第152話 妖精王
翌日、ビブラさんの知り合いを紹介してもらい、細長いボートを貸りることができた。十人くらい乗れる大きさのボートで、オールが何本も付けられるようになっていて、レース用に使われるものらしい。
秋に行われる収穫祭の時に、大人たちがこのボートを漕いで速さを競う催しが開かれる。今の時期はその準備のために点検や整備をするそうなので、テストを兼ねて貸してもらえる事になった。
「水の上を滑るように進んでるねー」
「ほとんど揺れないのが凄いです」
「これなら船酔いしない、精霊王の力、凄い」
『こうして誰かに頼られるのは、やはり嬉しいものですわ』
『帆がついてりゃぁ俺様が動かしてやったのに、残念だぜ』
オールを使わずに岸から離れていく姿を見て船の持ち主に驚かれたが、モジュレの水流操作で動くボートは快適だ。海上移動もモジュレとエレギーがいれば、波や風向きに悩まされること無く進んでいけるだろうな。
そんな事を考えているうちに、島がどんどん近づいてきた。あまり上陸する人はいないが、船を係留できる小さな桟橋があるそうなので、ライムは先端が輪になったロープを持って船首でスタンバイ中だ。
「ライムちゃん、頑張ってくださいね」
「一回でせいこうさせるから、見ててねコールおねーちゃん」
「ライムの運動能力があれば楽勝なのじゃ」
「今こそ竜人族の力を見せる時よ」
「ピピピーッ」
何やら後ろで見守っているメンバーもノリノリで応援している。もちろん父さんと母さんも応援してるから頑張るんだぞ、ライム。
『あの木で出来た部分が船を繋いでおく場所のようだな』
『ゆっくり近づけますから、ここぞという時に投げてくださいな』
桟橋はかなり古びていて、手入れもほとんどされていないみたいだが、板が外れていたり腐っているような部分は見受けられない。端の方には一本だけ突き出た杭があり、ライムはその部分をじっと見つめてタイミングを図っている。
クリムに支えてもらいながら立ち上がるライムを見ていると、ちゃんと成功するのか心配になってしまう。こちらに伸ばしてきた真白の手を握って、ハラハラしながらその瞬間を待った。
「いくよー……
……えぃっ!」
輪になったロープは形を保ったまま目標に向かって飛行し、突き出した杭をしっかり中心に捉えて着地する。
「……やったー! できたよ、とーさん、かーさん」
「一度で成功するなんて、凄いぞライム!」
「さすが私とお兄ちゃんの自慢の娘だよ!」
『やるじゃねぇか、ライム』
『まさかこの距離で成功させるとは思わなんだ』
『かっこ良かったですわよ』
みんなに褒めてもらいながら、クリムとアズルに頭を撫でられているライムは、とても嬉しそうだ。
出会って一年の間に日々の生活や冒険者活動を通じて、出来ることをどんどん増やしている姿を見るのは、父親として一番心が満たされる。嬉しそうにライムを見つめる真白も、きっと同じように思っているだろう。
◇◆◇
船をつなぎとめた後に島へ足を踏み入れたが、ソラの感知魔法によると中心辺りに邪魔玉の反応があるみたいだ。
島全体が小高い丘のようになっていて、外から見るとちょっとした森といった印象がある。そんな道なき道を進んでいくと、中心に近づくにつれて空気がまとわりつくような嫌な感じが強くなってきた。
「妖精王でも浄化しきれないほどの邪気が漏れているわね」
「聖域の時は霊木や泉の水が、かなり邪気を抑えてくれてたんだな」
「バニラちゃんもギリギリまで頑張ってくれていたから、私もあの場に居続けられたのよ」
「はやく助けてあげようね」
精霊王たちは強力な結界に封じ込めるという手段で邪気の漏洩を防いでいたが、妖精王は自らの力を使って中和するという方法で軽減させているらしい。
『大地の力もかなり弱っておる、これは急いでやらねばいかんな』
「昨日来ておった精霊たちも、気味悪がってここを避けておったのじゃ」
『水が汚れなかったのは、妖精王さんのおかげですわね』
『ちゃっちゃと助けてやらねぇとな』
いくら強大な力を持っていても、長期間この邪気の中に身を晒しているのは辛いだろう。すぐ浄化できるように真白に強化魔法をかけ、ソラの教えてくれる反応に向かって歩いていった。
「目の前なにかあるはず、でも森しか見えない」
「これは彼の使う幻影魔法だわ」
「魔法で姿を隠しているってことですか?」
「イコちゃんやライザちゃんが使う結界より強力な魔法で音や気配を遮断して、周りの風景と同化させてしまっているの。このまま進んでもどこか別の場所に出ちゃうと思うから、ここで私が魔法を使って呼びかけてみるわ」
コールがキョロキョロと辺りを見回しているが、俺たちだけでなく精霊王にも見破れない魔法のようだ。種族によって得手不得手はあると思うが、さすが王と言われる存在だけあって凄い。
『エコォウそこに居るんでしょ、お話があるから魔法を解除してもらえないかしら』
妖精の魔法を乗せた声が、いつもと違う響きを伴ってヴィオレの口から放たれる。しばらく何も起こらなかったが、突然目の前にある風景が大きく歪みだした。
視界の揺れが収まった後に見えたのは、気だるげに石の上に座っている小さな男性と、近くに転がっている黒くて禍々しい玉だ。
エコォウと呼ばれた精霊王の背中には半透明で細長い羽が二対伸び、ゆっくりと振り向いた顔は憂いを帯びている。
「……ヴィオレか、一体何の用だ。いくらお前でも、ここに長くいると消えてしまうぞ」
「それはあなたも同じでしょ、そんなになるまで力を使っちゃって……」
「私ならあと百年程度は大丈夫だ、心配するな」
「あなたが姿を見せないと寂しがる子もいるんだから、そんな事はやめて頂戴」
「お前たちがいれば、私がいなくなっても大丈夫だろう?」
「もう、そんなこと本気で思ってるなら怒るわよ」
「まったく……冗談だよ、そんなに睨まないでくれ」
同じ妖精の異性だからだろうか、二人の間には心が通じ合った者にしか出せないような、独特の空気が流れている。ヴィオレとはそれなりに長い付き合いで、特に俺とはいつも一緒にいると言っていい程だが、こんな風に話しているのを見るのは初めてだ。
妖精たちも寿命の長い種族だし、付き合って一年にも満たない俺では勝負にならないと思う。しかし何故だか胸の辺りがモヤモヤする。
「お兄ちゃん、嫉妬してる?」
「この感情をどう表現したらいいのかわからないが、俺の知らなかったヴィオレの姿を見て、ちょっと落ち着かない気持ちになってる」
「あらあら、まあまあ、リュウセイ君って私のことそんな風に見てくれてたの!? ちょっと嬉しいわね……
安心してね、あんなのどうとも思ってないし、今はお花たちと同じくらいリュウセイ君やその家族のことが大切よ」
「妖精王に向かって“あんなの”はないだろう……
それより花の妖精女王のお前が、人にそこまで入れ込むとは一体どうしたんだ。それにあらゆる種族と精霊王を三人も連れてきて、まさか邪気の影響で世界が終わろうとしているんじゃないだろうな?」
いま妖精王はヴィオレのことを、女王と言っていた。もしかしてエコォウとヴィオレは、妖精族を統べる存在なのか?
だとすれば、二人がああして通じ合っていたのもわかる。
「ヴィオレおねーちゃん女王さまだったの?」
「女王様なんて、子供の頃に読んだ絵本で憧れたなぁ……」
「花の妖精女王って言ってたよねー」
「他にも家の妖精女王とか、船の妖精女王とかもいるんでしょうか」
「ふぉぉぉぉぉー、今まで知らなかった! 妖精の女王! ヴィオレ超すごい!!」
「とんでもない事実が判明してしまったのじゃ」
「私、今まで女王様相手に色々失礼なことしてしまってたんじゃ……」
コールが一人顔色を悪くしているが、他のみんなはヴィオレが女王と聞いて大興奮だ。
しかし冷静に考えてみれば、アズルの言う通り妖精にも色々な種があるし、それぞれに女王がいたりするんだろうか……
『やはりバレてしまったか』
「バンジオたちはヴィオレが女王だって知ってたのか?」
『わたくし達にも妖精が高位の存在かどうかは、何となくわかりますのよ』
『バンジオに口止めされてなきゃ、俺様が喋ってたかもしんねぇぜ』
「知られても構わないと思ってたのだけど、ついつい言いそびれてしまったのよ、ごめんなさいね」
詳しく説明してもらったが、やはり女王は複数いるらしい。しかし王を頂点にしているのみで、他の妖精たちは上下関係をあまり意識することはなく、女王というのは種の中で一番成熟したものが務める。
つまり、ヴィオレのスタイルが良いのはそういう事だった。
もちろん精神面で成長していることも肝心なので、そんな事情を知らない精霊王たちがヴィオレを高位の存在と認識したのは、そちらを感じ取ったからだ。
◇◆◇
とにかくここまで来て無駄話に興じるわけにもいかないので、簡単な自己紹介とここに来た経緯を話してから、邪魔玉の浄化をやってしまった。
「やれやれ、肩の荷が下りた気分だよ。感謝するぞ、マシロ」
「エコォウさんも浄化はしてますけど、ずっと邪気に当てられてますから、しばらく聖域で静養して下さい」
「しかしヴィオレも、とんでもない者たちと知り合ったものだ」
「おかげで毎日楽しく暮らしているわ」
「妖精が人の営みに関心を寄せるとは、実に不思議なことだ」
『それは儂らも同じだ』
『あなたもしばらく一緒に暮らせばわかりますわよ』
『こいつらみてぇなおもしれぇ連中、他にはぜってー居ねぇぜ』
精霊王たちの力で邪気に侵されていた土地を浄化し、ある程度力を回復させてから島を離れることにした。逃げてしまっていた精霊たちも戻ってきたので、このあとは自然に元の状態へと戻っていくはずだ。
「エコォウおじちゃんが無事でよかった」
「王都のうちでゆっくり休んでねー」
「家妖精のイコさんとライザさんがいますから、とても快適なんですよ」
「聖域じゃから、疲れた体もすぐに癒えるのじゃ」
「二人の家妖精が聖域の力を借りて同時に宿るなど歴史的な出来事だ、私も会えるのが楽しみだよ」
真白の作ったお菓子と一緒に船を持ち主に返し、転移魔法で帰らずに散歩がてら話をしながら歩いていたら、別荘のすぐ近くまであっという間だった。
朝になっても起きてこなかったリコの目は覚めただろうか、そんな期待を込めてドアを開けると出迎えてくれたのはビブラさんだけだ。
そして、その表情には暗い影が落ちていた――
主人公は色恋に関して、ずっと受け身だったので、嫉妬は未知の感情です(笑)
同じ隠蔽でも、精霊王たちの魔法が視覚をごまかすもので、妖精王の使う魔法が脳をごまかすもの、そんな違いがあります。




