第2話 名前
何かの怪現象に巻き込まれたことを思い出したが妹は無事だろうか、それに一緒にいた仔猫たちのことも気になる。日の出が近いのか、辺りはうっすらと明るくなってきていて、自分の周りを黒くてゴツゴツしたものが取り囲んでいることに気がついた。
寝ている場所も土の上やコンクリートとは違うし、こうして空が見えるということは橋の下とは別の場所だろう。体に痛みは感じないし体調に異常はないみたいでホッとするが、どこか知らない場所にいるというのはわかる。
それに胸元に感じる重みが気になりそちらに視線を向けると、明るい緑色のきれいな物体が目に飛び込んできた。とても細い糸のようなそれは、薄暗い中でも光っているようによく目立つ。そして両脇にアイボリー色をした突起物があるが、その部分は少し硬そうでベージュ色の綺麗な模様も付いている。
じっくり観察してみたが、まだ幼い子供のようだ。小さな手が学校指定の白いシャツをギュッと掴んで、覆いかぶさるように寝ている。頭についているツノっぽいものはコスプレなんだろうか、それにしてはとてもリアルに出来ている気がする。
「……この子供は一体誰なんだ?
それにここは……」
その声に反応したのか、岩か何かだと思っていた周りの黒い塊がゆっくりと動き出した。得体の知れないものが近くにいるとわかり緊張するが、しがみついて寝ている子供も気になるし、下手に動くと襲いかかられそうな気もして、そのままじっとしていることにした。
黒い塊と思っていた一部が持ち上がり、二つの目がこちらをじっと見つめた。その姿はゲームに出てくるドラゴンそのもので、ゴツゴツしていると思ったものは彼(?)のウロコのようだ。もしかして夢なのかもと思ったが、空気の動く感じや僅かな振動が現実世界だと物語っている。
『意外に驚かぬのじゃな』
目の前のドラゴンは少しくぐもった声で話しかけてきたが、大きなスピーカーの前に立った時のような、空気の振動が直接伝わってくる感じがする。周りが少し騒がしくなったのは、きっとこの声に驚いた動物なんかがいたんだろう。
「……かなり驚いてるよ」
『その割には表情が変化しとらぬようじゃが……』
「昔から感情が表に出にくいんだ」
『ワシも驚かせたいわけではないが、襲われるとは思わなんだのか?』
「襲う気があるなら寝てる間に実行するほうがいいだろうし、こうして俺とこの子を守るように近くにいてくれたから、それは無いんじゃないかと思った」
『なかなか冷静に状況を判断できとるようじゃし、会話も成立しとるようで何よりじゃ』
言われてみて気づいたが、いまドラゴンと普通に会話をしている。まるでファンタジー小説や、ライトノベルの登場人物になってしまった気分だ。いつまでも寝た状態で話すのも失礼なので、子供を起こさないように注意しながらゆっくりと起き上がる。
「ここは一体どこで、この子は誰なんだ?」
『質問に答える前に、まずはお主の名前から聞かせてもらおう』
「そうだった、自己紹介もしてなかったな……
俺の名前は赤井 龍青と言うんだ」
『アカイ リュウセイか……長ったらしい名前じゃな』
「ここは苗字と名前が存在しないのか?」
『物好きな貴族連中は長い名前をつけたがるが、お主はそんな奴らとは違うじゃろう?』
「俺は一般人だし、龍青と呼んでくれ」
『リュウセイじゃな、ワシの名前はドラム。見てわかると思うが竜族じゃ』
「わかった、ドラム……さん、でいいか?」
『ドラムで構わんよ』
昔から敬語で喋ると余計怖がられたので苦手にしていたが、目の前のドラムという竜はあまり言葉遣いにこだわっていないようでかなり話しやすい。なにせ学校でも一部の教師から、無理に敬語を使わなくてもいいと言われていたくらいだ。
「それで、この場所のことを教えてもらっても構わないか?」
『ここはリューシエという大陸じゃよ』
「全く知らない名前だが、日本とか地球ではないんだな」
『その“ニホン”とやらも“チキュウ”とやらも聞いた事の無い名前じゃな』
「これが夢や幻でなかったら、俺は違う世界に飛ばされたということか……」
『お主のような者は時々この世界を訪れることがあるんじゃが、そういった連中を“流れ人”と呼んでおる』
そんな話の小説や物語を読んだことはあるが、まさか自分が巻き込まれるとは思っていなかった。こうして異世界の竜と普通に話ができるのも、ありがちな設定のおかげだろう。だが、意思疎通の出来る存在と最初に出会えたおかげで無駄に慌てなくて済んでいる、そういった点では幸運だった。
「そういえば俺の他に女の子が一人と、小さな動物が二匹いなかったか?」
『お主は突然のこの場所に一人で現れたんじゃが、他の場所に同じ様な気配は感じられなんだな』
「そうか……」
あの光の柱が現れた場所にいたのは妹と助けた仔猫だけだと思うが、別の場所に飛ばされたのか別の世界に分かれてしまったのか。全く知らない世界で闇雲に探してもダメだと思うが、飛ばされたのが俺だけなら突然消えて心配をかけてるだろうし、どこか他の場所に飛ばされたなら無事でいて欲しい。
『流れ人はこの世界の意思に導かれて訪れると言われておる、その子供がワシより先にお主に気づいとるし、何かの縁があるやもしれぬな』
「そうだ、この子供のことも教えてもらえないか」
ドラムが胸の中で眠ったままの子供について教えてくれたが、この子は竜人族らしい。数百年の時を生きる竜族ですら滅多に会えない、とても希少な種族だそうだ。竜族は地脈の淀みを正常な状態にする役目を持っていて各地を転々としているが、この場所の流れを整えようと移動していた時に、近くの谷で生まれる直前の卵を見つけた。
周囲をくまなく探してみたが親はおらず、同じ竜の血を引く者を放置しておくことも出来ないので、この場所に連れて来ることにした。その直後に孵化したが、そのままずっと眠り続けていたらしい。しかし俺がこの世界に来る直前に起き出し、まるでそこに現れるのがわかっていたように、この場所に立って待っていたそうだ。そして抱きついたまま再び眠りについてしまった。
改めて腕の中で眠る子供を見てみたが、ドラムと話しているうちにずいぶん周りも明るくなってきて、顔や頭に生えたツノもはっきりと見えるようになった。身長は一メートル位だろうか、ちょうど幼稚園に通っている子どもたちと同じ感じだ。顔はかなり可愛らしく、シャツを握ったまま離さない姿は、庇護欲を掻き立てる。異世界に来てしまったのに落ち着いていられるのは、この子がこうしてしがみついてるという理由も大きいだろう。それにこうされていると妙に安心できる、さっきドラムが言っていた縁ではないが、何かの繋がりみたいなものを感じてしまう。
「俺の名前にはこの世界とは少し違う“龍”の意味がある文字が使われてるんだが、それと何か関係あるんだろうか」
『リュウセイという名前には、お主の世界の竜の意味があるのか』
「東洋龍と西洋竜に大きく分かれていて、俺の名前は東洋の龍が含まれてるんだ。ドラムの見た目は西洋の竜だな」
『ワシらの種族は全て似通った姿をしておるが、二種類存在するというのは面白い世界じゃな』
「とはいっても想像上の生き物だったから、こうして話ができる存在に出会えたのは嬉しいよ」
『この大陸に住む者たちはワシらを大地の守り神などと呼んで、こうして気軽に話したりはせんもんじゃが、やはり異世界からの来訪者は感性が違って面白いものじゃ』
「違う世界から来た流れ人というのは、いずれ元の世界に帰れるのか?」
『ワシは五百年ほど生きておるが、元の世界に戻った流れ人の話を聞いたことは無い』
何らかの理由があって呼ばれたのなら、その目的を達成したら帰れるというようなアフターサポートは無いってことか。無責任な話だがそれなら当面の目的は、もしかしたら一緒に飛ばされてしまったかもしれない妹と仔猫の捜索をやりたい。そんな事を考えていたら、腕の中で寝ていた子供がゴソゴソと動き出した。手で両目をこするような動作をした後に、こちらをゆっくりと見て微笑んでくれたが、その目は吸い込まれそうにきれいな金色だった。
「目が覚めたか?」
「……とーさん、おはよー」
「父さん?」
「うん、そうだよ」
『目覚めて最初に見た者が、お主じゃからではないか?』
「とーさん、この人だれ?」
「この竜はドラムといって、お前を見つけて保護してくれた人だ」
「そうなの?
ありがとうございました」
そう言って子供はドラムにペコリと頭を下げた。卵から孵化したばかりと言っていたが、ちゃんと会話も出来ているしお礼も言える辺り、知能はかなり高いみたいだ。やはり人間の子供とは全く違う存在なんだというのが良くわかる。
「生まれたばかりなのに、ちゃんと会話ができるんだな」
『竜人族は卵のまま、ある程度成長するんじゃが、その過程で言葉など覚えてしまうんじゃ』
「なら自分の名前は言えるか?」
「なまえ?」
言われた言葉の意味が良くわからないと言った感じに、可愛らしく首をコテンと傾ける。
「自分の名前はまだないのか?」
「うん、知らない」
『父と呼ばれておるなら、お主がつけてやってはどうじゃ?』
「俺はまだ結婚なんてしたことないし、急に名前をつけろと言われてもな……」
子供の方に視線を向けると、期待したような目でじっと見つめてくる。こんな時に妹がいれば一緒に考えてくれるだろうが、今はいきなり降って湧いた試練を一人で乗り切るしかない。顔の作りは目鼻立ちがはっきりしていて、どう見ても日本人とは違うので、洋風の名前にしたほうが良いだろう。金色の瞳も目立つが、何より明るい緑の髪の毛が印象に残る。そんな事を考えていると、色に関係した名前を思いついた。
「髪の毛がきれいな緑色だから、ライムっていうのはどうだ?」
「らいむ?」
「俺たちの世界で明るい緑色をライムグリーンと言うんだ、それを名前にしたらだめか?」
「らいむ……らいむ……」
『少女らしい響きで良いではないか』
「お前、女の子だったのか……」
布に穴を開けただけの服を身にまとっていて、下着類も着けていないようだが、これは何か考えてやらないといけない。とは言えこの世界の通貨は持っていないし、近くに街や村があるのかすらまだ不明だ。
「わたしの名前はライム!」
「気に入ってくれたか?」
「うん! ありがとう、とーさん」
ライムは嬉しそうに、自分の顔を俺の頬にこすりつけてくる。こうして小さな子供に懐かれるのはとても嬉しい、結婚はしていないが父性本能みたいなものを呼び起こされてしまう。
両親の手がかりになりそうなことは無いかと聞いてみたが、言葉やある程度の常識は学んでいるが、どんな場所にいたのかや、誰が近くにいたのかは全く覚えてないそうだ。その後は違う世界から来た流れ人だと話したが、そんな事は全く気にならないらしく、ライムはあっさり受け入れてくれた。
「さて、これからどうするかだな……」
『お主は魔法を授かっておるか?』
「俺たちの世界にそんなものは無かったから、魔法は使えないと思うんだが」
『この世界に生きる知性あるものは、何かしらの魔法が発現するんじゃ、お主にも使えると思うんじゃがな』
「そうは言っても使い方も確認の仕方も知らないぞ」
『人族達は自分の能力が見たいと願いながら呪文を唱えると、左手に浮かび上がるはずじゃ』
「願いながら呪文か……」
『呪文は人それぞれじゃから、思い浮かんだ言葉を紡いでみるのが良いじゃろう』
ファンタジー小説を読んで、派手な攻撃魔法や便利な補助魔法に憧れたことはあったが、自分にも使えるようになるのはちょっと嬉しい。呪文は人それぞれと言っていたし、発動のトリガーとなるコマンドみたいなものか。
《アビリティー・オープン》
ゲームのメニュー表示を思い浮かべながら呪文を唱えてみたが、ドラムが言った通り左手の甲に文字が浮かび上がってきた。枠は三つあるようだが、一番上には“収納”という文字が見える。下の二つは文字っぽいものは書いてあるが読むことは出来ない、何かの条件を満たせば開放される部分なんだろうか。
「収納という文字が書いてあるな」
『ほう、良い魔法を授かったではないか』
「とーさん、すごい?」
『入れられる量は個人が持つマナの大きさで決まるが、便利な魔法じゃぞ』
ファンタジー小説でもやたらと重宝がられる収納魔法が使えるなら、この世界で仕事をする時や旅をするのに便利かもしれない。まだ世界の仕組みや制度を知らないので、どんな事に使えるかわからないが、妹や仔猫を探すための生活資金を稼ぐ目処が立ちそうだ。
ライムとドラムが収納魔法について話している声を聞きながら、俺はそんな事を考えていた――