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旅する賢者とスノードロップ  作者: 堀内 山鼠
1/1

第1話:不死身の医者と奴隷の少女

 死。


 それは自然の摂理。

 すべての命あるものに課せられた、義務であり、権利。

 それがこの世の(ことわり)


 だが、何事においてもそうであるように、理には例外が存在する。

 夜に寝ない動物がいたり、常温で固体じゃない金属があったり、光を発しない星まであったりするようだ。

 だから、理に反するものの存在自体は、別に珍しいことではないのかもしれない。

 であれば僕も、別段特別な存在というわけではないのだと思う。

 現に、他にも僕と同じ「症状」を持つ者を、僕は数人知っている。


 だからと言って、それが普通の人間にとって特異なことであることには変わりないだろう。

 だから、あえてそれが特別なことであるように、ここでは記す。


 僕は、死なない。



「ありがとうございました、ウィル先生。お礼は…」

「あぁ、いいんですよ。趣味みたいなものなので」

 何度も振り返って頭を下げながら嬉しそうに去っていく老婆に、僕は笑顔で手を振った。

 生きているのか死んでいるのかわからないような僕でも、こういう時には少しだけ、「生きている」と実感することができる。だからいつの間にか、こんな柄にもない人助けをするようになってしまった。

 ふと空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっている。真上の太陽が眩しくて、ふと手をかざしてしまう。四月も終わりに近づき、少しずつ暖かくなってはきたが、大陸の中心より少し北側に位置するこのエリアではまだまだ肌寒い。それでも日差しの下では、春の訪れを感じさせる、ふんわりとした温もりを感じることができた。

 老婆の向かう先には、それなりの大きさの町が見えている。大きな街がないこの辺りは一面平原で、街同士を繋ぐ大きな道だけが数本通っている。そんな大きな道が交わる交差点には、決まって旅の客を目当てにした宿や店がいくつも集まって、ちょっとした町ができる。ここもそういう町の一つだ。

 かく言う僕、今はウィルと呼ばれている僕も旅人だ。ここ数十年間、ずっと旅をしている。


 僕はいわゆる不老不死というやつだ。この「症状」を患ったのは、19歳だか20歳だかの頃。もう200年近くも前のことだ。

 「症状」はかなり重い。歳を取らないだけでなく、怪我や病気でも死ぬことはない。王道の自殺方法はもちろん、呪いやら何やらも一通り試した。だがあいにく、辛い思いをしただけで今もこうしてピンピンしている。

 だから僕は旅に出た。死ぬ方法を探すために。自分の知らない新たな死に方、僕でも、不老不死でも殺せる方法を探すために。

 そして色々なことを学んだ。植物や動物、人間の体のこと、薬学や科学、黒魔術に白魔術。様々な分野の知識を手に入れてきた。おかげでいつの間にやら、一部では賢者なんて言われるようになってしまった。それでも、まだ僕は死ねずに旅を続けている。


 いつだったか、小さな村で病気の老人に出くわした時に、覚えたばかりの白魔術を使って治療をしたことがあった。特にお金のためでもなければ、ボランティア精神に目覚めたと言うわけでもなく、ただ単純に、新しく覚えた魔法を使ってみたかっただけだった。だが、どうやら想像以上に治療が効いたらしく、いつしか僕の噂は村全体に知れ渡り、何人も病人や怪我人がやってくるようになった。時間を持て余していた僕は、せっかくだからと軽い気持ちで、彼らに治療を施した。ある者には魔法で、ある者には薬で、様々な人を治した。正直に言って、自分を殺すために集めた知識で、他人を救える気分は、悪いものではなかった。

 驚いたのは、数日経って次の村に行った時だ。情報というのは早いもので、その村にはもう僕の噂が広まっていた。そしてまた、多くの患者が来て、その全員を治療した。

 そんなことをしている間に、いつしか僕はちょっとした有名人になっていた。誰が言い出したのか「旅賢者ウィル」などというご立派な名前がつき、どこに行っても、患者が集まってくる。大きな街に行った時には、ちょっとした病院で臨時の医師のようなことをさせられたこともあった。そんなことのために旅をしているのではないのだが、と少し思いつつも、それは僕にとって、ちょっとした生き甲斐にもなっていた。


 そうしてたどり着いた今回の町だけれど、ここでは最近大きな火事があったらしい。原因は不明らしいが、大きな屋敷が一つ跡形もなくなるほどの大火事だったようだ。町は基本的に石畳だが、大きな街ではないから木造の建築物も多い。周囲にあったいくつかの民家や店も焼け、今でも黒くなった木材の山からうっすらと白い煙が立ち上っているのが見える。おかげで三日ほど前に町外れにテントを立て、「旅の診療所」と書いた紙切れを貼っただけのこの簡易診療所も、火傷やら何やらの患者で大繁盛だった。まぁ、お金は取っていないのだから、繁盛も何もないと言えばないが。

 それでも、三日目ともなれば客足も落ち着いてくる。もう昼過ぎだというのに、つい先ほど、客足が減るのを待っていたという老婆に、腰痛に効く薬をあげたのが、本日最初の客だった。

「今日はもうお客は来ないかなぁ…」

 そんな独り言を漏らして、僕はこじんまりとしたテントの中に戻った。

 中には大したものはない。不老不死とは言え、超人な訳ではないから、荷物は人並みしか持てない。前の村で買った数冊の本と、最低限の食料、治療に使う薬草や薬品、一部の魔法の触媒にする動物の骨などが少々。あとは診察の際に自分と患者が座るための折りたたみ椅子が二脚。その片方に、ボロ布みたいな服を着て、ボサボサの黒い髪をした、幼い少女がちょこんと座って、不機嫌そうにこちらを見ている。

 ……いや、誰?この子。

 さも当然のようにそこに座っているから不意を突かれたが、そこには知らない少女が座っていた。誰や。いやそれ以前に、

「…えっと、君、どうやって入ったの?」

「…なんか黄昏(たそがれ)てたから、普通に」

「普通に、って...」

 少し回想に夢中になってしまっていたようだ。危ない危ない。

 改めて少女の姿を見てみる。体つきからして、おそらく10歳前後だろう。ボサボサの黒髪は肩のあたりまで乱雑に伸びていて、片目にかかるかどうかという長さだ。適当にハサミでバッサリ切って、そのまま放置した伸び方だ。着ているボロ切れのような服は節々が破れたりほつれたりしている。そして何より、骨のように細い裸足のその足には、黒い鉄製の輪がハマっていた。

「…奴隷かい?」

 少女は返事をしなかったが、少し不機嫌そうに目を逸らした様を見るに、図星だったようだ。

 以前この国には、貧しい者達を裕福な者が奴隷として買うという悪しき風習があった。時代も少しずつ変わり、奴隷を買う者も売る者も減ってきてはいるが、こんな年端もいかない少女に未だにこんな悪趣味なことをさせている者がいると思うと、少し心が痛む。

「あの…」

 少女の声で我に帰る。どんな立場であろうと、僕のもとに来たからには患者だ。そのことに変わりはない。

「あぁ、大丈夫だよ。別に踏み込んだことを訊く気は無いし、僕は来てくれた人は誰だって治療する。君はどうしたんだい?」

 そう、いつもの診療と変わらない。深く考えることはない。事情に深入りする必要もない。僕はいつものように診療をしようと、もう一脚の折りたたみ椅子に腰を下ろして、


「私を殺してください」


 ......なんだって?

 まったく予想をしていない言葉だった。思考が停止するという感覚を久しぶりに味わった。

「…ごめん、もう一回言ってみて?」

「私を殺してください、って言ったんです」

 その目は、冗談を言っている目でもなければ、何かに怯えた目でも、絶望した目でもなかった。そこには、信念と、覚悟と、少しだけ、すがるような心細さが見て取れた。

「まずは、なんでそんなことを言うのか教えてもらってもいいかい?」

「さっき踏み込んだことは訊かないって…」

「依頼が依頼だからね。僕は基本的には治す側の人間だよ。だからそんな依頼は基本的に受けられない。でも、ちゃんと理由があるなら考えてあげないこともないよ」

 嘘だ。例えどんな理由でも、子供を殺すようなことを僕はしないし、できない。だが、知りたいと思ってしまった。この少々を突き動かすものが、何なのかを。

 少女はしばらく不機嫌そうに床に視線を落としていた。だがその「間」は、「答えたくないので諦めろ」という間ではなく、「言い方を考えるので待っていろ」という間のように、僕は感じた。だから黙って待った。

 ひどく長く感じられた十数秒の後、やはり少女は自分から口を開いた。迷いを断ち切ったような、きっぱりとした声だった。

「ご主人様が死んだの。火事で」

 そうだろうな、と正直僕は思っていた。今のご時世で奴隷を使役しているような者は、独占欲や傲慢さの塊のような人物に違いない。そんな人間が、奴隷を平気で外をほっつき歩かせるはずもないし、せっかくそれなりの金を出したであろう奴隷をみすみす解放するわけもない。逃げ出してきたか、主人が死んだかのどちらかだろうとは予想できていた。

 加えて、つい先日火事で焼けたという屋敷。この町で、奴隷なんてものを置いておけそうな金持ちらしい家はあそこくらいしかない。あの屋敷で奴隷として使役されていたところ、火事で主人が死に、自分は生き残った、ということだろう。

 だが、それだけで死ぬ理由になるのだろうか。疑問はそこだった。

 少女は、一瞬こちらの反応をうかがい、少しだけ声のトーンを落として続けた。

「私には、親も兄弟もいないから、ご主人様がいなくなった以上、生きる理由も目的もない。だから殺して」

「つまり君は、『自分はもう用済みだから、要らないから殺せ』と、言うんだね?」

「…そう」

「そうかい」

 親に虐待を受けてきた子供と同じ思考だ、と僕は思った。それがどんなに暴力と屈辱に満ちた悲しい物であっても、自分を必要としてくれている以上、それこそが自分の存在理由だと思ってしまう。とても悲惨で、しかしとても「人間らしい」考え方だ。

 少女の表情からは、まだ少し、何かを隠しているような気配がしたが、今度は「ほんとに話したくない」と言う顔だったので、僕はすぐに聞き出すのは諦めた。

「じゃあ、次の質問だ」

 そう言った僕に、彼女はまた少し不機嫌そうな視線を浴びせてきたが、文句を言うことはなかった。

「君が死にたい理由はわかった。まぁ、気持ちもわからなくもない。でも、死にたいなら死にたいで、自殺する方法なんていくらでもあるはずだ。なんでわざわざ僕のところに来たのかな?僕は一応、役回りとしては『医者』なんだけど、知らなかったわけじゃないよね?」

 少女は一瞬気まずそうに目を逸らしてから、「そんなこと訊くなよ」とでも言いたげな視線を投げかけてきた。僕が「答えたくないのかい?」と言う視線を返すと、諦めたようにそっぽを向いた。

「…痛いのとか、苦しいのは嫌なの」

「あぁ…そこで僕なら、痛くも苦しくもない殺し方を知ってるんじゃないかと思って来たのか」

「…そう」

 正直呆気にとられた。いや、拍子抜けしたと言うほうが正しいか。想像以上にシンプルでわかりやすく、そしてこれもまた「人間らしい」。可愛らしいところもあるじゃないか、などと柄にもなく思ってしまった。

 と、思っていたのがどうやら顔に出ていたらしく、ふと我に帰ると少女は相変わらずの不機嫌そうな顔を、ほんのちょっとだけ赤らめてこちらを睨みつけていた。

「で、殺してくれるの?くれないの?」

 イラついた様子で、しかし夕飯のおかずを尋ねるような気軽さで、少女は僕に尋ねた。

「ダメだね。君を殺すことはできない」

 きっぱりと、僕は言った。

 また不機嫌な顔をされる、と思っていたのだが、予想に反して少女は、しょんぼりとした顔をした。

「…なんで?」

 力のない声だった。

 だが、僕にはポリシーがあった。それを曲げるつもりはない。

「君はまだ若い。辛くとも、君はこれからも生きて、成長して、生きていくべき存在だ。だからそんな君を、僕が殺すわけにはいかない」

「…生きてればいつか良いことあるよとか、そんな生ぬるいことを言うつもり?」

 口調こそ静かだったが、驚くほど強い言葉選びに、またしても少し驚かされた。だが、

「そうじゃない」

 僕は言う。

「それが、この世の(ことわり)だからだよ」

 少女は、少し不思議そうな顔をしたが、トンチンカンという感じの顔ではなかった。正直、「(ことわり)」と言う言葉は子供、まして奴隷ならば理解できなくてもおかしくないと思っていたのだが、物好きな主人だったのかもしれない。

 その不思議そうな視線に応えるように、僕は続けた。

「人間には、寿命というものがあらかじめある程度決まっている。それは、自然が定めた全うすべき課題なんだ。生まれて、育って、生きて、死ぬ。そのプロセスこそが、人間を人間たらしめる。それがこの世界の理。世界のルール。だから、僕が君を殺すのは『ルール違反』、というわけだ」

 少女は黙って、僕の話を聞いていた。納得したような、しかしまだどこかひっかかっているような、そんな微妙な表情。その表情に、視線に、僕は少しだけ気圧された。だから、話題を逸らそうと、さらりと続けた。

「それに、確かに僕はいろんな死に方を研究して来てはいるけれど、痛みも苦しみもない死に方なんてものは、今のところないよ。だから、もしやろうと思っても、君の期待には応えられない」

 少女は相変わらず、黙って聞いていた。僕の話をしっかり消化し、自分の中で噛み砕いている。そんな顔だった。

 そして、数秒後、

「あ…」

 何かに気づいたように少女は、床に落としていた視線をゆっくり持ち上げ、僕を見た。

「だから、あなたは死のうとしてるんだ」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。そして、わからなかったことに自分で驚いた。

 長く旅をしていると、時々忘れてしまう。なぜ自分が、死のうとしているのかを。

「その通りだよ」

 僕は、自分自身に確かめるように、力強く答えた。

「死があるから、人間は人間でいられる。死を持たない僕は、(ことわり)から外れた存在なんだ。だから殺さなければならない。正さなくてはならないんだ」

 少女は、ただ静かに僕の言葉を聞いていた。



 テントの外に出ると、もうかなり陽が傾いてきていた。西の空は暖かな紅の光彩を帯び始め、対照的に東の空は、太陽に忘れられたように濃紺に沈んでいる。

 少し遠くに見える町の家々にも灯りがともり、冷たい風に乗って、子供達の笑い声がわずかに聞こえていた。

 あのあと例の少女は、しばらく無言でテントに居座った後、唐突に「帰ります」の一言を残して町の方へ帰って行ってしまった。

 面白い少女だった。洞察力があって、芯も強い。かわいそうな境遇ではあったが、僕にしてやれることなどなかった。あの子ならばきっと、いつかは主人の死を乗り越えて、自立し、自分自身の人生を歩んでくれることだろう。

 彼女のことは忘れよう。おそらく、もう会うこともない。きっと今頃は…

 ……今頃は、何をしているのだろう。

 そうだ、彼女にはもう主人がいない。帰るべき家、というほどのものであったかどうかもわからないが、ともかくその家は先の火事で焼けてしまった。行く宛などないのではないだろうか。いったい彼女は、どこに帰ると言ったのだろう。

 一面に広がる平原に石畳を無理矢理積んで作ったようなのこの辺りの町は、陽が落ちると途端に冷え込む。火も灯りもないような所に、あんな小柄な少女が一人でいたら、風邪をひく程度では済まないかも知れない。

 振り返って、自分のテントを見た。ボロ切れを広げたような見窄(みすぼ)らしい代物だったが、そこには確かに、「旅の診療所」と書かれていた。

「まぁ、腐っても医者だもんねぇ。患者を見殺しにするわけにはいかないか」



 町といってもそこまでの広さはないわけだが、それを一通り歩いても少女が見つけられなかった僕は流石に少し焦っていた。

 もう日もすっかり落ちて、人通りもほとんどない。この区画は石でできた家々が多いが、灯りこそちらほら点いているもののかなり静かだ。

 もしかしたら、親戚のような人が他にも町にいて、その人にかくまってもらっているかも知れない。そういう可能性もある。それにしっかりした少女だった。寝床くらい自分で確保できているのかもしれない。ありえなくはない。ありえなくはないはずだ。でも、自分の中の何かが、記憶にこびりついたあの冷めきった二つの黒い瞳が、そうではないのだと訴えかけていた。

 魔法を使って探そうか、と一瞬思った。だが、こんな人が密集している場所でそんな広範囲な魔法を使ってしまえば、マナの気配に敏感な人にしてみればいい近所迷惑だ。

 もう一周歩いて回ってみるか。そんなことを考えていたその時だった。

「…おい、やめろよ!クソ野郎!離せよッ!」

 声が聞こえた。裏路地の方からだ。怒りと嫌悪の中に、一握りの恐怖が混ざったような、そんな悲鳴は昼間に聞いたばかりの幼い少女の声に違いなかった。

 考えるより先に足が動いていた。途切れ途切れに響いてくる声を追いかけるように、夜の街を必死で駆け抜ける。少しずつ声は近くなってくるが、細い裏路地の両脇にそびえ立つ石の壁が焦燥感を加速させる。

 ふと、なぜ僕はこんなに必死になっているのだろう、と思った。今日出会ったばかりの、名前も知らない少女のために、どうして僕は埃っぽい裏路地をこんなにも全力疾走しているのだろう。そんな雑念を振り払うように、また次の角を曲がる。

「やめろぉ!」

 再び声。だが今度はそれに続いてドォン、と言う低い爆発音が聞こえた。

 何が起こっているのか、わからない。だがすごく近い。この角だ。

 僕は勢いよく裏路地の角を曲がって…


 そこに広がっていた光景に、思わず息を飲んだ。

 そこには、少女と男が立っていた。探していた少女が、爛々と光る反抗的な瞳から涙を流しながらも、怒りと憎悪に満ちた表情で、たじろぐ若い男を睨みつけている。予想通り、とまでは言わないが、想定内の光景だった。

 ここまでは。

 驚いたのは、少女の風貌。昼間には夜のように黒かった瞳が、妖しく紅色に輝いていた。同じく黒かった髪は白く変色し、対照的に病的なほどに白かった肌は、日に焼けたようにわずかな褐色を帯びていた。一目で同じ少女だと判別できたのが、自分でも不思議なほどの変貌だった。

 それだけではない。狭い路地裏には、少女を中心に紅蓮の火の粉がチラチラと舞い、冷たい石造りの壁や石畳、そこに転がる数人の男たちを真っ赤に照らし出していた。

 いや、転がっていたのは男たちと言うより、その残骸と言うべきだろう。もはや何人分かも正確に把握できなくなってしまった男たちの遺体は、手や足、頭、ひどいものは体の半分以上が奇妙に消し飛んでいた。血と肉片で覆い尽くされた、文字通り地獄絵図の中、怒りに燃える少女と、おそらく最後の一人だろう震える男が、そこにはいた。

 魔法自体は、この世界では珍しいものではない。子供でも、炎の魔法を扱える者はいる。だが、目の前の光景は、僕にとってとても異質に写った。

 理由は単純。こんなに派手に魔法を行使した形跡があるのに、マナの気配がなかったのだ。どんなものでも、魔法を使えば基本的にマナの気配が残る。だが、目の前に広がる惨状には、不気味なほどに全くマナの気配がなかったのだ。

 ふと、思い出した。この少女が奴隷にされていたのであろう屋敷。大火事で全焼した、あの屋敷。火元や原因は不明のままだった。あそこまで大規模の火災なら、魔法が使われたに違いない、と誰もが思うはずだ。小さな町だが警察もいる。マナの気配を感知できる人間も少しはいるだろう。それでも、魔法による放火だったと発表がないと言うことは、あの現場からもマナの気配が感じられなかったということだ。故意か否かはわからないが、この子の仕業だと考えれば辻褄が合う。

 少女の全身が、一瞬紅く輝く。狭い路地を、火の粉を乗せた熱風が吹き抜けた。怯えて地面にへたり込む男に向かって、少女がゆっくり手を伸ばす。その手がフッと、紅く輝いた。

 このままじゃマズい。

 僕は少女の方に向かって力いっぱい手を伸ばした。

 暗記して数十年の、慣れ親しんだ詠唱を、頭の中で一気に唱える。

「…(グフェングニス)(・デス・)(ヴァサース)!」

 少女の周りの空気中から、突如大量の水が流れ出す。足元をすくわれた少女の口から、小さな悲鳴が漏れた。

 水はどんどん流れ出し、見えない水瓶(みずがめ)に溜まるように少女の周りを覆っていく。詠唱を省略した分、水の量は心許ないが、少女の小さな体なら十分覆い尽くせる。全身を水の玉に包まれた少女が一瞬苦しそうにこちらを見た。

「ごめんね、少しの我慢だ」

 水の中では聞こえまいと思いながら、僕は自然とそう口にしていた。患者を安心させようとしてしまうのは、医者の職業病のようなものなのだろう。

 聞こえたのかどうかはわからなかったが、少女は一瞬、安心したように目を細めたように見えた。


 人間は窒息で気絶しても、すぐに絶命するわけではない。当然、気絶させつつ絶命はさせない、と言うタイミングを見極めて牢を解くのには経験が必要だが、幸い経験だけは人一倍ある。

 牢を解いて力の抜けた少女の軽い体を受け止めると、その髪や肌の色はいつの間にか昼間のそれに戻っていた。

「この話を広めようとすれば、また怖い目に合いますよ」

 僕は依然石畳にへたり込んでガタガタと震えている男に、笑顔で釘を刺してから、びしょ濡れになってしまった少女の髪と衣服を弱めの魔法でパパッと乾かし、その細い体を背負って、テントまで戻ることにした。

 町民に見つからないよう、暗い裏路地を通って、遠回りをしてから大通りに出た。騒ぎを聞きつけたのか数名の町民たちが騒ぐ声が遠くから聞こえてきたが、気にしないことにした。

 歩きながら僕は、先ほど見た未知の現象について考えていた。体色の変化、熱、炎、魔法でなければ説明のできない現象。だが色々な魔法を見て、聞いて、学んできた僕でさえ、マナの気配が一切しない魔法など聞いたことがなかった。未知の魔法。未知の力。こんなにも全く知らないものに出会うのは久方ぶりだった。

 あの魔法を見たとき、一瞬だが僕は、確かに怖いと感じた。恐怖を感じた。それは、不死身の身にしてみれば長く忘れていた感覚だった。

 今のままではダメだ。あの程度では。だが、もし彼女のこの力が成長すれば、あるいは…


「……何が、あったんですか」

 ふと、耳元で声がした。

 考え事をしながら歩いているうちに、少女が目を覚ましたようだった。

「大丈夫かい?」

「…私、また…」

 答えてくれる様子はなさそうだったが、意識はしっかりしているようだったので、僕はひとまず胸をなでおろした。

「何があったんだい?」

「……道を歩いてたら、男の人たちに囲まれて…怖くて…そしたら、体が熱くなってきて、頭が真っ白になって、それで…」

 その言葉で、僕の予想は確信に変わった。やはりこの少女は、自分の力をコントロールできていない。おそらく感情の起伏で勝手に発動してしまう類のものなのだろう。屋敷の火事も同様に、意図しない魔法の暴走。そして、彼女自身もそれを恐れている。

「仕方のないことだよ。君のその不思議な力は、まだ君の手に負えるものじゃないみたいだ。誰も君を責めはしない」

「…誰が責めずとも、私が責めます」

 責任感の強い子だ、と思った。頭のいい子だ、とも。どうやらコントロールはできずとも、何が起こったかは理解しているようだった。さぞ辛かっただろう。怖かっただろう。ましてまだ小さな子供だ。彼女にとっては、大きな重荷になるだろう。

「…殺してくれればよかったのに」

 ボソッと、少女が言った。

「昼間も言っただろう。僕は医者だ」

 少女は小さな声で、「うるさい」とだけ言った。

「君のその力は、確かにとても危険な力だ」

 僕は、できるだけ柔らかいトーンで、背中でぐったりしている少女に語りかける。

「だが、それはとても強力な力でもあるということだ。使いこなせるようになれば、多くの人を助けることができる力になるかもしれない」

「別に私は、人助けをしたいわけじゃない」

 少女は不機嫌そうに答える。

「別に人のために使う必要はない。君がその方がいいというなら、家々を焼き、森を燃やし、破壊の限りを尽くすのもいいだろう」

 少女は一層不機嫌そうに唸った。怒鳴られたくはなかったので、からかうのはこのくらいにしておくことにした。

「とにかく、何が言いたいかっていうと、それは君の生きるための貴重な財産だということだ。使い方は君次第だが、今のままではどうにも使うことができない。せっかくの力、まずは使いこなせるようにならないともったいない、という話をしているんだ」

 少女は、黙った。

 納得したという様子ではなかったが、一理あるという程度には思ってくれたようだった。

 しばらくしても返事がないので、僕は静かに続けた。

「それに、君の力なら、僕を殺せるかもしれない」

 少女が小さく息を飲む音が聞こえた。

「僕にどこまでできるかはわからないが、君が力の制御を少しでもできるようになるように、僕が君をつきっきりでみてあげよう。だから、その力を育てて、僕を殺せるようになるんだ。そうしたらその時、まだ君の思いが変わっていなかったなら、僕も君を殺してあげるよ」

 少し意地悪か、と思いながら、僕は最後に小さく付け足した。

「生きる理由が欲しいんだろ?」

 少女は黙って、僕の話を聞いていた。

 僕も黙って、少女を背負って歩いた。

 この子の性格なら、いつまでもおぶっていないで降ろせと言い出すかと思っていたが、不思議とそんなことはなかった。

 考えているのか、話したくないのか、少女はただ僕の肩に顔を押し当てて、僕の背中に体を預けていた。

 僕も、何も言わずにただただ歩いた。

 肩がじんわりと温かく濡れてくる感覚と、押し殺された小さな嗚咽には、気づかないふりをすることにした。



「着いたよ」

 テントの前で僕がそう言ってしゃがむと、少女はゆっくりと地面に降りた。

 灯り一つない町外れは恐ろしいほどに静かで、物言わぬ月明かりだけが二人をぼんやりと照らしていた。

 地面を見つめたまま動こうとしない少女に、僕は静かに「どうする?」と訊いた。

 少女はまだしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「この町に残っていても、私には行くべき場所も、するべきこともない」

 地面に伏せていた視線が、ゆっくり持ち上げられ、まっすぐ僕に向けられる。目は真っ赤に腫れていたが、涙は止まっていた。

「だから今は、するべきことをくれたあんたに、着いて行ってみることにする」

 その言葉に、僕は不思議と安堵した。つい、頬が緩んだ。

 どうしてなのかは、自分でもよくわからなかった。

 つられたように、少女も小さく笑った。

 月明かりの(もと)で初めて見る少女の笑顔には、なんとも形容しがたい、不思議な美しさがあった。

「なら、ひとまずは一緒だな」

 僕は静かに言った。少女も小さく頷いた。

 そして、示し合わせたように、僕たちは声を揃えて言った。


「僕が君を殺すまで」

「私があなたを殺すまで」



「ウィル、まだ?」

 少女がテントの外から退屈そうな目でこちらを覗き込んで言った。

「もう呼び捨てかい?」

 ため息交じりに訊き返す。

「君は持ち物もないからいいけど、こっちには色々用意があるの!」

 折りたたみ式の椅子を畳みながら、僕は投げやりに答えた。

 テントで一夜を明かした次の朝、僕たちは定期便の馬車で別の町に移動することにした。本来の予定ではここを()つのはもう一日後の予定だったが、あんな騒ぎを起こした後では彼女をこの町に長居はさせたくない。

 テントの中に広げていた薬やらなにやらを鞄に詰め込んでいると、ふと、昨日のカルテが目に留まった。

「ところで君、まだ名前を聞いてなかったな」

 すっかり忘れていたことを今更訊いてみると、少女は一瞬キョトンとした顔で僕を見た。

「んー、物心ついた時から奴隷だったから。名前で呼ばれたことないな。きっと昔はあったんだろうけど、忘れちゃった」

「…そうか」

 可愛そうだ、とは思った。だがそれ以上に、不思議なシンパシーを僕は感じていた。

「なら、僕と同じだな」

「え?」

 怪訝そうな顔で少女はこちらを見た。

「僕も、長いこと旅をしている間に自分の名前を忘れてしまってね。とある町で名前を訊かれた時、適当に考えたのが今のウィルって名前なのさ」

「へー」

 少女は不思議そうな顔でこちらを見ていたが、ふと思いついたように言った。

「じゃあ、ウィルが考えてよ。私の名前」

 予想だにしない申し出だった。だが確かに、名前がないのもかわいそうだ。

「そうだな。なにか好きなものとかはあるかい?」

 名前のない少女は、少しだけ真剣な顔になって考えていたが、

「…お花」

 やがてポツリと口を開いた。

「屋敷のお庭に、うつむいたみたいに咲いてる白いお花があった。あれはなんて言うの?」

「…うつむいて咲く白い花、といえばスノードロップかな」

「スノードロップかぁ…可愛い名前だけど、ちょっと長いかな?」

 少女は少し照れたように笑った。気に入っている顔だった。

「いいんじゃないか、スノードロップで?まぁ、呼ぶには長いから、ニックネームとして、そうだな、スーとでも呼ぼうかな」

 僕が最後の荷物をまとめながら適当な調子で言うと、少女はプハッ、と吹き出した。

「スノードロップを略してスーって、適当すぎでしょ。あははは」

 テントの外に目をやると、少女は腹を抱えて笑っていた。涙すら出そうな勢いだった。それはまさに、年相応の無邪気な子供のような、可愛らしい姿だった。

「嫌だったかい?」

 僕は少し笑いながら訊いた。

 少女はなお笑いながら、言った。

「嫌じゃないよ、気に入った。私はスー。私の名前は、スノードロップのスー!」

 そう言うと少女はまた嬉しそうに笑いだした。ついつい頬が緩んでしまうような、幸せな光景だった。

 僕はテントの外に出ると、そこに貼ってある「旅の診療所」という張り紙をはがし、空っぽになったテントを畳んだ。

「よし、じゃあ行こうか、スー」

 スーは少しと笑って、「うん」と答えると、僕の前を歩き始めた。

 昨日はあった落ち着きがなくなった、とまでは言わないが、肩の荷が下りたのか少し子供らしく見える。まるでお出かけが楽しみで親の前を歩く子供のようだ、と思ったが、まさにその通りだった。

 その小さな背中を見ながら、僕は静かに顔を曇らせていた。

 僕はこれから、この子を育てることになる。

 落ち着いた、達観した目を持ちながらも、無邪気な子供のような側面を併せ持ち、強力で謎に包まれた魔法を使う、元奴隷の謎多き少女を「僕を殺せる魔法使い」にするために。

 それが何年後になるかはわからない。もしかしたら、そんな日は来ないのかもしれない。だが、その日が来た時、僕は素直に殺されることができるのだろうか。

 そして彼女を、殺してあげることができるのだろうか。

 僕は久方ぶりに、自分がどうしたいのかを少しばかり見失っていた。

 だが、時間はいくらでもある。ゆっくり考えればいいだろう。これからのことは。

 白い花の名を得た少女が、くるりと回ってこっちを向いた。

 スーが笑う。僕も小さく笑って答えた。


 スノードロップ。その美しい花には、いくつかの花言葉がある。

 「希望」。

 「慰め」。

 そして、


 「あなたの死を望む」。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 さて、第1話、楽しんでいただけたでしょうか?

 この作品は、今流行りの転生のような要素は(今のところの予定では)ない、シンプルで王道なファンタジーの世界観を意識して書いています。

 魔法やら何やらの設定は、自分で言うのもなんですがまだまだガバガバです(汗)

 だんだん詰めていくと思いますので、そこは温かい目で見守ってくだされば幸いです。

 今後この物語は、ウィルだけでなく、スーや、彼らに遭遇する他の人物達の視点からも書いていき、二人の旅を色々な角度から楽しんでいただける作品に仕上げていければと思っていますが、正直自分の中でも、まだ構想はじんわりとしています。

 正直、書きたいことが多すぎて、書きたいときに、書きたいことを書くための一種の叩き台として、この子達には頑張ってもらおうと思っています(おい)

 なかなか執筆の時間も取れないので、不定期更新にはなってしまいますが、少しずつ二人の旅は進んでいく予定ですので、拙い文章で恐縮ではありますが、時々読んで、楽しんでいただければ幸いです。


 感想やご指摘など、Twitter(@salfare1121)でお待ちしております。

 それでは、今回はありがとうございました!

 次回をお楽しみに!

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