第27話 忌まわしき森の女王
雪の立ち去った後の冒険者ギルドの2階には、金級冒険者の俺、ギルドマスターのバルザック、副ギルドマスターの女の3人が残された。
肌を刺すようなピリピリとした緊張感の中、1階からの騒々しい冒険者達の声を耳に捉えながら、目の前に立つバルザックを睨みつける。それは、冒険者が上位者であるギルドマスターに向ける物ではない。腐れ縁の友人に対し、失態を責める様な視線だ。
バルザックは、俺からの視線から目を逸らす。
「……どういうつもりだ?」
俺はこれでも数多くいる冒険者の中で、古参やベテランと呼ばれる類の冒険者だ。
勿論、バルザックの事も昔から知ってるし、一緒に依頼を受けた事もある。
「何がだ?」
「惚けんじゃねぇよ。俺の目を誤魔化せると思ってんのか?」
さっきのバルザックが雪に向けていた目は、仲間に向けて良い物じゃねぇ。
明らかな、敵意を含んだ疑心を孕む目だ。
「……」
「何で、雪を敵視してやがる?何を疑っている?あいつが、一体何をした!?」
「……お前は、考え過ぎだ」
逸らされたままの視線に気付いている俺は、溜め息を吐いた。
嘘付くのが下手糞なのは、ギルマスになっても治らねぇみてぇだ。
「下手な嘘をつくんじゃねぇ」
目に魔力を宿し、バルザックを睨み付ける。バルザックの一挙一動を逃さねぇように、俺は視線を外さない。
「……いつの間にか、魔力操作の腕を上げたようだな」
「話を逸らすな」
次は、バルザックが大袈裟な溜め息を吐く。
再度バルザックは俺に視線を向けるが、なかなか踏ん切りがつかず、少し開けた口を閉ざす動作を2回繰り返す。
何やってんだ、じれってぇな。
「良いのではないですか?」
発せられた声の主は、バルザックの斜め後ろに立っていた。その姿は、年を重ねる毎に、美に磨きをかけた様な女だ。
僅かに赤みがかった紫色の髪と大きな瞳。纏っている仕事用のドレスの下から押し上げる双丘が、彼女の放つ妖艶さを際立たせている。
彼女は、前ギルドマスターの代からヴァーデン王国冒険者支部の副ギルドマスターの役職に就く有能な人物だ。
確か、名前は、ミラ・カールス。冒険者としての実力ではなく、秘書として優秀だった事で、先代のギルドマスターがスカウトした人材だ。
そんな女性に、道を歩けば自然と人が避け、町娘に声をかければ悲鳴を上げられ、泣いている子供を慰めようとして、寧ろ大泣きされそうな強面の俺とバルザックの視線が集まる。
「ギルドマスターが、カシムさんを信頼出来る人物だと判断するのであれば、話すべきだと思います」
「……」
「現状、我々は追い詰められています。ですので、少しでもこの国の危機を知り、協力してくれる者が必要なのではないですか?」
俺は、ミラの言葉の意味が何1つ理解出来なかったが、バルザックは覚悟は決めたようだ。
「そうだな。……カシム、これから言う事は他言無用だ」
バルザックの放つ異様な気配に、俺は黙って頷いた。
「落ち着いて聞いて欲しい。実は、このヴァーデン王国に魔王が入り込んでいる」
「あぁ?冗談、じゃなさそうだな」
バルザックは頷き、言葉を再開する。
「厳密に言えば、魔王の部下が侵入している。魔王本人が侵入しているかは、不明だ」
「侵入してるって、何処にだ?」
「城にだ」
俺は、ゆっくりとバルザックの言葉を理解しようと頭を働かせる。情報を1つ1つ整理し、現状と現実を理解し受け止める事に努める。
「つまり、国の頭は既に魔王の掌の上って事か?」
「そうだ。そして、現状魔王クラスに対抗できる組織は、冒険者ギルドと治癒師ギルドの2つだけだ」
「だが、なんで魔王の部下が城にいるって分かったんだ?」
「陛下が、命がけで先代のギルドマスターに伝えてくれたからだ」
俺は、何となくではあるが現状が理解出来た。
現在、ヴァーデン王国には魔王又は、その部下が侵入しており、王城と王は既に敵の手の中にある。そして、敵に対抗出来る可能性があるのは、冒険者ギルドと治癒師ギルドの2つの組織だけ。
だが、厳密に何処まで魔王の部下が侵入しているか分からない為に、仲間と協力者を増やす事も困難だと言う事だろ。
話の重大さは俺でも納得できる。
だが、納得が出来ない。
「その魔王と雪、一体何の関係がある?」
「タイミングが良すぎる、とは思わないか?」
「ああ?」
「俺達は今、魔王に対抗出来るだけの力を欲している。そこに現れた経歴不明の旅人。しかも、1人ではなく4人だ。これ程に、良く出来た事があるか?」
確かにタイミングが良すぎる、と俺も思う。
「俺は、雪達が冒険者ギルドの動きを監視する為に送られて来た、刺客だと考えている」
バルザックの言葉に、俺は怒りにより顔を顰め奥歯を噛み締める。
「バルザック……。だったら何で、雪達を今回の作戦に呼んだ!」
「奴等が魔王の手先なら、必ず動く筈だ。そこで、情報を吐かせ殺す」
ここでバルザックの言葉は止まらない。
「だが、雪と名乗っているあの男は危険だ。理由は良く分からないが、あの男からは死の気配がする」
バルザックは、「それに」と言葉を続ける。
「雪と言う男は、まるで他人を信用せず、氷のような人間らしいな。先程会ったが、噂は事実のようだ。いくら戦士として優秀でも、人として未熟なら魔王につけ込まれ、傀儡とされてもっ…」
俺は、咄嗟にバルザックの胸倉を掴み上げていた。呼吸は急激な怒りの為に乱れ、目は視線だけで相手を怯えさせるほどに鋭くなり、無意識に〝威圧〟まで放っている。
「良い加減、その口を閉じやがれ!」
俺は、いつものバルザックらしくない言動に少しだけ困惑する。
「く、良く考えろ。何故、今になってあれほどの実力者が現れる?少なくともミスリル級の実力者が、今まで何故無名だったんだ!?」
俺もそんな事、ずっと前から気付いていた。だからこそ、バルザックの雪を疑う気持ちも理解出来てしまう。
だが、雪達と共に過ごした時間がそれを否定する。
辛く、厳しく、苦しい日々だった。そう辛く、厳しく、苦しい日々だったよ、畜生。
実現不可能な事は重々承知した上で、『いつかぶん殴る』『いつか泣かせてやる』『ぜってぇ許さねぇ』『今に見てやがれっ』と思った事や叫んだ回数は、両手足の指じゃ全く足りねぇ。
だが、そんな日々の端々に、雪達の優しさが確かにあった。本気で怒り、心配し、励まし、導いてくれた。
「あいつらは、そんな連中じゃねぇよ」
今の俺なら、はっきりと断言出来る。
「どうして、そこまで信用出来る?」
バルザックの問いに、俺は胸倉を掴んでいた手を離し暫し考える。
俺に、過去と向き合うきっかけをくれたからか。
嘗ての後悔から贖罪の為に、いやその罪から逃げる為に冒険者を続けていた俺は、雪と出会い変わった。
俺は、いつの間にか新人冒険者を己の罪の証だと思い込んでいた。
きっと俺は、罪の形を目の前のサティア達に置き換える事で、そいつらを一人前にすれば何れは罪を償える……いや、自分を許せると思ってたんだろうな。
だが、それが間違っている事は雪達と出会う前から気付いていた。それでも、俺はそれに向き合う事が出来なかった。
雪にズタボロにされて、過去を抉られて、否定されて、側であいつの姿を見てたら何となくだが、分かっちまった。
雪にも人に言えない過去がある。そして、あいつは必死に辛い過去と向き合って苦しんでいた。
俺とは違う。
たった1人で、逃げず、誤魔化す事なく過去と向き合おうとする雪の姿に、俺は無意識の内に憧れた。だから、俺はあいつを信じられるのか?
……いや、少し違うな。きっと、もっと単純な理由だ。
俺は、純粋な子供のような笑みをバルザックに見せる。
一瞬困惑した表情を見せるバルザックだったが、大人しく俺の言葉を待つ。
「あいつは、俺の憧れなんだ。そんな奴が、魔王の手先な筈がねぇよ」
あまりにも単純で、子供のような理由にバルザックとミラは面食らった表情になる。
そりゃそうだ。唯の勘だ、と言われているのと変わらないからな。
それが可笑しくて笑いだしそうだったが、ギリギリの所で笑いを噛み殺す。
「え…と、それだけの理由ですか?」
ミラの問いに、偶に雪が言っていた言葉が思い浮かんだ。
「後は、俺の勘だよ」
結局その後も俺とバルザックは問答を繰り返したが、2人の考えが変える事は出来なかった。
俺は、軽く舌打ちしながら階段を降り、椅子に座り何やら楽しそうに笑うサティア達の元に向かう。
すると、ミルが俺が近付くなり、突き出した拳の親指を上向きに立てた不思議なポーズを決めて来た。
確か、雪が相手を褒める時のポーズだとミルに教えていたな。
横に視線を滑らせれば、サティアも少し恥ずかしそうに、同じポーズを取っていた。
「何だよ」
「カシム、良く言った」
「カシムさんは、流石ですねぇ。でも、気持ちは分かりますよぉ」
意味が分からず首を傾げていると、ミルとサティアが悪戯を成功させた時の晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「私も雪さんに、憧れていますぅ」
「あっ!お、ミル、やりやがったな!?」
「ん、〝噂の風運び〟使った」
やっぱりか!精霊魔法〝噂の風運び〟は遠くの音を聞くことが出来る特殊な魔法だ。しかも、精霊魔法〝共風〟と組み合わせれば、周囲の人間も同じ音を聞く事が出来る。
「……ぁあ!」
て事は、ま・さ・か・な。
俺の背中に嫌な汗が流れ、おそらく表情も若干引き攣ってるかもしれない。
「さっきまで、皆で聞いていましたぁ」
「ん、雪。気持ち悪がってた」
それを聞いた瞬間、腹の底から急激に湧き上がって来る恥ずかしさに耐えられず、受付とは別方向にある酒場に向かった。近くにいた店員に、酒を注文し一気に飲み干す。
直ぐ近くに走って来る2人に、気づくが酒を追加で注文する。
「自棄酒?」
「ちょっと、これから依頼なんですからダメですよぉ〜」
「うるせぇ、俺は、俺はぁぁああ!」
俺はこの後も酒を飲み続け、依頼ギリギリになって慌てたのは言うまでもない。