第195話 世界の仕組み
この章の最終話です。
中盤から視点が変わります。
旅の間の報告をイコとライザに済ませて、ディストの着る服も無事購入できた。なにせこの大陸が統一国家になったことを知らなかったくらいだから、こんなに大きな街に来たのは初めての経験らしい。俺の腕の中ではしゃぐ姿はかなり可愛く、すれ違う若い女性が一様に頬を染めながら眺めていた。
シエナさんのことで誤解を受けそうになった雑貨屋のおばさんには、今度はどこの未亡人を王都につれてきたのか聞かれたが、こう見えてディストは世界最古の竜だからな。
「いやぁ、日々の生活習慣としてお風呂に入るのは初めてだよ」
「とーさんに頭をあらってもらうと、すごくきもちよかったでしょ」
「今日ほど人化できることに感謝した日はないってくらいの気持ちよさだった」
「竜族や竜人族はどんな目的でお風呂に入るんだ?」
「竜族は水浴びか地脈浴びしかしないし、竜人族は傷を癒やすために利用するだけだよ」
「竜人族におふろすきな人いないの?」
「そもそも、どこかに定住することはないから、そんな習慣や文化自体がないのさ」
人型種族最強を誇るだけあって怪我や病気はめったにしないので、寿命が尽きる寸前まであちこち移動する生き方を続けているそうだ。
ただ、竜人族の隠れ里には天然の温泉があるらしい。怪我によく効くという効能を持ってるので、普通に入っても問題ないだろう。家族旅行の候補地に追加決定だな。
『俺様たちもたまーに見かけるが、元気が有り余ってやがるから、すぐどっか行っちまうんだぜ』
『わたくし達も気ままに動き回っておりますから、見かけることは稀ですのよ』
『数が少なすぎて、ちと心配ではあるがな』
「その辺はうまくやってるから大丈夫さ」
竜人族の子供は天から授けられると信じられていて、種族全体で生まれる数が一定になるように調整されるらしい。どんな仕組みや理由でそうなっているのかディストも知らないが、少ない人数ながら絶滅しない理由がちゃんとあった。
「何とも不思議なものだな」
「王たちも妖精や精霊がどんな瞬間に生まれるかなんて、わからないでしょ?」
「言われてみれば確かにそうだな、女王の器が誕生する要因すら私にはわからん」
『儂らも精霊たち全てを把握しておらんし、どこでどうやって増えるのか考えたこともなかったな』
「この世界の仕組みって、ボクたちにもわからないことは多いんだよ」
種族の代表がこうして集まっていても、解き明かせないことは沢山ある。でも、そんな不思議が身近にあるのは、とても素敵なことに思えた。異世界から来た俺には今こうしている瞬間も、全てファンタジーな出来事だから、この世界で生きていくのは本当に楽しい。
「ディストにーちゃんのお話って、むずかしいけどおもしろいね」
「普通に生まれてきた竜人族って、考え方や喋り方がもっと拙いんだけど、ライムは本当に色々なことを理解できてて凄いと思うよ」
「それは神子であることも関係してるのか?」
「それも多少影響してるけど、やっぱりリュウセイたちと暮らしていることが、とてもいい刺激をライムに与えているからじゃないかな」
「みんなといっぱいお話して、いっぱいあそんで、いろんな所にいっぱい行くからだね」
「それに動物たちと毎日触れ合ってるしな」
「ピピーッ!」
「キュキューイ!」
「ライムがこんな幸せそうに暮らしていて、本当に良かったと思うよ」
本来ならディストが見つけて育てるはずだったライムが、どうして俺のもとに来て目覚めたのかはわからない。でも、こうして認めてもらえたからには、父親として精一杯の愛情と慈しみを持って育てていこう。
―――――*―――――*―――――
竜神殿の遺跡から帰って数日後、シエナは研究所の中を歩いていた。今まで誰にも解読できなかった古代竜言語を、真竜という竜の祖先にあたる存在から直に解説してもらうという、研究者にとっては得がたい体験をしたおかげで、その足取りは軽やかだ。
廊下で彼女とすれ違った職員は一様に足を止め、信じられないものを見るような目で視線を送り、通り過ぎるまで呆然と立ち尽くしている。
やがて奥にある所長の執務室にたどり着いたシエナは、目の前にある重厚な扉をノックした。
「入っていいぞ」
「失礼しますぅ、竜神殿遺跡の調査から帰ってきましたぁ~」
「シエナか、ご苦労だったな。さすが例のパーティだけあって、予定より随分早……………
……誰だ、お前はっ!」
「失礼しちゃうなぁ、シエナですよぉ~」
「いや、お前……確かに声と喋り方はシエナだが、その格好は一体どういう事だ」
部屋に入ってきたシエナの姿は、目元を隠していた前髪が短く整えられ、思わず魅入ってしまう整った顔を露出させている。長い髪は後ろでまとめてポニーテールにし、トレードマークだった白衣を身に着けていない。
その代わり、黒いワンピースにボレロ風の白ジャケットを羽織り、フォーマルな場でも通用する服装になっていた。廊下ですれ違った職員が一斉に動けなくなったのは、今まで見たことのない格好のせいだ。
龍青と真白がこの姿を見たとき、小学生の卒業式という言葉をグッと飲み込んでいたのは余談である。
「今回の調査でぇ、私もちょっと変われた気がしたからぁ、みんなのすすめで少し頑張ってみましたぁ~」
「いや、少しどころじゃないだろそれは。
あまりの変貌ぶりに思考が追いつかん……」
噂の流れ人がいるパーティーと一緒に行動すれば、普段の生活態度も少しは変わるんじゃないかと期待していた所長は、予想を斜め上に突きける成果に思考停止していた。
栄養バランスが改善された肌は瑞々しく潤い、張りと艶を取り戻している。髪は少し動くだけでサラサラと揺れ、最高級の糸と同様の輝きを放つ。ふんわり漂ってくる花のように甘い匂いは、しっかりお風呂に入って体を洗っている証拠だ。
「ちゃんとお風呂に入ってきれいな格好をしないとぉ、リュウセイくん嫌がって抱いてくれないんですよぉ~」
「……そうか、お前にもやっと春が来たんだな、私は嬉しいぞ」
「所長の言ってることは良くわかりませんけどぉ、私にとっては死活問題なんですぅ~」
「そこまで少年の性技は凄いのか、年甲斐もなく体験してみたくなるな」
「リュウセイくんなら所長でも大丈夫だと思いますけどぉ、私の時間が減るからやめてくださいよぉ~」
「少年の守備範囲はかなり広いんだな……って、いやいや、そんなことはしないから心配するな」
「それにリュウセイ君は正義なんかじゃないですぅ、悪魔ですよ悪魔ぁ~」
シエナの生活改善をするために、龍青はあらゆる物をダシに使っている。真白の食事や添い寝はもちろん、抱っこや肩車も餌の一つだ。そのおかげで生活習慣はかなり改善したが、あまりのスパルタっぷりに軽いトラウマになっていた。
「認識の齟齬が発生しているようだが、まあよかろう。それより報告書を提出してくれ」
「お渡しする前に断っておきますけどぉ、これをそのまま発表する訳にはいきませんからねぇ~」
「それはもちろん私の方で検閲するし、問題が見つかれば再提出させるぞ」
「そんなことじゃなくてぇ、この世界に関わることですからぁ~」
「……?
良くわからんが、それは報告書を読んでから考えよう」
シエナから報告書を受け取って読み始めた所長の顔は徐々に厳しいものになっていき、眉間に深いシワが刻まれる。
「そこに座ったままで構わないから、思いついた数字を立てた指で表現してくれないか?」
「これでいいですかぁ~?」
「三本で間違いないな?」
「正解ですよぉ~」
「つまり私の目は正常ということだ」
「もしかしてぇ、歳を取ると見えにくくなるってやつですかぁ~?」
「失礼な! 私はまだまだそんな歳ではない」
「そうですよねぇ、スファレちゃんなんか五百十三歳ですからぁ、所長なんてまだ子供ですよぉ~」
「古代エルフ族と一緒にしてもらっては困るんだが……」
それを確認したくなるほど、報告書の内容は信じられないものだった。この大陸には過去に文明の断絶が起きていて、古代遺跡と呼ばれる古い建造物は謎に包まれたものが多い。今回調査に向かった竜神殿の遺跡もその一つだが、まさか全貌が判明するなどとは誰も想像ができないだろう。
「報告書の内容について、補足説明をして欲しいのだが構わんか?」
「何でも聞いてくださいぃ~」
「遺跡と思われていた構築物が機能したのは間違いないな?」
「真竜の血をひく神子のライムちゃんが鍵になっていてぇ、神域って呼ばれる地脈の源泉がある結界内に入れましたぁ~」
「そこに竜族と竜人族の祖先である、真竜が住んでいたというんだな」
「今は力を使いすぎたせいで可愛い男の子になっていてぇ、リュウセイくんたちと一緒に王都で暮らしてますよぉ~」
あっけらかんと話すシエナの様子を見て、所長の背筋を冷たい汗が流れる。龍青たちの家で、精霊や妖精の王たちが暮らしているのは、シェイキアから聞いて知っていた。そこに竜族の始祖と呼べる存在が加わるなど、想像の埒外だ。
「その真竜から、遺跡を作った目的や建設方法、そして柱や舞台に刻まれた古代竜言語を教えてもらったという訳か」
「今はもう使われていない言語ですけどぉ、ディストくんは言葉と文字を作った本人ですからぁ~」
「・・・・・・・・・・」
「あのぉ~、所長ぉ~? どうかしましたかぁ~?」
「過去に起こった大災害だの、大陸の生命線になる地脈の源泉だの、種族の起源だの発表した日には、どんな大騒ぎになるか想像もできん! 遺跡が荒らされたり、少年たちに有象無象の輩が殺到したら、この国が滅びかねんぞ」
「リュウセイくんの家族が王都を離れちゃったらぁ、私もう生きていけないですよぉ~」
「そうならないためにも情報は小出しにする、お前も決してこの事を他人に漏らすなよ、わかったな」
「もちろんですよぉ、だからこうして所長に相談したんですからぁ~」
こうしてシエナの提出した報告書は国で厳重に管理されることになり、龍青たちの日常が守られたのだった。
その日を境に王都の酒場では、飲んだくれる王立考古学研究所の所長が度々目撃されたという……
資料集と登場人物一覧の更新もしています。
サブキャラの竜族にディストを追加し、ヴォーセの街と主人公たちが訪れた、金と銀の卵亭を追加。
次章はいくつかの大きな出会いを交えつつ、日常中心の話になります。




