第181話 偏食家
お風呂上がりに前髪をヘアピンで留めてもらったことで、シエナさんの素顔を見ることが出来た。その姿があまりに整いすぎていたので、エルフ族じゃないかと再度疑ったくらいだ。
他の話ができなかったのは残念だけど、それは今夜ゆっくりとしよう。早く食べ始めないと、シエナさんの期待が口から零れそうになっている。
「うわぁ~、すごくいい匂いがするねぇ~」
「体にいいものを中心にしてますから、いっぱい食べてくださいね」
「嬉しいけどぉ、お野菜がいるぅぅ……」
「野菜が苦手なのか?」
「野菜は苦かったり変な匂いがしたりぃ、毒だよぉ毒ぅ~」
「かーさんの作るのどれもおいしいから、シエナおねーちゃんでも食べられるよ」
確かに苦味のある野菜もあるけど、今まで生で食べてたんじゃないだろうな。調理が面倒だからって、実際にやってそうなところが怖い。
とりあえずシエナさんにも、いただきますの挨拶をお願いして食事を食べ始めた。今日は野菜と魚を中心にした料理なので、両方苦手なシエナさんは恐る恐るスプーンですくい、目をつぶりながらパクリと口に入れる。そこまで苦手だったのか……
「うそぉ!? このお野菜ちょっと甘いよぉ~」
「これはエルフの里で取れる野菜も入っておるんじゃぞ」
「こちらの野菜は普通に王都で売ってるものですけど、マシロさんが調理すると食感と旨味の両方が楽しめる料理になるんです」
「ホントだぁ、こっちも美味しいよぉ~。それに茶色で平べったいのもぉ、今まで食べたことない不思議な料理ぃ~」
「それはお魚で作ったハンバーグなのです」
「私とイコちゃんで、完膚なきまでに砕いたお魚の骨も入って、とても体にいいですよ」
さすが真白だ、野菜と魚嫌いな子供の偏食を、たった一口で変えてしまった。
……いや、目の前の女性は二十八歳の大人だった、見た目に惑わされてはいけない。これまでクリアしてきた数々の試練に比べれば、認識の改変程度は造作もないはずだ。
「マシロの料理で体丈夫になった、体力もついてきてる」
「王都の近くにある丘くらいなら、普通に登れるようになってきたよねー」
「最初に登った時のことを考えると、ものすごい進歩です」
「うぅ~、私も体力ないからぁ、よく怒られるんだよぉ~」
容姿はともかくとして、体つきや食べ物の好き嫌い、それに何もない所で転ぶ身体能力は、子供そのものといっていい。図書館でもついつい手を繋いで歩いてしまったしな。
そんな彼女の体力が、年相応なのは仕方がないだろう。
「遺跡の調査、やると体力つく、行かないの?」
「調査なんてぇ、好きな人がやればいいと思うのぉ~」
「シエナは調査に行ったりせんのじゃな?」
「それがぁ、年に一回くらいの割合でぇ、本ばかり読んでないで現地調査しろってぇ、無理やり送り出されるんだよぅぅぅ~」
「あらあら、それは大変そうね」
「地獄だよ地獄ぅ~。護衛の冒険者に子供扱いされたりぃ、歩く速度についてけなくてぇ、置いてけぼりにされたことはぁ、一度や二度じゃないのぉ……」
「色々苦労してるんだな」
「今年もどこかに行けっていつ言われるか不安でぇ、ご飯も喉を通らないよぉ~」
そう言いつつ、さっきは魚肉ハンバーグをお代わりしていたな、気に入ってもらえたようで何よりだ。栄養のあるものをたくさん食べて、健やかに成長して欲しい。
……とりあえず、俺の意識改変は諦めよう、難易度が高すぎた。
「ねぇねぇ、あなたたち竜神殿の遺跡に行くつもりないぃ~?」
「竜人族が関わってるなら行ってみたいと思ってるけど、何かあるのか?」
「そこってぇ、入るのに国の許可が要るんだよぉ~。私と一緒なら簡単に承認されるけどぉ、今年の実績作りに協力してくれないかなぁ~」
「それは願ってもない申し出だけど、一つだけ約束して欲しいことがある」
「あなたたちの力や能力の秘密は当然守るよぉ、守秘義務が果たせないようじゃぁ、研究員なんて出来ないからねぇ~」
「もしかして何か気づいてたのか?」
「全然知らないけどぉ、精霊や妖精の王様がいてぇ、あらゆる種族が集まってるんだもん、何かあるって考えるのは当然だよぉ~。それに遠くに行くのはぁ、私とあなたたちの為にもなると思うんだぁ~」
いくら俺たちのことを秘密にしてくれても、妖精語の本が公表されたら必ず騒がれる。それに巻き込まれないように、一定期間王都から離れたほうがいい、そんな理由もあるらしい。
みんなの顔を見ても、反対意見は無いようだ。俺には裏表のある人だとは思えないし、ソラやライムが何も言わないので信用していいだろう。
この世界に来て初めて訪れる遺跡で、一体どんな風景や構造物が見られるのか、楽しみになってきた。
◇◆◇
食事の後片付けを終わらせたあと、逸る気持ちを抑えながらリビングに集合する。誰かと共に暮らした妖精が過去にも存在したかもしれない、そんな可能性は俺の気持ちも高ぶらせていた。
「エコォウに聞きたいことがあるのだけど、構わないかしら」
「リュウセイが言っていた、本の話だな」
「妖精語を文字に置き換えた本と、その訳が書かれた二冊の本があったの。その片方だけに“ありがとう、ポーニャ”と人の使う文字で書かれていたのだけど、何か心当たりはないかしら」
「ポーニャか……」
ローテーブルの中央に浮かんでいるエコォウは、少し考え込む仕草をしてから目線を斜め上の方へ向ける。遠くの空を眺めるようなその様子を見て、ちょっと嫌な予感が頭をよぎった。
「あのぉ……、もしかしてポーニャさんてぇ、もう居ないんですかぁ~?」
「もしかすると……いや、どうだろうな……」
「辛い思い出なら話さずとも良いのじゃぞ」
「少し昔の記憶を探っているだけだ、気を使う必要はない」
「あなたがそんな顔をするなんて、心配するに決まってるじゃない」
何かを懐かしむようなエコォウの顔は、リビングに置いてある棚の方に向いていた。あそこには各地で買ってきたお土産やリビングで使う食器類、それにライムが読む絵本なんかも置いてある。
「ポーニャ、何の妖精?」
「ポーニャは人の作り出した、新しい文化によって生まれた妖精女王だ」
「妖精語を使えるのは、エコォウや女王たちだけとヴィオレから聞いていたけど、やっぱりポーニャもそうだったんだな」
「太古の時代ならともかく、今となっては必要ないからな。我々妖精族の独自文化を残す目的で、女王に任命した者にだけ知識を授けている」
「ヴィオレ様に聞かせてもらったですが、さっぱりわからなかったのです」
「歌っているようにしか聞こえなかったですよ」
話している内容が不明の点を除けば、歌を聞いているようで俺は好きだったりする。ただ妖精語は魔力が乗るので、長時間話すと疲れるそうだ。
「ポーニャは人が書物というものを作り出した時に生まれた、本の妖精だ。物静かで恥ずかしがり屋だったが、まさか本を残しているとは思わなかった」
「誰かといっしょに書いたみたいなんだけど、エコォウおじちゃんは知らないの?」
「私に自ら会いに来る変わり者の女王は、ヴィオレくらいだからわからんな」
「あらまあ、変わり者なんてひどい言い草ね」
少し非難するような声色になったヴィオレが、俺の頭から離れて胸に飛び込んできた。これは神樹祭が終わってから時々やるようになった、甘えたい時のサインだ。
その頭を指でそっと撫でると、嬉しそうにこちらを見上げてくれる。
「ポーニャもお前とリュウセイのように、誰か仲の良い人物がいたんだとすれば、私も話を聞いてみたかった」
「それでぇ、ポーニャさんは今も生きてるんでしょうかぁ~?」
「私はポーニャが消えたなどとは、一言もいってないぞ」
「よっ、良かったです。なんだかずっと昔話のように語っていたので、もう存在しない妖精女王なのかもって、胸が締め付けられる思いだったんです」
「私もドキドキしたよー」
「エコォウさんはずっと遠い場所を見ていましたので、私も勘違いしていました」
「それは済まなかったな、あの棚にある本を眺めていただけだ」
コールとクリムは胸に当てていた手を下ろして、ホッとした表情になっている。エコォウの態度が微妙に思わせぶりだったので、俺もちょっと勘違いしていた。
「本の妖精女王と言っていたけど、王立図書館にはいなかったみたいよ」
「この街で本の多い場所はどこにある?」
「一番多いのは王立図書館だけどぉ、王城にも結構蔵書があるよぉ~」
「王都以上に本のある場所は無いだろうし、そちらで暮らしている可能性が高いかもしれんな」
「王城にある本の多い場所には入れないよな?」
「あそこは禁書庫だからぁ、研究所の所長でも無理だねぇ~」
シェイキアさんに頼めばもしかすると入れるかもしれないが、妖精を探すなんて目的で頼みづらい。ひとまずポーニャに会うのは、保留にしておこう。
それより遺跡を訪ねるために、ヴォーセに行く必要がある。お風呂の前に、その話をしてしまった方が良さそうだ。
「ヴォーセの街だけど、セミから行くのが一番近そうだな」
「ついでに色んなパンを買っておこうね」
「リュウセイ、その後どうするの?」
「シェスチーでもらったカードがあるし、貸し馬車を利用しようと思う」
「また荷台を座れるようにしたいのじゃ」
「ここまで持ってきていただければ、すぐ掃除するのです」
「敷物もお任せくださいですよ」
荷台を土足禁止にして過ごすのはとても快適だったし、今回も是非やっておきたい。その辺りの打ち合わせをしていたら、シエナさんが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「どうしたんだ?」
「王都から馬車を借りないのはぁ、変だなぁって思ってるんだよぉ~」
「あぁ、そうか、まだ言ってなかったな。俺の持っている固有魔法で、空間転移が使えるんだ。いくつかの街や景色のきれいな場所を登録しているから、それでセミまでは移動しようと思ってる」
「うわぁ、リュウセイくんが能力を秘密にしてくれって言ったのぉ、わかったよぉ~」
「そういう訳だから、行程はかなり短縮できるはずだ」
「研究所からの依頼っていうのはぁ、どんな方法で達成しても報酬は変わらないからぁ、安心してねぇ~」
依頼料は調査に必要な標準日数に、想定される護衛や物資の数を掛けて算出されるので、パーティーメンバーの多い俺たちは少し不利になる。しかし、超巨大な収納魔法や転移のおかげで、大幅な黒字が期待できると説明してくれた。
こうして計画を立てていても、余計な詮索をされたり説明を求められないので、シエナさんとの話はとてもやりやすい。ポーニャのことに関してグイグイ来たのは、やっぱり恋愛がらみだったからだろう。
その辺りは他の女性陣と同じだから、こうして意気投合できたのは間違いない。この出会いをもたらしてくれたポーニャに会えた時は、ちゃんと感謝の気持を伝えよう。
ポーニャに関しての話は、一旦ここで終わりです。
次回はお兄ちゃん先生の暴走(笑)




