第44話 心の幻影
「…………」
俺は、数歩後方へ退がる。
戦略的な後退ではない。まるで、逃げる様な動きだった。
魔力を全て【暴食王】に喰われて、意識を失ったヴィルヘルムが地面に倒れる。
「ありがとう。凍夜を救おうとしてくれて」
ヴィルヘルムに向けられた眼差しは、俺にはない熱と優しさがあった。
俺の目は、嘗ての勇者に釘付けになっている。
「……」
これは、幻覚じゃない。
俺の鋭過ぎる魔力感知能力が、そう告げる。それと同時に、目の前の存在が、俺の姿を偽った偽物や瓜二つの人間でない事も理解する。
魔力とは血液のようなもので、他人と性質が似る事があっても完全に同じ魔力は絶対に存在しない。それは、血の繋がる両親、兄弟、姉妹であっても、その全てに言える事だ。
……そう、全く同じ魔力を持つなんてありえない。それなのに、目の前に立つ青年は全く俺と同じ魔力を持っている。
ありえない。
『…………もう、分かっているだろ?』
静かな、声が届く。
「……っ、誰なんだ、お前は!?」
どうして、こんなにも心がざわつくんだ!
俺にとって世界は、氷の壁の向こう側の様なものだった。
自分とは、生きている世界が違う。俺は理解される事はないし、理解される事も望んではいなかった。それなのに、目の前の嘗ての勇者の声を聞いただけで、氷の壁に亀裂が走る。
嘗ての勇者の優しくも熱い意志が、太陽の様に俺を照らす。
『それこそ、もうとっくの昔に気付いているだろ?』
「何を…」
その時、再度あの上位者からの干渉を受ける。
『何故、従う?』
「だ、まれ!俺は、この世界に全てを奪われた!だから、俺は全てに復讐する!!」
『……確かに。俺達は、多くの物をこの世界で失った。でも、それ以上にたくさんの物を仲間達が、世界が与えてくれた』
仲間…………。
『俺達とって、それは掛け替えのない過去じゃないのか?』
「だが、奴等は俺を裏切った!」
苦しい。どうしてだ?どうして、こんなにも胸が苦しい……?
呼吸が苦しい。声が上手く発声できない。
手から聖剣が滑り落ち、地面に突き刺さるより早く光の粒子となり虚空へと消えて行く。
『俺達は、何故裏切られた?俺達は、それを知ろうとしたか?』
「っ!?」
心臓が一瞬「ドクンッ」と強く拍動した。存在を示すかのように脈動を続ける。先程まで、怒りや憎しみ以外、何も感じなかった筈なのに、今はそれ以上に苦しい。
『どうして俺達は、3年前に仲間達と戦う必要があった?』
「……」
声が出ない。
「…………」
いや、分からない。
どうして、よりにもよってあの瞬間に俺を裏切ったんだ?
あの時、俺は多種族の王達と同盟を結んだ。
だが、世界は未だに平和とは言えなかった。
力を持つ魔王、暗躍する人間の王達、爪を研ぎ隙を狙う獣王。息を潜めて、情勢を傍観する種族の王達や強者達。
ほんの少しの反動で、容易く均衡が崩れてしまう程に張り詰めた世界で、どうしてわざわざ危険を犯して俺と戦ったんだ……。
『俺達は、結局何も知らなかった。世界の事も、自分の事も、いつも側にいてくれた筈の仲間達の事も……』
俺に向けられていた嘗ての勇者の視線は、まるで嘗ての記憶を垣間見るように空へと向けられた。その姿は、何故か、とても悲しそうに見えた。
『……思い出せ、凍夜。あの時の仲間達からの言葉を』
《ーーーー記憶が強制的に解放されました。》
頭に走り抜ける痛み。それと同時に広がる3年前、俺が最後に立った戦場の光景が目の前に広がる。
異世界送還の魔法陣の中で、剣で斬られ、骨を折られ、魔力を使い切った俺の前に立つ3人の姿。
神官服に似た魔法衣を纏う人間の少女、白い騎士鎧を纏い左右の手に剣と盾を持つ人間の少女、紅い竜の様な鱗を持ち手に大きな斧槍を持つ竜人の男性。それぞれが悲痛な瞳で俺を見る。
何か言っているが、声が聞き取れない。
無意識の内に、3人へ手を伸ばす。
その時、声が聞こえた。
「「「どうか、幸せに」」」
「!!?」
ーーーードクンッ!
強く、強く心臓が鳴り出す。
記憶の回想から目覚めても、心臓は鳴り止まない。
あの目を、俺は知っていた。
俺は、何度もあの目を人に向けていたのに……。
自分の死の間際であっても、護りたい誰か、大切な誰かが、無事であった事への安堵。奪われ、追われ、それでも尚、仲間の幸せと希望を願う者の目だ。
『俺達は、何も知らなかったな』
「…………ぁぁ」
『仲間達の葛藤も、俺達自身の未熟さも……』
「……ああ」
いつの間にか、自分の身体から離れている様な不快感が消えていた。
『なら、どうする?』
そんな事は、決まっている。
「真実を確かめる」
『やっと俺らしくなったな』
嘗ての勇者は、笑っていた。まるで、血の繋がった兄と喧嘩をして、叱られて、互いを理解出来た後の様な不思議な気分だ。
偶には悪くない。
だが、体が元に戻ったおかげで、俺の知らない上位者と繋がっている様な感覚を感じる。
このままだと、またいつ干渉を受けるか分からない。
『安心しろ。彼女達が、力を貸してくれている』
《上位者、【法神】テルミュース、【医神】アスクレティア、【神獣】による精神、及び上位者????との繋がりに干渉を確認。》
その瞬間、体が楽になり、上位者との繋がりも弱まった。
やってくれるな、あいつら……本当にいざという時に頼りになる。
《『真・魔力支配』の覚醒レベルの上昇を確認しました。更に、『全能なる魔導師』の介入を受け、一時的に封印の解放が可能となりました。》
『全能なる魔導師』。
俺が、異世界に来た直後から取得していた極限スキル。未だ謎が多く、俺自身も知らない事だらけの力だ。
だが、俺が嘗て〈神導の勇者〉の2つ名を与えられたのは、この神の気まぐれとも言える極限スキルが持つ封印解放時の魔法に由来している。
『凍夜。俺達を縛る物は、もう何も存在しない』
俺は迷わず、極限スキルを解放した。
「我は異界より導かれ 神に繋がれし者
我に運命はなく 傀儡に繋がれた真の愚者
故に意思を失い 希望もなく昏き道を歩んだ」
俺の望みと心が詠唱となり紡がれる。
「昏き道の中 数多の光に出会った
光は集い 傀儡に数多の心を与えた
光は揺るがぬ意志へ 光は挫けぬ意思へ
傀儡は人となり 神の呪縛を断ち斬る
〝神縛絶つ運命の解放者〟」
魔法の完成と共に、天と地に魔法陣が展開され、虹色の淡い光を放つ。
優しい温もりの中に、確かな強さを持った光は、大地より湧き立ち、天より降り注ぐ。
『傀儡が、今更自由になりどうする?』
「今度こそ、世界を知る。一方的な先入観や呪いのような使命を捨て、俺は生きる!」
俺の覚悟を聞き届けたように、虹色の光が天へと登り、上位者との繋がりが完全に断ち斬った。
「俺はもう、縛られない。それが、世界や神であってもな」
俺は、今も俺を見ているかもしれない神々に向かい笑みを浮かべた。