第206話 気持ちの変化
三点リーダーの多い回です(笑)
今日は早めに起きることが出来たらしく、窓から差し込む明かりがいつもより柔らかい。
それにしても昨日のケーナさんは凄かった。
あれは完全にリミッターが外れていたと言っていいだろう……
その甘え方はライムやリコを凌駕し、真白をも唸らせたくらいだ。
とにかくおねだりが上手で、仕草がいちいち男心をくすぐってくる。もう少し媚びを売るような雰囲気が出ていたら“あざとい”と感じてしまうような、ギリギリの線を突いてくるバランス感覚が恐ろしい。
昨日は甘えてくるだけだったので、安心して受け入れられた。もしその方向が性的な要求に向けられたら、魔性の女として他人に見られかねない、そんな危うさを秘めていたと思う。
当の本人を見てみると、俺の腕枕ですやすやと眠っている。横になってからもずっとなでなでを要求されていたので、お互いにいつ眠りに落ちたのかも不明瞭だ。
そっと額に手を当ててみても、昨日のような熱さは無くなっていた。
身近な女性の中で最も大人として意識にしていたが、あどけない寝顔を見ていると落ち着いていられる。昨日の姿を見てしまったから、もう可愛い以外の感想が出てこない。年下の男にそう思われるのを本人が嫌がっても、元の状態に戻すのは難しいだろうな……
「んっ……ふぁー……………ここ……は?」
「おはよう、ケーナさん」
「あっ、おはようございます、リュウセイさん」
こちらを見つめる瞳は覚醒しきってない感じだけど、受け答えはしっかりとしている。喋り方もいつもの調子なので、元の性格に戻っているんだろう。ちょっと残念だ。
「熱は下がってるみたいだけど、体調はどうだ?」
「あっ……私お店で倒れて……、この家のベッドで目覚めて、リュウセイさんに……………っ!!」
昨日の出来事を思い出したらしく、一瞬で顔を真っ赤に染めたケーナさんが、慌てて起き上がろうとする。しかし寝起きの急な運動で力が入らず、少し体を浮かせただけで再び体をベッドに沈めた。
倒れた時に位置がずれてしまい、赤く染まったきれいな顔が間近に迫る。至近距離で潤んだ瞳に見つめられ、薄く色づいた唇は少し動けば触れてしまいそうだ。
事故とはいえ、これはかなりドキドキしてしまう。
「まだ急に動いたら危ないから、落ち着いてくれ」
「あっ、あのっ、昨日はごめんなさい。どうして私あんなことを……」
「謝られるような事はしてないから大丈夫だ。それより、ゆっくりでいいから、もう少し離れてもらってもいいか? さすがにこの距離だと、間違いを犯してしまいそうになる」
「……っ! はっ、はい、すいません」
少し体の位置をずらしてもらって、俺もやっと落ち着いてきた。ギリギリ理性を保てたのは、俺に掴まって寝ているライムと、反対側で寝ているリコのおかげだ。二人っきりで同じシチュエーションになったら、一線を越えてしまっていた可能性が高い。
「腕枕はそのままでいいのか?」
「痛かったり痺れてたりするなら、外してもらってかまいませんよ」
「ケーナさんが嫌じゃなければ問題ないんだ、いつも誰かにこうしてるから俺も落ち着くしな」
「嫌じゃ……ないです」
小さな声でそう言ってくれたので、このまま腕枕を続けることにする。頭も撫でてあげたいけど、一度にあれこれしたらオーバーヒートしそうだし自重しよう。
「落ち着いたのなら、みんなが起きてくるまで横になっていてくれ」
「私だけあたふたして恥ずかしい……」
「俺は感情が表に出にくいだけで、さっきはかなりギリギリだったよ」
「もし、あのまま……一歩踏……して…………ら……………………………」
「ケーナさん?」
「……はっ!? いえ、何でもないです、ちょっと考え事を」
「熱は下がってると思うけど、違和感とかだるさとかはないか?」
「さっきは急に動こうとしたから倒れましたけど、体の調子はいつもと同じ感じです」
「そうか、今日は仕事も休みだから、ここでゆっくりしていって欲しい」
何かボソボソ話していたのは、考え事が漏れていただけみたいだ。口調も完全にいつもどおりだし、自己申告でも問題なさそうなので、今日一日ゆっくり休めば仕事に復帰できるかもしれないな。
「あの……少しお聞きしてもいいですか?」
「構わないよ、何でも聞いてくれ」
「リュウセイさんって、どうして他人を優しく受け入れてくれるんですか?」
「一応、自分としてはしっかり線引してるつもりだけど、大人の目で見るとやっぱり変か?」
「いえ、決して変じゃないんです。過去にもそういった人がいて、聖人とか呼ばれていたみたいですし」
「俺は近くにいる人を手放さないよう必死になってるだけで、そこまで出来た人間じゃないよ」
「何か見返りを求められたりするなら納得できるんです、例えば……その、あの、わっ、私のことを好きにしたい……とか」
伏し目がちにそんなことを言って頬を染めたケーナさんは、掛け布団を少し引き上げて顔の半分を隠してしまう。その姿がむちゃくちゃ可愛いくて、なでなで欲が全身を駆け巡った。
こんなに可愛くて綺麗な人と、深い関係になりたいという気持ちはもちろんある。例えそれが子供のいる女性だったとしてもだ。
しかし、彼女を求める欲望があったとしても、今はまだそんな気持ちにはなれなかった。旦那さんのことを愛し続けているのは知っているし、リコの気持ちだってちゃんと聞いたことはない。こうして過ごしている距離感が心地よすぎるから、相手の気持を確かめて今の関係が変化してしまうことを恐れているからだ。
それに見返りを求めて誰かに手を差し伸べたり、優しくしたりするのは何か違う気がする。そんな考えを巡らせていた時、ある一つの結論にたどり着いた。
「俺の顔や表情の出ない体質は、元の世界で怖がられていたって話はしてるよな?」
「はい、聞いてますよ。どうしてこんなに優しい人がそう思われてたのか、いまだに良くわからないですけど」
「きっとこの世界には鬼人族や獣人族がいるからだと思う」
「確かにこちらの感覚だと、リュウセイさんの顔は怖いというより、精悍といった印象が強いですね」
「そんな価値観の違いでみんな普通に接してくれるから、この世界に来て以降の俺は人との関わりがすごく増えたんだ。そして、そんな人たちに嫌われるのが怖くなった」
「怖く、ですか?」
さっきケーナさんとの関係が変化するのを怖がっていると考えた時、他の人たちに対しても同じなんだと気がついた。
「俺は親しくなった人に嫌われるのが怖いから、みんなを受け入れようと必死になってる。これがさっきケーナさんが言った質問の答えだと思う」
「本当に動機はそれだけですか?」
「もちろん、こうして近くにいてくれる人のことが好きだというのは大前提だ。俺だって嫌いな人には優しくしたくないからな」
「ふふふ、なんだか安心できました」
「納得じゃなくて安心なのか?」
「えぇ、ちゃんと理由がわかったからです。それにリュウセイさんも安心して下さい。こうして周りにいる人たちは、ちょっとやそっとじゃ貴方のことを嫌ったりなんかしませんよ」
そう言って俺の頭を撫でてくれるケーナさんの手は、大きくてとても暖かい。つい自分の母親とケーナさんを重ねてしまい、自分はまだまだ子供なんだと思い知らされた。
「なんだか、子供になってしまった気がするよ」
「なんたってリュウセイさんは、リコちゃんのお兄さんですから」
「いい兄になれるように頑張らないとな」
「そうだ、今度は私の話も聞いて下さい」
「まだみんなが起きてくる時間じゃないし、ぜひ聞かせて欲しい」
唐突に話題を切り替えたケーナさんは、撫でていた手をもとに戻してしまう。心地よい感触が消えてちょっと寂しい。
その代わりこちらに近づいてくれたので、別のぬくもりを感じられるようになった。
「私の夫って、すごく控えめな人だったんです。こちらからグイグイいかないと手も握ってくれませんでしたし、腕枕なんてしてくれたこと無かったんですよ」
「俺がこんな事してしまって良かったのか?」
「私からお願いしたんですし、懐かしい気持ちになれたので問題ありません」
「それなら、また機会があればいつでもするよ」
ケーナさんは「近いうちにお願いしますね」と言って微笑んでくれる。なんだかまた雰囲気が変わってしまったけど、昨日みたいな子供っぽさは感じられない。
その後も色々話してくれたが、旦那さんは出稼ぎで街に来ていた人らしい。歳が近かったのでよく話すようになり、やがてお互いを意識しあう関係に進展した。それでもなかなか煮え切らない相手にケーナさんからアプローチして、友人の力も借りつつゴールインしたそうだ。
そしてなんとその友人とは、アージンでギルド長の秘書をやっているクラリネさんだった。
世間というのは案外狭い。
旦那さんが亡くなった時にも様子を見に来てくれる程だから、親友と呼んでもいいんだろう。次に鱗を売りに行くときは、二人を連れてアージンの街に行くのもいいな。
「それに昨日も言いましたけど、私って誰かに甘えるのが苦手なので、あんな経験って凄く新鮮だったんです。熱っぽさとか心細さや不安でうまく頭が働かないまま、ついついハメを外しちゃって……」
「ずっと微熱が続いていたし、仕方ないと思う。それに、俺もケーナさんの可愛い姿を見られて新鮮だったから、気にしないでくれ」
「可愛い、ですか?」
「俺はそう感じたんだけど、年下の男にそんなことを言われるのは嫌だったか?」
「嫌とかじゃないの。ただ今まで綺麗とか美人とか口にしながら言い寄られたことしか無かったし、可愛いなんて初めてだったから驚いてる」
「素直な感想だったんだが……」
「あのあのっ、私のどんな所をそう感じたの?」
「あー、いや、まさに今のそんな所だ」
「……あっ!」
食い気味に顔を近づけてきたケーナさんは、再び頬を赤く染めて俺の肩に顔を埋めてしまった。そんなことをされると、さすがにもう我慢できない。
俺は軽く腕を曲げ、ケーナさんの頭をそっと撫でる。
「うぅっ……リュウセイさんの前では、いつもの調子が出せなくなっちゃいました」
「ケーナさんは少し頑張り過ぎなところがあるから、気を抜いてありのままの自分でいる時間も必要だと思う。もし俺たち家族の前で気負わずに過ごせるなら、どんなに甘えてもらっても構わない」
「いい大人が情けないとか思いませんか?」
「大人だって疲れたり不安になった時、誰かに寄りかかりたいと思うのは普通のことだ」
「怒ったり呆れたりしませんか?」
「それくらいのことを受け止める度量は持ってるつもりだし、話し方もさっきみたいに砕けた感じでもいいくらいだ」
「喋り方はすぐには変えられそうもないです……」
「ケーナさんが無理せず自然に振る舞えるのが大事だから、自分の一番楽な過ごし方を選んでくれたらいい」
幼い頃から自立心が強かったケーナさんは、大人の自分を演じていた部分があるんだろう。昨日の姿は彼女が持っている本来の性格に近い気がする。俺たちの前だけでも自分の素顔を出せるようになれば、少しは楽に生きられるはずだ。その手助けを少しでもしてあげたい。
ホッとした表情で俺の腕に収まっているケーナさんの頭を、みんなが起きてくるまで撫で続けた……
更に心を通わせた2人ですが、どうしてこのタイミングだったか。
答え合わせは次回に!




