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三十 涙を止める方法

 寝たという実感がないまま朝食を食べ、私はいつものように家を出る。

 昨夜から顔色が悪い私を気遣い、今日は休んだら、と妻に言われた。

 駅のトイレで見た自分の顔は、確かに病人のものだった。

 私はホームで電車を待つ間、今朝も得意先に直行すると会社に電話を入れる。それは珍しいことではなかったため、電話を受けた早番の事務員も、疑う様子はない。

 その後私は電車に乗り、弥生が住むアパートへと向かっていた。彼女の話を全面的に信じたという覚えはない。それでも、自然と体があのアパートを目指していた。

 何一つ考えを持たぬまま、私は弥生の部屋の前にまで到着してしまった。朝の慌しい時間帯。住人たちは次々に職場や学校へと出ていく。呆然と立ちすくんでいる私を気に掛ける素振りはなかった。

 私は何をするつもりなのか。彼女と何を語るつもりなのか。

 そうやって逡巡している間に、弥生の部屋は内側から開いた。

「あっ!」

 制服姿の弥生はそう短く叫んだ。彼女も学校へ行かねばならない身だ。学校へ行こうと戸を開けた途端、青白い顔をしたおじさんに出くわせば、どんな胆の据わった女子高生でも驚くだろう。しかし、その後の弥生の反応は尋常ではなかった。

「……ありがとう、ありがとうございます」

 私はまだ何も言ってはいない。それなのに、彼女はその場にうずくまって泣きはじめた。さすがにこれは、周囲の目を引く。

「まだ、君に聞きたいことがあったのを思い出してね」

 聞きたいことが残っていることは事実だ。彼女の涙が止まるように、私は努めて優しく語りかけた。

「君の学校が終わったら、もう一度話を聞くよ。それくらいの時間的余裕はあるのかな」

「あります。余裕はありませんけど、一日二日の単位ではありません。でも、学校なんてもういいんです。そんなことより、本当に大切なことですから」

「しかし、平日にそんな恰好をしていたら補導されるよ」

「私の部屋で話しましょう」

「いや、昨日はつい入ってしまったけど、若い娘の一人暮らしの部屋には入りづらいよ。僕も世間体というやつが気になるしね」

「じゃあ、ちょっと待っててください」

 弥生は部屋に戻っていった。おそらく、着替えてくるつもりだろう。

 彼女の涙は、もう止まっていた。


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