第10話 深海庸平2
俺は、震える手足に力を込めて立ち上がった。
「実力差は歴然だぞ?」
凍夜の言葉は、現実を事実として突き付けた。
だが、自分の弱さを理由に、逃げる事だけはしたくなかった。
油断なく、冷静にアイテムボックスから取り出した剣を構えて凍夜の一挙一動に意識を集中する。
この先の事など考えない。
今この瞬間に全力を注ぐ。そして、互いの溝が埋まるかは分からないが、凍夜と話さなければいけない。
すると、凍夜は、俺達から距離を取って口を開いた。
「〝実力偽装〟〝魔力偽装〟解除」
紡がれた言葉と同時に、凍夜から解き放たれた魔力が物理的な圧力となって俺達を襲った。
「何っ」
「ひぃ!?」
「何て魔力なの!?もしかして、澤輝以上……」
「俺が、澤輝以上か。本当に、そう思うか?」
「どういう…意味だ?」
「俺は、紛い物の勇者とは次元が違う」
〝濃霧〟の内部で、魔力が暴れ狂っている。そして、凍夜は澤輝の事を『紛い物』と呼んでいた。
『紛い物』とは、一体どういう意味なんだ。
お前は一体、何を知っている?
「どうした。俺を止めるんじゃないのか?」
凍夜の声に、遠のいていた意識がはっきりとした。
「そうだ」
俺は、本能的な恐怖を断ち切るかの様に凍夜に向かって足を踏み出した。
たったそれだけで、俺の息は荒くなり、足が震える。
恐い。頭で理解する恐怖とは違う。俺の体と魂が凍夜に怯えている。どれだけ勇気を振り絞っても、まるで喉に切先が触れている様な感覚が消える事がない。
隣で風巻さんと早乙女も武器を構え直したのを感じた。
「構えは上々だ。戦意はギリギリ及第点。そして、良い覚悟だ」
俺達から武器を向けられているにも関わらず、凍夜は気にした様子もない。
確かに、物理的な距離はそう離れていない。
だが、そこにはあまりにも圧倒的な開きがある様に俺は感じた。それでも、目の前に立つ凍夜だけを見て、闘志を昂らせて剣を構える。
正直、目線を外したら腰が抜けそうだ。
「お前等の覚悟に敬意を表し、俺も全力で戦おう」
「「「!!」」」
俺の額に大粒の汗が流れる。
俺は、漸く理解出来た。
俺達が今対面している人物は、自分程度の矮小な弱者では対峙する事さえ許されない、絶対強者なのだと。そして、自分の力の全てに絶望した。
何て小さな力なんだ。
俺はこの異世界に召喚された事を不快に思う裏で、他者より優れた力を貰った事に優越感を感じていたのかもしれない。
だが、今やっと分かった。
俺は、周りのクラスメイトよりほんの少しだけ強い力を貰い、自惚れていた井の中の蛙。愚かな子供だったのだ。
また現実は、俺に無情にも真実を突き付ける。
俺は、無力で立ち尽くしていた、あの時と何も変わっていない。
瞬き一つせず見ていた凍夜の突き出した右手に、魔力が集まり剣の姿に変わって行く。
「底無き欲望宿りし聖剣よ 我が手に顕現せよ!
万物を喰らい尽くせ【聖剣・暴食王】!!」
凍夜の右手に顕現したのは、漆黒に覆われた剣。まるで、深淵から汲み上げた闇そのものと言われても疑い様のない禍々しさを感じる。
俺の思考の全てが、恐怖に塗りつぶされて行く様だ。
「聖剣!?澤輝と同じ…」
「澤輝の剣は、聖剣じゃない」
凍夜の持つ聖剣の漆黒が、僅かに蠢いた様に見えた。
光の反射だったのか、凍夜が手を動かしただけなのかは分からない。それが分かっている筈なのに、俺には凍夜の持つ聖剣が巨大な口を開ける化け物の様にしか見えなくなっていた。
「え?」
「……どういう事だ?」
俺達の問いに答えず、凍夜は聖剣を軽く振るった。
たったそれだけの動作によって、嵐の様に暴れ狂っていた周囲の魔力が消えた。
いや、何故か俺には分かった。
この空間に暴れ狂っていた魔力を聖剣が、根こそぎ喰い尽くしてしまったのだ。
「あれ、魔力が……」
早乙女と風巻さんは、状況が理解出来ていない。
俺は、汗が肌を伝い地面に落ち、呼吸が徐々に荒くなって行く。そして、気付いた時には、恐怖と怒りを混ぜ合わせた声で、叫んでいた。
「……凍夜…それは一体何だ?」
「言った筈だ。本物の聖剣だ」
「馬鹿な事を言うな!それが、そんな化け物が剣な筈がない!」
普段の俺からは、想像出来ない程に焦っていた。
いや、焦らずにはいられなかった。
「お前に教える必要はない」
凍夜が聖剣を構えた。
「一瞬で終わらせる」
「来る!」
「「……っ!」」
見た事がない凍夜の瞳だ。
敵意、殺意、そんな安直な言葉では、良い現す事など出来ない。
「何をしても無駄だ」
「来る!」
「ぅぅ」
「っ!」
風巻さんに言われるまでもなく、凍夜の聖剣に意識を集中する。
相手は凍夜だ。大切な友達だ。
俺が本気で戦っても勝てる見込みはないだろう。だったら、全力で戦って止めるしかない。
だが、その覚悟すら俺の驕りだった事を直ぐに理解させられた。
ドサッ。
一瞬の出来事だった。
視界から凍夜が消え、次の瞬間、隣に立っていた筈の風巻さんが倒れていた。
「何!?」
「次は、お前達だ」
状況を理解するより前に、目の前に凍夜が聖剣を手に持ち立っている。
動きが全く見えなかった。
「うぅぉぉおおお!!」
反射的に剣を振り抜く。殺さないようにする事なんて考えず、無意識に目の前の敵に、命を刈り取るべく全力で剣を振るった。
剣の軌道は、真っ直ぐに凍夜の首に向かって進む。速度も振り抜いた体の感覚も悪くない。
寧ろ、今まで繰り返して来た斬撃の中でも最高の斬撃の自信がある。
「無駄だ」
しかし、剣が届く事はなく、根元からまるで獣に食い千切られたかのように刀身がなくなっていたのだ。
「!?」
一瞬の動揺。
現実離れしすぎた光景に、俺は体を思考を諦め、動かせなくなった。
凍夜が、聖剣を振りかぶる。
「た、盾魔法〝風の盾〟」
俺と凍夜の間に、風の盾が具現化した。
だが、凍夜の聖剣の前には、あまりにも頼りなく感じてしまう。
「魔力を食い尽くせ、【暴食王】」
気付いた時には、盾を貫通し、聖剣が俺の胸を貫いていた。
「がはっ……ぅ」
全力で戦って止める?
……何を俺は、自惚れていたんだ。
俺程度じゃ、戦いにすらならなかったじゃないか。
体から力が抜け、その場に膝を付く。
胸が熱く、激痛が走った。自分の中から、熱い何かが流れ落ちて行く感覚に恐怖を感じる。
呼吸もままならず、身体の力が抜けて行くのと、胸を貫かれた現実が、間近に迫った死を連想させる。
「…っ、俺は…ま、だ……」
死にたくない……。
「安心しろ。死にはしない」
熱の込もらない凍夜の声が聞こえると同時に、胸から聖剣が引き抜かれた。
「ぅっ………」
ドサッ。
聖剣が抜かれた途端、俺の体は重力に引かれ硬く冷たい地面に倒れた。そして、意識もだんだんと遠くなって来る。
「ただ、魔力を殆ど喰ったから暫くは動けないだろうけどな」
薄れゆく意識の中で、俺の横を通り抜ける凍夜に手を伸ばす。