第14話 真白の策略
雑貨屋ではこれから冬の季節になった時に必要な、厚手のものや上から羽織るものも購入した。ライムの服に関しても、今回は真白がいてくれているから、問題なく揃えることが出来る。その真白は、この世界の下着や服の種類が少ないことを嘆いていたが、フレアスカートやゆったりしたブラウスを中心に、淡い色と濃い色をいくつか組み合わせて購入していた。全体に露出の少ない清楚な感じにまとめていたのは、治癒魔法の使い手というのを意識していたのだろう。
雑貨屋から戻ってシロフに料理の作り方を教えて欲しいと相談してみたが、明日の昼と夜の仕込みの時に一緒に作業させてくれることになり、真白はとても喜んでいた。日本にいた頃は料理をほぼ毎日やってくれたので、日課みたいになっていた事がこの世界でも出来るのが嬉しいと言っていた。
そして今日も部屋に運んでもらった夕食を食べ、食器を返しに行った足でお湯をもらってくる。今日から桶が三つになるので真白も手伝うと言ってくれたが、結構な重さがあるし男として兄として少し見栄を張りたい気持ちもあって、俺の担当とさせてもらった。
「お兄ちゃん、体を拭くの手伝って」
「待て真白、それくらい自分でできるだろ?」
「えー、背中とかちゃんと拭けないよ」
「ライムにやってもらうとすごく気持ちいから、一緒に拭いたらどうだ?」
「ライムが、かーさんの背なか拭いてあげるよ」
「じゃぁ、三人で一緒に拭こうか」
「何が“じゃぁ”なのかわからんが、あの場所に三人は無理だぞ」
部屋の一角に設置された、三方を壁に囲まれたタイル張りのスペースを指差す。鬼人族の男性に合わせたサイズなので結構広く、ライムと入るくらいなら余裕があるが、さすがに三人だと狭い。それに妹とはいえ、もう大人として十分通用する女性と入る訳にはいかないだろう。そんな事態になったら、理性を保つ自信がない。
「少し前まではお風呂も一緒に入ってたのに……」
「それは小学校低学年の時の話じゃないか」
「お兄ちゃんのいけず」
「かーさん、“いけず”ってどういう意味?」
「“意地悪”って意味なんだよ」
「とーさん、いじわるなの?」
「そんな事ないよ、お母さんがちょっとわがまま言っちゃっただけだから。
……さぁ、一緒に体を拭きに行こうか」
真白は去り際にウインクしながら少しだけ舌を出して微笑むと、ライムを連れて洗い場の方に移動していく。その表情で誂われたんだとわかるが、今のはちょっと心臓に悪かった。まぁ楽しそうにしてるので、兄としては大きな心で受け止めてやるべきかもしれない。
しかし、“いけず”は京都あたりの方言だったはずだが、やはりこっちの世界の人には通じないな。
◇◆◇
洗い場の前に置かれた衝立をなるべく視界に入れないようにベッドに座り、ボーッとした時間を過ごす。部屋の奥からは楽しそうな声が聞こえているので、二人も体をきれいにする時間を満喫しているみたいだ。でもこうしていると、やっぱりお風呂が恋しくなる。丁寧に拭いているのでちゃんと汚れは落ちていると思うが、どうしても髪の毛とか指の間なんかは気になってしまう。
「お兄ちゃん大変だよ! ちょっと来て」
「どうした真白、何かあったのか!?」
急に洗い場の方から大きな声が上がり、何が起こったんだと慌てて衝立の向こうに飛び込んだ。そこでまず目に入ったのは、シミひとつない綺麗な背中だ。肩甲骨のあたりまで伸びた、少し赤に寄った茶色のきれいな髪は濡れて肌に張り付き、わずかに覗いているうなじが、とても色っぽい。しゃがんでいるのでギリギリセーフだが、妹のそんな姿を目にして鼓動が一気に跳ね上がった。
ライムも真白も落ち着いてるので、危険な状態ではないみたいだが、今の感情が声に出ないように慎重に話しかける。
「……一体どうしたんだ、急に大きな声を出して」
「お兄ちゃんこれ! ライムちゃんの羽、すっごく可愛いよ」
あー、確かにいつもしまっているライムの羽は、とても可愛らしい。真白がこうやって大騒ぎする気持ちは良くわかる。だが、後ろを振り返ろうとする動作は、そこでストップするんだ。それ以上はダメだ、危険すぎる。
――俺は後ろを向いたり、衝立の向こうに移動しようと試みたが、何故かその場を一歩も動けなかった。
「いつも拭いてるから、すごく可愛いのは良くわかる」
「だよね、だよね」
「どこか怪我をしたり、状態が悪くなってるんじゃないんだな?」
「うん、初めてこんなの見たから、ちょっと興奮しちゃっただけ」
「何もなかったのならそれでいいんだ、俺はもう行くからな」
「急に呼んだりしてゴメンね、お兄ちゃん」
やっと自らの意志で動かせるようになった体を引きずってベッドに戻ると、そこに腰掛けて大きく深呼吸をする。気持ちや感情が表に出にくい自分の体質を、これほど良かったと思ったことはない。小さい頃からずっと見てきた存在ではあるが、やはり成長するに従って感じるものが変化していく。道を踏み外さないようにだけは気をつけよう。
◇◆◇
自分も体を拭いて部屋着に着替え、ベッドの上でくつろぐ頃には、ようやく気持ちも落ち着いてきた。いつものようにライムを膝の上に乗せて、顎の下にある少し皮膚の固くなった部分を撫でたりしながら、三人でゆったりとした時間を過ごす。
「そういえば真白は、この世界の魔法の使い方って知ってるのか?」
「教会でも教えてくれなかったし、知らないよ」
あのおっとりしたシスターのことだから、きっと忘れてたかギルドに丸投げするつもりだったんだろう。
「この世界の魔法は、呪文を自分で決められるみたいなんだ」
「へー、なんか面白そう……
お兄ちゃんはどんな呪文にしたの?」
「俺は英語で統一しようかと思ってる」
「とーさんの呪文、なに言ってるのかわからないけどカッコイイよ」
「ほんとライムちゃん!? ねぇ、お兄ちゃん何かやってみてよ」
教会で真白の私物を収納したときは、シスターと話をしていて見てなかったので、ここで披露することにしよう。
「例えば自分の持ってる魔法を見たいと願いながら、思い浮かんだ言葉を唱えると呪文として登録されるみたいだ」
《アビリティー・オープン》
その呪文で左手の甲に文字が浮かび上がり、そこには[収納|色彩強化|*****]と記載されている。
「こんな風に見えるようになるんだ、不思議だね」
「収納魔法を使うときは“ストレージ・アウト”で取り出し、“ストレージ・イン”で保管にしている」
日本で着ていた服などを入れたカバンをベッドの上に出し入れしてみたが、何もない場所に急に荷物が出てきたり、それがどこかへ消えてしまったり、手品のようなその風景を真白は目を丸くしながら見つめていた。
「お兄ちゃん手品師になったみたいだよ」
「確かに元の世界でこれをやったら、イリュージョンとかマジックショーとか言われそうだな」
「私もお兄ちゃんと同じように、ゲームみたいな呪文にしようかな」
ゲーム自体はあまりしなかった真白だが、俺がプレイしてるのを見るのが好きだったので、その手の用語にも詳しくなってるはずだし、良いかもしれないな。
「かーさんは、どんなのにするの?」
「そうだなぁ……よし! 決めた」
《ステイタス・オープン》
ゲームのパラメーター表示に使う呪文を唱えると、真白の左手に魔法の一覧が浮かび上がる。そこには枠が三つあって[治癒|****|****]と書かれていた。
「私にも出来たよお兄ちゃん!」
「とーさんの呪文とちょっと違うけど、かーさんのもカッコイイ」
「治癒はわかるんだけど、下の二つは読めないよ?」
「俺も最初はそうだったんだ、でも本で魔法のことを学んだら、そのうちの一つが使えるようになった」
「“収納”の下に書いてある“色彩強化”っていうのがそれ?」
「これは持っている魔法を拡張する力があるみたいなんだ」
「そんなすごい魔法が使えるなんて、さすがお兄ちゃんだね」
「この世界にはない魔法みたいだから、俺たち流れ人だけが発現するの特殊なものだと思う」
「じゃぁ、私にも使えるようになるかな」
「魔法のことを深く知れば、俺と同じように文字が読めるようになると思うぞ」
「だったらお兄ちゃんが教えてよ」
「構わないぞ、重点部分をまとめたメモを作ってるから、それを見ながら説明するよ」
魔法の本を読んで新しい能力が発現したので、もっと深く学んでみようと重要な部分を抜き出してまとめてみたが、新しい魔法は使えるようにはならなかった。しかしその時に書き写したメモがあるので、それを広げながら真白にこの世界の魔法体系を説明していく。もちろん俺が仮説を立てた、加法混色についても伝えておく。
「何かこうしてると、高校受験の勉強をお兄ちゃんに教えてもらってた時みたいだね」
「真白は要領もいいし物覚えも良いんだから、俺が教えなくても十分合格できただろ?」
「そんな事ないよ、お兄ちゃんがこうやってわかり易くまとめてくれるから、私も合格できたんだよ」
「ねぇ、“こうこう”とか“じゅけん”ってなに?」
「高校は父さんくらいの年齢の人が通う学校のことなんだ」
「受験はその学校に通えるだけの知識があるか調べることだよ」
「それって、むずかしいの?」
「父さんの通ってた学校の難しさは、真ん中より少し上くらいかな」
「お兄ちゃんと一緒の学校に通えるように、勉強を教えてもらったんだ」
「じゃぁ、とーさんが先生なんだね」
「そうだよ、題して“教えて! お兄ちゃん先生”って感じかな」
何やらゲームやアニメのタイトルっぽいことを言い始めたが、“お兄ちゃん先生”というフレーズが気に入ったのか、ライムと二人で盛り上がっている。家事のほとんどを任せっきりだった妹の手助けになればと思って教師役をやってみたが、その時も今日みたいに凄く真剣に話を聞いてくれたので、とてもやりがいがあった。
「そう言えばライムちゃんって、どんな魔法が使えるの?」
「ライムはまだ使えないの……」
《力が見たいの》
ライムの唱えた呪文で表示が浮かび上がるが、そこには何も書かれていない枠が一つあるだけだ。
「竜人族は“竜魔法”という特別な魔法を、それぞれの人が持ってるらしいんだ」
「“竜魔法”! 凄くかっこいい響きだよ」
「ほんと!? かーさん」
「それにとても強力らしいから、ライムの体がそれに耐えられるくらい成長したら、発現するんじゃないかと思う」
「とーさんやかーさんの役に立てるような魔法だとうれしい」
「どんな魔法が使えるようになるか楽しみだね」
ライムにどんな魔法が発現するかはわからないが、明るくて天真爛漫なこの子に似合うものが身につけば良いと思う。それがどれだけ強力なものだったとしても、間違った使い方をしないように導いてやるのが、親である俺たちの責務だ。
とは言え、ライムが誰かを傷つけたり困らせたりするような事を絶対にしないというのは、確信できている。隣りに座ってライムの頭を嬉しそうに撫でている真白も同じ事を考えているんじゃないか、俺はそんな気がした。
第二期「もっと教えて! お兄ちゃん先生」
第三期「もっとも~っと教えて! お兄ちゃん先生」
みたいな感じで(笑)




