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四四 帰宅するまでは

 土曜日は久々に、裕樹とくたくたになるまで遊んでやった。

 年に五回も六回も訪れている動物園だったが、裕樹はひとつひとつの檻の前で驚き、喜び、はしゃいだ。まるで、今日が父親と心から遊ぶことができる最後の日だと知っているかのように、裕樹は終始笑っていた。

 携帯電話がいつ鳴り出すのか、びくびくしながら過ごすのだろうと考えていたが、私も心から楽しむことができていた。

 弥生は言った、運命からは逃れられないと。それならば、私がどのように一日を過ごしていようと、携帯電話が鳴ったときには気がつくはずだと割り切っていた。そして案の定、携帯電話が鳴り出すことはなかった。帰宅するまでは。

 最大のボリュームに設定していた着信音が、夕食を終えた直後にリビングを満たした。満腹のせいで眠気を感じていた私は一気に覚醒した。

「益本だ。出られるか?」

 昨日ファミリーレストランで聞いた、陰気な声が受話器から聞こえる。

「ああ、大丈夫だ」

「西萩本の駅に二十一時、間に合うか?」

 私は時計を見て、十分間に合うことを確認する。

「大丈夫だ」

「スーツ姿で来い。改札で待っている」

「何か必要なものは?」

 文化包丁などと言われないことを祈りつつ、私は尋ねる。

「手ぶらでいい。遅れるな」

 益本は電話を切った。

 スウェットを脱いでスーツを取り出した私を見て、聡子が目を丸くしている。

「こんな時間に出かけるの?」

「ああ、接待だ。遅くなるかもしれない。先に寝ててくれ」

 有無を言わさぬ私の口調に、妻も黙り込んだ。下手な嘘だとは分かっている。しかし、今から人を殺しに行くなどと、正直に言えるはずもない。聡子は目を細めて私を睨んでいる。

 ネクタイを締めているとき、裕樹も尋常ではない雰囲気を感じ取ったのか、それまで夢中になっていたパズルを放り出し、私の足にしがみついた。

「行かないでパパ、今日はお休みでしょ」

「ごめんな裕樹。急なお仕事なんだ」

 私はしゃがみ、裕樹と視線を合わせる。そして、力いっぱい小さな体を抱きしめた。

「痛いよパパ」

 息子を抱きしめるのは、それが最後かもしれないと思うと、涙がこみ上げてくる。私は歯が欠けるほど噛み締め、堪えた。息子の頭の、甘い匂いを胸一杯に吸い込む。

「……裕樹、ママを頼んだぞ」

 そう言い残し、私は逃げるように玄関から飛び出した。


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