第138話 バーベキュー
日除け小屋の一角に設置したシャワーで簡単に体を洗い流してから、お昼の準備を進めていく。上部の容器に水をためて天井に空けた小さな穴から撒く簡易的なものだが、収納魔法で水桶を持ち運べるので補給は簡単だ。
海水を軽く洗い流した後に、足のついた大きな金属の台を砂浜にしっかり固定して、そこに料理で使う黒の魔晶を練り込んだ成形燃料を並べる。コールが覚えた着火の生活魔法で火を点けると、徐々に赤く燃え盛ってきた。
「清浄と製水と照明と着火なんて、コールちゃんが万能すぎるわ! 一家に一人欲しいっ」
「あの、生活必需品みたいに言われるのはちょっと……」
「コールさんは絶対に渡しませんよ、もしどうしてもと言うならお兄ちゃんを倒してからにしてください」
「リュウセイ君には勝てそうもないし、諦めるわ」
真白の定番セリフを聞いたシェイキアさんは、その場でよよよという感じに泣き崩れているが、本当にノリが良くて楽しい人だ。この人が特殊な技能を持ってないなら力押しで何とかなるかもしれないが、後ろに控えているヴァイオリさんには、どう頑張っても勝てるビジョンが浮かんでこない。
「コールとマシロ、二人居ないと挟んでもらえない、絶対必要」
「うむ、あれはなかなかに素晴らしいものじゃからな」
「なになに、ソラちゃんとスファレちゃんて二人に何してもらってるの? 私にも教えてよ」
以前も言っていたが、お風呂の中で一体何をしてるんだ、真白たちは……
三人で少し離れた場所に移動するのを横目で見ながらバーベキューコンロに目を向けると、ちょうど火加減も良くなってきたので上に網を乗せる。この世界で使われている燃料は、炭と同じような使い方ができると言った真白の発言が発端になり、シェイキアさんに頼んでバーベキューコンロと金網を作ってもらった。
俺と真白が形を伝え、鍛冶職人にオーダーメイドした、この世界に一つしかない調理器具だ。
「そろそろ焼き始めるよー」
「お肉は旦那様とマシロ様が、ドーヴァで仕入れてくれたのです」
「貝はチェトレの朝市で買ったものを、ヴィオレ様が保管してくれたですよ」
「バーベキューソースはアージンに行った時、緑の疾風亭の厨房を預かっている親父さんに教えてもらった、新開発のものだぞ」
「あなた達は相変わらず食べることに関して妥協がないわね」
「浜辺で料理をするとは、驚きしかありませんな」
『流れ人というのは、本当に面白いことをするものだ』
『人の営みというのは、新鮮で楽しいですわ』
同じく鍛冶職人に作ってもらった大きな串に刺した食材を網の上に並べていくと、肉や野菜の焼ける香ばしい匂いが周囲に漂ってきた。この長い串を発注した時、武器に使うのかと言われたのは余談だ。針やかんざしで仕事をするような職業には就いていないから、これはただの調理用品に過ぎない。
「かーさん、すごくいい匂いがするね」
「この後バーベキューソースを塗って焼くと、もっといい匂いになるよ」
「お肉からポタポタ落ちる油を見ただけでお腹が鳴るよー」
「横に置いてある貝も開いてきました、これはワクワクが止まりません」
食材に焦げ目がついて火が十分通った後、濃厚なバーベキューソースを塗って軽く燻ると、ソースの焦げる匂いが辺りに立ち込め食欲が大いに刺激される。
「みんなー、自分のお皿を持ってきて並んでねー」
みんなは一斉に日除け小屋のテーブルに積んであったお皿を取りに行ったが、一番乗りはシェイキアさんだった。諜報活動を長年やっていたからか、身体能力はかなり高いのかもしれない。これは戦ったら苦戦しそうだ……
俺は真白の分と二皿持って並び、次の串を並べる手伝いをしてからテーブルに付く。いただきますの挨拶とお祈りをしてバーベキューを食べてみたが、甘味と酸味のあるソースは肉にも野菜にもよく合ってる。
「これは果物も入ってるソースだな」
「そうだよお兄ちゃん、すりおろした果物やはちみつも少し入ってるんだ」
「お肉もやわらかいし、お野菜もホクホクしてておいしいよ、かーさん」
「外でこんな料理ができちゃうなんて凄いねー」
「直火で焼いてるだけなのにこの美味しさは神秘的です」
「こうやって浜辺で食べる料理は、特別美味しく感じるんだよ」
海の家で食べる焼きそばとかカレーは、実際の味以上の旨さを感じるんだよな。特に凝ったことはやってないはずだし、使ってる材料も市販品ばかりだろうけど不思議な魅力がある。
「マシロちゃんも一家に一人欲しいわ……」
「真白はやらないぞ」
「やだなーリュウセイ君ったら、冗談だよ、冗談」
「とても野性味あふれる調理法ですが、このように美味しく仕上がるとは驚きです」
「リュウセイ君やマシロちゃんと一緒に旅をすると、毎日こんな料理が出てくるから楽しいのよ」
「お母さんも今度一緒に旅してみようかなー、どこか行く予定があったら誘ってね」
「お館様、今どこかに出張されると困りますので……」
三人にも好評のようで何よりだが、シェイキアさんと一緒の旅か。面白そうではあるけど、道中ずっと甘えられそうな嫌な予感がする。
「炎天下で冷たいものが飲めるのは、ありがたいのじゃ」
「ヴィオレとシェイキアのおかげ、感謝しかない」
「私が作る水は普通の温度ですから、魔道具って凄いですよね」
この前受注した依頼の報告を聞いたシェイキアさんが、そのお礼にと製氷の魔道具をプレゼントしてくれた。これも錬金術の一つなので直接食べるわけにはいかないが、それで冷やした果実水をヴィオレに収納してもらい、いつでも冷たい飲み物が楽しめるようになった。
食後のデザートもそれを応用したものなので、とても楽しみだ。
◇◆◇
「マシロちゃん、これは凄いわ! 世紀の大発明よ!! これを食べるために私は生まれてきたんだわっ」
「ヴィオレ様、大興奮なのです」
「それ程の力が、この“あいすくりーむ”にはあるですよ」
氷に塩を振りかけて温度を下げ、煮詰めたミルクにハチミツを加えたものを混ぜながら固めたアイスクリームが、今日のデザートだ。よく混ぜているので空気を含んでふんわりした口どけになっていて、とても滑らかで美味しい。
おかげでヴィオレのテンションが爆上がりだが、あんなに興奮している姿は初めて見た。
「これ凄いわね、うちでも簡単に作れるの? マシロちゃん」
「使ってる材料はミルクとハチミツだけですし、冷やすのに必要なのは氷と塩ですから、誰にでも作れますよ」
「家の使用人たちにも教えましょう、お母様」
「これは王家の晩餐会でも出せるほどの逸品ですな」
パン粉は庶民の間にも浸透し始めてるみたいだが、アイスクリームは高価な魔道具が必要なので、貴族や王家の人たちの間で流行るかもしれない。
「かーさん、お代わりしていい?」
「私も、私も食べたいわ、マシロちゃん」
「冷たいものを食べ過ぎたらお腹を壊すから、もう一杯だけね」
「うぅっ……頭痛くなってきた、なんで」
「わっ、われも目の奥が痛くなってきたのじゃ」
「冷たいものを一気に食べるとそうなるんだ、しばらくすると治るからアイスはゆっくり食べてくれ」
お代わり可能と聞いたソラとスファレがアイスを頬張ってしまったらしく、こめかみを押さえてウンウン唸っていた。あれはわかっていてもやらかす時があるから、初めてこんなに冷たいものを食べた二人には回避不能だろう。
「最初から最後まで大満足だったよー」
「海で食べる食事って美味しくて楽しいです」
『食べ物を口にできる種族というのを、羨ましく感じてしまいますわ』
『儂の言っていたことが理解できただろ?』
『こんなに楽しげな姿を毎回見ておりますと、興味が湧いてくるのは致し方ないことですわね』
「ピルルー」
「にゃーう」
「キュィー」
ワイワイと食事してる姿を楽しそうに眺めてくれている感じではあるが、やはり同じ感動を共有できないのは残念だ。その代わりに目一杯遊んだり可愛がったり、快適な生活空間を提供する方向で、味わってもらうことにしよう。
◇◆◇
少し食休みをしてから、午前中は遠慮して声をかけてこなかったコールを連れて沖に出た。大きくなったヴェルデも一緒について来て、水面に浮かんだり飛び上がったり楽しそうにしている。守護獣が進化した状態で身体補助を受けたコールに陸上では敵わないが、水泳でどこまで拮抗できるか後で挑んでみよう。
「コールも水に恐怖心みたいなものは無いんだな」
「そもそも泳いだことが無いですから、恐怖や不安より楽しみのほうが大きいです」
「俺も近くで支えるし、モジュレもいてくれるから安心して練習してくれ」
「はい、リュウセイさんが近くにいてくれるだけで頑張れます」
頬を染めて嬉しそうな笑顔を向けてくれたコールの頭を撫でて、水に顔をつけたり息継ぎの練習をしていく。バタ足はみんなのやり方を見て、波打ち際で自主訓練していたらしいので、手を引きながら前に進む練習に移行した。
「水の中を進む感覚ってどうだ?」
「抵抗があって思い通りにならないですけど、その中で体を動かす感覚がちょっと楽しいです」
「水中はいい負荷訓練になるから、それを使って体を鍛える人もいるくらいだ」
「リュウセイさんもそうやって鍛えたんですよね?」
「剣を振るようになって筋肉の付き方は変わったが、基本的な体の作りは水泳のおかげだな」
「こうして間近で見ると、とても逞しく見えます……」
「鬼人族の男性に比べたら、まだまだ鍛え方は足りないと思うけど、そう言ってもらえると嬉しいよ」
コールが少し目を細めて頬を染めながら見つめてくるので気恥ずかしくなってしまうが、鬼人族の女性に逞しい体つきと言われたことはとても嬉しい。そういえばアージンに鱗を売りに行った時に会えなかった筋肉ヒーラーは、元気にしているだろうか。
「リュウセイさん、次は手の動かし方を教えて下さい」
「俺が実際に泳いでみるから、まずはそれを見てくれるか?」
「はい、ここでヴェルデと一緒に見てますね」
「ピルルー」
「コールはどんな泳ぎ方をしてみたい?」
「やっぱり一番早く泳げる……ひゃんっ!!」
立ち上がって話をしていたコールが、突然変な声を上げて俺にしがみついてきた。薄い布に包まれたまろやかなものが形を変え、俺のみぞおち辺りに押し付けられる。
その時、頭の中が一瞬で素数に埋め尽くされた。
兄さん五時に……
…………………………
……白紙に戻した宮内庁
よし、落ち着いた。
「どうしたんだ、何かあったのか?」
「お尻を誰かに触られたので、びっくりしてしまって……」
「近くには誰もいないし、たぶん魚だな」
「さっ、魚ですか……うぅ、誰かにイタズラされたのかと思って怖かったです」
「俺が付いてるから大丈夫だ、安心していい」
「……あの、ドキドキが収まるまで、もう少しこうしててもいいですか?」
「落ち着くまで頭を撫でてるから、このままで構わないぞ」
頭やツノをしばらく撫でていると落ち着いたのか、コールはゆっくりと俺から離れていった。その後、クロールの泳ぎ方を教え、ある程度泳げるようになってきたら、クリムたちと合流して楽しそうに競争を始めた。
身体的な不利を器用さでカバーしているコールだけあって、飲み込みや上達はライムたちと変わらないくらい早い。体の動かし方が身についたらヴェルデの身体補助を発動してみると言っていたので、どこまでスピードが出るようになるか楽しみだ。
コールの戦闘力はC++
真白がD+




