第31話 忌まわしき森の女王
陽光は高く昇り、空は澄み渡っている。
これから魔物と人が、醜い争いを繰り広げるとは思えないほどに天気が良い。雲も少なく、午後になり日差しが少し強くなって来たが、木陰に入れば対して気にもならない程だ。
だが、時々風に乗ってやって来る樹液や熟れた果物のような甘い臭いは、どうも好きになれない。
そうこうしている間に、調査村付近の森から火球が空に向かって放たれた。その瞬間、魔物の糸で無理矢理閉ざされていた調査村の木製の門が爆発で砕ける。
「……爆裂魔法か」
どうやら誰かが、爆裂魔法を使用したようだ。そして、門の破壊を合図に、戦闘部隊の冒険者達が村に攻め込んで行く。
俺は、拠点が置かれている小高い丘の上から戦場を眺める。
幸い距離もそこまで離れていない為、目に〝身体強化〟を施せば苦労せずに戦場を見る事が出来た。
「始まったか」
俺の横で、腕を組みながら仁王立ちをしているヴィルヘルムの耳がピクピクと動いている。
リツェアも目に〝身体強化〟をかけ、戦場を見ているようだが、目から異常な威圧感が出ていた。
「何やってんのよ!そんな蟲早く倒して……もー!本当に蟲って気持ち悪い!うっ、胴体斬られてるのに、あの百足動いてる……キモ」
流石に、ここでその反応は少し引いてしまう。
周りを見れば、他の冒険者達までリツェアから距離を開けている。
その時、メデルが声をかけて来た。
「主、村の住人の皆さんは大丈夫でしょうか?」
まるで、天使のような愛らしいメデルに周囲にいた冒険者達は揃って破顔する。
「村には、まだ住人の半数以上が取り残されているとの事ですが……」
ここで英雄や勇者、そうでなくても、『きっと大丈夫だ』『冒険者達に任せろ』『俺達が救ってみせる』といった何の根拠もない事を言って、安心させるのだろうが、そんな事をしても現実は変わらない。
「殆ど死んでるだろうな」
「そんな……」
悲しそうな表情になったメデル。
周りの冒険者達からも非難の視線が向けられる。少し離れているが、バルザックからの視線も感じた。
だが、俺達の話を純粋な興味から耳を傾けている連中もいる。バルザックの場合は、唯俺の事を監視しているだけかもしれない。
「メデル、もし村を襲ったのがオークなどの亜人種だったら、少なくとも女は生かされている。理由は分かるな?」
一瞬、表情を顰めたメデルだったが、しっかりと頷いた。
「他種族で繁殖する為出すね」
「そうだ。しかし、今回村を襲ったのは蟲系の魔物だ。おそらく目的は、食料か巣を作る事だろう」
「食料と巣を手に入れる為……」
俺達の会話を聞いていた若手の冒険者達数名が、顔色が悪くしている。
「でも、普通食べるなら質を保つ為に、生かしておくんじゃないですか?」
「その可能性もあるが、蟻や雀蜂はどうやって食料を保管するか知ってるか?」
「確か…」
「蟻は、集団で獲物の肉を食いちぎり巣へと運び、雀蜂は獲物の肉をミンチ状にしてから丸めて巣へと持ち帰る、だろ」
ヴィルヘルムの言葉に頷く。
その時、「おぇ」と言う音が聞こえ、ヴィルヘルムが顔を顰める。視線を向けるまでもなく、誰かが吐いたのだろう。
確かに想像するだけで気持ち悪いが、軟弱だ。
「まぁ、メデルの言う通り飼われている可能性もあるが、俺の言った可能性もあるから覚悟はしておくようにな」
「はい」
メデルは自分の中で感情や情報を整理し理解した上で、しっかりと返答した。
これくらいで吐く冒険者と比べれば、よっぽどメデルの方が精神的に強い。
メデルとの会話を終え、再度門の方に視線を向ければどうやら苦戦している様だ。
だが、何故人間同士で戦っているんだ?それに、相手は村の住人か?
しかも、単に人同士が戦っているのではない。冒険者を襲う人々は、錯乱した様に武器を振るっている。
「……?」
時間をかけて冒険者を襲う人々を観察していると、体の何処かに30〜50cm程度の長さの蛇の様な生物が絡み付いているのが見えた。
バルザックは、焦って報告を行う冒険者と共に前線の様子を見ている。
「人間同士の戦闘だと!?もしや、幻覚や魅力のスキルを持つ魔物、それとも精神作用のスキルか?」
「ギルドマスター。良く見て下さい」
状況が悪化する前に、バルザックに人々が襲いかかって来る原因を伝える。
「襲いかかって来る人々には、体の部位の何処かに細長い蛇の様な魔物が噛み付いています」
「……確かに、あれは毒蛭か」
地球の蛭の多くは、水中や水辺の周辺に生息しているが、この世界では陸地の魔物に寄生する生物も多い。
「流石、ギルドマスターですね」
「煽てるな。確か、毒蛭は吸血と同時に毒を相手の体に注入する。しかも、吸血されている者は、蛭の麻酔効果のある唾液の所為で痛みを感じない」
「しかも、毒蛭の毒は生息地などでその毒性に違いがあります。あれは、おそらく幻覚を見せる類の毒だと思います」
襲って来る敵が人では、流石の冒険者も手が出ない。
「蛭を人体から剥がすには、火で炙るや大量の塩をかけるのが有効だったかと。可能でしたら、光属性の浄化系魔法が最も有効ですね」
バルザックは、警戒心を目に宿したまま俺を見つめる。
「……貴重な情報感謝する」
「どう致しまして」
俺から視線を外したバルザックは、後方支援部隊として残っていた数少ないベテラン冒険者達を呼び集めた。そして、すぐに若手を含めた支援部隊を編成し戦闘部隊へと送る。
その手際は、俺の思っていた以上にスムーズでバルザックの評価を少し改める必要があると感じる程だった。
だが、バルザック達冒険者はこの時点で良く考えるべきだった。
奇襲をかけたにしては、敵の被害が少な過ぎる。それに、毒蛭の魔物に襲わせた人間を前線に配置しての時間稼ぎとも見える戦い方は、明らかに不自然だ。
ここで1つの仮説が成り立つ。
もし、そうもし、敵は、俺達が奇襲を仕掛ける事を知っていたと仮定しよう。
すると、此処までに感じたいくつかの疑問が解決する。
まず、占領した村に止まる理由だが、食料の保管庫、つまり巣を作っている可能性が最も高い。だったら、何故周囲の守りがこんなにも薄いんだ。
実際、門をあんな簡単に破壊出来たのは不自然の様に思える。それに、巣を破壊されたのにも関わらず、魔物の動きが緩慢だ。
いや、寧ろ、冒険者を誘い込んでいる様にも見える。
「……誘い込んでいるのか?」
冒険者の戦い方を真似た隊列に、自分にはない特性を持った魔物との共闘。
前線で繰り広げられる戦いは、まるで人間同士の様に策をぶつけ合っている様にも見える。そして、最悪な結果を想定すれば、敵は俺達の作戦を見抜いているのかもしれない。
「……それとも、挟み撃ちか」
今回の冒険者側の様に、部隊を分ける事は、戦力が分散して部隊ごとの戦力が落ちてしまうデメリットがある。
幾ら、冒険者が一騎当千だとしても、不利な環境と自分達を遥かに上回る魔物を相手にすれば敗北は濃厚だ。
「雪、どうした?」
「相手が魔物だと油断していたのは、人の方だったのかもな……」
「?」
「主。よろしかったら、そのお考えを教えて頂いても宜しいですか?」
俺は、メデル達へ簡単に戦況が相手の予想通りに動いている可能性がある、と説明した。
だが、ヴィルヘルム達も流石に直ぐには納得出来ないようだ。俺だって、もしもの過程をしただけだ。
すると、そこにバルザックが近付いて来た。
元々、隠す気もなかったが、話を聞いていた様だ。バルザック以外の冒険者達ですら、俺へ視線を向けている。
「君の考えは、あまりに突拍子もないな」
物腰は穏やかだが、言葉の端々に棘を感じる。
「今回の作戦は、完全な奇襲だ。事前に、察知されている可能性は低い」
「そうですか?敵には、冒険者を良く知る情報源があるんですよ」
「情報源、だと?」
あり得ない、とバルザックの目が訴えている。
「冒険者ですよ」
俺の言葉に、その場で俺とバルザックの話を聞いていた冒険者達が目を見開く。その内側にあるのは、否定の感情だ。
だが、実際にあの調査村には複数の冒険者パーティーがいた事は、ここにいる全員が知っている。
「同じ冒険者が、俺達を売ったと言いたいのか?」
そんな事はあり得ない、と言うバルザックに俺は思わず嗤ってしまった。
「敵がどんな能力を持っているか分からない現状で、何故そう言えるんですか?」
「ぐぅ……」
「この世界には、金級やミスリル級程度の冒険者なら簡単に口を割らせる魔法やスキルがあります。それに、蟲系の魔物だから言葉や意思が通じない訳ではない。元アダマンタイト級冒険者のギルドマスターなら、知っていますよね?」
俺は、距離が離れているバルザックとの距離を歩いて詰める。
バルザックの表情が、先程から険しくなっていた。
「それに、人は自分が思っている以上に弱く脆い。絶対に話さない、そんな確信はありませんよ」
「仲間を信じられないのか?」
後方支援部隊の誰かが呟いた言葉は、一瞬の静寂の間に全員の耳に届いた。
「仲間を信じる……お前は、冒険者ってだけで無条件で相手を信用出来るのか?」
呟いた冒険者に向けて問いかければ、応えられず周りの冒険者達へ視線を向ける。
だが、誰1人として、彼の言った言葉に頷く物はいなかった。
おそらく、ここにいる冒険者達は俺の言った言葉をあり得ない、と思いながらも信じると言った彼自身否定出来ないのだ。
俺は、溜め息を吐きながらバルザックに視線を戻す。
「何故、君にはそこまで分かる?」
「……単なる予測です。確信がある訳ではありません」
その時、2発の火球が空に上がった。それは、俺の予測が確信へと近付く合図でもある。
あの方向は、遊撃部隊が向かった方角だ。
「どうやら、君の言った通りなのかもしれない」
そう言ったバルザックの表情は険しい。何故なら、空に2発の火球は事前に決めていた緊急事態を知らせる合図だ。それも、作戦に支障が出るレベルの緊急事態の際の合図となっている。
直ぐに増援を送ろうと考えるバルザックだったが、何分距離が開いており敵の正体も分からない。
判断に悩んでいると、更に3発の火球が空に放たれる。
これは、確か救難信号だ。
「……行ってくれるか?」
「良いんですか?」
「君達の実力は、確かだからな」
バルザックからしてみれば、俺が目の届かない所に行くのは避けたかった筈だ。
だが、仲間を護る為の手札として、出し惜しみはしていられない、と判断したのだろう。
「分かりました」
俺は、バルザックに背を向けヴィルヘルム達の元に戻る。
「いつでも行けるぞ」
「私も大丈夫です」
「はぁー、結局戦うのね」
「無理して来なくても良いぞ?」
「雪が行くなら、私も行くわよ!」
3人ともやる気は充分のようだ。
俺は、魔力を練り上げ、拠点の地面に魔法陣を創り上げる。
「召喚魔法〝グリフォン〟」
詠唱と同時に現れた魔法陣が光を発し、光がおさまれば、そこに2匹の魔物が悠然と立ち俺を見つめていた。
グリフォン。
天と地を駆けるAランクモンスターだ。鷲の上半身と翼、獅子の下半身を持つ上位の魔物。性格は見た目とは裏腹に穏やかで、歳を重ね知識を得た者は人語を喋り魔法も自在に操る。
ランクも群れの長となれば、英雄級の力を持つ者のみが相対できるSランクにすら到達すると言われている。そして、その堂々とした佇まいから、昔から王の象徴とされて来た。
「ひ、ひぃいぃ!グリフォン!?」
「何で、Aランクモンスターが!?」
「落ち着け!」
場が混乱に包まれそうになった瞬間、バルザックの一声で場が静まる。
「……どうやら、任せて問題ないようだな」
俺は、屈んでくれたグリフォンに飛び乗り、バルザックに視線を向ける。
「全力は尽くします」
それだけ言い残すと、グリフォン達に合図を出す。それを受けたグリフォンは、獅子の下半身を動かし走り出す。それに合わせて数回翼を羽ばたかせるだけで、魔法のようにその巨体を空へと浮き上がらせた。




