第88話 王都到着
時化以降は大きなトラブルもなく、予定より半日遅れで王都へ入港した。
水は生活魔法を持っている乗客の協力と、コールの活躍で通常の航海と同じ程度に使え、どこからも文句が出なかったので、船長も胸をなでおろしていた。今後は下のレールだけでなく上部でも支えるようにして、より倒れにくく改修するそうだ。
◇◆◇
早朝の港はまだ人も少ないが、到着の遅れが事前に伝えられていたからだろう、迎えの人や積み込んだ荷車を運ぶための馬が待っている。大きな馬車も何台か止まっていて、礼服のようなものを着た執事みたいな人は、とても様になっていてかっこいい。
「奥様、若旦那様がお見えになっております」
「本当ね、トラペトだわ」
ラチエットさんとカスターネさんの視線の先には茶色い大きな箱馬車があり、その横に身なりの良い三十歳くらいの男性が立っている。
「お母様!」
「心配かけましたね、トラペト」
「お手紙を拝見した時は目を疑いましたが、本当に良くなられたんですね」
「えぇ、この通りもうどこも悪くないわ」
「カスターネにも苦労をかけて本当に申し訳ない」
「若旦那様には手厚いご支援をいただいておりましたので、こうして再びここへ戻ることが出来たのです。わたくしなどに頭を下げるのは、おやめ下さい」
「しかし、僕にもっと力があれば、お母様を別の街へ追い出すような真似をせずに済んだのに……」
「でも別の街に行ったからこそ、こんな素敵な人たちに出会えたのよ」
「そうでした……
挨拶が遅れて大変申し訳ありません、僕はラチエットの息子でトラペトと申します。この度は母の命を救っていただき、誠にありがとうございました」
こちらに大きく頭を下げてくれたトラペトさんに全員が自己紹介をしたが、やはり様々な種族が揃っていることを驚かれてしまった。事前に手紙で伝わっていたようだが、実際目の前にするとその反応も仕方ないのかもしれない。
「しかし、船から降りる人が全員こちらへ挨拶に来られますし、船長や船員に勢揃いでお礼を言われました。船で一体何があったのですか、お母様」
「うふふ、とても凄いことがあったのよ」
「大手商会の会長や貴族の方に、使用人にまで挨拶されるなんて尋常じゃありません、もったいぶらずに教えて下さい」
「それは屋敷に戻りながらお話しましょう」
王都への入場手続きのあと全員で馬車に乗り込んだが、ピアーノの母親を助ける時に乗った俺たち以外は初めての経験らしく、とても緊張していた。ソラは俺の膝に座りクリムとアズルが左右から掴まってきたし、ライムを抱っこした真白の腕にコールはしがみついていた。
結構大きな馬車だったので、座席がガラ空きになってしまったが、トラペトさんもみんなの仲の良さを見て笑ってくれたので、問題はないだろう。
◇◆◇
そしてトラペトさんたちが住む家に到着したが、まさに西洋にあるような屋敷と言った外観だった。レンガと木で作られている外壁には窓がたくさんついていて、煙突らしき突起物も見える。
「これは圧倒されてしまうな」
「私たち場違いな気もしちゃうね」
「この家はただの見栄だから気にしなくても大丈夫だよ」
「見栄を張らないといけない理由があるのか?」
「私たちって他の人に家や土地を紹介してるでしょ、そんな仕事をしている人がみすぼらしい建物に住んでいると、色々言われちゃうのよ」
「なるほど、そういう事か」
社会経験が少ない俺には、こうした力関係や建前みたいなものは未知の分野だ。しかし、周りの目を気にして家を出てしまったラチエットさんのように、立場や柵が絡むと気を配らないといけない事が多くなるんだろう。
「僕としてはこんな屋敷でなく、もっと小さな家で家族水入らずの生活がしたいんだ」
「私たちは貴族ではないから、皆さんも礼儀作法なんかは気にしないで構わないわよ」
「正直それはすごく助かる」
「私たち食事の作法とか全然知りませんから」
「皆様とご一緒に生活させていただいた時とあまり変わりませんので、どうかごゆるりとお過ごし下さい」
「お母様の手紙に書いていたから、皆さんに泊まってもらう部屋はベッドを並べてるし、自分の家と同じように過ごしてもらえると嬉しいよ」
今夜は屋敷に泊まらせてもらうことになっていたので、それを聞いたみんなの緊張が一気にほぐれた。トラペトさんの話し方もフランクな感じに変わってきたし、こちらのことを考えてかなり気を使ってもらってるのがわかる。
ラチエットさんも立場の違いを意識しないで済む人だったが、それは息子さんにも受け継がれているみたいだ。
◇◆◇
屋敷の玄関には使用人や執事が整列していて、馬車から降りたトラペトさんやラチエットさんを迎えてくれた。使用人の何人かは涙を流しながらラチエットさんに縋り付き、カスターネさんには何度も何度も謝っている。
呪いの症状を怖がった結果、ラチエットさんが家を離れていったことを、とても後悔していたと執事の男性からそっと耳打ちされた。悲しまないで済んだ人がこんなに沢山いるのは、とても喜ばしいことだ。
「お母様に手紙で教えてもらったけど、どこか拠点になる場所を探してるんだってね」
「パーティーメンバーが増えてきて、一軒家を借りることも多くなってきたから、どこか落ち着ける場所が欲しいと思ってるんだ」
玄関で挨拶した後リビングに通され、ソファーでくつろぎながら話をはじめた。並んで座る俺と真白を中心にしてみんなが座り、ソラとライムは馬車の中と同じように膝の上にいる。ヴェルデは王都についてから隠れてもらっているので、頭の上にはヴィオレだけだ。
「君たちには返しきれない恩義があるし、家くらいなら僕の方で用意したいんだけど」
「それはとても有難いが、白霧石を競売にかけた収入もあるから、なるべくなら自分たちの力で手に入れたいと思う」
「その若さでそこまでしっかりしているのは、やはり凄いしとても好ましいよ」
「いい子たちでしょ?」
「お母様の言っていたとおりだね」
「でもね、土地や建物を所有する時にかかる諸経費の負担や、所持金が足りない時の融資は、私たちでさせて欲しいのよ」
「王都への渡航費用も出してもらっているのに、そこまでしてもらっても良いんだろうか?」
「あまり遠慮しすぎるのも失礼になってしまうから、受け取ってちょうだい。あなた達はそれだけの事をしてくれたのよ」
同じ様なことは、ピアーノの母親にかかった呪いを解いた時に、携帯小屋の製作支援をしてくれたオールガンさんにも言われている。やはりここは素直に受けるべきだろう。
二人にお礼を言って、チェトレの街の出来事などを話していると、朝食の準備ができたとの事なのでごちそうになった。食べ終わる頃にはメンバーたちの緊張もほぐれ、いつものように話ができるようになっていた。
◇◆◇
食事の後は物件の紹介を受けることになったが、全員の目はかなり真剣だ。それぞれ譲れないものがあるので、要望をトラペトさんに告げていく。
「やはりお風呂のある家が欲しいな」
「厨房には石窯が欲しいです」
「書斎欲しい、本とかいっぱい置きたい」
「とーさんやみんなと、いっしょにねられる部屋がほしい!」
「私は静かな場所に住みたいです」
「こうやってみんなで過ごせる、大きな部屋も欲しいねー」
「寒いのが苦手なので、暖炉があると嬉しいです」
「お花畑に出来る庭が欲しいわ」
他にも個室や物置部屋などいくつか伝えていくと、トラペトさんは見取り図の描かれた紙を何枚か見せてくれる。自分たちの手に余る大きな家を除外していき、候補をいくつか絞り込んでいった。
「この家は貴族街に近いから、ご近所には少し配慮しないといけないかな。こちらの家は繁華街に近いから、とても便利だけど価格もそれ相応するね」
まだ若くただの冒険者の俺たちが、富裕層の多い場所に行くと肩身が狭くなりそうだ。みんなも難色を示してるので、これは却下だな。もう一つは便利そうな場所だけど、記載されている金額を見て諦めた。日本で言う駅前の一等地みたいな感じで、ちょっと手が出ない。
「もう一つの家は郊外で不便だけど、静かでいい所だよ。去年まで老夫婦が住んでいたんだけど、もっと静かな街で余生を過ごすと言って引っ越されてね。古い家だけど作りはしっかりしているし、家具もほとんど残していかれたから、僕としても君たちの条件には一番ぴったりだと思うよ」
トラペトさんもおすすめの家は一階に目立つ部屋が二つあり、大きい方をリビングにして小さい方は多目的ルームとして使っていたらしい。リビングには暖炉があって、クリムとアズルが大喜びだ。
食堂とそれに続く厨房も、日本人の感覚からするとかなり大きい。そして脱衣場とお風呂の存在も描かれていて、俺と真白が大喜びだ。広めの物置部屋もありがたいし、洗濯をしたり干したりする専用の部屋があったのは驚いた。
二階には夫婦で使っていた大きな寝室と、二人用の客室と一人用の個室が二部屋づつある。そして使用人が使っていたという小さな部屋が二つと細長い部屋が一つあり、そこは書斎になっているらしい。大きな部屋はライムを初めみんなが大喜びだし、もちろん書斎の存在はソラが喜んでいる。
あまり大きくないと言われた庭も、家の倍近い広さがある。家庭菜園ができそうな裏庭もあり、ヴィオレも満足そうに眺めている。
郊外にある古い家ということで、値段もリーズナブルなのがありがたい。これなら手持ちの資金で十分に支払い可能だ。静かな場所はコールの望みでもあるし、その条件にもマッチする。
「この家を見せてもらっても構わないだろうか」
「家の規模からすると四人から六人の家族に、使用人を一人か二人雇って住むのが適切なんだけど、その点は問題ないかな?」
「家のことは分担すればいいですし、今はまだ個室もいらないかなって思います」
「どんなお家か、ライム楽しみ」
「今度の冬は暖炉の前でお昼寝したいねー」
「しっぽをブラッシングされながら暖炉の前でゆっくり過ごすとか、幸せすぎます」
「私は生まれた村で野菜を作っていましたから、お花も育てられると思います」
「まあまあ、コールちゃん嬉しいわ」
「たくさん冒険者活動して、色んな所いって、本いっぱい集める、楽しみ」
みんなもこの家でほぼ決定みたいだから、実際に見せてもらって最終判断をしよう。港からこの家まで送ってもらった馬車に乗り込み、全員で現地に向かった。
資料集のモブキャラ欄に王都の項目を追加して、トラペトの営む商会の屋号も記載しています。
(彼は独身ですが、数人の使用人と内縁関係という裏設定は省いてます(笑))




