四二 協力者
金曜日の夕刻まで、私はいつもどおりの業務をこなし、家族との団らんも普段と同じ顔をしていたつもりだ。妻は私の微妙な変化に気づいていたような節が見られるが、単に疲れているためだと信じているはずだ。まさか、夫が世界を救う為に殺人を決意したとは、夢にも思っていないだろう。
私は会社を早めに辞し、弥生のアパートへと向かう。具体的な時間指定は受けていなかったが、早ければ早い方がいいだろうと、私は勝手に判断していた。どうせ彼女は、私が訪問する時間も把握しているのだろうと思う。
アパートの前に到着しようとしたとき、懐の携帯電話が鳴りだした。携帯の画面には、登録したばかりの弥生の名が光っていた。
「私の家にではなく、そのまま大通りへと進んでください。通りに出て右へ曲がると、ファミリーレストランが見つかるはずです。その店の一番奥のテーブルで、協力者と共にお待ちしております」
一方的に要件だけを伝えると、電話は切れてしまった。
私は周囲を見渡してみる。弥生がどこかで私を見ていなければ、私がこうしてアパート前に現れたことは分からないはずだ。しかし、彼女は見当たらない。会社帰りのサラリーマンや高校生しかいなかった。彼女の力は、そこまで正確に見ることができるのかと見せつけられても、私は驚くこともなかった。既に、彼女の能力に慣れてしまったようだ。
指示されたとおりにファミリーレストランへと向かう。
店内は客で賑わっていた。こんな場所で殺しの打ち合わせなどするのかと不安になったが、騒がしい分だけ他人に意識が向かわないのかもしれない。
弥生がどこにいるのか、探すまでもなかった。彼女はレジカウンターのすぐ前で、私を待っていたからだ。
「本当にありがとうございます。改めて、お礼を言わせてください」
周囲の目もはばかることなく、弥生は九十度に腰を折り、頭を下げた。
彼女を促し、テーブルへと向かう。そこに、煙草を吸いながら外の景色を眺めている男がいた。
「彼が協力者の益本さんです。益本さん、この人が塚下さん」
益本と紹介された男は、席から立つこともしなかった。僅かに頭をぺこりと下げただけで、煙草も吸い続けている。四十前後の小男で、気の弱そうな小さい目が、分厚い眼鏡の奥に見えた。
弥生は益本の隣へと座り、私は二人の正面に対峙する形となった。
私はウェイトレスにコーヒーだけを注文する。弥生も益本も、飲み物だけを頼んでいるようだった。
「……それで、僕は結局どうしたらいいのかな?」
コーヒーが運ばれてくるのを待ち、私は口火を切る。
「手筈は俺が整える。あんたは、俺からの連絡を待って、指示した場所へ来てくれればいい」
益本が応えた。聞きとりにくい、小さな声だ。
「時間とか場所は、わからないのか?」
「それが、まだはっきりと見えないんです。塚下さんが決心してくれたことで、ビジョンははっきりとしてきてはいるんですけど、場所と時間は、まだ曖昧なんです」
弥生の声も小さかった。やはり、周りの耳を気にしているようだ。
「こうして顔合わせをしている理由は、単に、あんたの決意が確かなものか見るだめだよ。直前になってビビられちゃ、だいなしだからな」
新しい煙草に火をつけ、益本は言った。
「大丈夫、逃げ出したりしないよ。もう、気持ちは固まってる」
「携帯電話は、いつでも出れるようにしておいてくれ。夜中かもしれない」
「それで、僕の安全は保障してくれるのかい? 肉体的にも、社会的にも」
「できるかぎりのことはします」
この問いには弥生が応える。心なしか、言葉に力は込められていなかった。