第76話 発熱
この話も途中と最後で視点が切り替わります。
水着を買いに行った後に、揚げたてのカレーパンを満喫するという贅沢な時間を過ごし、全員が食べすぎのお腹を抱えながら海岸まで行って、軽く運動をしたり話をしたり思いおもいに過ごした。ヴェルデも障害物のない広い場所を、思う存分飛び回れるのが楽しいらしく、見えなくなるくらい沖の方へまで離れていき、ちょっと心配になってしまった。
お昼に食べきれなかったカレーパンは、夜にみんなで少しづつ分けて食べたが、冷めても美味しかったのはさすが真白の料理だ。
「もう、毎日カレーでもいいくらいだよー」
「余ったカレーがー、あんなに美味しくなるなんて驚きですー」
ブラッシングを終えて真白とコールの膝枕でくつろいでいるクリムとアズルも、すっかりカレーの虜になってしまっている。
「一晩置くと更に美味しくなるし、余ったカレーの活用法は色々あるんだ」
「薄く切ったパンの上にカレーとチーズを乗せて、ピザみたいに焼いて食べても美味しいんだよ」
「それは聞き捨てなりません、マシロさん今度はそれをやりましょう」
ピザトースト好きのコールが食いついてきたが、俺はカレードリアも好きだ。この世界に米がないというのは、本当に残念でならない。もしみんなで日本にいけるなら、カレーライスを思いっきり堪能して欲しい。
「さすが伝説の食べ物、冷めても美味しい、これは大発見」
「揚げたてと冷めてからは、違った味わいがあるからね」
「脂っこくならないように仕上げてるのは、相変わらず見事だよ」
この世界では電子レンジで温め直すなんて出来ないから、市販のカレーパンと同じように、そのまま食べても美味しくなるような工夫をしていたんだろう。
「一つの料理でここまで盛り上がれるなんて、カレーって本当に凄い食べ物なのね」
「ピーピピ」
「二人にも食べてもらえないのが残念だな」
「毎日ハチミツを食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、みんなに大切にしてもらってるから、私はそれで十分よ。ヴェルデちゃんも、きっと同じように思ってるんじゃないかしら」
「ピーッ!」
ヴェルデはコールのマナでその存在を維持しているので、食べるという行為そのものが出来ない。ヴィオレも本来なら食事の必要はないが、ハチミツは嗜好品として口にしているらしい。蜜の味だけ明確に感じられるのは、やはり花の妖精だからなんだろう。
「ライムは揚げたてと冷めてからと、どっちのカレーパンが好きだ?」
「・・・・・」
さっきから全然喋っていないライムにそう聞いてみたが、俺の質問に反応せずに誰も居ない場所をボーッと見ている。
「……ライム? どうしたんだ、どこか調子が悪いのか?」
「ちょっと顔が赤いような気がするよ?」
真白にそう言われてライムの額に手を当ててみたが、そこは驚くほど熱くなっていた。クリムとアズルのブラッシングをしていた時は、いつもと変わらない様子だったのに。
そして容態を見ている最中に、目を閉じて意識を失ってしまう。
「ライムしっかりしてくれ、ライム!!
くそっ、すごい熱があるじゃないかっ、膝の上に抱いていたのに、どうして気づかなかったんだ……
氷は……無理か……コールすまないが水を出してくれ。緊急用のリュックを取り出すから、真白は解毒薬やポーションの準備を頼む。誰か救急車を……って、ここは異世界だ、どうする、どうすればいい、……治療院は今の時間でも開いてるのか? 俺が走ってでも連れて行く!」
「リュウセイ、少し落ち着いて。竜人族は普通の病気にかからない、熱が出たのは何か別の原因がある。そうやって慌てると他のみんなが不安になるから、まずはベッドに寝かせて様子を見よう」
突然の事で思考がぐちゃぐちゃになって混乱していた俺の頭が、柔らかいものに包まれて優しく撫でられる。ゆっくりと語りかける声で少しだけ冷静さを取り戻すと、頭を包み込む柔らかい感触とやさしい手は、ソラのものだと気がついた。
「……すまないソラ、もう大丈夫だ」
「落ち着いて症状見たら、きっと大丈夫、みんなもついてる」
「妖精には病や状態異常の気配みたいなのがわかるの、ライムちゃんからはそれを感じないからきっと大丈夫よ」
「ありがとうソラ、ヴィオレ、取り乱してすまなかった、みんな」
「ライムちゃんは私たちの大切な娘なんだから仕方ないよ。ここだと落ち着けないだろうから、離れたベッドに連れて行ってあげようね、お兄ちゃん」
ライムをそっとベッドに横たわらせ、コールが出してくれた水で濡らした手ぬぐいを額に乗せる。眠っているライムの小さな手を握ると、先程よりも体温が上がってきたのか、体全体が熱くなっている。本当にこれで病気じゃないのか心配で、胸が締め付けられた。
「今夜はここで俺がライムの様子を見てるよ」
「あるじさま、私たちも看病するよ?」
「一人で無理はしないで下さい、ご主人さま」
「これは親としての責任でもあるし、俺のわがままだからやらせて欲しい」
「わかったよ、お兄ちゃん。私たちもすぐ近くにいるから、何かあったら声をかけてね」
「リュウセイさん一人に任せていいんですか? マシロさん」
「ライムちゃんの目が覚めた時に、お兄ちゃんが近くにいると一番安心するはずだから、今夜は任せて熱が長引くようだったらまた考えるよ」
「私が近くにいると少しだけ症状が緩和されると思うから、一緒にいてあげるわね」
「みんな、自分勝手なことを言ってごめん、ヴィオレも気を使ってくれてありがとう」
ヴィオレが掛け布団の上にそっと降り立ち、みんなは少し離れたベッドの上に移動していく。ライムの寝顔を見てみるが、熱のせいで少し汗ばんでいたから、濡れた手ぬぐいてそっと拭いてあげる。
突然異世界に飛ばされて、不安に押しつぶされずにやってこられたのは、ライムがいつもそばに居てくれたからだ。俺にとってかけがえのない存在で、絶対に手放したくない大切な娘だ。どんな事があっても必ず守ってみせる、そう固く決意しながらライムの手を握り続けた。
―――――*―――――*―――――
全員でベッドを取り囲んで見守るわけにもいかず、龍青の強い意思を感じた真白たちは、自分たちの就寝場所に移動する。
「リュウセイさんが、あんなに感情を表に出す姿を初めて見ました」
「私もとっさに動けなかったし、お兄ちゃんを落ち着かせてくれてありがとう、ソラちゃん」
「リュウセイとライム大事な家族、隣りに座ってたから、すぐ出来ただけ」
「雰囲気が柔らかくなったなーってくらいはわかるけど、あるじさまの表情ってほとんど変わらないから、私もびっくりして全然動けなかったよー」
「ご主人さまにとって、ライムちゃんの存在はそれだけ大切ということなんですね」
「ここにいる誰かが病気になっても、お兄ちゃんはああして看病してくれるけど、ライムちゃんは特別だからね」
「マシロが病気の時、リュウセイはどんなこと、してくれた?」
「ずっとベッドの横にいて、水を飲ませてくれたり、果物を切ってくれたり、寝る時も見守ってくれてたよ」
真白が熱を出して寝込んだ時も、龍青はずっと付きっきりで看病をしていた。それは少し過保護すぎるくらいで、そのまま学校を休んで両親に怒られたこともある。
「私も一人で冒険者活動してる時に体調が悪くなって、ヴェルデにずいぶん勇気づけられましたから、そうしてそばに誰かが居てくれるのは、すごく嬉しいですよね」
「ピピッ!」
「お兄ちゃんって、昔から誰かの不安な気持ちや、助けを求める気持ちに敏感なんだ」
「私たちも仔猫の時、それで助けてもらったんだよねー」
「見つけてくれたのは、ご主人さまでしたね」
「私とお兄ちゃんは川から離れた土手の上にいたから、普通は気づかないと思うんだけど、目を凝らして探さないとわからない場所にいた二人を、見つけてくれたんだよ」
あの時二匹の仔猫がいた場所は、龍青の身長でも死角と言っていい場所だった。その証拠に、真白も土手の端まで行って背伸びをして、やっと気がついたくらいだ。それを二人で話をしながら歩いているにも関わらず、龍青は見つけている。
「私がポーションを買えずに困ってた時も、リュウセイさんは気がついていたんでしょうか……」
「お兄ちゃんとライムちゃんは、ずっとコールさんのことを気にかけてたから、心のどこかでそれを感じてたんだと思うな」
それを聞いたコールの胸に、温かいものがこみ上げてくる。あの奇跡のような出来事は一生忘れられない思い出だが、改めてそんな不思議な力で気づいてもらえた事がわかると、何か運命のような繋がりを感じてしまう。
「私の依頼、ライムが受けたいって言ってくれた、あれも何か感じたのかな」
「きっとライムちゃんは、私たちと仲良くなれる人って感じたんだと思うなー」
「ご主人さまもソラさんと会った日の晩に、パーティーに誘いたいと提案してくれました」
「ライムとリュウセイ、似てる力、持ってるのかも」
「お兄ちゃんとライムちゃんは、たぶん本人たちも気づかない部分で深く繋がってるんだと思う」
卵から孵化して眠り続けていたライムが、龍青がこの世界に来る直前に目覚めて出現場所で待っていたことは、ここにいる全員が聞いている。その事実だけでも、二人の関係が特別なのはわかる。
そんなライムと龍青に導かれるように集まったメンバーが、手を取り合いながら旅を続けているのには何か意味がある。全員がこの出会いに感謝しながら、心の隅でそんな事を考えていた。
―――――*―――――*―――――
少し離れた場所に置いたランプの淡い光が、ベッドを照らしている。時々様子を見に来てくれたみんなは、連結した方のベッドで眠ってしまい、俺とヴィオレは無言のままライムの寝顔を見続けていた。
「リュウセイ君は眠らなくても平気?」
「あぁ、俺は一晩くらい寝なくても大丈夫だ」
「あまりみんなを心配させないようにするのよ」
「それはわかってるんだが、今はライムのことが気になって眠れそうにないよ」
「ふふふ、心配性のお父さんね」
小声で会話を交わしながら、ライムの額に乗せた手ぬぐいを水で冷やして絞っていると、まぶたがゆっくりと持ち上がり、金色のきれいな瞳が俺とヴィオレに向けられる。
「……とーさん、ヴィオレおねーちゃん、ライムいつの間にねちゃったの?」
「ライムは急に熱が出て眠ってしまったんだ」
「体の調子はどう、ライムちゃん」
「頭がフワフワして、体もちょっと重たい」
「何かして欲しいことは無いか?」
「ライムのど乾いた」
「少し待っててくれ」
テーブルの上に置いていた水差しからコップに注ぎ、上半身を支えながらゆっくりと水を飲ませていく。かなり喉が乾いていたのか、コップ二杯分の水を飲んでしまった。
「他にして欲しいことはないか?」
「とーさんに座って抱っこして欲しい」
「横になってなくても平気か?」
「寝てるより起きてるほうが楽なの」
「そうか、じゃぁ父さんが一晩中抱っこしてあげるからな」
ベッドに上がってヘッドボードに背中を預け、足の上に座らせたライムをそっと抱きしめる。熱くなった体が俺と密着して気持ちいいのか、ライムはスリスリと顔を胸元に擦り付けてきた。
「どうだ? 苦しくないか」
「すごく気持ちよくて楽になったよ」
「それならこのまま眠ったらいい」
「背中がムズムズするから、羽を出してもいい?」
「服を少しめくり上げるから、出して構わないぞ」
服の裾を少し持ち上げると、ライムの背中に濃い緑色の小さな羽が現れる。体を冷やさないように服がはだけた部分に腕を回し、掛け布団を肩が隠れるくらいまで持ち上げた。
「とーさん、ありがとう」
「これで眠れそうか?」
「うん、とーさん大好き」
「俺もライムが大好きだ、今夜もずっと一緒にいるから、安心しておやすみ」
頭をゆっくりと撫でていると、やがて静かな寝息が聞こえてきた。ライムと話が出来たことで気が緩んでしまったのか、俺もいつの間にか意識を手放していた。
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ライムと龍青が抱き合いながら眠っている上空に、ヴィオレが静かに浮いていた。その羽根からは優しい光を放つ燐光が、二人に降り注いでいる。
「この力を誰かに使うことはあまりないのだけど、ライムちゃんはもう大丈夫だから、リュウセイ君もゆっくりと休むといいわ」
ヴィオレが使っていたのは、花の妖精魔法で鎮静効果のあるものだ。不安と焦りでかなり疲労していた龍青は、その力のおかげで眠ってしまった。聖域を荒らす動物たちに使っていたのは幻覚効果のある魔法だったが、花の妖精はこうした心に働きかける魔法が得意だった。
「種族を超えてここまで惹かれ合うなんて、リュウセイ君は面白いわ……
あなたもそう思うでしょ、ヴェルデちゃん」
「ピピッ!」
いつの間にか近くに来ていたヴェルデも、ヴィオレの言葉を肯定するように鳴き声を上げる。
興味本位で一緒に行動することにしたが、知れば知るほど彼らに惹かれていくのが、ヴィオレにも感じられた。守護獣が他人に懐くという、本来ならありえない行動を取ることもそうだが、一緒にいるだけでとても落ち着くし、それなのに心が踊るという不思議な感情に支配される。
「花にしか関心のなかった私が、今は他の妖精や人の営みに興味が出てきたわ」
聖域で霊獣に手を貸していた時も、あくまでも花を守ることにしか興味がなかったが、彼らにバニラという名前をつけられた後は、今頃どうしているのかついつい考えるようになった。それに今日はカレーという食べ物にまで興味が出てきた。
これまでの自分の生き方を考えると、今の気持ちなどあり得ないことだ。
「これから自分がどう変わっていくか、それに周りをどう変えていくか、とても楽しみだわ」
ヴィオレは龍青の上空から、顔の近くまで降りてくる。
「この先も私をワクワクさせてね、リュウセイ君」
そして龍青の頬にそっと口づけをした――
ヴィオレとの関係も少しずつ変化しています。
次回はいよいよライムの魔法が発現します、お楽しみに。




