第19話 些細な結末
この世界の時計は貴重で高価だ。その為、誰もが持てる代物じゃない。
ヴァーデン王国では、6時から3時間おきに鐘の音が鳴っている。
日が傾き、先程18時を知らせる鐘の音が聞こえた。
自宅にカシムとサティアを連れ帰ると、既にヴィルヘルムたちが帰って来ており、何故か床にミルが俯せで寝かされている。
「生きてます、よね?」
「安心しろ、魔力は感じる」
俺達がリビングに入ると、ソファーに座り紅茶を飲んでいたヴィルヘルムとリツェアが俺達を出迎えた。
「何があったんですか?」
「それは、こっちの台詞よ」
リツェアは、俺とメデルの後ろを俯きながら着いて来た2人を見つめている。
サティアはさっきから「私なんて」とネガティブ発言を連呼してるし、カシムに至っては目が虚ろだ。
「カシムには、気を失うまで剣と魔法で攻撃した。回数は、忘れたな」
「それは何と呼ぶ拷問だ?」
「一方的じゃないぞ。反撃しても良いのに、して来なかったんだ」
「それは、本気で言っているのか?」
「……どうだろうな」
ヴィルヘルムとリツェアは、同情を宿した目で、カシムを見つめる。
「兎に角、夕食の前に全員風呂に入って来い!」
そう全員、俺も含めて泥だらけだ。
「主は?」
「夕食の仕込みをしたら入る」
「では、私もお手伝い致します」
「いや、最初は女性から風呂に入ってくれ」
リツェアに視線で合図すると、ソファーに寝ていたミルを起こし、メデルとサティアを風呂場に連れて行った。ミルが、「風呂。次は水責め?魔物いる?」とうわ言の様に呟いていたが、聞かなかった事にした。
俺は女性陣が風呂から上がるまで、昨日買っていた野菜の下処理をしていく。
「何か手伝う事はあるか?」
「え、ヴィルヘルムが料理を?」
「料理は出来ないが、食器運びくらいは出来る」
なるほどな。
「それじゃ、鍋を出してくれるか?それと、パンを入れる皿も準備しておいてくれ」
パンは、帰り道の途中で買っておいた。
野菜の下ごしらえが終わったので、次はひき肉を捏ねていく。そこに卵などの材料を加え粘りが出るまで混ぜる。
「ん、今日は肉か」
ヴィルヘルムの虎耳が、ピクピク動き尻尾が嬉しそうに左右に揺れている。
「手が空いたなら、風呂の準備でもしてろ。……カシムにも服を貸してやれよ」
「分かった」
その後も黙々と料理を続ける。
だいたい後は焼くだけになった所で、女性陣がお風呂から上がって来た。
丁度ヴィルヘルムも戻って来たので、カシムをつれ浴室に向かう。浴室は、まるで少し小さめの銭湯のように広く大柄な男性2人と入っても圧迫感を感じない。
流石は貴族の別荘だな。
体を洗い湯につかる。
全身を包む幸福感に、思わず溜め息が溢れる。ジワジワと体が温められ、1日の疲れが癒えて行くようだ。
「げっ、こんなでっけぇ風呂に入るなんて貴族じゃねぇか!」
漸く元の調子に戻ったカシムが、お湯が溜まった広い湯船を見て、そんな庶民的な反応をわざわざ言葉に出して言っている。
「おい、今バカにしただろ!」
「……」
「この糞ガキ……」
確かに、この世界の平民がお風呂に入る機会は少ない。
あってもシャワーなどが一般的で、公共の銭湯の様な施設があるくらいだ。殆どの平民は、水で濡らしたタオルで体を拭いたり水浴びをしている。
「ぐぅ、こりゃ、気持ちいな」
オヤジかよ。
俺はふと思い出した事をカシムに聞いてみた。
「スラムの盗人、種族の差別。そんなのありふれてるよ」
カシムは顔を顰めながら、この国に起こっている矛盾に着いて話してくれた。
どうやら、この他種族共存を掲げるヴァーデン王国でも、年々種族間の差別の溝が深まっているのは確かのようだ。
その元々の原因になったのが、数年に一度起こる魔物の大量発生だとカシムは話す。
特に秀でた能力を持つ個人が少ない人間は、どうしても身体能力に長けた獣人や魔法に長けた魔族たちに頼らぜるを得ない。
つまり、他種族が前線に立つ機会が増え、被害が人間を上回っているのが現状だそうだ。
それに不満を持った一部の者が小さなデモのような事を起こしたそうだ。
だが、現代の王は種族毎の言い分は聞いたが、それを「国の為だ」と言い、更に権力を使い抑え込んだらしい。それがきっかけで、国全体で人間主義の風潮が強まり、人間の貴族たちにはそれが顕著に現れたようだ。
「結局、この国もその程度か」
「だが、まだ表面上は種族間の苛烈な差別は起こってねぇ」
「表面上は、だろ」
ヴィルヘルムの怒りの籠った声に、カシムは表情を顰める。
「まぁ、雪が見たっつうそれも、この国で起きてる事の一部だ」
「そうか」
俺に直接被害が来なければ、どうでも良いか。
風呂から上がった俺は、着替えを済ませると早速料理を再開する。と言っても、サラダは既に冷蔵庫の様な魔法道具の中に入れているし、肉は焼くだけだ。そういう訳で、直ぐに焼きあがりテーブルに並べる。
「う、旨そう」
「ジュル……食べる前から美味」
「凄いですう」
歓声を上げるカシム達。どうやら、風呂に入った事で、少しは精神的にも肉体的にも楽になった様だ。
「これは一体何ていう料理?」
「ハンバーグだ」
「「グゥゥ〜〜〜」」
ヴィルヘルムとメデルのお腹が、同時に空腹の限界を音を出して主張する。
「はぁ、まずは食うか」
「「「頂きます!!」」」
いつも通り、手を合わせ「頂きます」と言うメデルたちの真似をしてカシムたちも続く。
「う、うめぇ!」
「口の中に肉汁が溢れますぅ」
「超絶美味」
多めに買っていたパンと一緒に、ソースとハンバーグを凄い勢いで食べ進める一同。
「モグモグ」
「ガツガツ」
ヴィルヘルムとメデルは無言で食べ進める。
「なんか、兄妹みたいね」
リツェアが微笑みながら、メデル達の方を見ていた。
「あら、メデル、ソースが付いてるわよ」
メデルの頬に着いていたソースを、リツェアは優しく拭き取る。
「お前は、まるで姉だな」
ヴィルヘルムの言葉に、リツェアは照れたように微笑む。
「だったら、主はお兄さんですね」
眩しい程の純粋な笑顔を見た俺は、無意識にメデルから視線を逸らした。
兄か。そういえば、地球の家族は元気だろうか。
人数が多い所為か、地球に残した家族の事を思い出してしまった。
だが、あのマイペースな家族の事だ。何だかんだで、楽しく毎日を過ごしているだろう。
数分で、パンもハンバーグも全て完食し、現在は食後に全員で紅茶を飲んでいる。
「さて、そっちはどうだった」
これからお互いの現状について情報交換をする。
「私達の方は、運良く2つの依頼を達成出来たわ」
リツェアは自信満々に、冒険者ギルドの判子の押された依頼達成証明書を俺達の前に置く。
依頼達成証明書は、依頼達成時に希望すれば仮登録冒険者であっても無料で貰う事が出来る。
今回の依頼は2組に分かれて行う為、こうして依頼達成証明書を貰うように事前に決めておいたのだ。
「チーユー草は、希少な薬草だよな」
リツェアが取り出した依頼達成証明書の中には、依頼達成条件がチーユー草と言う、上級ポーションを作る時に欠かせない素材である。
だが、魔物が多い地域に育ちやすいという、何とも迷惑な性質を持ち群生する場所も限られている事から希少な植物だ。
「ええ、運良く群生地を見つけたのよ」
「……そう、私が命懸けで」
急にミルが、遠い目で依頼達成証明書を見つめ出した。
何があった……。
「えっと、どういうことですか?」
「ミルは、格上や不利な状態での戦闘経験が少ない。だから、戦闘を全面的に任せた」
確か、ヴィルヘルムとリツェアが今日向かった場所は魔物が頻繁に出没する森の中だった。それこそ、危険地帯に自生する事の多いチーユー草が群生する程に。
「まぁ、全て倒す事は出来ずとも逃げ回っていれば俺達が何とかする」
「逃げて、逃げて、逃げた先から、また逃げて、群生地見つけた」
想像出来てしまった。
おそらく、ミルじゃ勝てない程の強敵か魔物の群れに襲われて森中を駆け回ったのだろう。
「死んだと思った」
しかも、帰宅時の状態を見ると1度や2度ではない筈だ。
「ミル、良く頑張ったねぇ」
「すげぇぞ、良くやった!」
「うん、人生甘くない」
褒め称える2人と人生の一端を悟ったように見えるミル。
いや、まだ初日なんだが。
この調子でいったら人格変わるんじゃないか……。
「それで、雪達は?」
リツェアに言われテーブルの上に、1枚依頼達成証明書を置く。
「これ結構量あったでしょ」
「まぁ、手分けして何とかなった」
「薬草を探すの凄く楽しかったです!」
あどけない表情で喜ぶメデルに、リツェアは微笑みながらも適当に相槌を打っている。
だが、ヴィルヘルムの視線はメデルではなくカシムたちの方に向けられていた。
「……で、どうしたら、たった数時間で精神崩壊寸前まで追い込めるんだ?」
「だから、死にかけては回復させてを繰り返した」
リツェアとヴィルヘルムは、互いに顔を見合わせ次に俺へと視線を戻す。少しの間俺を見つめていたが、遂に我慢出来なくなったのか溜め息を吐く。
「一応聞くけど、言葉のままの意味よね」
「そうだ」
「貴殿の常識外れは理解しているが、理由はなんだ?」
「戦い方が雑だったのと、戦い方が気に入らなかったからだ」
その言葉に全員が唖然とする中、一番衝撃を受けたのは被害者とも言えるカシムなのは間違いないだろう。
カシムは、既に、怒る気力もなくただ床を見つめ俯いている。




