今日も妻は難しい
妻は求めている答えを出されると不機嫌になってしまう。正解があるのならあえて不正解を選ばなければならない。そんな生活を続けていたある日。
「明日はどこに出かける?」妻が聞いて来た。
「水族館に行こう」
「……そう」
私から目を逸らし、不機嫌になってしまった。妻は不機嫌になると、こうして少し間を置いてから答えるので不機嫌かどうかはすぐにわかる。そして妻が水族館に行きたかったのだと言う事もわかってしまった。何故なら不機嫌になってしまったからである。無表情で無愛想な素から不機嫌になった所で、そこまで大差は無い。少しだけ黙りこくるだけだ。
そしてまたある日。
「今日の晩御飯はオムライスとうどん、どっちが良い?」
妻が私に聞いて来た。毎日の日課と言ってもいいくらい頻度で聞いてくる、まるで私を試しているのかと思ってしまうくらいに。どっちかは妻が食べたい料理で、どっちかは私の食べたい料理だ。ここで間違えれば妻は不機嫌になってしまう、正しい正解を導き出さなければ今後三十分の会話は無くなってしまうだろう。
片方のうどんは、朝私が食べたいと独り言で言ったのを覚えている。それを聞かれていたのだろう。つまり今妻が食べたい物はもう一つの意見、オムライスだと推測出来る。ここで私に求められている答えは、妻の食べたい料理とは反対の答えを出す事。
「オムライスで頼む」
「……わかった」
これも不正解。しかし、ある種の正解。妻は麺より米の方が好き、この質問ではオムライスを食べたかったはずだ。その証拠に不機嫌になっている。素直と言うかわかりやすいと言うかである。
こんな面倒臭い生活も悪くは無かった。クイズみたいで毎日に波が生まれ、若干楽しささえ覚えた。しかしそんな生活を食い入る様に、ある時問題が起きてしまった。私が何を答えても不機嫌にならなくなってしまったのだ。私が正解と言う名を不正解を出し続けている可能性もあるが、十回連続はさすがにおかしいと思っても仕方が無い。どうしたのだろうか、もしかして私の事が嫌いになってしまったのではなかろうか。昨日は洗濯物を取り込んでおいてと言われながら忘れていた、この前はケチャップを床に撒いてしまいフローリングを殺人現場の如く真っ赤に染めてしまった、その前はお湯を出すのを忘れて水で風呂を張ってしまった、思い当たる節がこんなにあって嫌われていない訳が無い。
嫌われているかどうかを確認をしないと、私のメンタルが崩壊してしまいそうになる。既に心配のし過ぎでボロボロだと言うのに、もし本当に嫌われていたのなら三日三晩泣き続けおねしょの如く布団を濡らすだろう。
「私の事が嫌いになってしまったのか?」
我慢出来ずに聞いた。
「今日の晩御飯はカレーにしたから」
私の言う事を一切無視して献立を決められた。しかしカレーとはまた風情のなる料理を出して来る。日本男児たるもの、カレーは飲み物としてもいける可能性を秘めた情熱の料理であり、私の大好きな料理なのだ。だからこそ、この場で言わなければならない。
「今日はハヤシライスの気分だったよ」
「そう。食べましょう」
料理を丸ごと否定されても不機嫌にならない。出来た妻とも言えるが私の心境は不安になる一方である、まさか最終手段が敗れてしまうとは思っていなかったからだ。これでは美味しいカレーを食べる事になってしまう、どうにかしてハヤシライスに誘導しなければ、まんまと美味しいカレーを食べる事になってしまう。美味しいカレーを美味しく頂くと妻の術中にはまることになるが美味しいなら良いか。
「これ美味しいな」
「……なら良かった」
今日も妻は難しい。