時間】と制限がかけられている。そしてキャラクターの名前や姿はプレイヤーで決めることが出来ず、自動決定される。

さらに一度、キャラクターが死んでしまったならば、一生デス・イレイズ・マインのプレイが出来なくなる。

このように今までのゲームには無かった設定の前代未聞のゲームだ。

しかし、現在、巷にはデス・イレイズ・マインにまつわる噂が流れている。

【裏技】の存在だ。ある操作をするとプレイ時間の制限がなくなり無限にプレイできるというものだ。だがメリットばかりではない。裏技を乱用するとゲームが起動できなくなるらしい。

 私は【裏技】について反対だ。プレイ時間の制限が不自由だと感じるのは百歩譲ってわかるが、プレイできなくなるなら元も子もない。

 私はデス・イレイズ・マインが大好きだ。


 一番大好きなゲームの会社の訪問なんて考えてもみなかった。住所を見てみるとどうやら私達の生活圏からはそれなりに近い。

「陽向人、これ…」私は陽向人にスマホに送られてきた謎の男からのメールを見せた。

「何だよ。明日の午前十一時?学校の授業中じゃないの?途中で抜け出せっていうのか?」 

 確かにその通りだった。明日が土曜日など休日であれば午前十一時は訪問が出来るが、明日は火曜日。週の真ん中にも到達していない曜日だ。このメッセージには無理がある。万が一、早退など学校から出る口実を作り会社に訪問する方法は使えそうな手だが到底ミッションは出来そうにない。


 またスマホが振動した。

「見てみろよ」

 陽向人の言う通り、スマホの画面を見た。

「急ぎ足で済まない。そちらから何か質問はあるか」スマホにはそう書かれていた。

「何か質問はあるかって。陽向人は何か質問はある?」私はそう言った。

 陽向人はテーブルの上に頬杖を付きながら男が座っていたテーブルを眺めていた。

「あなたは何者か。それが一番聞きたい」陽向人は呟いた。

「分かった。あなたは何者かって聞くよ」

私はフリックをしながら文章を連ねていく。陽向人はもう一本、フライドポテトをつまんで食べていた。私もフライドポテトの山から一本のポテトをつまみ口の中に入れた。

「しょっぱ!」いつの間にかフライドポテトに塩が撒かれ、私は塩分が大量にかかったポテトを引いたようだ。


 またスマホが振動した。毎回送られてくる謎の男からのメッセージはなんだか緊張する。次は何が送られてくるのだろうか。「あなたは何者か」という私たちの質問に男はどうこたえるのか。私はドキドキしながらスマホの画面を見た。

「伊乃陽向人」

 スマホの画面はこの漢字五文字を映し出していた。

 伊乃陽向人。

伊乃陽向人はたしかに目の前にいるはずなのに、謎の男は伊乃陽向人だと答えた。

同姓同名でも伊乃は珍しいし、陽に向かう人と書く「陽向人」は私の人生で聞いたことがない。時代が違えば主流の名前も変わってくるのだろうが、まだそんな時代ではない。何かのジョークなのだろう。

「どうした?見せて」陽向人は私の動揺を感じ取りスマホを求めた。陽向人がスマホの画面をのぞき込んだ。

「は?なにこれ」陽向人は私と同じく混乱状態になっている。

 伊乃陽向人とメッセージを送った人物の心理が良くわからない。伊乃陽向人と送って私達を混乱させる策略なのだろうか。

 伊乃陽向人。完全に私達の情報を持っているのか。その思考に辿り着いた時には人差し指が動いていた。

「私達のことをどれくらい知っているの?」

 私がそう送信したときに質問の内容が少しだけ解り難かったかなと思い返す。質問をするのなら私達の情報はどれくらい把握しているの?というべきだったか。

 またスマホが振動した。

「そちらが知っている情報はすべて知っている」次にこんなメッセージが送られた。

「質問は以上でいいか。無ければ応答をしばらくやめる」

 応答するのをやめるということなのだろうか。

「陽向人、ほかに質問はあるかって。無ければしばらくは応答しないって」

「ない」

 陽向人は外の風景を見ながらフライドポテトを食べ始めた。何か考えている様子だった。私も質問が思い浮かばなかったので「ないです」と返事した。

「わかった。明日の午前十一時。頼んだぞ。健闘を祈る。また会える日まで」

 これが最後のやり取りであるかのような文が送られてきた。

 男は不可解な返答で私達を混乱させた。伊乃陽向人だの、そちらが知っている情報はすべて知っているだの、頭の回転をフル回転にしてもなんだかさっぱり分からなかった。

 私は男との会話が途切れたので自分のスマホでデス・イレイズ・マインの情報を調べるために検索アプリを開く。

高校生になってゲームに対する熱意が冷めてしまったような感じがする。なぜなら陽向人との共闘が出来なくなったのだ。共闘というものはゲームの主軸であるケモノはチームで討伐が可能であり、友達でも一緒にスリル満点のプレイができるシステムだ。陽向人との共闘が出来なくなったのは一年前のことである。


「あれ?なんかプレイ画面が映らない…」

 その日はこのファミレスで陽向人との共闘の準備をしていた。私は陽向人よりはやくデス・イレイズ・マインを立ち上げて指慣らしをしていた。私が操るキャラクター【カジ】は緑色の髪をしていて、肌が白い。

そんなカジは画面の中で私の入力したコマンド通りに動き回っていた。プレイ時間が一時間と定められているのでケモノの討伐は一時間以内でなければ攻略ができない。

私は時間制限がありながら陽向人と一緒にケモノを討伐して楽しんでいた。

 だがこの日は違った。

 陽向人のパソコンのデス・イレイズ・マインのプレイ画面が映らないのだ。マウスのクリックもキーボードも反応しなかった。何をしても何も起こらなかった。


 この日を境に陽向人はデス・イレイズ・マインの世界からおのずと離れていくことになった。たかがゲームだろうと言われるかも知れないが、まるで陽向人と気持ちが離れていく気がしてならなかった。デス・イレイズ・マインで陽向人と近づいたのだ。

 デス・イレイズ・マインは陽向人との懸け橋みたいな存在なのだ。

 だからこの世界にデス・イレイズ・マインがなければ陽向人と仲良くできなかった。


 スマホが振動した。私は伏せていたスマホの画面を見た。誰からのメッセージだろう?

「時は世紀末。人は荒れ果てた。心も荒れ果てた。だからこの景色は荒んでいる。人々の顔色を窺うことを忘れ我が我がと争っている。これがニンゲンの本性だと決めつければ、それこそこの世の終わりを自ら予期しているのではないか。もしそれを定めればニンゲンは破滅の一途を辿る。それこそ彼らが思う壺だ。彼らの手に踊らされてはいけない。一度我らが彼らを手に踊らせた。当時の権力を掌返しにした神を恨まなくてはいけない。また友と日を過ごした日を回想する中で一人、今は亡き者がいる。だが今は解消された」

 別の人からだ。画面の上部に名前が表示されていたからだ。

 稔内峡。そう書かれていた。読めそうで読めない漢字が使われている。初めてみる人名だ。名前っぽく読むと(じんない きょう)と読むか(じんない かい)と読むか。ただ私の知識ではこのようにしか読めなかった。このような人が長々とポエムみたいなメッセージが送られてくるなどと意味が分からなかった。

「なんだそれ?」

 陽向人はフライドポテトを口に含みながら私の手元のスマホをのぞき込む。

 なんだか今日は奇妙な出来事ばかりだ。


「ヨロズってデス・イレイズ・マインを運営してるんでしょ?なんでわざわざ僕たち二人が行かなきゃいけないんだ?」陽向人はそう言った。

「あー確かに」私は相槌を打った。

「それにもう一つおかしいところがある」陽向人は人さし指を立てて言う。

「おかしいところ?どこがおかしいんだろう?……まあおかしいところは幾つもあるけど」私は言った。

「謎の冬服の男が【伊乃陽向人様、真海羅奈様のお二方はこのミッションの遂行に対して肯定も否定もなかったですね】って言ってたじゃん?僕たちは一切自己紹介をしてないのに【僕達の名前を知っていた】」

「あ!そうか!」私は驚き少し大きめに声を出した。

「冬服の男は事前に私達の名前を知っていたってこと?」

「多分。僕達がここのファミレスに来ることを予測して冬服の男が待ち伏せしていた」

「たしかにそう考えたほうが自然だね」

「でも、そしたら余計に【なんで僕達が選ばれたのか】分かんなくなる」陽向人はフライドポテトを一瞥し、塩が入ったガラスの瓶をフライドポテトが盛られた皿へ傾けた。

「お待たせしましたーかき氷でーす」店員さんがイチゴ味とブルーハワイのかき氷がそれぞれ一つずつ乗せられたお盆を持って私達のテーブルへと運んでくる。

「ありがとうございます」私は予想以上の大きさのかき氷が来て店員さんに感謝する。

 私の目の前にブルーハワイ味のかき氷、陽向人の目の前にイチゴ味のかき氷が並んだ。

「ごゆっくりー」店員さんは再び従業員専用の扉に入り業務へと戻った。

 私はスプーンを手に取り、早速青色に彩られた小さな氷の山に匙を入れる。

「んーブルーハワイおいしー」私の口内の温度で氷が解けていきシロップの味が腔内に広がる。

「なあ。羅奈って今もデス・イレイズ・マインをやり続けているの?」陽向人がスプーンを手に取りながら私に問いかけた。

「うん。今もやっているよ」私はありのままに答える。

「ふーん。一人で?」

「そうだよ。陽向人がデス・イレイズ・マインを出来なくなっちゃった時から少し寂しいけど……」

「そうなんだ」陽向人は赤いシロップがかけられたかき氷を食べ始める。

「イチゴ味食べたい」私は陽向人のかき氷を上から削り取り、氷を口に運ぶ。

「イチゴもいいよねー」私の口内に甘いイチゴの味が充満していく。私はさらにブルーハワイのかき氷を口に入れる。

「ふーん。ブルーハワイってそもそも何の味だろう?」私がふと疑問を持ち、呟く。陽向人が青色の氷を口へと運ぶ。

「ブルーは青色でしょ?ハワイはハワイでしょ?」

「そのまんま」陽向人が私の言葉にツッコミを入れる。

「青のハワイ?私、ハワイ食べているの?」

「すごいな」陽向人は私のブルーハワイのかき氷をスプーンで取って食べる。

「イチゴ味はイチゴだもんね。メロン味はメロンだもんね」私はファミレスのメニューを見ながら疑問を解決しようと頭を働かせる。

「ま、イチゴでもメロンでもブルーハワイでもシロップは味一緒だけどな」陽向人は私に向かって喋る。

「え?え!味一緒なの?」私は目の前にあるブルーハワイのかき氷と陽向人のイチゴ味のかき氷を食べ比べする。なんだかどっちも味が一緒だと言われれば一緒な気がするし、味が違うと言われれば違う気がする。


「ありがとうございましたー」ファミレスの会計が済み、私たちは外に出る。

「また明日ね」陽向人と私はファミレスの扉の前で別れる。

「じゃあな。朝に電話するからな」陽向人はそう言いながら私に手を振って帰路につく。


 私の家の前に着いた。私は玄関のドアを開ける。

「おかえり」玄関の奥のリビングで食卓をふきんで拭きながら私のおばさんが出迎えてくれた。

「ただいま」私は応答しながら二階にある自室へと駆け上がる。

 私の部屋の扉を開け、明かりを点け早速デス・イレイズ・マインを始めるためパソコンの電源を点ける。裏技など使用したことがない純白なデータ。

ロードをする画面に切り替わった。背景が真っ黒で中央には一本の剣とそれに纏わりついた炎のエフェクトが描かれたエンブレムのようなバッジがゆっくりと小さく揺れながら回っていく。

「コジ」陽向人が使っていたキャラクターの名前だ。コジとカジは兄妹という関係だ。まるで実在しているかのように。もちろん陽向人も私も自分がキャラクターを決めていないし名前も決めていない。

 陽向人と私はデス・イレイズ・マインで交流を深めた後、初めて共闘しようとする際に「エレクト」というプレイヤーにとても支えられていた。共闘は知らない人ともできる。当時、小学四年生である私達からするとエレクトさんは眩しく輝いていてとても強かった。エレクトの武器は剣であり特殊効果で電気の魔法が使用できる特別な武器だ。殆どエレクト、コジ、カジの三人組でケモノ討伐に励んでいた。だがエレクトさんが何者か分からなかったため、陽向人と話す際には「エレクトさん」という愛称で呼んでいた。あくまでもゲームの世界だけの絆。いつでも切れてしまいそうで脆い絆だったけどその当時の私達はエレクトさんみたいにゲームが巧くなってエレクトさんに認めてもらいたいと思っていた時代があった。

 そうだ。明日はエレクトさんとの思い出を陽向人と話し合おう。

 ゲームが起動した。画面の左下にはタイマーが一時間から刻一刻と時間を減らしている。これは「残りプレイ時間」と呼ばれ、ゲーム開始から一時間が経つとゲームが強制終了される。

 画面の中央に私が操るキャラクターのカジは草が萌えている原っぱで寝ているようだ。他のゲームでは当たり前のように付いている機能のセーブが設定されていない。このゲームではプレイしていない時間は操るキャラクターが自動的に動くシステムが搭載されているため、ロードする際にキャラクターがどこにいるかはプレイヤーの私達には分からない。私はマウスを上にドラッグすると、カジは私がマウスを動かした方向へと走っていく。見慣れた光景だ。

 カジの左手首にはコンティニューブレスという機械が装着されている。カジの髪は緑色で肩まで伸びている。上半身は白い布を纏っている。下半身は紺のショートパンツで脚が露わになっている。

 風がより一層強く吹いた。草達は流されるように倒れる。

 画面の上部に黒い影が映った。私はマウスを動かし、カジに黒い影を追わせる。このケモノはイノシシ型で約三メートルであり、キャラクターに突進してくるので避けながら急所である前脚を狙うようにするのがコツである。このケモノは短い黒い剛毛を纏っている。ハンドガンの二丁拳銃を腰にある革であろう素材のホルダーから抜き出し、イノシシがどんな行動をしてくるか予見していた。いつこちらに突進するか、見計らう。

 静かな草原のなか。草達も倒れていたのが、風が穏やかになり地から真っ直ぐと立っていた。細々と草の先が動いている。私にとって追い風だ。緑色の髪がなびいている。イノシシは後脚を後ろに擦っている。

 ケモノは前脚を上げ野太い豚のような声を響かせる。これが発進の合図となる。ケモノが右前脚と左後脚を同時に曲げると同時に重心を前にかける。肢体をこちらへと向けて来る。

 イノシシは十二支の中で最後の動物だ。十二支の中で一番速いと予想できるがその反面曲がることが困難で制御できなくて最後の動物になったという逸話を小さい頃に聞いたことがある。この逸話が功を奏した。

右だ。

ケモノは私に猛スピードで突進してきた。それを見計らい体重を右にかけ転がり込んだ。ケモノは私の左をすり抜けた。いま思えば草達は自然のマットのように感じられて心地よかった。イノシシは次の突進の準備として前脚を踏ん張り急ブレーキをかけた。立ち上がりどのように討伐をしようか企てていた。

弱点は前脚。前脚に鉛弾を当てればケモノは立てなくなるだろう。次の突進も右に転がり込みケモノの攻撃を回避する。ケモノはまた急ブレーキをかけた。次の突進の時に転がりながら前脚に銃口を向け引き金を引けば討伐できるだろう。

突進してくる。右腰のハンドガンに右手をかける。それを引き出す。左腰のハンドガンに左手をかける。またそれを引き出す。右に体重をかける。転がり込む。銃口を前脚に向ける。人差し指に力を入れる。ハンドガンは声を上げる。ケモノは頭部を草原に落とす。反動で体が前に転がっていく。腹を見せ、天を仰ぐ。脚が麻痺させているかのように小刻みに動かす。

ケモノは仰向けになり呼吸困難になりもがいている。あとは球を二、三発ほど当てれば討伐成功といえるだろう。

画面越しに見ればケモノは眠っているかのように見えた。だが討伐中に見せた攻撃してきた姿を見ていると死んでいるケモノはかわいそうに思えた。私はキーボードから手を放す。

これはゲームなのだ。

そう思うとかわいそうな感情は無意味だ。死を迎えた生物に感情を入れても機械的でプログラムされた造られた死は無感情でそっけなかった。

これはゲームだから。そう片づけてしまってはゲームの意味がないと思う。子供の頃はゲームをすることが第一の幸せだった。成功すると喜ぶし、失敗すると悲しむ。でも大人に近付いてくるにつれてゲームに感情移入が出来なくなってしまう。

これが大人になっていく段階なのだろうか。いろいろな物事を知り想像力が失われてしまうことが大人のステップなのだろうか。

キーボードに手をかけた。死体になった肢体に弾を込めなければ無残な死がずっと画面に映し出されてしまう。

短く黒い剛毛とは違い、薄桜色で如何にも弱弱しい腹に銃口を近づける。また起き上がって襲ってくるかもしれない。引き金を引いた。ハンドガンが声を上げた。

ケモノはただの屍となった。

ケモノの死体はもう生の息吹は感じられない。死体は黒い粒子状となり散った。このデス・イレイズ・マインの世界では死体が残留せずに消えていく。生きていた証拠が消滅されゆく景色は何故か私の心を傷ませる。

私はデス・イレイズ・マインのプレイ可能時間を三十分以上残し、オンライン回線を切断した。

ふと我に返ると私がいる部屋の温度が高いことに気が付いた。デス・イレイズ・マインに熱中するあまり、暑さを感じなかった。プレイしている間、液晶の向こうにいるカジをまるで私の身体で動かしている感覚になる。これが、私がデス・イレイズ・マインを愛す理由になっているかもしれない。

私は黄色のベッドカバーをかけたシングルベッドに倒れこむ。明日の朝は早い。目を瞑り、体を休ませる。夢の世界へと意識が飛ぶ。



突然、私の枕元にあるスマホが大音量で電話の着信音が鳴り響いた。寝ぼけた頭で応答ボタンを親指で当てる。

「羅奈!いつまで寝てんだよ!もうあと三分で一時間目が始まるぞ!」

 電話越しで陽向人の大きい声が私の耳を響かせた。大きな声のせいで内容を理解するのに少し時間がかかった。ベッドの上に掛かっている時計を見ると、陽向人の言う通り、一時間目が始まる時刻へと刻々と迫っている。

「何してるんだよ!早く来いよ!もう切るよ」

 通話が切られたことを知らす機械音を聞き冷静に考える。でも冷静に考える必要もなく大声で叫んだ。

「遅刻する!」

 私は急いで自分の部屋の扉に掛かっている制服を着る。ここから学校まで全速力で走っても十分はかかってしまう。まずい。

 木目調の勉強机の上に山積みになっている教科書やノートから、数学の教科書やいくつか本を取り出す。

 部屋から飛び出して階段を駆け下る。

「あら、羅奈。急いでどうしたの?」おばさんが台所でお皿を洗いながら、急いでいる私にゆったりと話しかける。

「もうおばさん!起こしてよ!学校に遅刻しちゃうじゃん!」

「え?私はちゃんと起こしたわよ。羅奈が『もう少しだけ寝かせて……』って言ったからそっとしておいたのよ」私の真似をしながらお皿に洗剤の付いたスポンジを撫でた。

「もう!まずい遅刻する!」

 リビングに置いている学校のバッグを持ち外へ出る。

 あー。朝ごはん食べられなかった。

寝坊してしまったからと理由は片付いてしまうが、授業ではお腹が減ってまともに先生の話が聞けない。よく漫画やアニメで食パンを咥えながら「いっけなーい!遅刻遅刻!」と言いながら走っている女子高校生の光景は現実ではそう見かけないしやったこともない。

 あー。髪がボサボサだ。髪をセットする時間がなかったからと理由は片付いてしまうが私は女子なのだという自覚がないように思われてしまう。女子力がないのは女子にとってつらい。この世の中には様々な女子のタイプがいて、女子でもイケメンな振る舞いをする人はいるが大半の女子はかわいく思われたい。私だって思春期なのだ。

 あー。先生に怒られる。しょっちゅう遅刻するような生徒ではないが絶対に遅刻をしない生徒でもない。怒られるとへこんでしまう性格なので調子が悪くなってしまう。

 寝坊して、いいことなんて一つもない。

 私は朝からどんよりとした心を持ちながら高校へと走っていった。

 ここでハプニングが起きた!ということは一つもない。漫画ではあるまいし。

 私は全速力で走った。


 *


僕はいつも通り登校時間の一時間前、七時に起床した。

ベッドから起き上がり、引き戸の扉を開ける。開くとまず見えるのは階段で一階へとつながる。ほかにも三つの扉が見える。無感情で一階へと階段を下り始める。

一階に着きリビングへと足を運ぶと、テーブルに置かれた目玉焼きとソーセージとサラダがのっかった白い皿と湯気が立つ味噌汁が目に映った。横に折畳まれた一枚の紙が添えてある。僕は一枚の紙を手に取り開いてみると「学校遅れるなよ。夜は遅くなるから早く寝なさい」と叔父の筆跡で書かれた文章があった。

叔父は六十近くになり定年退職前の年齢になった。しかし僕が高校に通っていることもあり、叔父は膨大な学費を支払うために遮二無二頑張ってくれている。

朝ごはんを食べ終えて半袖の制服に腕を通す。

羅奈は起きているのか。

ふとスマホを手に取り、羅奈に「起きてる?」とメールを送った。起きていたならば七時五十分ぐらいには返信が来る。

ズボンをはき替え、学校のバッグを肩にかけ、家を出る。

朝の陽射しは気持ちが良いと普段は思うのだが最近なんだか気持ちが良くない。

暑い。暑すぎる。

僕の最大の敵は夏といってもいいほど暑いのが苦手だ。

ただ登校時間には間に合うのでゆっくりとした歩調で学校へと向かう。

学校に着き校門をくぐり、腕時計を見ると七時五十七分を指していた。ポケットから携帯を取り出し、見てみると羅奈からのメールの返信が来ていないことに気が付く。

あいつ、寝坊したな。

よし、電話をかけて起こしてやるか。

緑に表示された発信ボタンを押す。

通知音が鳴り響く。

羅奈とつながった。

「羅奈!いつまで寝てんだよ!もうあと三分で一時間目が始まるぞ!」

 羅奈はびっくりしたのか黙ったままだった。

「何してるんだよ!早く来いよ!もう切るよ」

 赤いボタンの通話終了ボタンを押す。

 いま羅奈はドタバタしているだろう。

 携帯をポケットに入れた。するとポケットの中の感触に違和感を覚えた。さらにポケットに手を突っ込むとスマホの感触が手にあたった。

 これだ。昨日ファミレスで謎の男から貰ったスマホだ。ポケットに入れたままだった。

 学校を抜け出してデス・イレイズ・マインの会社を行こうと昨日起こった出来事も思い出した。僕の名前を名乗った男は何が目的なのだろう。


 *


 ふう。高校の校門にやっと着いた。高校の校門にはいつも朝に立っている体育担当の先生がいるが今はいない。いつも見慣れている光景だが少し違和感を抱いた。その先生の名前は佐藤一師(さとうひとし)先生だ。体育担当の先生は運動神経が良く頭が少し悪いというイメージが個人的にはあるが、佐藤先生は運動神経も頭もよい。佐藤先生は体育担当先生の中でも、ましてや学校中の先生の中で一番生徒の評価が良い。と噂は聞いている。私達の体育はまた別の体育担当の先生が授業に来る。噂を聞くたびに佐藤先生の授業を受けるクラスが羨ましいと思う。羨ましい。

 そう思っていると玄関に辿り着いた。鉄でできた扉付きの靴箱が六つ並んでいる。私の靴を置く場所を開ける。そしてスリッパを取り出し、靴を入れて扉を閉める。スリッパに足を入れる。

 教室の前まで来た。あとは扉を開けるだけだ。

 扉を開ける。

 ガラガラと扉が鳴りみんなの視線を浴びた。

「真海、遅刻か」

 教卓の後ろに担任の先生がいた。

「すみません。寝坊しました」

 私は先生からの叱責を受けようと心構えをしていた。

「男から何もされなくて良かったな。心配したぞ」

 声は怒鳴り散らすような音ではなく優しく心を包むような音だった。とはいえ男から何かされるような出来事があっただろうか。しかも男はいったい誰のことを言ってるのだろうか。

「昨日夏の暑いときにトレンチコートを着た男がいたと聞いて警察は不審者だと男を捜査したらしい」

 何?警察が捜査を行っている?

「真海知らないのか?まあそこに突っ立ってないで早く席に座りなさい」

 そんなに深刻なのか。

 私は陽向人の後ろの席に座る。

「なあ。今日の十一時はどうする?昨日、ファミレスで会った男が言ってたミッションをやってみるか」

「本当にやるつもりなの?授業を抜け出す気なの?危ないって。先生がその男を警察は捜査しているって言ってたよ?」

 陽向人はそっぽを向き、私の話を興味なさそうに聞いていた。


 *


 僕は昨日少し「ヨロズ」のことを調べてみた。社長の万師定は二十五歳という若さでゲーム会社を立ち上げた。そして会社の処女作として出されたゲームがデス・イレイズ・マインだ。それからデス・イレイズ・マインを発表して以来、新作は出さずデス・イレイズ・マインだけの運営をしているらしい。これで商売が成り立つのだからデス・イレイズ・マインでとても稼いでいるのだろう。

 十時十分。授業と授業の合間の時間だ。もうそろそろ学校から抜け出さないとヨロズには行けない時間になってきた。僕は後ろを振り返り、数学の教科書を開き予習をしている真面目な羅奈に話しかける。

「もうそろそろ行かないとヨロズに間に合わない。学校から抜け出そう」

「えー。陽向人が一人で行ってきてよ学校を抜け出すなんて後で怒られるだけだし」

「まさか、寝坊して先生に怒られるかもって少しテンションが下がったから行かないっていうの?こわいんだ。先生から怒られるのが怖いんだ?」

「いや?そうじゃないけど…」

 羅奈は数学の教科書にまた目をやった。

「デス・イレイズ・マインの会社だよ?行かないの?」

ポケットの中にある謎の男から渡されたスマートフォンが振動した。僕はポケットに手を突っ込み、画面を確認する。するとメールの通知が来ていた。

「さあ準備は出来ているかい」

 男からのメールはその一言だけだった。

 僕は学校から抜け出そうと席から立ち上がった。

「まさか、本当にヨロズのところに行く気なの?」

 数学の教科書に目をやったはずの羅奈が僕を見上げる。自然的に羅奈は僕を上目遣いで見ている態勢になっていた。

「面白そうじゃん」僕はそう羅奈に言い放ち靴箱へと駆けだした。

「待ってよ!」

 羅奈は僕の後についてくる。

 僕たちは無我夢中で学校を出た。


 *


 私達は「ヨロズ」へとセミの鳴き声が鳴り響く外で走った。私は高校の授業なんか頭の中にこれっぽっちも残ってなかった。私も心の片隅に「面白そう」と思っていたからかもしれない。私が子どもの頃から今まで遊んできたゲーム【デス・イレイズ・マイン】の会社に行けるなんて夢にも思わなかった。まるで子どもの頃に戻ったようにワクワクしている。

「ねえ陽向人!【ヨロズ】まであとどれくらいで着くの?」陽向人は走りながらスマホを取り出した。

「もうすぐ!この角を右に曲がるとすぐそこに見えてくるって!」陽向人は曲がり角を指差した。私たちはそこへ向かって走る。

 陽向人が曲がり角を曲がった。

 私も曲がり角を右に曲がる。

「待って」陽向人は私の前に腕を出し、私の走ってきた身体を制止させる。

「どうしたの?」陽向人を見ると、ずっと何かを一点に見つめて驚いている表情をしている。

「ここ……だよな?」陽向人はスマホを取り出し、画面に指を当てながら操作する。

 私は陽向人が何に驚いているのか、わからず陽向人が見つめていたその先を私は目にした。

 その時、私は目の前に広がった光景を受け入れようとしなかった。

 そこには蔦が絡まり廃墟となった建物があった。「テナント募集 平塚ビル」と書かれた錆びれ寂びれた看板が廃墟に張り付けてある。

 そこには会社なんて無かった。


 私の腕時計を見ると午前十時五十八分。セミの音が騒がしい中、腕時計の針は寸分の狂いもなく一秒ごとに音を立てる。もうとっくに学校では授業を行っている時間だった。

「まさか、男がミッションって言ってたのって……嘘?」陽向人はそう呟いた。

 私も陽向人と同じくそう思った。

「まさか、これもドッキリの一つなんじゃないの?」

 私は能天気なことを言ってみる。

「ドッキリもこんなに迷惑じみたものは無い。絶対、絶対ないって」

 午前十時五十九分。

「どうする?学校に帰る?」

 私は学校をすっぽかした罪を償おうと速く学校に帰る提案をした。私は寝坊もしたのでこっぴどく叱られるだろう。しかしまだそんなに大ごとになっていないことを希望している自分がいる。速く学校に帰らなくちゃ。そばの道路に走っている車やバイクの走行音が大きく響いた。

 

 午前十時五十九分三十秒。

 男から渡されたスマートフォンが振動する。陽向人はスマートフォンの画面を見る。

「え?」陽向人は息を漏らした。

「なにかあったの?」私はスマートフォンを見つめている陽向人に声を掛けた。すると陽向人はスマートフォンの画面を私の方に向けた。

スマートフォンの画面には謎の男から「調子はどうだい?」と私たちをからかうようなメールが届いている。

謎の男はヨロズという会社なんて無くて、私たちを嘲笑うために何にもない廃墟に呼び寄せたのか。

「騙されたのか?」

 陽向人の唇はそうつぶやいた。

 午前十時五十九分四十秒。

 陽向人はスマートフォンの液晶に指を動かす。

「嘘を吐いたのか?」

 陽向人はため息を吐いた。謎の男に裏切られた思い。逆にこれがドッキリだとしても笑ってくれる人がいるのだろうか。

 午前十時五十九分五十秒。時間は確実に十一時に向かっている。

 刻々と時間は過ぎていく。男の姿を見ようとしても煙に巻かれ見えなくなっている。

 私達は落胆していた。

 騙されたのか。

 午前十時五十九分五十九秒。あと一回、時計の針が音を立てると十一時になる。


 すると突然、私の目の前が一瞬にして光に包まれた感覚になった。

 味覚の感触が失われる。

嗅覚の感触が失われる。

 触覚の感触が失われる。

 聴覚の感触が失われる。

 視覚の感触が失われる。

 ふわふわと浮かんだ感触が襲ってくる。

 火照っていた身体が無くなっていく。

 何も感じられなくなっていた。何も感じることが出来なくなった。

 ただ脳が働いている。

 光は熱中症での立ち眩みで引き起こされたものではないと後で確信した。

 この虚無感の先に待っていた時間は真夏の午前十一時ではない。


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