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5(新人と秘密)

 須谷の代わり、ということなのだろう。俺たちの班にはほどなく、新しい人員が補充されることになった。

 (ひがし)という男で、二十代とまだ若く、小柄だがはきはきしたしゃべりかたをする。体の中の歯車をよく整備しているというか、一つ一つの動きが機敏だった。備考は、眼鏡着用。

 班員が入れ替わっても、やることは変わらない。起床、点呼、朝食、計算、昼食、計算、夕食、就寝、その間のいくつかの休憩。

 相変わらず、計算の意味は不明だった。何故こんなことを収容者にやらせるのかも不明。費用対効果を考えれば、発案者は首を切られてしかるべきだろう。

 そんなことを一度、秋岡と話したことがある。

「数学科にいたんだから、何かわかるんじゃないのか?」

「僕もずっと考えてるんだけど」と秋岡は思慮深げに述べたもうた。「これはきっと、宇宙人からの隠されたメッセージだよ。数字の配列に何か秘密があるんだ」

 以上が、秋岡の論考。

 数学科云々も妄想の一部なんだろうか、と俺はぼんやり考えてみた。

 収容所生活は進化の系統樹におけるシーラカンスのごとく変わりばえしなかったが、俺はふと新人の挙動不審に気づいた。

 東は敏捷、爽やかで、しかもそれが嫌味にならないような男だが、どうやら収容所のあちこちをうろつきまわっているらしい。

 俺は班員以外ではせいぜい秋岡と話すくらいだが、収容者に誰彼となく話しかける東の姿を見たことがある。よほどフレンドリーなのかと思ったが、どうもそんな感じでもなかった。

 班内での東の評価は、よく気がつく男、という程度でしかない。班長の寺原さんと何か真剣に話しているのを見かけたことがあるが、八方美人的で特別に誰かと親しいわけでもない。どうも、行動に二面性みたいなものが感じられた。

 俺がそんなふうに東に対して懐疑的な考えを抱いていると、向こうから話しかけてきた。昼の休憩時間で、ベッドに寝転んでソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』を読んでいるときだった。

「野瀬さん、ちょっといいですか?」

 と、東は慇懃な態度で俺のことをのぞきこむ。

 俺は顔を上げて、如才なさそうなその笑顔に目を向けた。

「何か用か?」

「お話したいことがあるんです」

 俺は肩をすくめて、うなずく。どうせ暇な身の上だ。「いいよ」

「ここでは話しにくいことなんです」

「――――」

 本をベッドに置いて、俺は鷹揚に立ちあがった。

 東についていくと、グラウンドの片隅に案内される。いくつか遊具が置いてあるが、人はいない。運動場では何故か、ペタンクが行われていた。

「何なんだ、話って?」

 訊くと、東は普段見せたこともないような鋭い目つきをした。その眼光は須谷よりよほど迫力がある。それこそ、木刀と真剣くらいの違いがあった。

「まず、これから話すことは他言無用に願えますか」

「無理だと言ったら?」

「この話は、あるいは命に関わるかもしれません」

「…………」

 遠まわしの脅しだった。断わると、その時点でかなり厄介な状況に陥る、という。とはいえ、我ながら特に大切でも重要でもない命ではある。

「いいよ、誰にも言わない。何の話なんだ?」

 俺は気軽に請けおった。東はあくまで真剣に告白する。

「――実は、僕は()()()の闘士なんです」


 東の話によればクーデター後、各地で反革命の地下組織が形成されたらしい。

 革命政府は基本的には軍事政権で、独裁政治。徹底した情報統制と巧みな政治戦略のおかげで今のところ大きな抵抗活動は起きていないが、それで人々の不安や不満が完全に抑えられるわけでもない。比較的順調な国家経営の裏で、何をやっているかもわかったものじゃない。

 雨後の筍のごとく形成された無数の地下組織は離合集散を繰り返し、今では反革命戦線というもっとも大きな勢力ができあがっていた。

 東はその反革命戦線のレジスタンスで、収容所には情報収集のための潜入調査にやって来たのだという。

「何しろ、内部のことはまるでわかりませんからね。ここのセキュリティはかなり厳重なんです。どれくらいの人間が集められて、何をしているのかもわかりません」

「煙草、あるかな?」

「どうぞ」

 東は一本すすめて、火をつけてくれた。

「……どうも。それで、何かわかったのか?」

 一服して、俺は訊いてみた。

「詳しいことは、何も」と、東は正直に首を振った。「何の目的でこの施設が運営されているのか、皆目見当もつきません」

「潜入しているレジスタンスは、君だけ?」

「そうかもしれませんが、僕には知らされていません。捕まったときの用心で、お互いのことは知らないようにされてるんです」

「ふうん」

 俺は煙草を捨てて、足で消した。

「話はわかったけど、俺にどうしろと? 自慢じゃないけど、たぶん何の役にも立たないぜ」

「いざというときには協力して欲しいんです。同じような約束は、何人もの人としています」

 いろんな人間と話していたのは、そのためらしかった。

「協力するのはかまわないけど、俺はここでの生活に特に不満は感じてない」俺は隠さずに言った。「だから、あまり積極的なことはできないと思う」

「そうですか」

 慎重な肉食動物のように、何を考えているのかわからない表情。

「――いえ、それならそれでかまいません。僕たちは無理強いするつもりはありませんから。ただ、秘密だけは守ってもらえますか」

「わかってるよ」

 答えてから、ふと気づいて訊いた。

「でも、何で俺にそんな話を持ちかけるんだ? そういうのなら例えば、寺原さんのほうが適任だと思うけど」

「寺原さんにはもう話してあります。野瀬さんは寺原さんの推薦なんです。決して口外はしないだろう、という」

 あ、そ。

「野瀬さんも誰か口の堅い人がいれば教えてもらえますか? できるだけ多くの仲間を集めておきたいんです」

 そう訊いてくる東に、俺は少し考えてから秋岡のことを紹介した。あいつなら他言はしないだろうし、例え秘密をもらしても信用されない気がする。まあ何にせよ、約束を破るようなやつじゃないことは確かだ。

「六班の秋岡さんですね。今度あたってみます」

 東がうなずいたところで、休憩終了のチャイムが聞こえた。俺も東もペタンクをやっていた連中も、あたふたと体育館に向かう。

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