第233話 黒の正体
八階にいた黒い物体は、スファレの付与魔法で麻痺しているはずなのに、頭のような部分を持ち上げるという動きを見せた。そこには丸い形をした二つの目と、三日月型に割れた口がついており、そのどちらも赤く光っている。
全体が危険な魔力で構成され敵意もある人型の黒い塊が、こちらに向かって話しかけてくるという状況は異常事態すぎて、どう動けばいいのかわからない。
ハイエルフの三人に指示を仰ごうと視線を向けてみるも、難しい顔をしながら相手に視線を向けているだけだ。未知の存在に対してどう対処すればいいか、判断ができない状態なんだろう。
「君はあらゆる攻撃が無効と言ったけど、これに耐えられるのかな?」
《滅せよ!》
真っ先に動いたのはディストだった。
俺の前に立つと、右手を突き出して呪文を唱える。そこから黒い玉が飛び出し、相手の肩と顔半分を吹き飛ばす。しかし、体の輪郭が少し揺らいだだけで、また元の形に戻ってしまった。
「問答無用デ体ヲ吹キ飛バストハ、無粋ナコトヲシテクレル」
「いきなり攻撃を仕掛けてきた君に、言われる筋合いはないと思うんだけど?」
「吾輩ノ聖域ヘ土足デ踏ミ込ンデキタ無礼者ハ貴様タチノ方ダ」
「今度は体全体を消してあげようか?」
「ちょっ、ちょっと待って。青い反応もある、あれは人だよ」
「本当かマキ!?」
「間違いないよイザー、さっき体が吹き飛んだ時にはっきり反応が出た」
「ソラも見てくれ」
「わかった」
赤の彩色石を青に持ち替え、三倍強化で感知魔法を発動してもらう。体が吹き飛んだ時に見えた反応ということは、あの黒い物体で隠しているのかもしれない。強化された魔法なら結界に封じられているものも感知できるから、青の反応も見つけられるはずだ。
「ソラちゃんどう? 私の見間違いじゃないよね」
「人の形した小さなもの、黄色と紫で覆ってる」
「くそっ! うかつに攻撃できねぇじゃないか」
人の形をしている黒い霧上の物体は、普通の大人とさほど変わらないくらいの体型だ。その中に小さな反応があるということは、子供に取り憑いている可能性がある。
シマさんの言うとおり、これでますます攻撃がしづらくなった。真白の浄化は対象に触らないと効果がないし、あんな得体のしれないものに突っ込ませるわけにはいかない。一番の方法はそれぞれを分離してしまうことだけど、そのための手段を今すぐ思いつけと言っても無理な相談だ。
俺の服を握りしめている真白の手にそっと触れ、心配そうに見上げてくるライムの頭を優しく撫でる。
「無駄話ヲシテイテモ良イノカ? コノ状態デモコレクライナラ出来ルゾ」
「ネロっ!」
「にゃうっ!!」
黒い物体から触手が伸び、今度はネロの張ってくれた障壁魔法に弾かれて霧散する。反射障壁を使えるメンバーが二人いたとしても、このまま膠着状態になったらジリ貧になってしまう。
相手の体力や魔力切れを狙うとしても、一晩で強くなった成長速度を考えると非現実的だ。
『結界が完成するぞ』
『これで止まってくださいな』
『ちったぁ大人しくしやがれ』
精霊王たちの作ってくれた結界で、部屋全体が白いドームで覆われた。黒い人物は視線をあちこちに動かすが、これも頭の部分をスライドするように目と口が動くので、とてつもなく気持ち悪い。
「何ヲこそこそヤッテイルノカト思エバ、忌々シイ精霊王ドモデハナイカ。吾輩特製ノ邪魔玉デ動キヲ封ジテイルハズダガ、ナゼコンナ場所ニイル。コノ大陸ガ穢レテモ構ワンノカ?」
『儂らがここにおる理由を、お主に教える必要はない』
『わたくし達は今ここにいる、その事実だけで十分ですわ』
『それよりてめぇがアノ妙ちくりんな玉をばらまきやがったのか! 俺様たちがどんだけ苦労したと思ってやがる』
「喜ンデモラエタヨウデ何ヨリダ。シカシ、目印ニ設置シテイタ邪魔玉ガ消エタ事トイイ、地上デハ一体何ガ起キテイル……」
『何をブツブツ言ってやがるんでぃ!』
「マァ、ヨイ。精霊王トイエドモコノ結界ヲ維持スルノハ容易デハナイダロ? ココハオ前タチガ使エル力モ少ナイカラナ」
確かにダンジョン内では精霊たちもあまり活動していないし、使える力も限定されると王都で一緒に潜った時に教えてもらっている。この黒い人物は、その辺の事情もかなり詳しそうだ。それだけ入念に下調べをして、邪魔玉をばらまく計画を立てたってことか。
「お前の目的は一体何だ、なぜこんな場所に現れた」
「亜人ノ分際デ吾輩ニ質問トハイイ度胸ダ」
「エルフを亜人などと愚弄しおって、いいから答えるのじゃ」
さすがに今の言い方はカチンと来る。
この黒い人物は、人間至上主義みたいな思想を持っているのか?
エルフ族を亜人と言ったくらいだ、鬼人族や獣人族みたいに自分とは異なる人種を認められないんだろう。俺の家族には小人族や竜人族に精霊族など様々な種族がいる、そんな選民的な思想は絶対に許せない。
「やっとこの体に馴染んできたところだ、気分が良いから教えてやろう。くはははははっ、どうせもう手遅れだからな」
「手遅れとはどういうことだ、動きを封じられているのに何が出来る」
「さっきも言っただろ? こんな結界そう長くは保たんと。精霊王たちの力が弱くなったら、すぐ破って地上に出てやる。そして目の前にある王都を蹂躙し、吾輩が大陸の支配者になるのだ」
「言っておくが、このダンジョンの出口は王都じゃないぞ」
「なっ……なんだと!?」
イザーさんの言葉に、黒い物体から驚きの声が上がった。
空気を直接震わせているような音から、普通に喋ってる感じに変化したのが、体が馴染んできたってことのようだ。聞き取りやすくなって助かる。
「その人の言ってることは本当だ、ここは王都からかなり離れている。もしかして、気づいていなかったのか?」
「王都の近くに置いていた、目印になる邪魔玉が消えていたので当たりをつけて飛んでみたが、そんなに離れた場所に出ただと? まさか、大きな力を強引に破ろうとした影響か……」
「その大きな力は恐らく聖域だろうな」
「ばかなっ! 王都にある聖域一つ程度で、出現位置がずれるなどありえん」
「王都には聖域が二つあるぞ」
「適当なことをぬかすな、百年やそこらで聖域が出来てたまるか! 例えそれが事実だったとして、吾輩が邪魔玉を送り込んだ大陸最強の聖域でもなければ、干渉などされんはずだ」
そこにある霊木から株分けしてもらって出来たのが、俺たちの家にある聖域だ。しかも、管理者だった霊獣まで一緒に来てくれたんだから、大きな力を持っているのはある意味当たり前。なんといっても、精霊王や妖精王、そして真竜まで気に入ってる場所だぞ。
俺の言葉に面白いくらい反応を返してくれるし、せっかくだからこのまま色々と聞き出してみることにしよう。
「お花の咲く聖域に邪魔玉を送り込んだのは、あなただったのね」
「吾輩が立てた計画の障害になる場所だ、事前に潰しておくのは当たり前ではないか」
「一体いくつ邪魔玉をばらまいたんだ?」
「豊かな森、滝のある場所、風の吹く洞窟、大きな湖の中にある島、地脈の源泉、力の強い聖域、神と交信する祭壇、目印になる王都のダンジョン、それぞれにここから魔法で送り込んでやったわ! そのいくつかは機能しなかったようだが、この段階になれば吾輩の計画に支障はない。地上に出たらすぐ王都へ向かうとしよう」
全部で八ヶ所か。それならもう邪魔玉は残ってないということだ。
あの時のことを思い出してプリプリと怒っているヴィオレの頭を撫でながら、俺は心の中でガッツポーズをした。
「地脈の源泉にまで邪魔玉を送り込んだって、もしかして空間魔法が使えるのか?」
「吾輩がこの世界へ連れてこられた時に身につけたのが転送魔法だ、それを使えば地上のあらゆる場所に物を飛ばすなど造作もない」
「まさか、百年以上前にこの世界に来て、いつの間にか姿を消した流れ人って……」
「もちろん吾輩のことだ」
家業が諜報だけあって、マラクスさんには思い当たるフシがあったみたいだ。それにしても、シェイキアさんの家にある情報網でも、この黒い人物の動きを追いきれなかったのか。
もしかすると転送魔法以外にも何か持っているかもしれない、警戒を怠らないようにしよう。
「ならその黒い体は、元々そんな種族だったということか?」
「吾輩も元は人間、この姿になったのは執念だ。身勝手な理由でこの世界に飛ばされ、吾輩は絶望した。まるで話にならん遅れた文明、汚らわしい亜人共が我が物顔で街を闊歩し、欲望のはけ口に出来る奴隷すら存在せん。全く話にならん世界に復讐するため、吾輩はこの道を選んだのだ」
「流れ人は世界の意志が呼び込むと俺は聞いている、何か自分にできることは無かったのか?」
「吾輩は魔操言語開発者だ、魔操器のない世界で役に立つことなどない。それを勝手に呼んだ挙げ句、元の世界に戻れないだと? ふざけるのもいいかげんにしろ!」
元人間だった男性の住んでいた世界には、マナをエネルギーにして動く魔操器という機械があったらしい。そこでは転送装置や自動ドアのような公共設備、それに計算機とかドライヤーのような日用品が庶民にも行き渡っていた。
全自動洗濯機や掃除機はもちろんのこと、一部の金持ちは車も所有していたそうだ。話を聞いていると、元の世界にあった家電製品と同等のものが多く、かなり便利そうな世界だったことが伺える。
そうした機器を動かすための制御板を作るプログラマーとして、この男性は働いていた。そんな技術のないこの世界では、自分の能力を活かせることは一つもない。
しばらくは自分のできることを探していたが、あまりに不便で思い通りにならない世の中に絶望し、やがて世界に対する恨みに変わっていく。そして世界に復讐するため様々なことを学び、それに必要なものを生み出していった。最後は肉体の寿命を超越するため、人の体を捨てて思念体の状態になったそうだ。
邪魔玉を生み出す技術があるのに、それを世界のために活かせなかったのが残念でならない。何も込められていない玉は、あらゆるものになる可能性があるのに……
きっとそんな判断ができないほど、憎しみにとらわれてしまったんだろう。
「人の体を捨てた時に、負の思念に集まってきた邪霊も取り込んじゃったんだね」
「切り離したりは出来ないのか、ディスト」
「ソラの感知だと核になるような存在があるみたいだし、一部だけ分離するなんてボクにもライムにも無理だよ」
「とーさん……」
「大丈夫だライム、父さんたちが絶対なんとかしてやるからな」
とは言ってみたものの、現状では解決の糸口はまだつかめない。
邪気の影響を軽減できる俺が直接触って、中にある核となってる生命反応を引きずり出してみるか?
人の形をした生命反応が実体を持っているとは限らないけど、一つの手段として候補に入れておこう。
「悠長に相談している余裕はあるのか? 精霊王たちもそろそろ限界のようだぞ」
結界を張っている三人に目を向けると、体の光が弱くなってきていた――
100年以上前にこの世界へ呼ばれた流れ人に関しては、第54話の最後の方で触れています。
◇◆◇
作中に出てくる「魔操器」「魔操言語」等の用語については、前作「魔操言語マイスター」でご確認下さい。(この作品も第8回ネット小説大賞の1次審査を通過しています)
時系列的に、主人公の善司が転移した時代より、かなり後の世界になります。




