第220話 兄のいたずらと妹の反撃
お兄ちゃん先生の暴走が始まります(笑)
(理由は次回に)
シロフの祖母を連れてアージンに戻ってくると、緑の疾風亭がお客さんであふれ返っていた。どうやら、メイド服を着て接客するのは今日限定という話が広がり、ひと目見ようと人が殺到しているらしい。
厨房ではシロフの親父さんが複数の鍋を同時にかき混ぜ、母親は山のように積まれた皿を次々に洗っている。真白もこちらに参戦して、野菜をガンガン切り刻んでる真っ最中だ。
「なんだかえらい騒ぎだね」
「おっ、お袋! 大丈夫なのか!?」
「あたしの心配より、まずは自分の仕事をやりな。野菜を切るくらいなら手伝ったげるから、そっちの椅子に座らせてくれるかい」
「……お義母さん、無理はなさらないで下さい」
「動かないのは足だけで、腕はまだ健在だよ。
ほれ、とっとと座らせておくれ」
「わかった、これでいいか?」
厨房に置いてある休憩用の椅子にサラスさんを降ろし、そのまま調理台へ移動する。手をきれいにした後、野菜の皮を剥き始めたが、親父さんに料理の手ほどきをしただけあって、手際がむちゃくちゃいい。
この食堂で出される食事のほとんどは、サラスさんが作る家庭料理が元になっているそうだ。ライムが大好きな白い煮込み料理の先祖でもあるし、絶対に病気を治して普通の生活が出来るようになってもらおう。
「お父さん、私も手伝うよ」
「お前は外に出て、これ以上客が並ばないように頼んでくれ。もう材料がなくて料理が出せん」
「私の収納に入ってたのも、ほとんど無くなっちゃったのよ」
「夜の分も必要だろうし、俺が買い出しに行ってこようか?」
「お袋のことで世話になってるのに、本当にスマン。金はまとめて支払うことになってるから、向こうの机にある台帳を持っていってくれ」
「お兄ちゃん、必要なものはここに書いてあるからお願いね」
ヴィオレもかなりの量を収納しているが、それが無くなるほどだから厨房は戦場だったに違いない。フロアスタッフのみんなも慣れない仕事で大変だったろうし、今夜は思いっきり労ってあげないといけないな。
とりあえず、すぐ真白を連れ出すのは無理そうだから、俺は仕入れに向かうことにした。
◇◆◇
メイド服を持っていないケーナさんとリコを連れて買い物に行くと、顔見知りだった店の人たち全員に真白のことを尋ねられた。
アージンに住んでる人は誰も俺たちが兄妹だと知らないので、真白は自分から夫婦だと喧伝している。特にこの街では三人だけで暮らしていたから、かなりの人たちがそう認識しているはずだ。
俺も何だかんだと認めてしまっている部分があるから、訂正する気はほとんど無かったしな。
積極的なアピールに加え、流れ人や竜人族という珍しさもあって、強く印象に残っていた俺たち三人。そんな場所に、美人すぎる女性と子連れで買い物に来たことで、あらぬ誤解を生みそうになった。
しかし、リコが愛嬌を振りまいてくれたから無事に回避し、オマケもたっぷりしてもらっている。
誰が言ったか知らないけど、やはり可愛いは正義だ。
買い物から戻った頃にはお客さんの列も無くなっていて、厨房もだいぶ落ち着いていた。そのまま真白を連れて王都まで転移し、家に残っている家族へ簡単な説明をした後、治癒師のいる場所へ向かうことに。どうやら、先日ケーナさんが熱を出した時に診察してくれた人が、目的の人物らしい。
「まさか猫じゃらしを作った人の奥さんだなんて思わなかったよ」
「俺もびっくりした、しかもあれは部屋の飾りとして開発したみたいだ」
「造花とかフェイクグリーンみたいな感じだったんだね」
「俺たちはすっかり遊び道具にしてしまってるけどな」
「最近お店でもよく見かけるし、そっちの需要はきっとあったんだよ」
「サラスさんも自分の旦那さんが作ったものが広まって喜んでたから、これで良かったんじゃないかと思う」
メイド服を着たまま隣を歩く真白は、いつものように俺の腕を胸に抱いている。この世界の人族だと上位に君臨する部分は、とてもまろやかだ。
「そういえばお兄ちゃんと二人っきりのデートって、チェトレの朝市に行って以来かも」
「時々二人きりになる時はあるけど、こうして一緒に街を歩くのは久しぶりかもしれないな」
「前は学校帰りに毎日こうしてたのに、なんだかすごく変わっちゃったね」
「真白は以前の生活に戻りたいと思うか?」
「それは愚問だよ、お兄ちゃん」
「そうか……」
愚問だと言われてしまった俺は、それ以上の言葉を口に出すことが出来なかった。何も言えなくなったことをごまかすように頭を撫でると、こちらを見上げてふわりと微笑んでくれる。
より一層近づいて肩に頭を乗せようとする真白からは、寂しさや旅愁みたいなものは感じられない。
周りに美人や可愛い女性が多すぎて感覚が麻痺しかかってるけど、真白の整った容姿は本当に俺と血がつながっているのか疑問に思うくらいだ。そろそろ自分でも認めないといけないだろう、この子が妹じゃなければ良かったのにと思った経験は、一度や二度じゃなかったことに。
「う~ん、やっぱり私じゃちょっと背が足りないなぁ」
「女の子でそれくらいの身長があれば十分だと俺は思ってるけど、なにが不満なんだ?」
「だってこうやって寄り添ってても、身長差がありすぎてうまく肩に頭を乗せられないし、キスだってちょっと大変だよ」
「お前がちょっと背伸びして、俺が少し頭を下げれば問題ないだろ?」
「……えっ!?」
「ほら、試しにやってみるから、道の端っこにいくぞ」
「えっ!? えっ!?」
真白の腰に手を回しながら大きな建物の壁に押し付けるように立ち、以前ドーヴァの宿屋でやった顎クイをしてみる。こちらを見つめる目は大きく見開かれ、突然のことにどう反応していいか分からない感じだ。
「じっと見つめられるとやりにくいから、目は閉じてくれ」
「あの、お兄ちゃん……本気?」
「早くしないと誰か来るぞ」
「わっ、わかったよ……」
ギュッと目を閉じた真白が背伸びをして、唇をそっと差し出してくる。緊張のせいか少し息が荒くなって、顔は熱を出した時のように真っ赤だ。
薄紅色の瑞々しい唇に、顔をそっと近づけていき――
――軽くデコピンをした。
「いたっ!」
「悪い、強すぎたか?」
「お兄ちゃん!? いま何をしたの」
「デコピンだ」
「じゃぁキスは?」
「すまん、冗談だ」
「………………」
真っ赤な顔のままうつむいた真白は、しばらく両手をプルプルと震わせてたが、そのまま俺の胸をポカポカ叩き出した。しまった、ちょっとやりすぎてしまったようだ。
「もー、お兄ちゃんの意地悪、ヘタレ、おたんこなす、とうへんぼく、すっとこどっこい、へなちょこ、あんぽんたん!」
「今のはやりすぎたって反省してるから許してくれ」
「私のドキドキを返してよー」
「はははっ、お前の反応が可愛かったから、ついやってしまったんだ」
「あっ!? お兄ちゃん、いま笑ったよ!」
「俺はいま笑ってたのか?」
「うん、さっきのは誰が見たってそうと分かるくらい、ちゃんとした笑顔だった」
この世界に来てから、俺も色々な部分で変われたと思っていたけど、感情を表に出せるようになってきてるのなら嬉しい。特に子供や大切な人たちには優しい笑顔を見せてあげたいから、これからはもっと意識していこう。
「そうなのか、なら真白のおかげだな」
「さっきのは私だけに向けてくれた笑顔だから、すごく嬉しいよ。心のメモリーに永久保存したからね!」
「とにかく叩いたのは悪かった、これで勘弁してもらえないか」
「……あっ!?」
感謝と謝罪の意味を込めて、さっきデコピンしてしまった場所に軽く口づけする。真白は一瞬驚いた表情を浮かべた後、いつもの安心できる笑顔へ変化させた。
今度は二人で手をつないで、ショートカットに利用している路地を進んでいく。
「今日は真白の珍しい姿が見られたな」
「あんな事されたら、女の子は誰でもドキドキちゃうよ」
「普段もっと大胆なこと言ってるから、あれくらいで動じないんじゃないかと思ってた」
「あれは“お兄ちゃんだったらこれくらい言っても、返ってくる反応はこの程度かな”って、ちゃんと予想しながら限界を攻めてるんだよ」
「なんか凄いな、俺には真似できそうもない」
「お兄ちゃんがそんな事したら、みんな萌え死んじゃうからやめてね」
恥ずかしさによる過剰な体温上昇で燃え死……
いや違うな、ネットスラングにある萌えて死んでしまうの方だろう。
つい最近ケーナさんやベルさんに対して感じたあの気持を、俺からも受けるというのか?
「そんな状態になるのは真白限定ってことはないよな?」
「あなたのことが大好きな妹から、とても大切なお願いです。お兄ちゃんはもっと自分の魅力を自覚して下さい、そうじゃないと周囲に甚大な被害が発生します」
「おっ、おう、なんか良くわからないけどわかった」
「ぷっ……あはははっ、お兄ちゃん今もちょっと変な顔してたよ」
妹に笑われて自分の顔をペタペタ触ってみたが、一体どんな表情なのかさっぱりわからない。
「なんだか自分の体がうまく制御できてない感じがする」
「今日の龍青さんは、普段よりもっと魅力的だよ」
「……っ! 急に名前呼びするのは卑怯だぞ、前にもうしないって言ったじゃないか」
「あの時は恥ずかしいって言っただけだもん、それにさっきのリベンジ成功だねっ!」
俺の手を離れた真白が少し先の方へ走っていき、クルッと体を回転させながらそんなことを言う。
裾がふわっと広がるスカートと、花が咲いたような笑顔に思わず見とれて立ち止まる。
反撃されたのは悔しいけど、やっぱり俺の妹には一生勝てない気がした――
↓妹様の脳内シミュレーション
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「だってこうやって寄り添ってても、身長差がありすぎてうまく肩に頭を乗せられないし、キスだってちょっと大変だよ」
「お前は何を言ってるんだ……」
「冗談だよ、冗談! でも、その気になったら、いつ奪ってくれてもいいからね」
「まったく、いつまで経っても兄離れ出来ないな」
「一生離れる気はありません」
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