第74話 カレー
赤日の港では、十人用の家を借りることが出来た。俺たちの人数だと少し大きすぎるが、ここは五人単位で広さの違う建物が割り振られていたので、そこを利用することにした。おかげで厨房はかなり広くて使いやすく、真白は大喜びだ。
そこで一晩過ごした次の日の朝、俺と真白の二人で朝市に来ている。早めの朝ごはんを食べた後に、ヴィオレは近くにいる妖精に挨拶しに行くと一人で出かけていき、残りの五人は海岸を散歩したいと別行動だ。朝市はかなり混雑するみたいなので、大人数で行っても邪魔になるだけだろうという判断で、別れて行動することになった。
「この世界に来てお兄ちゃんと二人だけって、初めてじゃないかな」
「必ずライムが一緒だったから、言われてみるとそうだな」
「元の世界だとこうして一緒に出かけることが多かったけど、久しぶりの買い物デート嬉しいなー」
「違う世界でも真白とこうしていられるのは、俺も嬉しいよ」
「えへへ~」
表情を嬉しそうに崩しながら、俺の腕を抱え直して更に密着してくる妹の頭を、そっと撫でる。港に近づくに連れ人も多くなり、遠くの方から威勢のいい声も聞こえてくる。
「今日は何を買う予定なんだ?」
「お魚や貝も少しだけ買う予定だけど、今日はスパイスを色々見たいんだ」
「そういえばライムもカレーを食べたがってたな」
「朝市って、お店で取り扱ってないものも売ってるみたいだから、それっぽいのを色々買ってみるつもりだよ」
「どれくらいの種類があれば大丈夫なんだ?」
「六種類くらいあれば最低限のものは出来るんだけど、十種類以上は欲しいかな」
「俺にはよくわからないから、真白に任せて荷物持ちに専念するよ」
「お米が無いからナンを焼いてみたいし、その材料も買うからよろしくね、お兄ちゃん」
うまく作れたらカレーパンにも挑戦すると言っているし、お米がなくても色々な味わい方ができそうで楽しみだ。必要なスパイスが揃うことに期待しよう。
◇◆◇
簡易的な台の上に所狭しと野菜や果物、それに魚介類や肉も並べられている。もっと海産物だけに偏っているのかと思っていたが、ここを回るだけで毎日の食事に必要なものは、たいてい揃えられそうだ。お昼くらいには営業が終わってしまうので、お目当てのものを見つけた買い物客が、次々と商品を購入していっている。
「そっちの背の高い兄さんと可愛い奥さん、うちの魚はどうだい安くしとくよ!」
「煮ると美味しい魚ってどれですか?」
「それならこの赤いのがおすすめだ、煮るといい味が出て美味いスープになるぞ」
店の親父さんが指さした先には、尾びれが少し長くて目の大きい三十センチくらいある、赤くてきれいな魚が並んでいる。泳ぐのは好きだったが魚の名前とかあまり知らなかったし、日本だと切り身で買うことが多かったから、何に似てるかとかさっぱりわからない。
「じゃぁ、その魚を三匹お願いします」
「夫婦二人だとちょっと多くないか? 明日も店を出すから、また買いに来てもいいんだぞ」
「いえ、うちは食べざかりの子供が五人もいますから、これくらい必要なんです」
「若い夫婦なのに子だくさんとはイイじゃないか! それならこいつも買っていきな、旦那さんが元気になるぜ」
そこには大きくて褐色の貝が並んでいるが、元気になるっていわゆる増強効果なんだろう。さすがに夜に悶々として眠れなくなると困るんだが……
「じゃぁ、それも下さい。あと、あっちに置いてあるのもお願いしますね」
「奥さんよくわかってるね! こいつらをまとめて煮込むと、絶品のスープが出来上がるんだ。いやー、旦那も羨ましいねぇ、可愛くて料理上手の奥さんなんて最高じゃないか」
「確かに真白の作る料理はどれも美味しいが、あまり元気になりすぎるのは困るぞ」
「旦那も野暮なこと言いなさんな、奥さんがこうして張り切ってるんだし既に五人もいるんだ、あと二・三人増えてったどうってこと無いぜ!」
とてもいい笑顔で俺たちを見る親父さんに、兄妹の関係やライム以外の四人は子供でなくパーティーメンバーだと言うのも申し訳なくなって、そのままエビっぽい食材も買って帰ることにした。
「商売上手のおじさんだったね」
「貝には本当にそんな効果があるのか?」
「地球と同じだったら元気になるっていうより、疲れにくくなる効果があると思うよ」
「それくらいなら、まぁ大丈夫か」
「本当にそんな効果のある食事は、また別の機会に食べさせてあげるね」
そう言ってこちらの笑みを浮かべている真白は、どこまで本気で言っているんだろうか。この世界に来て、なし崩しに全員一緒に寝るのが習慣になってしまったし、妙な考えは起こさないで欲しい。
……信じてるからな、妹よ。
◇◆◇
それから何軒か露店を周り、真白は店の人と話をしたり楽しそうに買い物を続けていた。そしていよいよお目当ての店についたが、この世界では粉にして売っているのではなく種や葉っぱのまま並べているので、見ただけではどんな種類なのかさっぱりわからない。
「真白にはこれがわかるのか?」
「高校の料理研究会でスパイスを挽いて、カレーやオリジナルの調味料を作ったことがあるから、お店の人にお願いして匂いや味を確かめさせてもらったら、ある程度わかると思うよ」
「すごいな、部活でそんな本格的なことをやってたのか」
「先輩の一人がすごく凝り性で、個人的に色々買い揃えてたんだ」
「それは凄いな、俺もそれで作った料理を食べてみたかったよ」
「挽くのが結構手間だし、ついつい粉のやミックスしたのを買っちゃうから、この機会にごちそうするね」
「あぁ、楽しみにしてる」
真白の頭を撫でると嬉しそうに微笑んだあと腕から離れていき、お店の女性と話しながらスパイスを確かめていく。ちゃんと小さな小瓶で粉にしたサンプルを用意してあったらしく、一種類づつ取り出して味や匂いを確認させてもらっていた。
「ここの四種類とあっちのを二種類、そこれからこれとこっちを三種類に……」
メモを作りながら全てのスパイスを確かめたあとに、次々と買う物を決めていき全部で二十種類ほど購入した。
「たくさん買ってくれてありがとね、これ全部一度に使うのかい?」
「はい、ちょっと凝った料理を作ってみたくて」
「へー、普通の人は多くても二・三種類だけど、貴族様の家で働いてる料理人って訳でもなさそうだね」
「夫や五人の子供たちに、美味しいものを食べさせてあげたいですから」
「まだ若いのにいい奥さんすぎて泣けてくるね、ちょっとオマケしてあげるよ!」
「ホントですか、ありがとうございます」
「美味しいもんができたら、また買いに来ておくれよ」
最初の店で言われた、食べざかりの子供がいる夫婦という設定が気に入ったのか、すっかり若くて子だくさんの妻になりきっている。まぁ、楽しそうにしているし、オマケもしてもらえるから、そのままでいいだろう。
スパイスのお店を後にして、ヴィオレの食べるハチミツを買ってから、家へ帰ることにした。腕に抱きつきながら歩く真白はずっと上機嫌なので、この街にいる間はこうして出かける機会を増やしていこう。
◇◆◇
家に戻って厨房に入り、買ってきたものをすべて取り出す。お昼に魚介類のスープを作るのと同時に、晩のカレーの準備も進めていく。手際よく魚やエビっぽい食材の下ごしらえを続ける真白の近くで、俺はひたすらスパイスを挽き続けた。その度にいい匂いが漂ってくるが、確かにこれはかなりの手間がかかる。
電動の調理器具がないから、すり鉢でゴリゴリやっているだけに、余計そう思ってしまう。しかし、美味しいカレーのためだ、腕が疲れたなんて泣き言だけは言うまい。
「とーさん、かーさん、ただいまー」
「ただいまー、すごくいい匂いがするよー」
「ただいま戻りました、何か色々な匂いが混ざってる感じですね」
「リュウセイさん、マシロさん、いま戻りました」
「ただいま、たくさん歩いた、お昼いっぱい食べる」
海岸に行っていた、食べざかりの子供たちが帰ってきたようだ。
……って俺も市場での設定を引きずってるな。
「みんなおかえりー、早速で悪いんだけどお水お願いできるかな、コールさん」
「はい、任せて下さい」
「とーさんは何してるの?」
「父さんは母さんのお手伝い中だ」
「凄くいっぱい材料があるねー」
「ご主人さま、これで何が出来るんでしょうか」
「これは全部カレーの材料なんだ」
「ふぉぉぉぉぉー、あの伝説の食べ物、カレー! 夢にまで見た、カレー!!」
俺や真白に色々な話を聞いたからだろうか、ソラの中ではカレーが伝説になっていた。抜くと勇者になれる剣ではないが、食べたら賢者にでもなれそうな興奮っぷりだ。
「かーさん、カレー作れるの!?」
「材料になりそうなものを色々揃えてきたから、晩ごはんに作ってみるね」
「やったーーーっ!!」
「晩ごはんが楽しみだなー」
「お昼も美味しそうだから、食べすぎが心配です」
「またみんなで海岸に行きましょうか」
「ピピピー!」
「俺もちょっと走りに行くよ」
お昼は買ってきた魚介類で作るブイヤベースだが、元の世界でも何度か作ってもらったことがあるので、美味しいのは間違いない。こちらも食べすぎてしまいそうだから、しっかり動いてお腹を減らしておこう。
◇◆◇
ナンを発酵させるために寝かせる時間を使って真白も一緒に砂浜に行き、しっかり運動をして帰ってから最後の仕上げをやっているが、家中にカレーの良い匂いが漂っている。テーブルに座ったみんなもソワソワとして、待ちきれない様子だ。
「みんなお待たせー、カレーの出来上がりだよ」
テーブルの上には二つの鍋と、焼いたナンの入った大皿が並べられた。片方がマイルドなカレーで、辛いものが苦手なライムとコールとアズルが食べる。もう片方はスパイシーなカレーで、俺や真白やクリムが食べる。ソラは両方試してみたいと張り切っていた。
真白から食べ方の説明を聞き、いただきますの挨拶をすませる。ナンで食べるカレーなので具は小さめで煮込まれているが、匂いや色は日本で食べていたものと全く同じだ。試しにスプーンですくって一口食べると、スパイシーで深みのある味が口いっぱいに広がった。
「……これは、カレーだ、間違いなくカレーだ、真白!!」
「良かった、お兄ちゃんにそう言ってもらえたら大成功だよ」
懐かしい味を異世界で再現してしまった真白のカレーを食べて、テンションが爆上がりしてきた。ナンを小さくちぎってカレーと一緒に食べてみると、モチモチの触感とスパイシーな風味が混ざり合い、口の中いっぱいに幸せが広がる。ナンを何枚でも食べられそうだ。
「かーさん、これすごく美味しい! この平べったいパンも、すごく不思議」
「これはパンとよく似てるけど、ナンって言う食べ物なんだよ」
「名前もよく似てるんだね」
「これが伝説の味……、辛い方もそうじゃない方も両方美味しい、好みの辛さに混ぜてもいいかも」
「あっ、ソラちゃんそれいいねー」
「クリムちゃん、混ぜる前に私にも少し辛い方を食べさせて下さい」
「うん、いいよー、アズルちゃん」
ソラは両方のカレーを交互に味わったり、ナンを二つのカレーにつけてみたり、色々な食べ方を模索している。クリムとアズルはお互いのカレーを試しているが、辛い方を食べたアズルが舌を出してフーフー言ってるのが可愛い。
「もう少し辛くても大丈夫そうなので、私も二つを混ぜてみます」
コールは自分の器にスパイシーなカレーを少しずつ足しながら、変化していく味を楽しんでいる。
「あらあら、今日の食事は特に楽しそうね」
「ピピピーッ」
夕方戻ってきたヴィオレも、朝市で買ったハチミツを食べながら、上機嫌でみんなを見ていた。彼女にもカレーを味わってもらいたかったが、蜜以外は口にしても味を感じないらしい。
この世界の香辛料は少し贅沢品になるので、これだけふんだんに利用して作る料理を口にする機会は、まず無いだろう。しかし、カレーが再現できるとわかってしまった以上、惜しみなく買い揃えていくことにしたい。みんなの嬉しそうな顔も見られるし、それだけの価値がカレーにはある。
異世界カレーが爆誕!
思わずオヤジギャグが飛び出すほどの旨さ!!




