十二 野中という先輩
予言の手紙がなかったせいか、その日は月曜日であるにも関わらず、私は爽快な気分で仕事をこなす。そのおかげか比較的大きな受注を確保し、私は意気揚揚と事務所に戻ることができた。
「ヨコタ工業から受注したんだってな塚下、すごいじゃないか。課長が攻め続けても、いつも無視されてたのになあ」
会社では、先輩の野中が笑顔で出迎えてくれた。
「課長がまいた種を、僕が刈り取っただけですよ。金額も思ったほど大きくないですし」
「そんなことないって。部長も喜んでたぞ」
私は、この野中という先輩を苦手としていた。一年先に入社した先輩であり、年齢もほとんど変わらない。そのせいか、野中は入社以来、毎日親しげに私に近づいてきて、乞うてもいないのに仕事のやり方を教えてくれる。どこの職場にもいるであろう世話焼きであり、社内でも有難がる者と煙たがる者で評価は二分される。そして私はその後者に属していた。
「なあ、今日の成果を祝いに、久しぶりに飲みに行こうぜ」
業務日報を提出した私に、再び野中が近付いてきた。馴れ馴れしく、肩を組んでくる。
野中は酒好きだ。月曜日だろうとなんだろうと、何かの理由をつけて同年代の連中を酒に誘う。今日は私の成果がそのネタにされているようだ。
「今日はやめときます。月曜日ですし、たまには早く帰って、息子と遊んでやりたいんで」
「そうか。残念だな」
思いのほか、野中はあっさりと身を引いた。普段ならば、先輩という立場にものを言わせ、強引に居酒屋へと連れてゆくような男だった。
野中は独身で、時間を持て余している。
私も若いときは、週に二三日は野中と酒を飲んでいた気がするが、結婚し子供も生まれると、先立つものも乏しく、外で飲む機会は減っていた。野中のような独身貴族とは、同じペースで飲み歩くこともつらいのだ。
「すみません、お先です」
私は普段より二時間は早く、会社を出ることができた。
最寄りの地下鉄の駅につき、妻に帰宅時間を連絡しようとしたそのときだった。私が発信ボタンを押すよりも早く、着信音が鳴った。
発信元は、野中だった。
出ることに私は躊躇する。どうせまた、しつこく酒に誘うつもりなのだろう。だが、折悪く私はマナーモードの設定を忘れていた。得意先からの連絡を確実に受けることができるように、私の携帯の着信音は大きく設定されている。仕事が終わった時点でいつもマナーモードに設定するのだが、今日は大きな仕事をしたことで浮かれていた為か、それを忘れていた。大きな着信音のせいで、周囲の冷たい視線を浴びてしまった私は、野中の電話にすぐ出ることになった。
「おつかれさまです、塚下です」
「ああ、すまん。やっぱり今日、おまえと飲みに行きたくてさ」
案の定、酒の誘いだった。しつこい男だ。
「すみません。もう妻に今から帰るって電話しちゃったんですよ。また今度誘ってくださ……」
「手紙の話がしたいんだよ」
私の回答に被せて、野中は言った。『手紙の話』と、確かに野中はそう言った。
「あの、なんですって? 手紙って、なんのことですか?」
私は慌てて聞き直す。
「わかってるだろ。手紙は手紙だよ。じゃあ、いつもの店で待ってるからな」
電話は一方的に切断された。