三一 喫茶店の出来事
時間にして二十分ほど、私は待たされた。
着替えるだけにしては遅すぎるな、と考えていたとき戸が開く。そこには、髪を後ろで束ね、コスモス色のワンピースを着た弥生がいた。制服姿は地味な印象を持っていたが、普段着姿の弥生は輝いていた。すれ違えば、どんな男でも視線を向けてしまうほどの魅力があった。
「お待たせしました。行きましょうか」
薄く化粧もしているようだ。控え目な色のルージュもひかれている。
私は途端、後ろ暗い気持ちにとらわれる。
むろん下心など持っていなかったが、若さを持て余す美しい十代の娘と一緒に歩くだけで、なにか後ろめたいような気がしてしまう。妻にも申し訳ないという感情をもった。
「塚下さん、早く行きましょう。馴染みの喫茶店があるので、そこでいいですか?」
私の返事も待たず、弥生は先立って歩き出す。
最近の女子高生には行きつけの喫茶店があるのか生意気な、とオヤジくさい感想を抱いている間に、その喫茶店に着いていた。
昔ながらの喫茶店だった。擦り切れた赤いソファーが並び、テーブルにはレースのカバーが掛けられている。定員十名ほどの、小さく古い店だった。
弥生はテーブル席のひとつに私を座らせる。年長者だからと奥へと促した。今時の女子高生にしては礼儀を知っているなと考えたと同時に、弥生が私の隣に座った。
テーブル席なのだから、当然向かい合って座るものだと考えていた私は、うろたえてしまう。
「なにしてるの?」
「これでいいんです。今にわかります」
弥生はそう言い切り、動こうとしなかった。
「いらっしゃい弥生ちゃん。学校どうしたのよ」
化粧の濃い中年女性が、水を運んでくる。おそらく常連客からはママと呼ばれているのだろう。実際に夜には、この店はスナックとして運営されているのかもしれない。
「見ない人ね」
「親戚のおじさんなんです。ちょっと相談に乗ってもらおうと思って」
弥生は平然と嘘をつく。私は余計なことは言わないでおこうと、黙っていた。
興味なさげに、ママは水を並べる。そのとき、手元が狂ったのか、コップの一つがテーブル上に転がった。盛大に水がテーブル上を流れ、私たちが座る向いの席へと落ちて行った。
「あらあら、ごめんなさいね」
私たちに水はかからなかった。ママは素早く布巾をとり、こぼれた水を拭き取る。
「あんた、また分かってたんでしょ」
ママの問いかけに、まあね、と弥生は答えた。水はソファーにまでは濡らしていなかった。
そこでようやく、弥生は私の向かいへと席を移った。