約束
いつも悔しかった。
いつも嫌だった。
何をしても、いくら頑張っても、あいつに勝てないことが。
努力したのに、どうして勝てないの。
……でも、知っているのだ。
あいつが毎日、部活も勉強も習い事も一生懸命にやっていることを。
だから、私が一番嫌なのは……何よりも、他人の努力を認められない、独善的な自分自身だった。
「どうして勝てないの……!」
勉強→負けた。
体力→負けた。
家族(の仲)→負けた。
「あのさ、勉強とかはともかく、体力って……あんたは女で、あいつは男なんだから仕方ないんじゃないの?」
「……私は、男女の差っていうのがすごく嫌いなの。女なんだからこうしろ、女だからこれが出来ない……そう言われるのも思われるのも絶対に嫌。誰とでも対等でありたいの」
「そうはいってもねぇ……」
友人Aは大きく溜め息をつく。
私が考えを口にすると、誰もが頭を抱え、誰もが友人Aのように溜め息をつくが、私は自分に正直でありたいだけだ。
嘘はつきたくない。
「はいはい、いつものお説教タイムはあとでね。チャイム鳴るから」
「まったく……あんた、あまりそういうこと大っぴらに言うんじゃないわよ?」
真剣な眼差しで見つめてくる大きな瞳。
私が孤立するのを心配しているのだろう。
だがしかし。
「私がそう言われてできるタイプに見える?」
「見えない」
即答してくるあたり、そこに関して友人Aは辛辣だった。
自分のクラスに辿り着いたところで、いかにも委員長といった風貌のクラスメイトが話しかけてくる。
「おはよう。今日は以前に行われたテストの個表が返却されるらしいわよ」
「そうなの、教えてくれてありがとう」
「それと、関係ないけれど。あなたが目の敵にしている彼、転校するらしいわよ、家庭の事情か何かで。知っていたかしら?」
一瞬、心に雷鳴が轟いた。
何も無い、せいせいするはずだ。
なのになぜ、こんなにもざわめいているのだろうか。
「知らなかったわ、ありがとう」
胸が締め付けられて、それだけ返すのがやっとだった。
「テストの個表を返却します。番号順に取りに来なさい」
気がついたらテスト個表返却の時間になっていた。
前方に見える大嫌いなはずの背中を見つめていたせいだ。
おかげで授業の内容がまったくもって頭の中に入っていない。
まあ自業自得なのだけれど。
そんなことを思っているうちに、返却の順序が巡ってきた。
努力した結果の順位は、またも2位だった。
「うぉ!?すげぇ、お前満点じゃんか」
不意にそんな声がクラスに響き渡った。
声が投げかけられた方向を見ると、やはりあいつがいた。
「まあ、努力はしているからな」
低い声がよく通る。
努力なんて、誰だってしている。
やはり私は、あいつのことが嫌いだ。
「えー、全員に個表が渡ったところで、とても残念なお知らせがあります。どうぞ」
教師があいつに話のバトンを渡す。
「はい。皆さん、俺は今日を以て転校します。短い間でしたが、ありがとうございました」
私は、立ち上がって、凛とした姿勢でそう話したあいつを、ただ呆然と見ていることしかできなかった。
きらい。きらいだ。
……そうだ、せっかく最後ならばこの気持ちを伝えようか。
「なあ」
低くよく通る声が私を呼ぶ。
「……なに?」
「最後だから、話しておこうと思って」
なんなのだ、いきなり。
最後だからといって、嫌がらせでもするつもりか。
それか、自分もお前が嫌いだ、とでも告げるつもりだろうか。
「何を」
「お前、中学に入ったあたりから話してくれなくなっただろ。俺はその理由をずっと考えていたんだ」
「そう、それで?」
「……小六のあれだよな。俺はあの時初めて満点を取って、喜んでた。お前も満点だったよな。」
蓋をしていた記憶が、呼び覚まされていく。
「……そんなこともあったかしらね」
「俺は両親に褒められて、嬉しくて、それをお前にも報告したんだ。そしたらお前は引きつった顔でまたねって言って、その場から走り去った。それから、だよな。話してくれなくなったの」
「だったら……何」
やめて、これ以上言わないで。
「あとから聞いた話だけど、お前の家ーーー……」
「もう、やめてよ!なんなのよ、何が目的なの!?」
「俺は、お前と、仲直りがしたいだけだ」
真っ直ぐに見つめてくる瞳。
まるでブラックホールのように、吸い込まれそうになる。
駄目だ、私はーーー……もう嘘はつけない。
「……そうよ、私の家庭は崩壊してる。それでも、あの頃は信じてた。満点取れば褒めてもらえるって。頑張れば褒めてもらえるって。でもあの時、一生懸命にやって、ようやっと満点を取ったのに……褒めてもらえないばかりか怒られた。それも理不尽に。そんな時に、君の話を聞いて……羨ましかったの……」
「……ん」
あぁ、聞いてくれている。
こんなにも長くて、こんなにも重い私の話を。
「君のせいじゃないのに……ずっと敵視しちゃって、ごめんね……ごめん……」
いつも悔しかった。
いつも嫌だった。
でも、本当に嫌いなのは自分自身だ。
相手の頑張りを素直に受け止められなくて、子供のように癇癪を起こす私。
なんて醜い感情。なんて醜い私。
「……べつにいいんだよ。俺は今ここでお前と話せてるだけで、幸せだからな」
「……こんな私と話してて?ずっと嫌なことばかり言ってきたのに?」
「それもお前だからな!」
何も解決なんてしていないのに、その言葉だけで、少し救われた気がした。
ふと見ると、注ぐ光に照らされて、きらきら眩しいあいつの笑顔。
見ていることができなくて、そっと目を逸らした。
「……もうこんな時間かぁ。じゃあ……ばいばい」
「バイバイ、じゃねぇよ。またね、だろ。」
またね。
それは、果たされなかったちいさな約束。
「……またね」
「次会うときは、前みたいな友達だからな」
「……うん」
そして願う。
今度こそは約束が果たされますようにと。
彼の行く先に、自分のようなひねくれ者がいませんように、と。