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二八 命の重み

 全人類が絶滅するという未曽有の災害に対して、私が唯一の希望であると弥生は言う。

 自分が、この甲斐性なしのいちサラリーマンが、世界を救う姿が、どうしても想像できなかった。

「冗談はやめてくれ。馬鹿馬鹿し過ぎて話にならないよ。もう僕は帰る。二度とおかしな手紙を送ってこないでくれ。今度手紙が来たら、警察に通報するからね」

 私は口調こそ高圧的であったが、実際はその場から逃げだしたくてたまらなかった。

「聞いてください。時間が、もうないのです」

 涙を浮かべ、弥生は言った。

「本当なんです。本当に、あなただけが希望なの。あなたが動いてくれなければ、六十億人が死んでしまうんですよ」

 全人類の命の重みなど、思い描くことができない。

 私は立ち上がり、玄関まで向かった。そこで、弥生に背を向けたまま、ひとつだけ聞いておきたいことを尋ねる。

「君の予言は、必ず的中するんだろ? だったら、その未来は変えられないじゃないか。僕が希望だとか言うけど、何をしようと変えられないはずだ。君からもらった手紙も、僕はその予言から逃れようと試みた。でも結局、あの予言は全部当たってしまったよ」

「私は、二つのイメージを見ることがあります。世界の選択は必ずしも一つだけではありません。極稀に、二つの結末を見ることがあります。今回の世界の終りにも、もう一つ別の未来が私には見えました。あなたが協力してくれれば、悪い未来を変えることができそうなんです」

 顔は見えなかったが、弥生は泣いているのだと声で分かった。

「なんだか、都合の良い話にしか聞こえないよ」

 背を向けたまま、私は靴を履いた。

「時間がないんです。お願いです」

 弥生の泣き声を聞きながら、私はドアを開けて外へ出た。


 駅まで歩く途中、何人もの人々とすれ違う。

 既に酔いがまわった中年男性。これから出勤するのだろうと見られる厚化粧の女性。両親に手を握られ笑う子供。ゲームセンターの前で金髪の男にナンパされている女子高生。

 彼らが皆、死んでしまうのか。

 私は立ち止まり、天を仰いだ。

 星のない夜空が見える。その暗い空に、聡子と裕樹の顔が浮かんだ。

 愛する者も、そして自分自身も、死んでしまうのか。

 買い物袋を抱えて家路を急いでいるおばさんにぶつかられ、迷惑そうな顔をされた。

 あんたも死ぬのか。想像した途端、喉の奥から嗚咽が漏れる気配を感じた。

 奥歯を噛み締め、嗚咽に耐えるには、もうしばらく立ち竦む必要があった。


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