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9/9

9(ライ麦畑)

 就寝時間になっても、俺は横になったままぼんやりと目を開いていた。

 電気はとっくに消されて、あたりは暗い。人の気配が曖昧な物音になって漂っていた。サーチライトの光が窓から射しこんで、一瞬だけ怪物のように暗闇の一部を飲みこんでいく。

 どうやら寺原さんは決起に参加するつもりらしく、だいぶ前から姿が見えなかった。あまり数は多くないが、ほかにもいくつかのベッドが空になっている。

 俺は暗がりで手をのばして、秋岡の形見になった本に触れてみた。

 それは俺もよく知っている、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』だった。

 秋岡が一体何のつもりでこの本を俺によこしたのかはわからない。ほかに知りあいがいなかったからか、それとも俺に何かを伝えたかったからか。

 ――ライ麦畑の主人公は、世の中のことをどれもインチキだとくさして、そのくせ自分では何もしない、ある意味では口先だけの高校生だ。彼は学校を退学になって、家に戻るまでのあいだも、実にいろいろなことにケチをつける。その間、読み手の反論は棚上げされ、主人公の意見だけが一方的に展開される。場合によっては、慢性的なむかつきに襲われるかもしれない。

 それでも、この本は胸のよくわからないところにすっと入りこんでしまう。

 主人公は小学生の妹に、「兄さんのなりたいものを言って」と詰めよられて、困ってしまう。そりゃそうだ、何にもなりたくないんだから。しばらくして、主人公はこう答える。僕はライ麦畑のつかまえ役になりたい――

 あるところに広いライ麦畑があって、そこで子供たちが遊んでいる。近くには断崖絶壁があるが、子供たちはそのことに気づかない。そして走りまわるうちにそこから落ちてしまいそうになる。その時、ぱっと飛びだして子供たちをつかまえる。そういうものに、僕はなりたいんだ。そういう仕事だけを僕はしていたいんだ、と。

 俺は暗闇の中で、文字さえ見えないその本を、そっと顔の前に掲げてみる。

 ライ麦畑のつかまえ役、秋岡はそれになりたかったんだろうか? だからここから、出て行こうとしたんだろうか。例え殺されるとわかっていたとしても。

 毎日の無意味な計算。

 選別される子供たち。

 決起予定時間が、ゆっくりと迫っていた。

 サーチライトの一瞬の光の中に、俺はライ麦畑を想像する。そんなもの見たこともないし、見当もつかないけれど、とにかくライ麦畑だ。そこではたくさんの子供たちが遊んでいる。近くには危ない崖。やがて子供のうちの一人が、そこから落ちそうになる。

 そのことを知っているのは、俺だけだ。

 俺だけが、その子供を救うことができる。

 慣れない仕事に戸惑いながら、俺は不器用にその手をのばそうとしていた――

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