第15話 真白の手料理
自分が覚えた魔法に関する知識を真白にはできるだけ伝えてみたが、読めない部分が書き換わることはなかった。ライムがウトウトし始めたところで切り上げ、その日は三人で川のようになって眠る。
「まだ何か足りない知識があるのかなぁ」
「俺は直接本を読んだが、真白には伝聞の形になるから、その差かもしれないな」
「でもお兄ちゃんが説明してくれた以上のことを、理解できる自信はないよ」
「治癒は普通に使えると思うし、焦ることはないと思うぞ」
「怪我とか治したことないから、ちゃんと使えるかまだわからないけどね」
呪文はゲームでもよくある“ヒール”に決めたようだが、怪我をした人がいないので実際に効果があるのかは試せない。確かめるためにわざと傷を作るなんていうのもナンセンスなので、切り傷や擦り傷など日常生活で発生するような軽い怪我で、試してみようということになった。
「お兄ちゃんの色彩強化も私には効かなかったし、まだまだわからないことは多いね」
「真白もまだこの世界に来たばかりなんだから、ゆっくりやっていこう」
「そうだね、今のところ帰る方法もないんだしね」
そう言って、真白は少し寂しい顔になる。流れ人はこの世界が呼んだ存在と言われているらしいが、俺に続いて妹まで連れてこられたのは、何か意味があるんだろうか。俺にはライムの存在が関係していそうな予感がするが、真白はその時たまたま近くにいたから、なんて理不尽な理由だと可哀想だ。
「大丈夫か、真白」
「……お兄ちゃんがいてくれるから平気」
「辛くなったり寂しくなった時は、もっと甘えてもいいからな」
「お兄ちゃんのそういう所、昔から大好きだよ」
こちらを見て優しく微笑んでくれる姿は、俺を安心させてくれるいつもの妹の笑顔だ。この世界に来てからの真白は、日本にいた時以上に積極的なアプローチをしてくるが、それも不安の裏返しなら全て受け止めてあげよう。
「お父さんとお母さん、心配してるかな」
「急に連絡がつかなくなって心配はしてるだろうが、もしこの事実を父さんが知ったら羨ましがられそうだよ」
「お父さん、ファンタジー小説が大好きだったもんね」
「最近はラノベも揃えだしてたからな」
「お母さんも一時期ハマっちゃって、“ファイアー!”とか言いながらライターの火をつけてたよね」
「プランターに水をやる時も何か言ってたな」
「あれはね“聖なる水よ、植物に活力を与え給え ウォーター・レイン”が、正式な呪文なんだって」
「そんなこと言ってたのか、母さんは」
二人ともノリの良い人だったが、ちょっと黒歴史になりそうなことを言ってたんだな。そういえば父さんは最初、俺の名前を“赤井 翠青”にしようとしたらしい。母さんの名前から一文字もらっているが、キラキラネームっぽいという理由で反対されたのと、父さんの「俺が誰かに暗殺されそうな気がする」という不穏な言葉で今の名前になったと、酔った勢いで教えてもらった。後年ふとしたきっかけで、その意味を知ることになったが、三倍速く泳げたらオリンピックを狙えると思ったのは余談だ。
「真白はこの世界でやってみたいことはあるか?」
「う~ん、まだ何が出来るかわからないから、とりあえずは料理かな」
「それなら明日から叶いそうだ」
「それから、お兄ちゃんのお嫁さんになって、名実ともにライムちゃんのお母さんになりたい」
「結婚は難しいかもしれないが、ライムの保護者としては、真白の方が適性を持ってる気がするよ」
「そんな事ないよ、ライムちゃんを見てたら、やっぱりお兄ちゃんと同じ場所には立てないって思うから」
きっと、ライムの顎の下にある逆鱗を触った時に、くすぐったがられたことを言ってるんだろう。最初に触った時から気持ちいいと言われた俺との違いを、お互いの距離感として感じてしまったのか。
「ライムもちゃんと母として懐いてるし、俺たちがこうして仲良くしてれば大丈夫だ」
「ベタベタしすぎて迷惑じゃない?」
「可愛い妹に慕ってもらえて、嬉しくない兄はいないぞ」
「ふふふっ、やっぱりお兄ちゃん大好き」
隣で寝ているライムに覆いかぶさるようにして、近づいてきた真白の頭を優しく撫でる。うっとりした表情でなでなでを堪能していたが、やがて目がゆっくり閉じていき、穏やかな寝息が聞こえてきた。今日は色々なことがあったからゆっくり眠れるように、しばらくその頭を撫で続け、俺も夢の中へと旅立っていった。
―――――・―――――・―――――
徐々に意識が覚醒してくると、今朝もライムが俺の上に乗って、シャツを掴みながらスヤスヤと眠っている。この世界で最初に目覚めた時もそうだったが、こうして寝るのが落ち着くらしく、毎日いつの間にか登ってきている。体つきは普通の子供と変わらないと思うが、見た目以上に体重が軽いので、負担になったり寝苦しかったりはしない。むしろ、こうやって寝ているライムの頭をそっと撫でながら、朝の心地よいまどろみの時間を過ごすのが好きだ。
そして昨日までと違い、今日はもう一人の存在が隣りにいる。ライムが上に登ってきて空いたスペースを詰め、枕にしていた腕を抱きかかえながら肩に頭を乗せ、気持ちよさそうに眠るのは妹の真白だ。こうして一緒に眠るのはずいぶん久しぶりだが、良くそうしていた頃には感じなかった、圧倒的なまろやかさに左腕が包まれている。
細くてきれいな髪を軽く撫でてみるが、真白はそれを感じ取ったのか幸せそうな表情に変化した。しばらくなでなでを続けていると、瞼がゆっくりと持ち上がってこちらをぼーっと見つめていたが、今の状況を認識できたのかにっこり微笑んでくれた。
「おはよう真白」
「……おはようお兄ちゃん」
「よく眠れたか?」
「ここ最近で一番良く眠れた気がする。日本でもこうやって、毎日一緒に寝ればよかったなぁ」
「高校生の男女が毎日一緒に寝てると、色々言われる気がするぞ」
「この世界に来て良かったなって思うのは、お兄ちゃんと気兼ねなくこうしていられる事なんだ」
腕を抱え直すようにして更に密着してきた真白の顔は、今の言葉が偽りでなかったとわかる程の笑顔だ。その姿はとても魅力的で、頭の片隅で妹だとわかっていながら、気持ちが高ぶってしまう。
「……とーさん、……かーさん、……おはよう」
「「おはようライム[ちゃん]」」
「二人とも、とても仲良しだね」
「俺たちは兄妹だからな」
「私とお兄ちゃんは、深い絆で結ばれた兄妹なんだよ」
「二人が仲良しだと、ライムもうれしい」
相変わらず真白のセリフには別のニュアンスが含まれている気がするが、さっきは俺も少し危ないところだった。ライムが起きてくれたのでいつもの調子に戻れたが、ここに来てから変わってしまった妹との距離に、俺自身も影響され始めているのかもしれない。
◇◆◇
その日は倉庫整理の依頼があったので、いつものようにライムと一緒に行って、しっかり働いてきた。真白は緑の疾風亭で料理を教わる予定なので、そのまま宿に残っている。出来れば一品でも何か作らせてもらうと言っていたので楽しみだ。お昼は現地で済ませたので、夕飯のメニューに期待しよう。
今の時期は、これから始まる収穫に備えて保管場所を確保するために、古い在庫を整理する依頼が多い。遠く離れた場所に運ぶ作業ではないのため、ライムが一緒にいても迷惑がられることはない。むしろ一生懸命に小さな荷物を運ぶ姿や、大人たちに混じって掃除を頑張る姿が癒しになると、評判が高いくらいだ。
「今日も頑張ったな、ライム」
「とーさんと一緒に、おしごとするの楽しい」
「ライムが一生懸命仕事してる姿を見ると、父さんも頑張ろうって気持ちになるよ」
「それに今日は、かーさんの料理が食べられるかもしれないから、いつもよりがんばれたの」
「真白の料理はどれも美味しいから、父さんも楽しみだ」
扱ったことのない異世界の食材で、いきなり凝ったものを作るのは無理かもしれないが、要領の良い子なので何とかなってしまいそうな気もする。とにかく依頼達成の報告をギルドで済ませ、宿屋に戻ることにしよう。
◇◆◇
緑の疾風亭に戻ると、カウンターにはシロフの姿だけが見える。真白は近くにいないようだが、もう少しすると酒場としてアルコール類を提供し始める時間なので、今は仕込みの作業で忙しいのかもしれない。
「ただいま」「ただいまー」
「お帰りなさい、リュウセイ君、ライムちゃん」
「真白の様子はどうだった?」
「それがもう凄かったんだよ! 料理ができるまで二人には内緒ねってマシロちゃんに言われてるから、後で食事を持っていった時に話してあげるね」
「迷惑かけてなかったらそれでいいんだ、楽しみにしてるよ」
「迷惑なんてとんでもない、お父さんも凄く喜んでたから楽しみにしてて!」
少し興奮気味のシロフに見送られて部屋に戻ったが、料理の補助魔法を持ったここの親父さんを喜ばせるなんて、さすがは真白だ。
「なにを作ったのかな」
「父さんにも想像できないな」
「楽しみでお腹がすいてきた」
「ライムもそうなのか、実は父さんもだ」
なにせ地球時間だと一月半くらい、真白の料理を食べていない。ここで出される料理はどれも美味しいが、やはり妹の手作りというのは別の魅力を持っている。ライムに真白の作ってくれるカレーやハンバーグの話を聞かせながらその時を待った。
もちろんそんな話をしていたので、いつもより余計にお腹が空いてしまったのは言うまでもない。
◇◆◇
二人で今日の夕食を待ちこがれていると、扉が開いて真白とシロフがお皿を持って入ってきた。それがテーブルに置かれたが、その上には茶色の小判型をしたものが並べられ、上には黒いソースが掛かっている。
「これはコロッケか!」
「そうだよ、お兄ちゃん」
「かーさん、“ころっけ”ってどんな料理?」
「コロッケは茹でたお芋を潰して、小さく切ったお肉や野菜と一緒に、衣をつけて揚げる料理だよ」
この宿でも揚げ物料理は時々出るが、このような衣をつけて出てきたことはない。
「この世界にもパン粉ってあったんだな」
「あのね、今まで古くて固くなったパンは、お客さんに出せないから家族で食べてたんだって。それを聞いて、細かく摩り下ろして衣にしたらどうかなって言ってみたの」
「固くなったパンって、何かと一緒に煮込むかスープに浸すかして食べてたんだけど、こんな使い方があるなんて思わなかったよ」
「真白はこの世界に無かった、新しい料理を作り出したってことか」
「かーさん、すごい!」
「お昼は常連さんにだけ出してみたんだけど、すごく好評だったから、今日から夜のお品書きにも載せることにしたんだ」
「この黒いソースは、コロッケに合うようにおじさんが作ってくれたの。やっぱりこの世界の食材にも詳しいし、料理がとても上手だから、すごく相性のいいものに仕上げてくれたんだよ」
「かーさん、はやく食べてみたい」
「そうだね、冷めないうちに食べようか」
シロフが退室した後に全員でいただきますを言い、早速コロッケを食べてみる。パン粉がついた衣はサクッとしていて、口に入れるとホクホクとした芋の食感とソースの味と香りが広がり、とても美味しい。ソースの味は日本のものとは違うが、濃い目に作ってあるし、パンに挟んで食べても良いかもしれない。薄く切ったパンが並んでいるのも、そういった食べ方を想定していたんだろう、さすがは真白だ。
「かーさん、これすごく美味しいよ!」
「ライムちゃんに美味しいって言ってもらえると、お母さんとても嬉しいよ」
「これならライムにも食べやすいし、お酒のおつまみにもなるし、パンに挟んでも良さそうだ」
「お兄ちゃんの言うとおりだよ、ライムちゃんもコロッケをパンに挟んで食べてみてね」
「これに挟むの?」
「そうだよ、これをパンのここに置いて、折り曲げてから食べてみて」
真白に教えてもらったライムがパンの間にコロッケを挟み、口を大きく開けてパクリとかじりつく。その顔が一瞬で笑顔になり、一心不乱に咀嚼している。感想を一言も口にすること無くコロッケパンを食べきったライムの顔は、とても満足そうだ。
「こんな美味しいものが食べられて、ライムしあわせ」
「俺も真白の手料理が食べられて幸せだ」
「パン粉があったらハンバーグも作れると思うから期待しててね」
真白の作ってくれるハンバーグは、俺の大好物の一つだ。それがここでも食べられるなんて、これからの食事の時間が更に楽しみになってきた。
いきなりこの世界に無い料理を作ってしまった真白のおかげで、今日の夕食はとても楽しい時間になった。ライムもいつもより多めに食べていて、満足そうにお腹をさすっている姿が可愛らしかった。
妹ちゃんが、いきなりやらかしました(笑)
主人公の名前が赤井翠青だったら、R(赤)+G(緑[翠])+B(青)で、白い魔法が発現したでしょう。
余談ですが、地元では「レッドメテオ(赤い流星)」とか「ブルードラゴン(青い龍)」と呼ばれ、本人の意志とは関係なく一目置かれていました。




