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はるくんが好きだ。
このところの俺の頭に浮かぶのは、はるくんの透き通った瞳、はるくんの暖かい笑顔、はるくんの優しい声…それらばかり。
朝起きると一刻も早くはるくんに会いたいと思うし、帰り際は別れがとんでもなく寂しく感じる。
俺は、はるくんが好きだ。
もし俺が好きだと言ったら、はるくんは「僕もしゅうちゃんが好きだよ、ふふ」と笑うだろう。
でも、そんなんじゃない。友達としての感情なんかじゃない。
俺の「好き」は、ほんとの「好き」…。
嫌だよね。いくら優しいはるくんでも、気持ち悪いって思うよね。
だって俺は、男だから。
はるくんは優しいから、俺の気持ちを知ったとしても一緒にいてくれて、変わらず隣で笑ってくれるだろう。
でも、決して以前までの2人には戻れない。
だって俺は、男だから。
だけど、はるくんへの気持ちはもう溢れそうな程に大きくなってしまった。
どうすればいいのか、分からない。
辛い。苦しい。胸が痛い。
「まだまだ、終わりそうもないねぇ」
文化祭の前日。
俺とはるくんは、放課後の教室に2人きりで居残っていた。
明日の演劇で用いる道具を作り終えることが出来なかったからだ。
「ごめん…」
俺は力なく謝った。
「ううん、がんばろ」
そう言って、はるくんは微笑んだ。
こうなってしまったのも、俺の作業が手間取ってしまったせいなのは明白であった。
それなのに、はるくんは笑って許してくれて、一緒に居残ってくれて…。
やっぱり、はるくんは優しすぎる。
だんだんと太陽が傾き始め、教室はオレンジ色の暖かい光に包まれた。
さすがに前日であるので、2人は黙々と作業をしていた。
先ほどまで、俺たちと同じように前日の準備に追われている他のクラスの生徒たちのざわめきが聞こえてきていたが、それもすっかり静まり返っていた。こんな時間まで居残っているのは俺たちくらいだろう。
残された時間は少ないはずであるのに、やはり俺の心は痛みを訴えていた。相変わらず作業は捗らない。
そっと、ダンボールにカッターナイフで刃を入れる はるくんの横顔に目をやった。
真剣な眼差し、長いまつ毛、綺麗に通った鼻筋。
夕日に照らされたはるくんの横顔は、言葉に出来ないほど美しかった。
どんな素人が被写体としてフィルムに収めても、プロ顔負けの写真が出来上がるに違いない。そう思えるほどに、美しかった。
しかし、この横顔が俺のものになることは決してない。なってはならない。
はるくんは優しいから、これからもきっとモテるだろう。
今はその告白を断っているようであるが、そのうちはるくんが想いを寄せる女性も現れてくるだろう。
はるくんが選ぶ女性であるのだから、素敵な人であるに違いない。
俺の入ることのできる余地など、どこにもないのだ。
たとえ、長年の幼馴染であったとしても…。
そんなことを考えているうちに、鼻の奥がツンとしてきた。
俺の想いが許されることはない。
そう思い知らされて、柄にもなく泣きそうになってしまった。
やばい。こんなところをはるくんに見られてしまうのは、まずい。
俺は静かに立ち上がり、教室の窓辺へふらふらと向かった。
目の前に広がる夕焼け空が暖かい。
それは、どんな罪をも許してくれそうなほどに広大であった。
同性の幼馴染にこんな感情を抱いている俺のことも、許してくれるだろうか。
泣きそうになるのを堪えながら、寡黙な空に目をやる。俺の心をじんわりと癒してくれた。
「しゅうちゃん、どうしたの?」
しかしそれも束の間、はるくんが立ち上がる気配がした。俺は何も言わずに空に意識を集中させる。
振り向きもしない俺のことが気にかかったのだろう、やがて恐る恐る俺の隣へとやって来た。
こっち来んなよ…俺ははるくんに顔を向けないようにする。せっかく堪えた涙が溢れてしまいそうだから。
「しゅうちゃん…」
はるくんがつぶやく。
きっと、いつものように眉を下げて心配そうな顔をしているのだろう。10年以上も幼馴染をやっているのだから、それくらいは分かる。
夕焼け空にはいくつかのオレンジ色の雲が浮かんでいたがその動きは鈍く、この空間だけ時間が止まっているような感覚さえ覚えた。
「最近、ちょっと辛そうだよ」
はるくんが、顔も向けない俺に語りかける。その声はいつもよりも弱々しいものだった。
“お前のせいだよ”
「もしかして、僕のせい?僕、何かしちゃったかな…」
“そうだよ”
俺は、心の中ではるくんに冷たく言い放つことによって涙を鎮めようとしていた。
しかし、逆効果であった。
俺ははるくんになんてことを言わせているんだ。今だって一緒に居残ってくれて、優しくしてくれるはるくんに。
これでは、想いが許される云々の前に、誤解を生んだまま最悪の結末を迎えてしまうのではないか。そう思うと、更に泣きたくなってきた。
いや、でも、それでいいのかもしれない。
はるくんは俺から離れた方がいいに決まっているから。こんな、同性の幼馴染に対してやましい感情を抱いてしまう、俺なんかからは。
そうして、地味な俺なんかに構わず、もっと素敵な友達を作って、もっと明るくて楽しいことをして、もっと素敵な女性と……。
もういっそのこと、このままはるくんのせいにして絶交してしまおうか。
「でもね、僕は、しゅうちゃんのこと…好きだよ」
秋風に揺れる木の葉の音。
雲の隙間から差し込む柔らかい光。
それらとシンクロしたはるくんの優しい声が、俺の耳に響き渡る。
「えっ?」
思わずはるくんの顔を見上げる。
今、好き、って言った……?
しかしそれも一瞬、すぐに視線を床に落とした。
つい反応してしまったが、さっきの言葉は、俺を励ますためのはるくんなりの優しさだろう。
一瞬でも反応してしまった自分が恥ずかしい。みるみる全身の熱が上がっていくのが分かる。
別の意味で、泣きたくなった。今すぐ土を掘って埋まりたい。
「しゅうちゃん、こっち、見て」
見れない…見れないよ。
だって、俺は君に対して普通ではあり得ない感情を抱いているんだよ。
こんな俺にはもう、はるくんの優しさに与かる資格はないんだよ。
「こっち見てよ」
はるくんは先ほどよりも強い口調でそう言った。
今、まともにはるくんの顔を見たら、きっと泣いてしまう。その理由を尋ねられても、はるくんへの感情が全身でぐちゃぐちゃになってしまっていて、上手い言い訳も思いつかない。というか、考えるスペースがない。
もう、おしまいだ……。
ばればれかもしれないが、精一杯涙を堪えてはるくんを見上げた。
身体が小さく震えてしまう。
きっと今の俺はものすごく強張った顔をしているだろう。
見ると、はるくんも俺と同じくらいに強張った表情をしていた。
風の音も木の葉の音も虫たちの鳴き声さえも、何もない空間。
先ほどまで聞こえていたはずの音は一切耳に入ってこない。
まるで、この世界にたった2人しか存在していないかのよう。
オレンジ色の暖かい光が、教室の窓辺で向かい合う2人の少年を抱きしめるように包む。
「僕は、しゅうちゃんのことが、好きです」
その瞬間。
はるくんの瞳から、一筋の涙。
それはキラキラと煌きながら、ゆっくりと床に落ちていった。
今まで見たどんな涙よりも美しい。
そう思った。
はるくんの声は震えていて、けれどしっかりとしていた。
「えっ……?」
気づけば、俺も涙を流していた。堪えていたぶんの涙が、遠慮なく次々に頬を伝う。
けれど、はるくんの方がもっと泣いていた。
「ごめんね、ごめんね。びっくりするよね、気持ち悪いよね。だけど、気がつけばずっとしゅうちゃんのことばっかり考えているんだ。しゅうちゃんのことがずっと、頭から離れないんだよ」
はるくんは、言葉と涙をぼろぼろと流した。その姿は本当に子どもみたいであった。
俺は勝手に流れてくる涙を放置し、呆然とした。
こんなことがあるのであろうか。いや、これは夢に違いない。夢じゃないとおかしい。
俺が一番欲しかった言葉を、はるくんが伝えてくれている。
こんなことが現実なわけがない。
はるくんを想うあまり、変な夢でも見てしまっているのだ。そうに違いない。
それでは、夢であると確かめなければ。
俺は恐る恐る手を伸ばし、はるくんのブレザーの裾をきゅっと掴んだ。
その感覚は、確かにこの手にあった。
ただそれだけなのに、何故だか再び、大粒の涙が溢れた。
もう少し、力を入れて掴んでみる。
そのまま、相変わらず泣きじゃくっているはるくんを見上げる。
「俺も……そうだよ」
精一杯だった。
今にも消え入りそうな声だったと思う。
愛を語ることがこんなにも難易度の高いものであるとは思っていなかった。
あまりにも恥ずかしくて、思わず視線を落とす。
みるみるうちに全身が赤くなっていくのを嫌でも感じる。
「ほ、本当…?」
震える声で問うはるくんに、下を向いたまま、小さくこくんと頷いた。
「しゅうちゃん…!」
ふわっ、と、はるくんの長い両腕が俺を包む。
俺の頭は、はるくんの首筋に埋れた。
俺の身体に回されたはるくんの両腕。
大きな手の力強い感触を、背中に感じる。
ちょっときついよ、はるくん。
けれど、この上ない幸せだった。
俺もそっと、はるくんの背中に両腕を伸ばしてみる。
はるくんは細いから、腕の短い俺でも容易に腕を回すことが出来た。
ぎゅっ、とはるくんを引き寄せる。
暖かい。
俺が欲しかった、この温もり。
はるくんの鼓動を感じる。
とても速い。たぶん、俺と同じくらい。
俺は確信した。
間違いなく、これは夢なんかじゃない。
はるくんは、確かにここにいる。
俺ははるくんを愛していて、はるくんは俺を愛してくれている。
しばらく2人は抱き合った。
その間ずっと秋風によってカーテンが舞い、2人を包んでくれた。
きっと廊下から俺たちの姿は見えない。
俺とはるくんの、秘密の愛の形。




