第234話 決着
百年以上前にこの世界に呼ばれたという流れ人が、悪霊と融合して黒い思念体という存在に変化してしまった。その中には子供サイズの生命反応があり、うかつに攻撃ができない状態だ。
結界で抑えていてくれる三人の精霊王たちも、体の輝きが徐々に弱くなってきており、あまり長い時間持ちこたえられそうにない。
「どうする? リュウセイ」
「地上に戻って仕切り直すか?」
「外なら精霊王の力も強くなるんだよね?」
『此奴の力は急速に膨れ上がっておる、たとえ地上でも結界を破られる可能性は否定できん』
『三人がかりでも微妙ですわね』
『下手すっと俺様たちも消えちまうな』
精霊王が消えてしまうと、自然界に悪影響が出るのは確実だろう。
大規模な地殻変動があった時も、この大陸を守るために王たちが犠牲になったとディストは言っていた。そんな歴史を繰り返すようなことは絶対に駄目だ。
「お前たちが解放されたのは想定外だったが、邪魔玉をばらまいたおかげで良い素体が手に入った。王たちの力を超えることが出来て、実にいい気分だ」
「素体? もしかしてお前の中にいる子供がそうなのか?」
「そういえば先程、そこのチビが感知魔法で吾輩の中を覗き見していたな。馴染むのに時間はかかったが、実によい器だぞ。これがなければ、王たちに封印されたかもしれんな。ふはっ、ふははははは!」
「お兄ちゃん、私が直接触れて浄化してみる」
「あの状態は穢れと同じように、触るだけで状態異常を起こすはずだ、危険すぎる」
「かーさん、やめて」
「でも、お兄ちゃんだって中にいる人を強引に引っ張り出そうって考えてるでしょ?」
「俺は邪気に対する抵抗力が強いから、一つの手としては考えていたが……」
「無駄無駄無駄。ただの人間には近づくことすらできん、そこで大人しく見ているがいい。汚らわしい亜人共と男は皆殺しだが、お前のように胸がでかい女は吾輩の好みだ。黙って従うなら貴様だは助けてやろう、ただし吾輩の性奴――」
《付与の力を》
「いい加減その汚い口を閉じるのじゃ、聞くに耐えん」
「きっ、貴様、何をした!?
……痒い、だと? 実体のない吾輩がどうして痒くなるのだ!」
「それは永続付与じゃ、死ぬまで痒がっておれ」
「ぬぉぉぉぉぉー、どこが痒いのかわからんが、とにかく痒い! 高貴なる我輩にこのような仕打ち、悪魔か貴様!!」
「大陸の支配を企むような輩に、言われたくないのじゃ」
「どこが痒いかわからないのって辛いんだよねー」
「体の奥が痒くなるのと同じ感じでしょうか」
「私たちを亜人なんて言う人は、それくらいで丁度いいです」
「ピルルー」
「スファレ、いい仕事した」
「気持ちは僕もよくわかるけど、今日のみんなちょっと怖い……」
結界のせいで自由に動かない体を波打たせながら、黒い思念体の男は叫び声を上げている。スファレたちを亜人よばわりしたり、真白を性奴隷にすると言いかけたり、人質状態の人物がいなければ、今すぐ滅ぼしたいくらいだ。
「ぐぬぬぬ……我輩をコケにしおって! だっ、かゆっ……だがこの程度であれば精神力でどうとでもなる、この身は聖魔玉でもない限り、滅ぼすことは不可能だか……痒い、畜生!!」
『なんだ、聖魔玉が欲しかったのか』
『それなら遠慮なくお受取りくださいな』
『新鮮なやつだ、オメェにゃよく効くだろうよ』
「なっ、なぜ貴様らが聖魔玉を持ってるんだ! 素材になる玉は全て邪魔玉にしてやったはず!!」
精霊王たちが男を取り囲むと、自分の体に取り込んでいた聖魔玉を取り出し、黒い体の周囲に並べた。すると、そこに黒い霧となって、どんどん吸い込まれていく。
しかし、自分の弱点になるものを逆利用し、障害になる存在を封じ込めようとしたのは、かなり頭がいい。一つ計算外だったのは、それを浄化して再利用されたことだろう。
「精霊王や妖精王がこの場にいて、王都に置いた邪魔玉が消えていた時点で、こうなるとは予想できなかったのか?」
「ひゃ、百年かけて作った邪魔玉だ、王たちといえども浄化できるはずがぁぁぁぁぁーーーーー」
――グォォォォォォォ
周囲の空気を響かせながら、黒い思念体の塊が徐々に薄く小さくなっていく。そしてその中から、スファレと同じくらいの体格をした人物が現れた。その体には白い布が巻き付けられており、透けそうなほど薄く絹のようになめらかな装いは、古代ローマの彫刻に出てくるような服だ。
真っ白の髪は背中の方まで伸びていて、前髪はまっすぐ切り揃えられている。ゆったりした服なので性別はわかりにくいけど、まず間違いなく女の子だろう。
「はぁっ、はぁっ……耐えた、耐えきったぞ! さすがこの器は我輩と相性がいい」
「浄化……しきれなかったのか?」
荒い息を吐きながら揺れるように立ち上がり、女の子の声で男言葉をしゃべり出す。黒い霧を吸い込んでいた聖魔玉は灰色になってしまったから、これ以上浄化するのは無理そうだ。
「おっと、下手な動きをするなよ。この状態でもこれくらいのことは出来るぞ」
そう言うと、女の子の周囲に黒いオーラが立ち昇る。
あれも触れるとヤバそうな感じだな。
「もう諦めてその子を開放しろ、力もほとんど残ってないだろ?」
「この身体がある限り、すぐ力は取り戻せる。残念だったな、聖魔玉は最後の希望だったのだろう? さすがにもう一つあれば危なかったかもしれんが、これで吾輩の勝ちだ」
「そうか、なら仕方ないな……」
「そうだ、そうやって素直に諦め――」
《サモン・聖魔玉》
「これで俺たちの勝ちだ」
「きっ、貴様、いま一体何をした!」
「可愛い女の子の声で、あまり汚い言葉を喋らないでくれ……
これは、お前がこのダンジョンを王都に出現させようとしたとき、それを阻んだ聖域が作った聖魔玉だ」
「畜生、どうしてだ、どうして想定外の事態ばかり起こる。ここは一旦転送で遠い場所に……
……くそったれ、精霊王の結界を超える力が出せん!」
「だからその声で汚い言葉をしゃべるのは、やめろと言っている」
「結界、そうだ、アイツラを近づけさせなければいいんだ」
俺たちの家にある霊木が育てた聖魔玉を召喚し、男が取り憑いた少女へと近づいていく。しかし、途中に見えない壁ができて、それ以上進めなくなってしまった。
軽く叩いてみたが、なかなか硬そうな障壁だ。
「まだこんな力が残ってたのか」
「どうだ、これなら近づけまい」
《トリプル・カラー・ブースト》
《ショート・ワープ》
「で、誰が近づけないって?」
「……そっ、その力は空間魔法。まさか、貴様も流れ人か!?」
「あぁ、お前とは違う世界からだけど、この星に呼ばれた」
「なっ、なら、貴様も吾輩の気持ちがわかるはずだ。何の前触れもなく、突然別の世界に飛ばされる理不尽さを。今までの暮らしと全く異なる生活を余儀なくされる苦しみを。遅れた文明にめまいを覚え、未熟な技術に頭を抱え、己の話を理解してもらえない寂しさに涙する、そんな流れ人の苦悩を」
「俺たちの世界でも科学技術が発展していたから、その気持なら少しだけわかる」
「そうだろ! だから吾輩とお前でこの大陸を支配しよう、それぞれの国を作って半分づつ統治してもいい。原始人ども相手に好き放題出来るぞ、魅力的だとは思わないか?」
「あいにく俺はこの世界が好きなんだ、それを壊すような真似はお断りだ」
「何故だ、何故なんだ! 憤りを感じないのか! 寂しくなったりしないのか! 悲しい時だってあるだろ!」
「俺には支えてくれる家族がいる、それに愛する人や守りたい友人が、この世界にたくさんできた。それを奪おうとするヤツは、例え神だって許さない」
「畜生! 畜生! どこで間違った? 何が悪かった? 想定以上の力を手に入れたのに、どこで躓いたんだ……」
「お前はこの世界を甘く見すぎている。今ならはっきりわかる。俺はお前の暴走を止めるため、この世界に呼ばれた流れ人だ!」
「こんな幕切れがあってたまるか! 吾輩が何のために、ここまでやってきたと思ってる! 人の身を捨てる邪法まで使ったんだぞ!」
「その情熱をもっと別の方向に注ぐべきだったな。
この言葉が通じるかわからないけど、最後くらいは安らかに成仏できるよう祈ってる」
「あと一歩、あと一歩だったのにぃぃぃーーーーーー」
黒い霧を一気に吹き出し始めた女の子の体に聖魔玉を当てると、そこにどんどん吸い込まれていった。力を失って倒れそうになる体を抱きしめながら支え、金色に光る聖魔玉をじっと見つめる。
あの男にも友人や家族が出来れば、きっとこのような結末は迎えなかっただろう。
もし俺がこの世界に飛ばされたとき、ライムやドラムに会えなかったら、同じように悲観して自暴自棄になっていたかもしれない。たぶんあの男と俺の違いなんて、運が良かったくらいの些細なことだ。
やがて体から抜ける霧が無くなり、俺の手の中には輝きを失った玉だけが残されていた。
「リュウセイ君! この子、息をしていないわ!」
「本当かヴィオレ!?」
ずっと俺の胸元に入っていたヴィオレが発した声で考えを中断し、抱きしめている少女の胸に耳を当てる。そこからは鼓動の音も聞こえず、口元に手を当てても空気の流れを感じない。体はまだ温かいから、直前まで生きていたのは確かだ。
「きっとあの男に引きずられて、魂が抜けてしまったんだわ」
「真白! すぐ来てくれ!!」
「わかった、お兄ちゃん!」
「イザーさんは上にいるシンバたちを、ここに集めてくれ」
「了解だ!」
ハイエルフの三人が七階へ登る通路に入っていき、他のみんなは俺の近くに集まってくれる。
「真白の負担になると思うけど頼む、この子を助けたい」
「任せてお兄ちゃん、絶対呼び戻してみせるからね」
《トリプル・カラー・ブースト》
《リザレクション》
呪文を唱えると同時に女の子の体が光だし、辺り一面を真っ白に染めた――
やはり最後は主人公が決めないと、です。
黒い思念体が邪法を身に付けたり、様々な知識を得た方法は、次章で語られます。




